緑の目
とりあえず、シャールとミリアンはレスピナス子爵家に軟禁されていた。
敷地内を散歩するくらいは許されたが、外から目につかないよう、細心の注意が払われた。
それでも、告白し合ったばかりの二人は、幸福だった。
今、二人は図書室にいた。
王宮図書館とは比べ物にならないが、田舎の子爵家にしては広く、蔵書も立派だ。
ミリアンはお婆にもらった資料をまとめる作業に入っていた。
シャールは、斜め向かいの席で本を読む。
甘い言葉も、濃密な触れ合いも、今はまだ無くてもいい。
心を通わせ、同じ空間に二人でいる。一番欲しかったものが今、ここにある。
…とはいえ、シャールは十八歳の健康男子。
ミリアンに薦められた植物図鑑を眺めつつ、時々、頭の隅にモヤっと浮かぶナニかを散らすことにも努めていた。
全てを采配している執事は、少しばかり胃が痛い。
お婆がすぐに顔色に気付いて、いいハーブを煎じてくれる。
お陰で、だいぶ楽になった。
「なるようにしかならないから、気を楽にしなよ」
とは、お婆のアドバイスだ。
どうしてシャールとミリアンが軟禁状態か、と言えば理由は簡単。
シャールもとい、リシャール第二王子は、ここにはいないことになっているからである。
公的には、リシャール王子は王宮にいるのだ。
王子自ら馬を駆って、子爵家令嬢に婚姻の申し込みに来たなんて公には出来ない。
いつの時代も、自分の権力を増すために王家の粗探しをする暇人がいる。
平民には人気を博しそうな恋物語も、一歩間違えば王家の命取りになりかねない。
使者の代表で来た若い男が、王子であると知っているのは執事だけ。
さすがにお婆は感付いているようだが、口にはしない。
他の使用人は詮索してこないものの、彼がミリアンの新しい婚約者候補ではないかと、なんとなく思っていた。
仲睦まじい雰囲気の二人を、使用人たちは優しく見守った。
王都から子爵領までの街道は、それなりに整っていた。
王国の動脈として整備されている大街道から子爵領につながる部分は、ハーブで潤った資金を使って馬車が通りやすい道になっている。
シャールが子爵領についてから十日ほど経った日のこと。
堂々たる馬車列が、子爵領へとやって来た。
一目で王族のものと分かる豪華な馬車を中心にした隊列は、派手に人目を引いた。
子爵家に着いた馬車からは、金髪ですらりとした体躯の、王子様のような若い男が降りてきた。
執事に迎えられ、王子は足早に館に入って行く。
王都から隊列を尾けてきた情報屋の一行は、この様子を王都へ伝えるため、数人を帰した。
更に、その情報屋を見張っていた暗部も、王宮に宛て、伝令を放った。
「茶番だ」
外からはわからない覗き窓から、様子を窺っていたシャールはぼそりと呟いた。
すぐに呼ばれて応接室に向かう。
シャールが部屋に入ると、先ほどの王子様が頭を垂れていた。
「第二王子殿下、お元気そうで何よりです」
「ありがとう。ご苦労だったな。交代しよう」
「畏まりました」
顔を上げた金髪の王子様は緑の目をしている。
彼はリシャール第二王子の影武者であった。
「蜜月はいかがでした?」
別の男が声をかけてきた。
「軟禁されていただけだが」
「申し訳ありません。言葉が過ぎました」
と謝りながらも、ニヤついているのはガエルだ。
「ガエル」
「何でしょう?」
「来てくれてありがとう。
今後も苦労をかけるが、よろしく頼む」
「ここまで来たら、死ぬまで付き合いますよ」
腹が据わった様子のリシャールを見る、ガエルの眼差しは優しい。
一方、自室にいたミリアンはメイドの代わりに自分を呼びに来た人物に驚いていた。
「ソフィ様!」
ソフィは、ミリアンに対し深い礼をとった。
「ミリアン様、お風邪は快癒されましたか?
