行儀見習いとは
王国では、貴族女性は淑女であることが求められる。
では、どうしたら淑女になれるのか?
もちろん、王家の姫君や王子の婚約者ともなれば、何人もの教師がついて身分に合った淑女教育がなされる。
高位貴族の令嬢も同様だ。
伯爵以下になると、財力や伝手がモノを言う。
財力があれば良い家庭教師を雇えるし、伝手があれば王宮の侍女になることも出来る。
王宮の侍女として採用されれば、淑女に必要なマナーは教えてもらえるし、本物の淑女を目にして見習うことも出来る。
特に手伝うべき家業などなければ、お薦めのコースだった。
ミリアンのような跡取り令嬢の淑女教育は、実は一番中途半端になりがちなのだ。
跡取りとして商売や領地経営もある程度覚えなければならないし、淑女教育に割く時間も少ない。
おまけにミリアンの場合、ハーブ栽培に熱心過ぎて淑女なんてまるで興味なし。
確かに、身分的にも王宮の舞踏会に出席しなければならない、なんて機会もほぼないので、特別問題はなかった。
だが、ここに来て、ミリアンの母親の伝手が炸裂した。
なんと王妃殿下直々のお誘いでミリアンを王宮で行儀見習いさせてくれるという。
つまり、王宮での後ろ盾は王妃殿下。
何かやらかせば、殿下に迷惑をかけるのだ。
王都での用件を終えた両親は、さっさと領地に帰って行った。
ミリアンはそのまま、王宮に預けられたのであった。
冬の社交シーズンがほぼ終わり、王宮も落ち着きを取り戻している。
そんな中、ミリアンと同じように行儀見習いとなった令嬢は他に四人いた。
まずは五人まとめて、最低限の王宮でのマナーや注意点を教わった。
それが終わると、それぞれ仕事場を割り振られた。
仕事場と言っても、行儀見習い中は給料が出るわけでもない。
侍女用の寮に部屋をもらい、食事も侍女と同じように出される。
服も侍女用のお仕着せが支給される。
指導役の侍女に言いつけられる簡単な仕事をこなし、迷惑をかけることがなければ、淡々と見習い期間が過ぎるだけだ。
行儀見習い、とはまさしくその通りで、指導役の侍女やまわりの様子を見て習うものだった。
自分の置かれた状況がハッキリわかったミリアンは、まず絶望した。
なぜなら、侍女は温室の世話をしない。
温室の世話は園丁の仕事だ。
素敵な温室があるにもかかわらず、ミリアンは王宮内で指導侍女の下、仕事を手伝い、淑女の所作を見て盗み、ややこしい人間関係やその対処法をフワッとでもいいから頭に入れていかねばならないのだった。
この年に行儀見習いとなった五人のうち、ミリアンを除く四人には婚約者がいなかった。
適当な結婚相手を探すという目的が一番の彼女たちは、何か頼まれても身が入らない。侍女の手伝いとしては使い物にならなかった。
指導役の侍女たちは、そんなことは百も承知。
彼女らに合いそうな相手がいれば積極的に縁結びをした。
さっさと婚約し、王宮から去ってくれれば、自分の負担が減るのである。
そんなこんなで、三か月後には他の四人は片付いてしまい、ミリアン一人だけが残っていた。
ミリアンの指導役になった侍女は、結婚出産を機に一度王宮を離れていた人だった。
子育てが一段落し、侍女としての能力を買われて、王妃殿下に呼び戻されたのだ。
復帰してすぐの仕事が、行儀見習い令嬢の指導役。
仕事を辞める直前には、筆頭侍女の補佐を任されて非常に忙しかった。
それに比べれば、かなり楽だ。
ブランクもあるから、しばらくは指導役専任で勘を取り戻してほしいという王妃殿下による有難い計らいである。
「よろしくね、ソフィ」と尊敬する殿下からの言葉を賜り、ご期待に副いましょうと心に誓った。
しかし、ソフィは少しばかり憂鬱であった。
