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話はこうだった。
二百年前、地上の支配を狙った死者の王が亡者の軍勢を率いて王国を襲い、人々は逃げ惑って、地上には亡者があふれた。
それを、聖なる天上神の守護と祝福のもと、若き英雄ルカが死者の王を破り、亡者の軍勢を地下に封印して、地上にふたたび活気をとり戻す。
王国はとうに国王もその一族も逃げ出していたため、ルカは人々の賛同と後押しを得て新たな王となり、王妃を娶って新王朝を興す。
王妃は一人の男児を産み、ルカ新王の治世はおよそ十五年間つづいたが、やがて病により、ルカは三十五年の短い生涯を終える。
偉大な王の逝去により王国は分裂するかに見えたが、ルカ王の残した唯一の王子、リュカが、母妃やルカ王の兄の支持を得て新王として即位、ル・ロア王朝は存続することとなった。
このリュカ王の直系の子孫が現王家であり、現王家の分家の一つがル・ブラン伯爵家で、ここまでは王国に住む者なら誰もが知る伝説である。
ル・ロア王朝には一つの予言が残されていた。
ルカ王は亡者の軍勢を封印したが、滅ぼしたわけではない。
夜を守護する月の光が最大限に失われる時、封印は破られ、亡者の軍勢はふたたび地上によみがえる。
それを倒すため、天上神との約定のもと、時が来ればルカ王もまた、地上によみがえる。
ゆえに、月が欠けはじめたら花嫁を用意せよ。
直系、傍系は問わない。
若く清らかなル・ロア王朝の血脈が、古の王の新たな妃となった時、偉大なる王はふたたびよみがえり、今度こそ亡者の軍勢を滅ぼすであろう――――
今、月は夜ごと欠けだして、一年が経つ。
天文学者と神官達の計算によれば、月が完全に欠けるまで、あと二年弱。
猶予はない。
現国王は宣言した。
予言が真実か否かは関係ない。ルカ王の伝説は王国中に浸透し、それゆえ、月が欠けはじめた途端、世間には漠とした不安がただよって収まる気配がない。
この不安をはらい、民の心を安らげるため、偉大なる王に花嫁を用意するのだ――――
現国王は直系、傍系の区別なく、ル・ロア王朝の血脈に連なる未婚の娘の名簿を作成させた。そして古の英雄にふさわしい娘をさがした。
直系はともかく、傍系は何代までなら認められるのか。なかなか難しい問題もあったが、既婚、適齢期を過ぎている、あるいは達していない、重要な政略に関わる婚約者がいる、などの条件を外していくと、残る娘はさほど多くなかった。
そしてその少ない候補から最終的に選ばれたのが、母親を通してル・ブラン伯爵家の血を引くオトテール卿の令嬢、ブランディーヌだったのである。
ル・ブラン伯爵家は前国王の末弟からはじまった、れっきとした王家の分家。ブランディーヌは現国王から見れば姪の娘、もしくは末弟の孫で、王侯貴族の感覚では「遠すぎる」というほどの血縁ではない。
国王の直系から選ぶのが理想ではあったが、王女は全員、とっくに結婚して子も儲けており、男の孫はいても女子はいない。グレースを含めた、国王の姪達も既婚ばかり。
そのため花嫁候補は、主に国王の甥姪達の娘の中から選ばれ、最終的に決まったのが、健康で、まだ決まった相手もいないブランディーヌだった。
ブランディーヌはこの時、十二歳。しかし月が完全に隠れる新月まで、まだ二年弱あり、十四歳ならば王侯貴族の感覚では「嫁ぐのに早すぎる」ということもない。
そこで一ヶ月前、国王から正式に「ブランディーヌを国王の養女とし、ルカ王に嫁がせよ」という勅命が下ったのだが、これに母親のグレースが猛烈に反対した。
「ブランディーヌにふさわしいのは、王国一の貴公子よ!! どうして、死んだ人間などに嫁がせなければならないの!!」
伯爵邸で、美しく整えた髪をふり乱す勢いでグレースは叫んだ。
「これは勅命だ、グレース。拒絶したら、伯爵家の存続そのものが危うい。ことは我が家だけの問題ではないのだ。ルカ王と王朝の威厳や、国の平穏にも関わる。そもそも政略で結婚が決まるのは、我ら貴族の常ではないか」
「義兄上のおっしゃるとおりですよ、グレース。貴女の気持ちはわかりますが、ブランディーヌを嫁がせないと、ルカ王の復活に関わります。ここは偉大なる王に望まれ、王妃になるのだと考えて…………」
「なにが勅命よ! ルカ王の復活よ! 死んだ人間がよみがえるわけないでしょう、ただの伝説だわ!! 生きた王の妃ならともかく、とっくに死んだ王の妃なんて、どんな価値があるのよ! そんなもののために私のブランディーヌが人生を捨てるなんて、絶対に許しませんからね!!」
兄のル・ブラン伯爵も夫のオトテール卿も言葉を尽くして説得したが、効果はなかった。
「お母さま。わたし、こわい。死者の花嫁なんて、ぜったいにいやだわ」
「安心なさい、可愛いブランディーヌ。あなたはお母様が守ります。あなたは生きて、この国でもっともすばらしい貴公子に嫁ぐのよ。死者になど嫁がせるものですか」
ブランディーヌが怯えてグレースにすがりつけば、グレースはしっかりと娘を抱きしめ、なだめる。
「ブランディーヌは絶対に渡しませんからね! どうしても花嫁が必要なら、他家の令嬢を嫁がせればいいことです!!」
頼りにならない男二人をきっとにらむと、グレースは娘の手を引いて部屋を出て行った。
兄と夫は顔を見合わせ、ため息をつく。
だが、そうやって母の愛の深さを見せつけたグレースにしても、状況は厳しかった。
政治的な事柄には興味の薄いグレースでも、国王に抵抗すれば立場が悪くなることはさすがに理解できたし、最悪、爵位や領地をとりあげてのお家とり潰しとなれば、路頭に迷うのはグレースやブランディーヌのほうだ。
兄と夫から話を聞いて、宮廷からも国王の使者が毎日のように訪れては、手を変え品を変えてグレース達を説得にかかっている。このまま拒みつづければ、いずれ彼らは力ずくでブランディーヌを連れて行き、グレースは幽閉されるか、どこぞの神殿にでも預けられてしまうだろう。
ただ拒絶しつづけるだけでは駄目だ。
グレースは考えつづけ、はたと思い出す。
そうだ、自分にはもう一人、娘がいたではないか!
結婚前に産んだ、秘密の恋人との娘が!
グレースはさっそく使いをやり、産んですぐに養子に出した娘が今どこにいるか、調べさせる。
同時に兄に会い、自分の思いつきを説明した。
すなわち、結婚前に産んだ娘をブランディーヌと偽り宮廷に差し出す、と――――
非嫡子の娘の存在は世間には知られていない。一方で、王家の血を引いていることには変わりない。問題はないはずだ。
そう訴えると、兄のル・ブラン伯爵は渋い顔をした。
いくら王家の血を引いているとはいえ、偽物を用意するなど、露見したら国王に対する不敬罪も適用される重罪だ。それが兄の反論だった。
だがグレースは三日三晩かけて兄を説得し、兄もとうとう折れた。
かくて、田舎の村に伯爵家の使者が送られ、オランジュが伯爵邸に引きとられたのである…………。