フリマサイトで購入した魔法の杖が、なぜか単1電池で発動したんだけど。
フリマサイト「サンデー」とは
吃驚するくらい有名な画家の作品や生産中止したカードゲームのレアカードから、スーパーの広告で作ったおかんの手作りアート作品や使いかけの化粧品、使い古した靴下まで、なんでも売っているごった煮みたいなフリマサイトである。
とくにちょっとおかしな商品は他のフリマサイトと比べて群を抜いている、と俺は思っている。
「……なんや? 【癒しの杖】? wwww 」
そのフリマサイト「サンデー」のおかしな商品を眺めるのが趣味の俺氏、久々に頭のおかしい商品を見つけてしまった。
女児向けアニメでやってるような魔法使い少女の杖ではなく、外国の魔法使い映画なんかでありそうな杖。
「【HPを回復します】って、リアルにHPとかあるんかい。数値化したら今の俺は結構瀕死かな。ふひひひひひ。」
相次いで両親が病死したため、ひとり暮らし歴三年(正確には猫もいるけど)な俺は独り言が激しい。
両親の看病で一時期仕事をやめていたため再就職が難しく、ハローワークでどうにか見つけた仕事はブラックな介護職。
今日も壮絶な夜勤あけの疲労困憊で、HP表示があれば黄色信号に違いない。
「【魔石を入れると動きます】【魔石は付属していません】―――って、魔石ってなんやねんwwww 」
第三のビール二本目に突入していた俺は、笑いながら購入ボタンを押していたのだった。
蝉の声響く熱帯夜の喉には、第三のビールはするする入っていく。
ぶっちゃけ、酒に強くない俺にはこのときの記憶はあまり、ない。
だから届いた荷物を開けたときには「なんぞこれ」とリアルに呟いていた。ネットスラングが口から出るとか痛い奴以外なにものでもない。
「あー、"サンデー"で頼んだんだったっけ? やべえ、また酔って変なもん頼んじまったわ……。なんだあ? 【癒しの杖】? 【HPを回復します】【エリアヒールまで可能】【MPなくても、専門職でなくても大丈夫】 ………設定細けぇな。それにしても良くできたコスプレ道具だなあ。何のアニメのだろ? ゲームキャラかな。最近のはあまりわかんねーんだよなあ。」
学生時代はアニメもゲームもそこそこのオタク程度に嗜んでいたが、最近は仕事でほとんど手を着けてない健全な俺。杖を振り回したり撫で回したりするけど、どのキャラクターのコスプレ道具なのか、全然わかんねえな……。
紙一枚の説明書らしきものにも、サイトに記載された情報以上のものはなにも書いてなかった。
この【癒しの杖】はいつも仕事に持っていくマイボトル(安月給故にお茶は毎日持参)くらいの大きさしかなく、500mlペットボトル程度の重さで持ち運びやすい。いわゆる短杖ってやつかな。木製なのかわからないが、タモとかナラの家具に似た質感である。ファンタジー系の作品なんだろうな、とは思う。もしかしたら国外のファンタジー物かもしれない。
「【魔石は付属してません】の【魔石】が入ってるはずの場所はこれか。」
杖の先端の、ぽっかりと空いた「魔石を入れる」場所は、ちょうど単1電池はいりそうくらいの空洞で……単1電池? ……単1電池、単1電池。
サイドボードに常備してある、懐中電灯用の単1電池の予備が目に入る。防災意識の高かった父が準備してたやつだ。災害時に懐中電灯つかなかった事件を繰り返し話してたからな。
「単1魔石、装着っ! お、まじでピッタリ入るじゃん。えーい、『エクストラヒール』!―――なんてね!」
「……にゃーん。」
「中曽根さん、回復した?」
「にゃーん。」
