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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

日常こそは、穏やかに 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と、内容についての記録の一編。


あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。

 こりゃあ、いやあな感じがしますぜ、つぶらやの旦那。接触不良なのか、充電器を指しているにも関わらず、パソコンが充電されていない気がする。ランプはつかないし、画面に、「コンセントをつないでいるマーク」が出ないし。ちょ〜っと充電器を借りて、試してもいいですかねえ?

 ……やっぱり原因は充電器かよ。まいったなあ、スペアとか持ってねえよ。仕事が終わったら買いに行かなきゃだな。でも、このあたりで遅くまで開いている電機屋とか、あったかねえ。


 な〜んかさ、こういうところ、社会人になって変わったなと思うところの一つだよ。

 事件とかトラブルとかハプニングとか。学生の頃は退屈が友達で、非日常に対し、心のどこかで期待しっぱなしだった。

 それが今では、何事もなく仕事が終わって、一日が終わって、それが続いてくれることばかり、日々、祈っている。

「失敗しないということは、何もしないということだ」って、名言があったな。だから失敗を恐れずに進むことが美徳とされがちだ。

 でも、実際に失敗したらどうだ。周りからボロクソにけなされて、助けてくれと、声をあげても遠目でちらちら、結局、自分一人の尻拭い。つらいことばかりじゃねえか。実際、一回の失敗で心が折れて、仕事辞めちまった奴もたくさんいるじゃねえか。

 そいつらを勇者とほめたたえても、それは言葉ばかりで、経済的に救ってくれるわけじゃねえだろ?

 いつも通りであって欲しい。あり続けて欲しい。そんな心、誰にだって多かれ少なかれあるはずだ。俺が平穏を望むようになったきっかけ、話してもいいか?


 俺はいわゆるフレッシュマンになった当時、同期の一人に、わけあって家に泊まらせてもらったことがある。

 引っ越し間もなく、ゴミ屋敷になってしまった俺の部屋に比べると、キチッと整っていて、「本当に、同じホモサピエンスの住み家か?」と小一時間問い詰めたくなったくらいだ。

 ささいな部屋の変化って奴に敏感らしくてな。帰ってきた時には、ほこりのひとかけらでさえきっちり処理しておかないと、気が済まないらしい。俺みたいに客がいる間は自重しているらしいが、一人だけになると、やたら掃除ばかりするのだとか。


「神社の境内も、頻繁に掃き清めているだろ? あれと同じことだ。ここは俺の領域。自分でしっかり管理しなきゃいかんだろ。一人だけの日は徹底的にやる。できる限り汚したくないんだが、そうそう上手くいかないものだなあ。ずっときれいな日が続けばいいのになあ」なんて、ぼやいていたよ。

 俺が来ていることに関しての、皮肉には聞こえなかったな。


 ところが数日ほど経ち、仕事で顔を合わせると、あいつは妙に不機嫌になっている。

 昨日の深夜。くたくたに疲れて、帰り際に酒とつまみを買い、部屋へと戻ったあいつ。迎えてくれる誰かがいるわけでもないのに、見慣れた暗闇が広がる部屋の中に、「ただいま」と声をかけてしまうのは、もはや小さい頃からの習慣なのだとか。

 しかし、いざ明かりをつけると、上がり口に大きいカマドウマがいたとの話だ。

 あいつはカマドウマが嫌いだ。長い脚に代表される、立体感あるルックスもそうだが、何より、いること自体が不潔だと感じる。

 雑食であるコイツの存在。それは、何かしらのうまそうなにおいを嗅ぎつけて、やってきているということを意味する。同時に、自分の清掃が不十分であったことを意味する。

 

 玄関の横。靴箱の上に置いてある冷凍スプレーを手にする。近距離からなら、ゴキブリさえも数秒で凍らせ、死に至らしめる強力なタイプだ。

 以前は殺虫剤を噴射するスプレーを使っていたが、いつだか血迷ったゴキブリが、顔を目がけて飛んできたらしく、肝をつぶしたんだとか。その反省を踏まえ、凍り付かせて動けなくすることを最優先に、武器を買い換えたとのことだ。

 飛び跳ねる間もなく、氷の彫像となるカマドウマ。何重にも重ねたティッシュ越しに包み込むと、ゴミ袋の奥へ奥へと突っ込んだ。その日は睡眠時間を削りながらの、大掃除を敢行したって聞いたな。

