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 怒涛のような展開だった。

 が、抵抗は許されなかった。

 遠い遠い親戚とはいえ、こちらは庶民。あちらは爵位を有した大貴族。

 逆らうなど、できるはずがない。

 それに伯爵家側の主張は一見、正しい。

 実の母親が、許される環境になったので娘を引きとりたいというのは自然な人情だし、オランジュ自身もこの先、平凡な村娘として暮らしていくよりは、名家の令嬢として生きていくほうがいい将来が待っているに決まっている。

 そう、使者の男からたたみかけられると、父も母も――――いや、養父も養母もなにも言えなかった。

 オランジュは村の友達との別れもろくに交わせぬまま、朝早くに来た馬車に乗らなければならなかった。


「こんなことになってしまったけれど、私はあなたを愛しているわ、オランジュ。愛しい娘よ、どうか幸せになってちょうだい」


「お前が来てくれたおかげで、この十四年間、私もアンヌも本当に幸せだった。ありがとう、オランジュ。元気で」


 顔を真っ赤にした母と父にそう言って手をにぎられた時、オランジュは嗚咽をこらえるのがせいいっぱいで、なにも言えなかった。


「ありがとう」と言えばいいのか、「ごめんなさい」と言えばいいのか。


 それさえ、判断を下すには三日は短すぎた。

 馬車で移動すること五日間。

 道中、オランジュはわずかな知識を仕入れていた。

 なんでもル・ブラン伯爵家は、王家と縁続きの名家だという。


「前ル・ブラン伯爵は前国王陛下の末の王子であり、現国王陛下の末弟であらせられました。長兄であった陛下が即位されたのを機に、ル・ブラン伯爵位と領地を拝領しましたが、元来、お体が丈夫でなく、十年ほど前に病で身罷られております。現在はグレース様の兄君がル・ブラン伯爵位を継がれて当主となっておられます。名字の『ル』は、王家の分家の証です」


 ということは、オランジュは伯爵の孫ではなく、姪ということになるのか。

 長い旅路の途中、オランジュは時間つぶしに、使者の男にあれこれ気になっていたことを質問していく。


「グレース様という方は、結婚されているのですか?」


「マルク・オトテール卿と結婚され、現在はオトテール夫人を名乗っておられます」


「そのオトテール卿という方が、もともとの婚約者ですか?」


「さよう」


 オランジュは首をかしげた。世間知らずの村娘には理解できない状況である。


「オトテール卿は、わたしのことを知っているのですか? 自分の婚約者…………妻が、結婚前に産んだ、よその男の子供でしょう? いい気はしないと思いますけど…………」


「オトテール卿は貴女の存在をご存知です。夫人から貴女の存在をお聞きになり、ぜひ、夫人の娘として迎え入れたいと仰せです」


 オランジュは驚いた。

 ずいぶん鷹揚というか、理解のある夫君のようである。普通は「妻が結婚前に産んだ、夫以外の男の子供」なんて、夫は見るのも嫌がりそうなものなのに。

 でもまあ、そういうことなら、けっこう歓迎されていると考えていいのだろうか。


「グレース様の名前ですけど…………」


()()のお名前です。グレース・ル・ブラン・オトテール夫人です」


「どうして、二つの姓を名乗っているのですか? 結婚前は『ル・ブラン』でも、結婚後は『オトテール』になるのが普通でしょう?」


「説明したように、ル・ブラン家は王家の分家となる名家です。グレース様はその家名を大変誇りに思われており、結婚後も『ル・ブラン』の家名を残しておられるのです」


「ふうん?」


 そういうものだろうか。

 そもそもオランジュは家名を持たない庶民として育ったので、貴族の家名や姓に関する考え方や風習はよくわからない。

 そうこうしているうちに馬車はル・ブラン伯爵領に入り、はじめて見る村の外の風景はそれなりにオランジュの心を慰め、オランジュはル・ブラン伯爵邸に到着した。

 はじめて見た貴族、王家の分家だという名門伯爵家の邸は見あげるほどに大きく、砂色の壁と青い屋根が日差しに照らされる様は、純粋に言葉を失わせた。

 馬車から降りて使用人に迎えられ、長い廊下を歩いて広い一室に案内され、勧められて布を張ったやわらかい椅子に座ると、オランジュは自分が異世界に来たことを実感せずにはいられなかった。