杖を向けた先には、愛猫の中曽根二世が自分の毛繕いをしているだけだった。とくに光りもせず、何かの効果音もなく、回復したのかどうかは俺にはわからなかったがうちの猫は可愛い。めっちゃ可愛い。
「にゃーん。」
★
「中曽根さん、最近ごはんよく食べるねー。」
仕事前に猫に餌を用意し、仕事に行く。もとは母が貰ってきた猫で、母が亡くなったころから食が細くなって痩せぎみだったのがここのところ調子が良さそうだ。ホントにヒールが効いてたりして。
俺はご機嫌な中曽根さんの背中をひと撫でしてから、自宅を出る。
今日も今日とて仕事に行く。今日も夜勤だ。
俺の職場である有料老人ホームとは、高齢者が心身の健康を維持しながら生活できるように配慮された「住まい」のことだ。
介護を必要としない自立している方もいれば、要介護認定を受けている方など様々いるが、いずれも高齢でいわゆる認知症を発症している方の割合が多い。特にうちの施設は認知症介護のため家族と共倒れになってしまったお宅の高齢者が入居することが多いように思う。
田中さんもそのひとりだ。
現役時代は建設会社の社長をしてたとかで、一見矍鑠としたおじいさんだ。しかし、かなり認知症が進んでおり日々の対応に苦慮している状況だ。
「ここにあった俺の財布がない! おまえが盗んだのか! 」
今日もまた、いつも通りに騒いでいる。
一代で会社を大きくした田中さんだが、若い頃はずいぶんお金に苦労したらしくどうにもお金に関する訴えが多い。自分で使ったことを忘れてしまったり、勘違いだったりがほとんどなのに、家族に対して『おまえが盗んだ』と罵倒し、さらには奥さんを殴り付けてしまったことがこちらの施設に入る切っ掛けらしい。
「財布が見当たらないんですか? 」
「なにとぼけてるんだ。ここにあった財布だ! 」
「ここにあったんですか? 探しましょうか?」
「おまえがやったんだろうに、白々しいな! 」
「テーブルに置いていたんですか? それとも引き出しにしまっていたんですか? 私が探すの手伝いますよ? 」
「え? テーブル? 引き出し? えーっと、ああ、どこに置いたんだったか……―――いや、もういい。おまえには頼まん。」
「そうですかー。手伝いが必要になったら、いつでも言ってくださいね。」
財布は入所時に家族に渡しているので、元からない。とはいえ、本人にはそれは真実ではないのだ。認知症には「一つのことに集中すると、そこから抜け出せない。 周囲が説明したり説得したり否定したりすればするほど、こだわり続ける」という特徴もある。ご本人が「もういい」となるまで話に付き合った方が早いのだ。
田中さんの居室を出ると、隣の竹下さんが荷物を風呂敷みたいにバスタオルでなにかを包んで出掛けようとしているのに出くわした。
竹下さんは白髪を綺麗にお団子に纏めた、上品な老婦人だ。穏やかな声喋り、いつもにこやかだ。
「もうこんな時間だから、自宅に帰りますわね。お邪魔しました。」
かつては独り暮らしであったらしいが、認知症の症状が出てから入居されている竹下さんの自宅は、もちろんここである。夕方になると毎日荷物を纏めるのが日課の方だ。
「竹下さん、そんなに急がないで。もう少しゆっくりしていってくださいよ。」
「だって、ずいぶん長居させて貰ったもの。あなたにご迷惑でしょう? そろそろ帰らせて貰うわ。」
「そんなことおっしゃらずに、お夕食も準備してるんですよ。食べてからでもいいじゃないですか。」
「えっ悪いわよ。でも―――そうねえ、夕食準備してるっていうなら、頂こうかしら。お腹も空いてきちゃったし。人に作って貰うごはんって楽しみだわ。」
「ええ、是非。いま支度してますから、お部屋ですこしだけ待っていて頂けますか? 」
