シーズン到来
夜会まで二週間。
やらねばならないことは、山のようにある。
翌日、まずは仮の婚約が交わされた。
王族の場合、国教の大聖堂で司教が立ち会って行う式をもって、正式な婚約とされる。
参列者の都合や大聖堂の予定もあり、すぐには式が行えない。
だが、ミリアンが侮られないよう、仮ではあるが王子の婚約者として扱うことを周知しなければならなかった。
仮の婚約式は謁見の間で行われた。
国王陛下の前で、大聖堂から派遣された司祭の導きにより、誓いの言葉を交わした。
そして、仮婚約の書面にサインをする。
居合わせた宰相はじめ、各大臣は温かく見守ってくれた。
リシャール第二王子は、ホッとした。
ここには、まだ敵はいないようだ。
式の後、立会いのため来てくれた両親と、ミリアンは久しぶりに言葉を交わした。
「ミリアン、よかったわ。すっかり元気そうね」
「お母様」
「あなたが領地に戻った後、王妃殿下といろいろお話したわ。
王族に嫁がせるなんて不安も大きいけれど、もう、あなたは子供ではないわね」
ミリアンの母である子爵夫人は、王妃殿下が用意したドレスを着こなしている娘の様子を、感慨深く見つめた。
「第二王子殿下、娘を、よろしくお願いいたします」
子爵は、リシャール王子に深く頭を下げた。
「子爵、頭を上げてください。義理の父上になるのですし…」
「もったいないお言葉です」
ついつい頭が下がってしまう子爵の手を、リシャールがギュッと握った。
「ミリアンのことは、私がしっかり守ります」
だがしばらくは、リシャールの出番は少ない。
まずは高位貴族令嬢なみの淑女教育を叩き込まねばならない。
優雅な振舞はもちろんだが、ある程度の貴族の名前と上下関係なども覚えなければならないのだ。
ミリアンとリシャールが会えるのは、日に一時間程度のダンスレッスンのみ。
もちろん、ワルツだけでは勘弁してもらえないので、わき目もふらずに真剣に取り組むしかなかった。
ソフィがお婆から預かって来たハーブティーと、料理長が差し入れてくれるスイーツ。そしてガエルが届けてくれる、花の咲いた小さな鉢植えに支えられ、ミリアンはなんとか頑張った。
ダンスレッスンの後に耳元でシャールが囁く、甘いご褒美は二人だけの秘密だ。
遂に社交シーズン幕開けの、夜会の日が訪れた。
前日には、レスピナス子爵家は伯爵家に陞爵されている。
「リシャール第二王子と、ご婚約者、ミリアン・レスピナス伯爵家ご令嬢の入場です」
リシャールにエスコートされ、夜会会場へと踏み出す。
もう、キラキラした雰囲気に飲まれたりなどしない。
姿勢を正して微笑みを浮かべたミリアンに、会場の大部分の貴族たちは魅了された。
壇上の国王陛下に挨拶を終え、その場に留まる。
宰相が進み出て、婚約を発表する口上を述べ始めた。
「この度、リシャール第二王子殿下とミリアン・レスピナス伯爵家令嬢のご婚約が…」
「お待ちください!」
一連の流れを断つ、無粋な声がかかった。
声の主はマントノン公爵だ。
「伯爵家令嬢でも、王子殿下の婚約者については相応しいか悩むところですが、ましてや、つい昨日まで子爵だった家の令嬢とは…
とても、この由緒ある王国の、王族に嫁ぐものとして認められませんな」
何か言い返そうとしたリシャールをミリアンが止めた。
様子を見ましょう、というように、目を見て頷く。
第一声が誰にも咎められなかったことを、自分が支持されていると考えた公爵は勢いづく。
「だいたい、可哀そうではありませんか。
若い方の恋愛は大いに結構ですが、婚姻はまた別物。
王族や高位貴族になれば、なおさらです。
田舎で土にまみれていたという子爵家のお嬢さんが、慣れない王宮や社交界で生きていくために、どれだけ苦労するんでしょうな。
生まれが高貴な者ならば、幼い頃より自然と身についているものを、必死で詰め込んだとしても、結果を出せるわけもなく…」
マントノン公爵、マチューは大いに不満だった。
常々、王家は公爵である自分のことを、軽く扱い過ぎると思っていた。
第二王子の婚姻に際してもそうだ。
南の隣国の王女との縁談が流れたというのに、自分になぜ相談が無いのか?
