風読みの行方
ロック・プルヴェは下町の飯屋で昼飯を食べていた。
レスピナス子爵家に婚約解消を申し出てからしばらくして、子爵本人がプルヴェ伯爵家を訪れ、了承の返事をした。
伯爵と子爵は旧知の仲であり「いや、ご縁が無くて残念でした」と、軽く酒を酌み交わして、この話は円満に終わった。
婚約解消はロックの意思で押し切ったようなものだが、家族からは反対されなかった。
子供のころから、ロックは少し大人びていた。
友達に流されるとか、勢いで失敗するなどということもない。
婿入りであろうが、どこかで仕事につこうが、本人がなんとかするだろう。
家を出て自立すると宣言した次男を、家族は信用していた。
「ロックさん?」
ふいに声をかけられた。
振り向くと見知った顔だ。
「ジャコブ会頭」
「ご一緒しても?」
「ええ、どうぞ」
ジャコブは伴った秘書共々、同じテーブルに着いた。
「今日は、買い物ですか?」
「いえ、実は…婚約が解消になりまして」
「えっ? それは大変じゃないですか?」
「幸い解消自体は特に問題なく済みました」
情報屋に調べさせていたジャコブは、婚約解消について掴んでいたが素知らぬ顔をする。
「他に何かあったんですか?」
「婿入り先が無くなっても家は出なければならないので、働き先を探しています」
『飛んで火にいる夏の虫!』と心中の笑みを隠し、ごく平静な顔を装うジャコブ。
「ああ、それなら試しにうちの商会で働いてみませんか?」
「ルナール商会で?」
「ええ、細かい手伝いの仕事なら、いつでも人手が欲しいので。
ロックさんが続けられそうな仕事がうちで見つかれば、その時また話し合う、ということでどうでしょう」
「試しで働かせていただけるのは、ありがたいですね。
お願いできますか?」
「一応、従業員の寮もありますから、時間のある時に見ていただければ。
…もしよければ、この後どうです?」
「よろしくお願いします」
寮があるのは助かる。たとえ雑魚寝でもかまわない。
継ぐ爵位が無ければ平民に混じって働くだけだ。
他の従業員と仕事場や寮で接することは、今後の自分のためになる。
ロックは、状況が厳しい方がむしろ好都合だと考えていた。
一方のジャコブは、是非、ロックを自分の商会に欲しいと思っていた。
娘のフランソワーズが彼を気に入っていたので、情報屋に身辺を調べさせてみた。
残念ながら婚約者がいた。縁が無かったと娘に告げるべきか躊躇した。
ところが、しばらくして情報屋がロックの婚約解消の話を拾ってきたのだ。
婿入り先が陞爵するから、婿入りを止めるという。
普通の男なら、むしろ喜んで行くだろうに。
これはと思い、もう少し詳しく調べるよう情報屋に報酬を弾んだ。
その調査結果を見て、ジャコブは確信した。
ロックは風読みだ。
いるのだ、たまにこういう人間が。
船乗りであれば、わずかな天気の差を読み解き、船を安全に航海させる。
商人であれば、人や金、物の流れからその行き着く先を読み、危険を回避するだろう。
ジャコブの長男、商会の跡取りとなるアンドレは、豪胆なところが自分に似た。
人望もあり、後継ぎには相応しい。
だが、いろいろな状況から兆しを拾うのは苦手だ。
ロックが商会に入り、いつかアンドレの右腕となってくれたら…
二人の相性もあるし、フランソワーズのこともある。
未来のことは、わからない。
だが、まるでその道に進ませろと啓示があったように、ロックはここにいる。
ジャコブに出来るのは、若者に道を示すことだけだ。
彼等の将来が楽しみでたまらない。
ジャコブの心からの笑顔を見て、彼に従っていた秘書はひどく驚いた。
数日後、王宮の温室では、ガエルが暗部からの報告を受けていた。
「ロック・プルヴェはレスピナス子爵家とすっぱり縁を断って、ルナール商会に就職、か。
これはどうも、リシャール殿下に影響が及ぶことはなさそうだな」
これをもって、ロック・プルヴェとルナール商会の重点的な調査は終了となった。
「しかし、ロック・プルヴェっていう奴は…
女運が凄いね。ミリアン様の後は、フランソワーズ・ルナールねえ」
なぜか暗部の調査書にあったフランソワーズのスリーサイズを思い出して、ガエルは一人ため息をついたのだった。