居室に案内し、座らせてあめ玉ひとつ舐めて貰っているうちに、竹下さんはどこかへ帰宅しようとしていたことも忘れてしまうようだ。夕食を食べると、すぐにベッドに入り一日を終える。これが彼女のルーティンなのだ。お家の人もわかっているのか、いつもあめ玉の差し入れを欠かさない。
消灯時間になると、福田さんがステーションまでやってきてひそひそと便秘の相談をする。
「ずっと出てないから、下剤か座薬のヤツないか? 」
「うーん。確かに今日は出てないみたいですが……。3日に一回あれば心配いらないんですけどね。お腹が張ってる感じとかあるんですか? 」
「張ってるとかわからないが、とにかく便が出ていないんだ。どうにかしてくれ。」
福田さんに限らず、認知症の方は前に排便したかの記憶がなくなってしまい、便を出すことに拘る方もいらっしゃるのだ。
ちなみに記録上では、福田さんは昨日朝排便したようた。腹部症状もないから下剤を飲む必要性はなさそうである。
「じゃあ、福田さん。このお茶にポタポタっとしておきますから、飲んだらゆっくり休んでください。」
と、ただのお茶を渡す。ポタポタっとするのは液体の下剤のことだが、実際に下剤は入っていないし、なにをポタポタしたかも明確に言ってはいない。嘘は一応言ってないぞ。
「ありがとなー、兄ちゃん。これで心配なく眠れるよ。」
福田さんはお茶を一気に飲んで、居室に帰っていった。まあ、たぶん、もうしばらくしたら心配がなくなったことも忘れてしまうんだろう。一晩に同じ話を何度かするのが、福田さんのいつものルーティンである。またあとで。
そして消灯からが、長い。
鳴り止まないトイレコール。大平さんはトイレ行ったばかりなのにシーツまで汚すほど排尿する不思議。毎晩一度は着替えとシーツ交換だ。飲んでる量より確実に出ている量が多いのはなぜなんだぜ。
鈴木さんは骨折していて痛いはずなのに、なぜか立ち上がり動き始める強靭な肉体。医者から怪我した方の足をつくなといくら言われても、仁王立ちをしたがりもちろん転倒。事故レポートを夜な夜な書く羽目になる。
そして三木さんの紙オムツは汚れてないのに何故か便のついたパジャマを発見し、着替えと陰部洗浄と洗濯をする午前4時。オムツを汚さずに衣服を汚すヤツは、どういう仕組みかいまだにわからん。
そしてまたトイレコール、体位交換、トイレコールの嵐。
空が白んできた頃、すこしだけ休憩の時間がやってくる。早起きの利用者さんが現れるまでのつかの間の時間。
「ふーっ。お茶お茶ー。今日はルイボスティー♪ ―――って、マイボトルじゃないじゃん! 」
アディダスのデイバッグから出てきたのは、親父の形見の象印マイボトルではなかった。
確かに似た大きさだとは思ったが、まさかの間違えて持ってきた【癒しの杖】。単1電池は設置済みだ。
喉、渇いていたのに………。
めっちゃ、疲れてるのに………。
「あ"あ"ーー! もう! 俺も、みんなも癒してくれよォ……。ええーい、『エリアヒール』『エリアヒール』『エリアヒール』!! 」
★
脳細胞が減少・壊死することで起こる認知症は、その種類によって原因は異なるが、アルツハイマーは、脳にアミロイドβという特殊なたんぱく質がたまり、脳細胞が壊れて死んでしまい減っていくことで起こる。 このアミロイドβは加齢により増えやすくなるため、高齢者が発症することが多い。
まあつまり、脳細胞が怪我をしている状態とも言える。
ちなみに認知症の半分くらいがアルツハイマー型認知症である。結構高確率。パチンコ海物語なら魚群並みの確率。マリンちゃーん!
