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05:疑惑の提示と検討

 チェレグド公爵はただ茶の準備をしに行った訳ではなかった。


「アリス、今晩は、ここで食事をしていくといい。

シュミットさんも」


 はじめシュミットは、その誘いを断った。しかし、チェレグド公爵が「フォルクナー氏も来る。是非に」と添えると、了解した。

 アリスは喜んだ。それが自分に対する、フォルクナーへの対抗心ならば嬉しい。

 だが、フォルクナーはコレットと約束していたはずだ。

 と、思ったら、コレットも出席するらしい。ジェラルドをはじめとした映画関係者も何人か。

 それからもう一人。

 

「そうそう、アリス。

エドワードも来るぞ。もうすぐ到着するそうだ」


「お兄さまが!?」


 ウォーナー侯爵家の長男は、伝統的にキール子爵を名乗ることになっていた。

 キール子爵エドワード・ウォーナーは二十七歳。アリスの五個上の兄だ。いつもはビジネスで忙しく、なかなか『夕凪邸』のある田舎まで足を運ぶ暇がなかった。


「珍しい」


「妹のことが心配なんだろう」


「ふーん。

お兄さまって、いつまでも私のこと、三つか四つの子どもみたいに扱うのよ。

私がもう二十二歳になるって、絶対に気付いていない!」


 エドワードはハンス・シュミットとそう年が変わらない。

 そのくらいの年の男は、五歳下の女は子ども扱いしたくなるのだろうか。

 意味ありげなアリスの視線に、シュミットは微笑みながら、心の中で指を折った。

 右手の指を全部使い、左手の指に入る。


「どう思います? シュミットさん?」


 アリスに水を向けられたシュミットは、指を折るのを止めた。このままだと、左手も使い終わりそうだ。


「小さい頃から一緒に過ごしてきた妹さんだからでしょう」


 言外に、自分は違うという感情が籠っていた。


「それ、兄に会った後でも言ってくれると嬉しいわ」


 

 『暁城』でのディナーだ。各々気合を入れた服装でやってきた。

 シュミットも着古したジャケットで来るかと思いきや、どこから借りたのか、ちゃんとしたタキシードを着ていた。もっとも、髪の毛は相変わらず無頓着だし、眼鏡は野暮ったい。折角の衣装なのに姿勢も悪かった。

 なんでこんなダサイ男が好きなのだろうか?

 今日も胸元に大きなアメシストのネックレスをしたアリスは首を傾げる。

 目が合うと、やはり好きなのだという気持ちを再確認する。

 もっとも、彼を誘惑するような態度は出来ない。

 ドレスは清楚な白。露出は控えめで、身体の線もあまり強調されないようなデザインになっていて、そういうことをするのには適していない気がする。

 仕方がないのだ。

 なぜばらば――。


「おお、アリス!

元気だったか? お兄さんだよ!」

 

 こっちが潰れるんじゃないかと強く抱きしめてくる兄・エドワードのせいだ。

 デコルテが大きく見えるドレスを着た日には、「なんてことだ! 風邪を引く」と大騒ぎして、ショールでくるんでしまうのだ。

 それだったら、前もって、兄のお眼鏡にかなう大人しめのデザインのドレスを着ておいた方がマシだ。

 ああ、早く、誰かいい結婚相手でも見つけて、私への干渉を止めて欲しい。

 それがアリスの切実な願いだった。

 シュミットは苦笑いをしている。


「やぁ、シュミット。久しぶり」


「こちらこそ、ウォーナー」


 エドワードとシュミットは握手した。


「え? 知り合い?」


「”ハンス・シュミット”とは大学の同級生だったんだ」


「え!? そうなの?」


 アリスはびっくりした。得体の知れない男だと思っていたのに、兄の同級生だった。

 ならば、もしかして、そんなに怪しい人じゃないのかも。

 安心していいはずなのに、かすかに失望めいた気分になる。


「どうりで、エンブレア語が上手いと思ったわ」


 エドワードはエンブレアの大学に通っていたのだ。そこは、”花麗国”やベルトカーン国からも多くの留学生を抱えている。シュミットが在籍していても、ちっともおかしくない。


