表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/22

子爵家の跡取り娘

高原を吹き抜ける風が、夏の終わりを感じさせた。


標高が高いこの土地は秋の訪れが早い。

朝晩はすっかり涼しくなった。


ここ、レスピナス子爵家の領地ではハーブ栽培が盛んだ。

数代前の先祖が外国から渡って来たハーブを少しずつ改良し、今では食用、薬用として王都まで出荷するほどになっていた。


子爵家の一人娘ミリアンも、家業といえる土いじりが大好きだった。

幼い頃より、領地の農民に混じってハーブの栽培を手伝おうとするほどで、貴族と平民の垣根を作らない子爵家の家風と相まって、領民たちから可愛がられていた。


伯爵家から嫁いできたミリアンの母親は、物心ついてからの娘のお転婆ぶりに最初は渋い顔をしていた。

しかし、家でも書物をよく読んでハーブについて真摯に学ぶ姿勢に折れて、淑女教育は最低限で勘弁してくれた…はずだった。


ところが、ここ最近、その淑女教育が厳しいのだ。

「ミリアン、私はあなたを甘やかしすぎました。

時間が許す限り徹底的に叩き直しますよ! 覚悟なさい」

「えー」

「返事は、はい、と一言だけ!」

「…はい」


土いじりが出来ずにミリアンはストレスを溜めていた。

しかし、真剣な母親に逆らうほどの気力はない。


実は、この冬、両親と共に王都で過ごすことになっているのだ。

王都に友人が多い母親は、久しぶりに社交が出来ることを楽しみにしていた。

当然、茶会などにミリアンを連れていくこともある。

そこでマナーが出来ていないと、ミリアン本人が困る。

さすがにそれは理解できるので大人しく頑張った。


「付け焼刃だけれど、これで何とかしのぎましょう」

母親がミリアンの仕上がりに諦めがついたのは、王都への出発間際のことだった。


ミリアンの予定ではこの秋、領地で一番ハーブに詳しいお婆に、冬支度を詳しく教わるつもりだったのだ。

秋の季節は厳しいお稽古でつぶれ、大切なチャンスを逃してしまった。


うっかり、そのことを口に出してしまい、母親に呆れられた。


「ミリアン、大切なチャンスは王都にあるんですよ!」


王都にチャンス? 石畳ばかりだと聞く王都に、どんなハーブの情報があるというのかしら? ミリアンには全くわからなかった。


やがて、十五歳のミリアンの、疑問と疑念と不安と不満を詰め込んで、馬車は王都へ出発した。


レスピナス子爵家は王都にそれなりなタウンハウスを構えていた。

子爵は先行して、ハーブの商談を兼ねた社交であちらこちらへと出向いている。

タウンハウスの庭には温室もあり、サンプル用のハーブもたくさん植えられていた。

『温室で深呼吸すれば、なんとかここでもやっていけそう』ミリアンは母の目を盗んで、一日一度は温室に逃げ込んだ。



王都に着いてからミリアンが最初に連れていかれたお茶会は、プルヴェ伯爵家主催だった。

ミリアンは緊張してマナーの心配ばかりしていた。

お陰で周囲の様子など、まったく覚えていない。


屋敷に帰ってから母親に「ロック様のこと、どう思う?」と訊かれた。

様と言うからには人なんだろう、とは思ったが、さっぱり覚えていない。

「誰?」

と答えれば、母親は深いため息をついた。


ロック・プルヴェは伯爵家の次男だった。

つまり、お茶会はちょっとしたお見合いだったのだが、ミリアンには通じていなかった。


次のお茶会では、別の伯爵家の三男と顔合わせした。

少しだけマナーに慣れたミリアンは周囲を見る余裕があった。

しかし、帰ってから母親に告げたのは「庭土の色が素晴らしかった!」という言葉だけだった。


更に次のお茶会。今度は某子爵家の次男との顔合わせ。

帰ってからのミリアンの言葉はこれだ。

「談話室の鉢植えの花は、舶来かしら?

お母様、機会があったら子爵家に訊いてみていただけないかしら?」


そんなわけで、これ以上ミリアンにお見合いさせても無駄、と思った母親は夫と相談の上、最初の見合い相手であるロック・プルヴェ伯爵家令息を娘の婚約者に決めた。


子爵領を一緒に盛り立てる、という条件で両親が探してくれた相手ということで、ミリアンも嫌とは言わなかった。


さて、婚約者問題もあっさり片付いたところで、今日のミリアンは母親に連れられ王宮に来ていた。

数回の見合いでマナーもなんとか合格ライン突破とみなされたミリアンは、母親にきつく言いわたされた。

「ミリアン、珍しい植物を見ても、走って側に寄るなんて、絶対だめですからね!」

「わかりましたわ、お母様」

と殊勝気に答えたミリアンは、じゃあそっと忍び足で近寄りましょうと考えていた。


王宮に入り、案内された場所は、なんと温室だった。

目を瞠るミリアンを迎えたのは、王妃殿下。


「お久しぶり、クローデッド。そちらはお嬢さん?

可愛らしい方ね」

「王妃殿下におかれましては…」

「堅苦しい挨拶はやめましょう。楽にしてちょうだい」

「ありがとうございます」

にっこりと笑う王妃殿下に、ミリアンは母に合わせて礼をとった。


席に着いてお茶とお菓子を頂いたが、素晴らしく美味しいにもかかわらず、ミリアンは気もそぞろ。

温室内の植物が気になって仕方なかった。

母はすっかり王妃殿下と盛り上がり、水を差すのもはばかられる。


ミリアンの母クローデッドは、行儀見習いとして結婚前の一年間、王宮に上がっていた。

その当時、王太子妃だった王妃殿下と馬が合い、話し相手として呼んでいただくことが多かったのだという。


「そういえば、ミリアンは婚約が決まったのね、おめでとう」

「ありがとうございます」

「婿取りだったら、婚家での行儀見習い期間はないわね。

よければ、王宮に一年間いらっしゃいな」

「まあ、何て素敵なお誘いなんでしょう」


喜ぶ母に対して、ミリアンは絶句した。そんなことをしたら、お婆に教わる時間が、ますます足りなくなってしまう。

だが、断れるはずもない。

母が、さっさと返事しなさいと無言の圧をかけてくる。


「ありがたき幸せです。是非、お願いいたします」


出来れば、温室の世話係がいいんだけどな…

ミリアンは、小さな希望を心の中で呟いた。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] >と殊勝気に答えたミリアンは、じゃあそっと忍び足で近寄りましょうと考えていた。 爆笑しましたが、実のところ一年間も行儀見習い期間があれば可能では?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