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「ああ、ヴィクトリア王女、ヴィクトリア王女」


 花の盛りの十六歳。だというのに、国のため人々のため、死者の花嫁となって神殿にその身を捧げた、聖なる乙女。

 あんなに高貴で可憐で心清らかな乙女が、薄暗い神殿に閉じ込められて祈祷三昧の日々を送り、一生を棒にふらなければならないなんて、この世は間違いすぎている。


「ああ、俺にもっと力があれば。神殿など破壊して貴女をさらい、二人だけの新天地へ旅立つのに…………!!」


 灯りを消した自室で男はくりかえし語る。

 それは男の日課だった。

 男はもともと、地方で暮らす形ばかりの貴族の息子で、学問と都流の礼儀作法を身につけるため王都の親類の館に身を寄せ、観光がてら参拝したルカ王の墓所で、ルカ王の妃だという乙女を見たのだ。

 喪服である黒のドレスをまとい、豊かな金茶色の髪を既婚者らしく一つにまとめて黒いベールを深くかぶり、ベールから透けてのぞく顔は憂いに満ちて見えた。

 王妃は王家の血を引く高貴な姫君で、ヴィクトリアという名だという。

 男はあっという間にヴィクトリア王女の虜になった。

 あれほど清純可憐で、王女という高貴な身分まで持ち合わせた乙女が、まるで墓守のように墓所と死者を守って朽ちていかねばならぬとは。あの王女は花嫁や王妃を名乗りながらも、現実には『未亡人』として、女の幸せも男に愛される喜びも知らぬまま、生涯を終えなければならない。

 王女を嫁がせたという国王は血も涙も、美しいものを愛でる心さえ持っていないのか。


「なんとおいたわしい」


 その日以来、男は口をひらけばヴィクトリア王女について語り、そんな男を、滞在先の親戚達は生ぬるい目で見た。


「王都には、ヴィクトリア王女を慕う男は星の数ほどいますよ。二年前に王女殿下が墓所を守る神殿に入られて以降、神殿に参る男の数は増える一方。おかげで神殿は寄付で潤い、殿下を下にも置かぬ扱いだそうです」


「だが亡き王の妃といっても、あの方は王女で、予言の成就のために結婚された身だ。俗世の女なら夫が死ねば求婚もできようが、王女は死ぬまでルカ王の妃。いわば出家した身の上だ。俗世の女と同じに考えてはならん。さっさと忘れて、勉強に励みなさい」


 そんな言葉を何回、聞かされたことだろう。

 そのたびに男の心は反発し、本人が『義憤』と呼ぶ怒りに燃えあがる。


「ああ、ヴィクトリア王女、ヴィクトリア王女…………」


 若く美しい類稀な乙女でありながら、人々の平和のための犠牲に捧げられ、それを助けてやろうと思う者はおらず、みな王女の献身に甘えるばかり。

 ならば、自分こそが、王女を冷徹な国王からも死んだ王からも救い出し、生きた男の真実の愛を教えてやれる、救いの騎士なのだ。

 ああ、今すぐ奇跡が起きれば。

 自分のこの愛は、奇跡を与えられるにふさわしい熱と真実を有しているはずなのに、なぜ、天の神はいつまでも無言なのか。

 男は親戚の館の自分に与えられた部屋で妄想にふける。

 それだけならいつもの光景…………いや、男だけでなく、王都のあちこちでくりひろげられていた光景であっただろう。

 違ったのは、今宵の男の妄想には反応があったということだった。


『かように王女が愛しいか…………』


 声が聞こえた。


「だ、誰だ!?」


 執事や下男の声ではない。男は独り言を聞かれた羞恥と、よもや盗人でも入り込んだかという恐怖で腰を浮かすが、声は淡々と問うてくる。


『かように王女が愛しいならば…………その愛、証明してみせよ…………おぬしのヴィクトリア王女への愛…………王女を犠牲とする非情な王や民達を憤る正義の心…………それが真実ならば…………王女は非情な運命から解き放たれるであろう…………おぬしの手によって…………』


「ヴィクトリア王女…………!?」


 闇の中に、ほっそりした人影がうかびあがる。灯りを消しているというのに、なぜかはっきり、その姿は視認できる。


『どうか私を助けて…………この孤独な運命から解き放ち、私に真実の愛を与えてください…………勇敢なる殿方よ、まことの騎士よ――――』


 白い華奢な手が男へと差し出される。


「王女!!」


 男は走り出した。

 ついに自分の純愛が成就する時が、真の騎士に、ルカ王を越える英雄になる日が来たのだ!!