「アリス、シュミットの隣に座ってやってくれ」


「……! 勿論ですわ」


 喜色を表に出さないように、アリスが慎ましく答えると、エドワードはシュミットに爽やかに言った。


「シュミット。アリスはまだまだ子どもだから、無作法な点や、会話の内容も幼いかもしれないけど、許してやってくれ。

まぁ、会話なんてしなくてもいいか。

シュミットは口下手で、女の子は苦手だったもんな。

アリスは私の妹だから、気を遣わなくてもいいよ。

アリス、こいつを無理に話させようとするなよ」


「心遣い、感謝するよ」


 エドワードが差し出した手を、シュミットが握る。それをアリスは不満気な顔で見つめたのだった。


 兄の牽制によって、アリスとシュミットは隣同士に座っても、会話を弾ませることが出来なかった。

 エドワードが座っている向こう側を見れば、コレットが引っ付かんばかりに身を寄せ、楽しそうに話している。

 どうやら、速攻でフォルクナーを捨て、エドワードに乗り換えたらしい。

 重度のシスコンだが、ウォーナー侯爵家の嫡男は魅力的だろう。

 兄には結婚して欲しかったが、コレットが義姉になると思うと、折角の食事がまずくなる。

 おまけに、コレットに見限られたフォルクナーがアリスの右側に座り、盛んに話しかけてくる。

 一度、コレットに行きかけたのに、脈がなくなったからって、こっちに来るというのがさらに腹立たしい。

 かと言って、話題はディナーに相応しい、メニューについてやそのうんちく、産地の話、『暁城』の風景など、あたりさわりのないものばかりなので、邪険にするには礼儀に反する。

 フォルクナーは何度も視線を向け、惚れ惚れとアリスを見つめた。あまりの視線の強さに、つい「何か?」と聞いてしまう。 


「さすがウォーナー侯爵家のご令嬢ですね。

大変、優雅にフォークとナイフを操っていると思いまして。

とても美しい手だ……」


「あ、ありがとうございます」


 反対側のシュミットがどう思っているかと、ちらりと視線を送ると、彼は険しい表情をしていた。

 不機嫌なんだわ。

 かろうじて、アリスは気持ちを撫でつけることが出来た。

 それでもかなり不満の残るディナーが終わり、男性陣は古式ゆかしく別室でカードゲームに興じることになった。

 ジェラルドなどは、本物の貴族の社交が体験できると、意気揚々だったが、フォルクナーは「ホイストは苦手なんですよ」と乗り気ではなさそうだ。

 だからと言って、アリスは女性陣の食後のお茶に誘うつもりはなかった。離れ離れになれてホッとする。

 コレットもいたが、アリスはもう彼女に無駄に対抗しないと決めていたし、コレットも”未来の義妹”に徒に喧嘩を吹っ掛けることはせず、大人しかった。

 二人して、澄ましきった顔で向かい合う。まるで、着飾ったネコみたいだ。


 同時に噴出した。


「変なの」


「そうよ、こんなの変だわ」


「ねぇ、今度、一緒に村にいかない? お土産を買いたいの。

でも、何がいいのか分からないわ」


「お土産なら、『暁城』にも売っているわよ」


「あれぇ? ”王妃の菓子”なんて王都でも買えるわ。むしろ、王都に本店があるじゃないの。

いかにもお土産品って、感じ。まぁ、手軽で悪くはないけど、私のセンスは疑われるわ」


 一理あった。


「じゃあ、マーケットに行きましょう。

週末に開かれるのよ。

手作りの土産物が並ぶわ。

蜜蝋で出来た蝋燭とか、いい香りの石鹸とか。

薬草茶もあるし、木彫りの熊とかも……」


「あら、いいわね。そういうのから探すのって、ワクワクする。

付き合ってくれる?」


「いいわよ」


 アリスとコレットは心から会話を楽しむことが出来た。それが、その夜の唯一の収穫と言っていい。


 カードルームはまだ賑やかだったが、女性陣はそれぞれ用意された客室に行くことにした。


「夜更かしは美容に悪いもの。

それにお城のベッドで眠るなんて、素敵ね!」


 上機嫌のコレットと別れ、アリスが向かったのは”王妃の部屋”だ。ここで指す”王妃”はロザリンドではなく、その息子、国王アルバートの王妃・マリーナのことである。王妃マリーナの実家はチェレグド公爵家であり、家族でよく、この城に静養に来ていた。