他の四人と違い、ミリアンは婚約者持ち。次の冬のシーズンまで約一年弱面倒を見なければならない。
指導役の侍女が、行儀見習いの縁談を素早く結ぼうとするのには別の理由もあった。
毎年、幾人かの令嬢を受け入れていれば、何かしらの事件は起こる。
それぞれ、別々の個性を持った未熟な令嬢が、慣れない環境に放り込まれるのだ。
本人にとっては恥ずかしくとも、周りにとっては微笑ましい…そんな事件なら歓迎だ。
しかし、年頃の令嬢のこと。駆け落ちしたり、質の悪い既婚者に言い寄られたりといった醜聞も起こりがちだった。
当然、その責任は後ろ盾になった王族や高位貴族にかかってくる。
だが、直接預かっていた指導係が無関係で済むはずもない。
過去にはそれで職を失った上に、嫁ぎ先を追い出されたという悲惨な女性もいたのだ。
王妃様から直々に頼まれたとはいえ、それと令嬢の資質とは別問題。
油断は禁物だった。
だが、蓋を開けてみれば…
ミリアンは、未だかつて王宮で受け入れたことがないような行儀見習いだった。
最初に五人の令嬢を見た時、指導役の誰もが思ったのだ。
ミリアンは所作もこなれていないし、五人の中で一番田舎っぽく指導が面倒そうだと。
きっとガサツで、何度も注意しなければならないだろう、と。
ところが、全員一緒のマナーの授業の後、教わった全てをしっかり身に付けていたのはミリアンだけだった。
ミリアンを引き取ったソフィが王宮内を連れて歩いていても、問題のある行動をほとんどとらない。
何かあって注意すれば、二度と同じ間違いをしない。
興味を持って、生い立ちなど少し詳しく訊いてみれば、領地経営の勉強やハーブ栽培の研究などを幼いころからこなし、頭を使うことに慣れているようだった。
自ら畑を耕す、というだけあって身体も丈夫で、動きも素早い。
王妃殿下付きの侍女たちが忙しい時、一緒に手伝わせてみても、すぐに間に合う。
現在の王妃様付き筆頭侍女が「是非、侍女として勤めてほしい!」とミリアンに言いかけるのをソフィが慌てて止めるほどだった。
ミリアンがいかに有能でも、身分は行儀見習い。
役に立っても給料は出ない。
ソフィは、代わりに何かご褒美でもと、本人に希望を訊いた。
するとミリアンは迷わず言ったのだ。
「温室をゆっくり見たいんです!」
え、そんなこと? と思いながらも、ソフィは王妃殿下にお伺いを立てると約束した。
ソフィが殿下を訪ねると、丁度、お茶の時間。
一緒にどう? と誘われ、ありがたく席に着かせてもらう。
「ミリアンのことかしら?」
少し悪戯っぽく微笑みながら、王妃殿下が尋ねた。
「お察しですか」
「他の侍女からの評判はいいみたいね。筆頭が部下に欲しいと言っていたし」
「生業のある家の跡取りでなければ、と悔やまれます」
「まあ、貴女の評価も高いのね」
「実は、よく役に立ってくれるのに給料は出ませんし…
何かご褒美をあげたいと思ったのです」
「ああ、それはいいことね」
「それで希望を訊いたら、王妃殿下の温室をゆっくり拝見したい、と言うのですが」
「まあ、そんなことでいいの?」
そういえば、母親に連れられて温室でお茶をしたとき、なんだか心ここにあらずだったのは、そういうわけだったのかと殿下は納得した。
「領地では積極的にハーブ栽培を手掛けているというし、何かいい発見をしてくれればいいわね」
「王妃殿下?」
「ええ、もちろん、かまわないわ。
貴女の許可を得れば、いつでも温室に入っていい、と伝えて」
「ありがとうございます」
「ふふ、ミリアンはすっかり貴女の妹分ね」
ソフィはそう言われて驚いたが、確かにミリアンに対しては身内のように思っていることに気が付いた。