今後は、私のことはソフィとお呼びください」
「ソフィ…?」
「詳しいことは応接室でお話します。さあ、参りましょう」
住み慣れた自宅の廊下を、従僕の先導で王宮侍女に傅かれながら進む自分。
さすがのミリアンも戸惑った。
応接室では、シャールとガエルが待っていた。
「ガエルさん!」
「ミリアン様、私のことはガエルと…」
以下同文だ。
仕方ない、慣れよう。ミリアンは切り替えた。
「ガエル、遠くからようこそ。会えて嬉しいわ」
「そうそう、その調子ですよ! こちらこそ、お会いできて嬉しいです」
シャールは苦笑いだ。
手招きされて、ミリアンはシャールの隣に座った。
「それで、王宮の方はどうなった?」
ミリアンの気持ちを確かめるため、取る物も取り敢えず、王宮から出発したシャールだ。
気持ちを確かめ合えたことは直ぐに王宮へと伝えられた。
あの、やや大げさな隊列は、王家が認めたことを示すものだ。
だが、それぞれの意向があるなら聞いておかねばならない。
「国王陛下、王太子殿下はお二人の婚姻に賛成なさっています。
離宮の王太后様は、たいへんお喜びとのことです」
シャールの質問に、ガエルが答えた。
「お婆様が…よかった」
「宰相閣下も味方ですからね。
宰相閣下の夫人は、王太后様の離宮に出入りを許されています。
ミリアン様の噂もお耳に入れていたようですよ」
キョトンとしているミリアンに、ソフィが説明してくれる。
「王妃殿下の筆頭侍女様は、宰相閣下のご親戚なんです。
ミリアン様が侍女の仕事をよく手伝ってくださって助かる、ということを、筆頭様が宰相閣下にお伝えしていたそうです。
そこから、王太后様にもお話が届いていたのですね」
「そんな…ソフィに指示してもらって、出来ることをしただけなのに?」
「王太后様は、自分の得がなくとも他人のために働けるミリアン様は王族に迎え入れるにふさわしい、とお考えなのでしょう」
王太后様にはお会いしたこともないのに…ミリアンは恐縮した。
シャールは励ますようにミリアンの手の甲に軽く触れた後、顔を引き締めた。
「公爵家や侯爵家は、どうだろう?」
「特に異存は出ていませんが…マントノン公爵家が横槍を入れてくるかもしれません」
「予想通りか」
「ええ。それについては、王妃殿下にお考えがあるようでしたが」
「そうか」
「取り急ぎの報告は、そんなところです」
「ありがとう、ガエル」
難しい顔をして黙り込んだシャールの手に、今度はミリアンが自分の手を重ねた。
「シャール?」
「…ミリアン。王族の婚姻は、自分の気持ちだけでは決められない。
僕の気持ちは変わらないが、本当に婚姻が認められるまでは、まだ反対する者が出てくるかもしれない」
「はい」
「そこを越えて君と無事婚姻できても、今度は君が嫌な思いをすることが増えるかも…
植物に触れられる時間も、かなり奪ってしまうことになる」
「ええ」
「それでも、僕と一緒に来てくれるかい?」
「もちろん、貴方の側にいるわ。
植物のことだって…行儀見習いに入るとき、緑に触れられなくなるって絶望してたのよ。
でも、実際は温室に入れたし、南の国の蘭の世話まで出来たわ。
なんとかなるんじゃないかしら?
それに…」
ミリアンはシャールの目をじっと見つめた。
「私には、緑の目をした貴方がいるわ」
「…ミリアン」
シャールは、ミリアンの手を取って立ち上がらせると、手を引いたままソファから数歩離れた。
そして、彼女の前で跪く。
「ミリアン、生涯、僕と共に生きてほしい」
「シャール、ずっと隣にいさせてください」
手を取るように差し出されたシャールの手を、ミリアンは強めに引き寄せた。
思わず立ち上がった彼の胸に身体を預け、背中に手を回す。
傅かれるのを良しとしないミリアンを、シャールは更に愛しく思う。
抱き合った二人を見守るガエルの目が濡れていた。
ソフィは、彼にそっとハンカチを差し出した。