 これから、どんな生活が待っているのだろう。

 伯爵家の娘とはいえ、正式な結婚によって生まれたわけではない、非嫡子だ。

 そんなの庶民だって、白い目で見られるか神殿に入れられるか、だ。まして、庶民よりはるかに体面を重んじるというお貴族さま。ふしだらな生まれの田舎者と、いじめられるのではないか。それとも案外うまく隠しおおせて、名門貴族の姫君として贅沢な暮らしを送るのだろうか。

 結論から述べると、どちらでもなかった。


「…………いつまで待てばいいんだろ…………」


 落ち着かず、オランジュが呟いた時だった。


「失礼します」


 突然、応接室の外から声が聞こえて、扉が開いた。

 使者の男と、深い赤のドレスに身を包んだ女性が優雅な足どりで入ってくる。

 金がかかった茶色の髪に、青味がかった灰色の瞳。

 びっくりして立ちあがったオランジュは、直感的に「この人がわたしの母親だ」とわかった。正確には「この女性がグレース・ル・ブラン・オトテールだ」とわかった、と表現すべきか。

 現れた女性はたしかにオランジュに似ていた。

 違うのは年齢と雰囲気、それから髪と瞳の色合いか。

 女性は上品なドレスと、それに見劣りせぬ気品と優雅な所作を身につけ、肌は白く、はりがあって、村で見てきた同年代の友人達の母親とは比べものにならない。

 瞳もオランジュのほうが青味が強く、髪もオランジュのほうが明るい金茶色だったが、かわりにオランジュよりずっとていねいに梳き整えられて、つやつや輝いていた。

 間違いなく、物語に出てくるような『美しき貴婦人』だ。

 オランジュが挨拶を忘れて目と口を丸くしていると、貴婦人のほうが口を開く。


「セザール、この娘が例の子なの?」


「はい、お嬢様」


 貴婦人は使者の男に確認する。

 結婚した女性に『お嬢様』はおかしいが、当主のル・ブラン伯爵も結婚しており、ル・ブラン伯爵邸には立派な『奥様』(伯爵の妻)が存在する。そのためグレース夫人はいまだに『お嬢様』と呼ばれているそうだ。

 それはさておき、グレース夫人の、オランジュを見る瞳にもオランジュを語る声にもぬくもりや愛情は感じられず、オランジュは興奮も、少しはあったかもしれない期待もどっと冷める。

 オランジュとよく似た、オランジュの実の母だという女性は、いかにも気位高い態度でしげしげと、十四年ぶりに会う実の娘を頭のてっぺんからつま先まで見おろした。


「そうね。この髪と瞳の色なら、我が家の血筋とごまかすことは可能でしょう」


「顔立ちもお嬢様に生き写しで」


 使者の言葉に貴婦人はきっ、と男をにらむ。

 その反応に、ああ、この人は本音ではわたしを歓迎していないのだと、オランジュは悟った。

 だったらどうして、自分を養父母のもとから引き離したのだろう。


「田舎育ちと聞いて、どうかと思ったけれど。これなら躾しだいで、どうにかなりそうね。すぐに教育をはじめて。今年いっぱいに、なんとかこの娘を、()()()の身代わりとして怪しまれないよう、淑女らしく磨きあげるのよ」


 そこでオランジュはようやく気がついた。

 入室してきたのは、グレース夫人と使者の男と侍女、それからグレース夫人の影に隠れるようにして、もう一人。

 顔立ちは夫人に似ていないが、髪と瞳は夫人そっくりの少女。

 オランジュの視線に気づいたグレース夫人が紹介する。


「この子は、私の娘です。ブランディーヌ・ル・ブラン・オトテール。あなたのあと、私と夫との間に生まれた、あなたには妹にあたる娘ですよ」




 王家の血を引くブランディーヌ・ル・ブラン嬢には、ある王家の義務が迫っていた。

 オランジュは二歳年下の妹の代わりにその義務を背負うため、引きとられたのである。

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