「すいません、朝食が終わったら息子に連絡が取りたいのですが―― 」
田中さんが遠慮がちに話しかけてきた。いつもの高圧的な感じではなく、少しビビる。
「ど、どうしたんですか? お財布でしたら、私が一緒に探しましょうか? 」
「財布?ははは。財布は息子に管理して貰ってるんですよ。モウロクしちゃったからね。でも、次の確定申告についてはちょっと息子に言っとかなきゃならないことを思い出しちゃって―――」
「えっ、『息子に管理』?『確定申告』? 」
「息子は大雑把なところがあるから、確定申告とか税務関係みたいな細かいヤツが苦手なんでねえ。」
「――はァ。じゃあ、後ホド、電話ヲオ貸シシマス……。」
思わずカタコトの日本語になる俺に、さらに竹下さんが追い討ちをかける。
「やることなくて暇だから、たまには外泊とかできるのかしら。皆さんと生活するのは楽しいけれど、たまにはひとりの時間もあったらいいと思いません? 娘のところには迷惑掛けたくないから、温泉にでもひとりで1泊、楽しんできたいのよね。長らく独り暮らしだったから、一人の時間も欲しいのよねぇ。」
朝食後はいつも排便について絡んでくる福田さんはやってこないし、三木さんと大平さんはひとりでトイレへ行くし、そして骨折しているはずの鈴木さんは―――
「鈴木さん! 危ない! 歩かないでください! 」
「なんかわからんけどな、いたくないんじゃ。ほれ、ジャンプもできるぞ? ぴょーん、ぴょーん! 」
「あわわわわ! 待って、待って、ああああ………あ、あれ? 転ばない? え! めっちゃ普通に歩けてるじゃないですか! えっなんで? 痛くないんですか? 」
「全然痛くないし、もしかして骨折治ったんじゃないか? 」
「そ、そんなバカな―――」
★
看護につれられて整形外科に行った鈴木さんのレントゲン写真には、骨折の形跡すら消えていたらしい。
そんなことを皮切りに、なんだか認知症状の消えた利用者さんたち。介護度も下がり、自分で出来ることが増えた結果―――
「中曽根さーん、うちの施設の閉鎖になっちゃったよー。」
「にゃーんー?」
「自分のことは自分で出来るようになった利用者さんが相次いで退去しちゃって、空室だらけ。とうとう経営成り立たなくなっちゃったんだって。まーた、職探しだー…… 」
「にゃー。」
「本当にコレ、魔法の杖だったんかな……。」
夜勤の勤務が終わったあとに杖を見ると、装着してあった単1電池は真っ黒くなり、錆び付いたように取れなくなっていた。たぶん魔素とかそういうヤツを使い果たしたのだろうか。その後に何回か『ヒール』と言ってみたが、先日転んだ擦り傷も変化がはなかった。壊れかけのラジオも壊れかけのままだった。なにかが治るような様子もない。
フリマサイト「サンデー」にも、あの日以降類似するような品も見つからない。
もとより誰かに言うつもりもなかったが、これでは証拠もなにもしめせない。
「まー、たぶん、偶然なんだろうけど……。治らないものが治るなんて魔法としか言いようがないじゃんね。奇跡で職を失うとか理不尽ー。」
「んにゃー……。」
「酒臭いか? 飲んでなきゃヤってられないっつの。会社都合だからはやめに失業保険貰えるっても安月給のさらに5割くらいやで。おまんま食えねーっての。ああ、そうだった、明日には失業保険のためにハローワーク行かなきゃなぁ。」
「にー……。」
「もー。俺の心と職歴にも『ヒール』!―――って、そんなんで癒えるかあ……! 」
俺はポイっと杖を投げ捨てると、ごろりと万年床に寝転がった。ぶっちゃけ、酒に弱い俺は目を閉じたら即効で夢の中だ。
「にゃーんー?」
だから、中曽根さんが杖をつついた拍子に真っ黒な灰になって崩れて、真夏の首ふり扇風機が灰をばらまいて窓の外に全て消え去るのなんか気がつくわけなかった。
翌日には、寝過ごして慌ててハローワークに向かうから、いつ杖が消えたのかもわからない状態。
ただ、職歴にヒールが効いたのか、ハローワークで前職よりほんの少しだけホワイトに近い職を見つけることが出来たのは、そんな遠くない未来だった。
初代中曽根は自分が幼少時に持っていたぬいぐるみの名前。