 

 この日を境に、カマドウマはあいつの部屋にたびたび姿を現すようになった。朝にはおらず、仕事から帰って来て、明かりをつけるとだ。

 始めのうちは玄関に居座っているのが大半だったんだが、そのうち、壁や天井に何匹も張り付いている姿を、目にすることになる。しかも日増しに数は増えていき、冷凍スプレーも一ヶ月の間に、2本分を使い切ってしまうほどだったという。

 始めのうちは、明かりをつけるたびに寿命が縮む思いをしていたが、やがてうっとおしさが勝るようになってきた。これまで以上に、食べ物や飲み物を始めとして、あらゆるゴミ類への対処を厳しくしたというのに、成果は努力に反比例していく。

 こいつらは一体、何が食べたくて家に侵入してくるんだ、とあいつは毒づきながら、カマドウマがいなかった日のことを、盛んに思い出すようになったと話していたぜ。

 

 カマドウマとの、望まないじゃれ合いが始まって三ヶ月。あいつは、本当に久しぶりに、定時であがった。ただでさえ仕事がきついのに、プライベートでも死闘を繰り広げ、睡眠時間はがりがりと削られるばかり。

 今日こそは例のカマドウマを滅却し、掃除をした上でぐっすり眠ってやると意気込んでいた。はやる気持ちを抑えられず、帰りがけに買ってきた新しい冷凍スプレーの準備をしつつ、部屋のカギを開けた。またはびこっているであろう、あいつらの姿を思い浮かべて覚悟を決めると、明かりのスイッチを入れる。

 

 つかない。

 電球切らしたか、と慌てて何回かスイッチを入れたり切ったりする。

 違う。スイッチをつければかすかに光源と思しき場所から、光が漏れるんだ。電球が切れているんじゃない。何かが遮っているんだ。

 あいつはそうっと、かすかに明かりがのぞくすき間に、目を凝らしてみる。かすかに、黒い物体がいくつも動いていた。カマドウマではない。もっと平べったい何か……。

 認識すらはっきりしないうちに、そいつらは顔へ、首へ、手のひらへ、肌がむき出しになっているところに、落ちてきた。

 

 ほどなく、注射器で血を吸い上げる時のような、痛みが襲ってくる。歯も立てられているようで、ズキズキと肉が痛む。振り払おうとすると、離されまいとして余計に食い込み、痛みは増す一方。

 頼みの冷凍スプレーも、自分の肌に張り付いた相手には、危なすぎて使えない。更にまずいことに、身体全体へしびれが回って来た。

 すぐ後ろがドアだというのに、ドアノブをひねる力さえ入らない。今にも後ろへ倒れそうになる自分の身体を、その頑丈な図体に預けるのが精いっぱいだ。

 酒に酔った時と同じく、じょじょに意識がもうろうとし、眠気の手が伸びて来る。もはやぼんやりとしてきた視界の中、張り付くこいつら以外に、何かがしきりにぴょんぴょんと飛び跳ねる気配を感じながら、あいつはしりもちをつくように、その場へ崩れ落ちちまったらしい。

 

 はっと目が覚めると、明るい部屋に戻っていた。

 あのうごめく影は見当たらない。だが、手のひらを見ると、血が池のようにたまり、固まっている箇所がいくつか。

 吸われたり、刺されたりしたのなら、こうはならない。噛みつかれた感触はあながち間違いではなかったみたいだ。顔や首の被害を確かめようと、鏡のある洗面所の扉を開けて、思わずあいつは飛びのいた。

 蛇口の上に、かなり小さいサイズのカマドウマがいる。ただ、いつもと違うのは、その口に黒いほこりのようなものをくわえている点だ。

 ような、というのは、そいつの下の部分から、万年筆の先のようにとがった黄色の歯が無数にのぞき、わしゃわしゃと鳥肌が立ちそうなくらい、不規則な動きをしていたからだ。

 

 カマドウマはそのまま、排水溝の中へ飛び込んで、見えなくなってしまう。鏡に顔と首についた、無数の傷痕を映しながらあいつは思ったそうだ。

 カマドウマはあの奇妙な生き物に惹かれ、図らずも、こうなる事態を今まで防ぎ続けていたのではないか、と。



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