 男は歓喜の表情のまま、全身をすっぽりと闇に呑まれる。


『ふふふ…………たやすいこと…………』


 男が消えた部屋の中で、フードを深くかぶった人物がひそやかに笑う。


『さて、次…………』


 フードの人物は夜の闇に溶けるように男の部屋から姿を消した。






 ヴィクトリア王女――――十六歳のオランジュは、不安なまなざしで空を見あげた。

 三年以上前にはこうこうと輝いていた白銀の光は失われ、黄昏の空に浮かぶのは灰色の丸い影だけだ。

 星読みにより、今夜が、月がもっとも姿を隠す新月中の新月の夜、と判明している。

 夜にうごめく妖しい存在達の力も、もっとも活発になる晩だろう。

 そのため、多くの人々がこの夜までに祈祷や潔斎に励み、魔除けの用意に奔走して、できるだけ悪しき存在を寄せつけまいと努力を重ねていた。

 神殿でも早朝から夕方まで魔除けを求める人々が殺到し、聖職者達は悪しきものを呼びこまぬよう、悪い言葉をひかえたり、なにかにつけて神への祈りを唱えたりしている。

 オランジュは神殿に満ちる重苦しい空気にため息をついたが、神殿での生活そのものに絶望しているかと問われれば、そうでもなかった。

 たしかに、一日に何回も神とルカ王に祈りを捧げなければならないし、ルカ王について訊ねられたら完璧に答えられるよう、ルカ王とその周辺に関する勉強は欠かせない。見苦しい姿や不格好な真似も許されないため、行儀作法の訓練は今もつづいているし、許可なく神殿の敷地外に出ることも許されない。

 なにより、毎日、日の出前に起きなければならないのが、十代の娘には大変つらい。

 が、そのあたりを守っていれば案外、快適な生活だった。

 王女で王妃なので日常の家事からは解放され、料理も王宮から派遣された料理係が都流のおいしい食事を作ってくれる。与えられる衣装は黒ばかりだが、すべて上等な品だし、部屋の外に出る時は必須のベールも、最近は参拝客にじろじろ見られることが多いので、むしろあるほうが落ち着く。神殿の部屋だって村で暮らしていた頃より何倍も広く、家具はきれいで、寝台はあたたかくやわらかい。

 そして専属の侍女までいるのだ!

 のびのびと贅沢に育った貴族のお姫様には窮屈かもしれないが、庶民育ちのオランジュにはまずまず快適な暮らしだった。

 参拝客の中には「恋も知らず、女の幸せも知らず、一生を孤独に生きていくなんて」と同情する人も少なくないが(特に、なぜか男性に多い)、世間には様々な理由で独身を貫く庶民の女性もいるし、逆に不本意にも花街に身を落とす女性もたくさんいる。

 それを考えると、衣食住が高価な水準で保証されたオランジュの今の生活は、同情されるほど不幸なものとはまったく思えなかった。


(恋に関しては、ちょっと経験してみたかった気もするけれど。でも、あれこれ高望みするのも贅沢だし)


 安定した生活を保証され、義父母も生活を援助されているはず。それで満足しよう。


(現実問題、伝説が真実で、亡者の軍勢が復活されても困るもの。ルカ王陛下、ちゃんと毎日、祈祷するし、供物も捧げます。陛下の御名を汚さぬよう、妻として上品に貞淑にふるまいますから、死者の王が復活しないよう、よく見張っていてください)


 オランジュはそう結論を下して、日々を静かに過ごしていた。

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