温室番と風読み
「なんか、厄介な男を引っ掛けたもんだな」
温室ではガエルが独り言を言っていた。
「そのまま見張ったほうが良さそうだ。人数が足りなければ補充してくれ」
だが、実は気配を消した男と会話していたのだ。
男は頭を下げると黙って姿を消した。
元、第二王子の護衛騎士ガエル。
王子の護衛騎士ともなれば、王宮内を縦横に動き回ることもあり、下っ端には務まらない。
王宮の騎士という、騎士中のエリートの中から更に選りすぐられた超エリートだ。
当然、重い守秘義務が課せられているし、そうそう簡単に辞めることも出来ない。
王子の護衛騎士になれるのは、王室の庭に骨を埋める覚悟のある者のみであった。
のほほんと温室の世話係をしているように見えるガエルだが、実は相当忙しい。
王妃殿下の温室であるため、適当に手伝いを入れるわけにもいかず、その表稼業が既に忙しい。
気分転換に遊びに来るリシャール王子は数に入らないにしても、プロと言っていいミリアンの手伝いは本当に助かっていた。
そして裏稼業、というか本業は王室に関係する人々の情報収集だ。
彼の指令で暗部が動き、国内外から様々な情報を拾ってくる。
こちらの方はミリアンが温室に来て以来、彼女の関係者も見張らねばならず前より忙しくなった。
ミリアンのお陰で助かり、ミリアンのせいで首が閉まる。
結果、プラマイゼロだ。
「いや、マイナスになりつつあるか…」
先ほどの暗部の報告によれば、ミリアンの婚約者、ロック・プルヴェにルナール商会の会頭ジャコブが接触したらしい。
「目的は何だ?」
これまで、ルナール商会に黒い噂はないが、貿易の一端を担う商会は外国からやってくるスパイの隠れ蓑になりやすい。
商会そのものに問題がなくとも、その中にとんでもない者が紛れ込んでいる可能性もある。
慎重な対処が必要だった。
そんな頃、その年の陞爵について発表があった。
爵位が急に変動すれば、序列に混乱が生じてしまう。
冬の社交シーズンはまだ先だが、余裕をもって知らされるのが常であった。
発表された陞爵は、貴族界において概ね順当であると受け入れられた。
番狂わせ、と思われたのは一件のみ。
ミリアンの実家、レスピナス子爵家が伯爵家に叙されるというものだった。
夫人方のサロンでは多少噂になったが、そもそもレスピナス子爵領は田舎。
妬まれるような付き合いも無い。
誰かが『レスピナス子爵領のハーブは王室御用達ではなかったかしら』と言い出せば『ああ、なるほど』と軽く流されて終わりだった。
一番驚いたのは、子爵家の面々だ。
全く身に覚えがない。
爵位については、叙せられる方に選択権があるわけでもなく『はあ、そうですか』と受け入れるだけだ。
だが、なぜ?
悩んでいても答えは出ない。
最初に立ち直ったのはミリアンの母、クローデッドだ。
王都での叙爵式に出席する準備をしなければならない。
伯爵家と子爵家では、いろいろと細かく異なって来るところがある。
現状のマナーやルールに詳しい方に教えを請わねば、と早速手紙を書き始めた。
行儀見習いの指導役であるソフィから話を聞いたミリアンは、あまりピンと来なかった。
「何か大きな違いがあるんですか?」と訊いてみると、
「家と領地の考え方が変わって来るけど、生活が劇的に変化することはないかもね」との答えだった。
ならば、気にしなくてもいいかと思ったミリアンだったが…
「ああ、そうそう。冬の社交シーズンには毎年、一度は夜会に出なくてはいけなくなるわ」
えー、冬はハーブの冬越ししながら、まったりしたいのに、嫌だなー。
正直に顔に出したミリアンに、ソフィは吹き出してしまった。
夜になって、自室でそのことを思い出したミリアンは、夜会と言えば次はきちんとダンスを踊らなくてはいけないんだ、と思った。
『パートナーがシャールなら、いつだって飛んでいくのに』
そう思って、ハッとした。
何を馬鹿なことを考えているの?
行儀見習いを終えたら、彼は、例え同じ会場にいたとしても、遠い遠い人だ。
冬は静かに、一歩ずつ近づいてくる。
ミリアンの婚約者であるロック・プルヴェも、レスピナス子爵家の陞爵を知った。
公式な情報であり、プルヴェ伯爵家の談話室で話題に上ったのだ。
「子爵家に婿に入るつもりが伯爵家か。お前は運がいい」
両親は上機嫌だ。
「伯爵家出身者として、すぐに力になってやれる。幸先がいいな」
兄も、そう言って喜んでいた。
その場では家族に合わせていたロックだが、一人になって考え込んだ。
前にサロンで聞いたミリアンの噂が気になる。
レスピナス子爵家が今の時点で陞爵される理由はなんだろう?
特に、何か手柄を立てたと言う話は聞いていない。
となれば、ミリアンか?
凄い行儀見習いで、前代未聞の令嬢?
行儀見習いで王宮に入り、表立ってはいないが手柄を立て、実家を陞爵させた?
だとしたらそれは、微風ではない。
ロックから見たら、彼女の活躍は暴風か嵐だ。
そんな彼女を、自分のような慎重さだけの平凡な男が支えていけるだろうか?
ロックは不安を覚えた。
若者らしく浮ついて、何とかなるさ、などとは思えなかった。
何日も考えを巡らせ、やがて彼は決断した。