公爵家の中でも、王子と釣り合う娘がいるのは我が家だけだ。
美しく聡明な、我が娘。
隣国の王女などより、遥かにこの国の王家に相応しい。
彼の、娘に対する評価は概ね正しかった。
間違っているのは、一公爵である自分が、なぜか王子の配偶者を決定できると思っていることだ。
そして彼の不幸は、彼を一番軽んじているのは王家ではなく、その自慢の娘だということだった。
「まあ、お父様、何を仰いますの!?」
凛とした声を響かせたのは、マチューの長女。
マントノン公爵家令嬢、ブリュエットだった。
「わたくしの大切な幼馴染でもある、非の打ち所のない第二王子殿下が、自ら選ばれたご令嬢ですのよ!」
非の打ち所がない、と言われてリシャール王子は訝しんだ。
確かにブリュエットは幼馴染だが、物心ついて以来、彼女は自分に対してずっと冷ややかだ。
リシャールの表情に気付いたミリアンは、気遣うようにそっと彼の腕に触れた。
リシャールは心配ないよ、というようにミリアンに優しく微笑んだのだった。
その様子を、ブリュエットは視界の端に捉えていた。
公爵は娘を諭すように言葉を続けた。
「王子殿下は、まだまだお若い。
経験豊かな者の知恵を借りるべきだ。
若気の至りで一生を決めるのは、よくないことだよ」
「情熱が真実の愛にたどり着くこともあるのではございませんか?」
「真実の愛? 田舎で土にまみれていた子爵家の娘と?
三文芝居の題目ではないのだよ」
「土にまみれていた? まあ、灰被りならぬ土被り姫ですわね。
ミリアン様は家業を手助けするために、たゆまぬ努力をされていると聞いておりますわ。
そんな方をお選びになるとは、さすが王子殿下!
わたくし、家柄ではなく、女性を一人の人間として見てくださる殿方こそ、尊敬に値すると思いますわ」
声に出さないものの、会場にいた多くの令嬢が、ブリュエットに賛同していた。
才色兼備のクールな公爵家令嬢として、近寄りがたいと思っていたブリュエットが、こんな柔和な考えの持ち主だったなんて! 今まで彼女を遠巻きにしていた令嬢たちは考えを改めた。
初めてブリュエットを目にしたデビューしたての令嬢たちは、こんな素敵なお姉様がいらっしゃるなんて! と憧れの目を向ける。
この夜会における主演女優が決まった。
「マントノン公爵マチュー」
「ははっ」
国王陛下の声がかかり、会場は静まり、皆が控えた。
「若い者たちを気遣う、優しい心根、王子たちに代わって礼を言う」
「もったいないお言葉です」
「だが、若い者たちの心も汲んでやらねば。
時代も少しずつ変わるのだ」
「ですが、陛下」
これ以上は、さすがの公爵でも不敬になりかねない。宰相が取りなそうと動き始めたが、ブリュエットが先んじた。
「陛下、発言をお許しいただけますか」
「ブリュエット、申せ」
「ありがとうございます。
公爵の地位はたいへんな重責です。
長年、一筋に王家並びに王国に仕えてまいりました父は、少し疲れているのだと思うのです。
領地での休養を、お許しいただけませんか?」
「何を言い出すんだ!? ブリュエット!」
「落ち着きなさい、マチュー。よき娘御ではないか。
ブリュエット、そなたの父を想う気持ちに免じて、公爵の休養を許そう」
「ありがたき幸せにございます」
ブリュエットは優雅に礼をした。
呆然とした公爵は、会場内を警備する礼装の騎士たちによって馬車まで送られる。
父と共に屋敷に帰るため、出口に向かい始めたブリュエットがふと振り向くと、リシャール殿下とミリアンと視線が合う。
微笑んだブリュエットに、二人は目礼を返した。
「さあ、仕切りなおそう」
陛下の言葉に、会場に婚約を祝う温かな空気が流れる。
促されるように中央に進み出たミリアンをエスコートするリシャールは、悪戯っぽく笑う。
「プレゼントだよ」
二人だけで踊るワルツのために始まった曲は…
「麻紐の花束!」
「特別に頼んだ」
「シャール、嬉しいわ」
初めてのワルツを、温室でシャールと踊った思い出の曲。
ミリアンは喜びで緊張を忘れ、伸び伸びと動く。
「なんて、お似合いなのかしら」
「王子殿下のお優しい笑顔!」
「素敵なお二人ね」
先ほどの一件で、すっかり二人の婚約を応援し始めた令嬢たちが、口々に褒める。
身分違いの王室の婚約に関して、態度を決めかねていた貴族たちは、概ね好意的な方に傾いたのだった。