 そこでの彼女の部屋が”王妃の部屋”と呼ばれているのである。通常の客室よりも豪華だった。

 近くに『夕凪邸』があるため、アリスもここに泊まるのは初めてだ。

 緊張するし、部屋にかかった肖像画も気になる。

 別に怖くはない。

 王妃マリーナは可もなく不可もない、平凡なる王妃という評価だった。


「でも、あの時代、平凡であることって、結構、難しいわよね」


 アリスはマリーナの肖像をしみじみと眺めた。

 髪の色がアリスと同じ栗色なのは、親近感がわく。

 唯一といっていい特徴は瞳の色で、若葉を思わせる印象的な輝きを宿していたが……それだけだ。

 ”花麗国”のアランが何枚も肖像画を描き残したことから、彼女自身にもなんらかの魅力があるはずなのに……。


「まったくないのが、逆にすごい」


 妙な感心をしていると、重厚な扉がノックされた。


「どなた?」


 使用人ではない。

 

「誰なの?」


 扉の前まで行って、厳しい声で問う。

 こんな夜更けに、レディの部屋を理由もなく訪問するなんて、非常識だ。


「私だ。フォルクナーだ」


「まぁ! フォルクナーさん?

なんのご用でしょうか?

申し訳ないのですが、明日にしていただけません?

私、もう就寝しますの」


 酔っぱらっているようだ。呆れる。

 いくら扉を叩かれても開けるつもりなどない。


「私は映画の出資者だぞ!」


「それとこれと、なんの関係が?」


 脅しには屈しない。


「せめて、その美しい右手だけでも出して下さいませんか?」


 一転して、猫なで声になるが油断はしない。


「なんのために?」


「おやすみの挨拶だけでもしたいのです」


「困ります」


 少しでも扉を開けたら、入り込まれそうだ。

 鍵はかかっているが、しっかりと扉に体重をかける。

 すでに着替えており、薄手のナイティが心もとない。


「私が出資しなければ、だれがあんな問題作に金を出すと思う?

大人の女優になりたいのだろう?

ならばそんな小娘みたいなことを言っていてはいけない」


 アリスが黙っていると、さらにフォルクナーは押してきた。


「君一人の気分で、多くの人に迷惑がかかるんだぞ。

それが分かっていれば、そんな態度はとれないはずだ。

君だけ役を下して、コレットをオーガスタ役にしてもいい」


 これが世に聞く、映画界の悪習か。下劣な奴。


「私が役を降りたら、『夕凪邸』は使えない。『暁城』もよ。

そして、あなたがやったことをみんなに言うわ」


 自分は間違っていないわよね。と、気弱になったアリスだったが、視線を感じると、そこには王妃マリーナの変わらぬ肖像画があった。

 若葉の瞳が、励ますように見ている。

 平凡。何者にも動じない強さが、そこにはあった。


「フォルクナーさん、あなた、ひどく酔っているんだわ。

もうお休みになった方がいいです」


 今日はそれで手を打ってやる。

 明日からはもっと気を付けよう。出資者だからって、親切にしすぎたんだわ。

 アリスは唇を噛んだ。とにかく今は、この男を扉から引き離さないと。誰かに見られたら、誤解されてしうまう。


「せめて、手を……手に触れさせて下さい。

あの美しい手をもう一度、見たい」


「嫌です!」


 ディナーの間も、アリスがテーブルの下に手をやると、すかさず握ってこようとした。

 その度に、シュミットが塩を取って欲しいと言い出してくれたおかげで、難を逃れた。

 わざとやってくれたのだ。そのせいで、シュミットには随分、しょっぱい食事となったことだろう。

 そう思っていると、扉の外にもう一人、別の男性が現れたことを知る。


「フォルクナーさんではないですか」


「……ハンス・シュミット」


 フォルクナーの忌々しい声を聞かなくても、声で、その人物がシュミットだとすぐに分かった。

 またもや助けに来てくれたのだ。


「どうかなさいましたか?

部屋を間違えていますよ。

私たちの部屋は、もう一つ下の階らしいです。

実は私も間違えてしまいましてね。

飲みすぎたようです。いい大人が()()()()話です」


 それから扉の外で、ひそひそと話し声がする。どんなやり取りがされたか、アリスには分からなかったが、しばらくすると、静かになった。

 シュミットも一緒に行ってしまったのか、と思いきや、扉がノックされる。


「アリス? もう大丈夫だよ。

安心してお休み。私も――」


 すかさず、アリスは扉を開けた。

 シュミットが呆れているのが分かる。


「助けて下さって、ありがとう」


「どういたしまして」


 それじゃあ、さようなら、と扉が閉まりそうになるのを、アリスは半身を入れて阻止した。その身に、薄いナイティだけをまとっているのを思い出す。

 

 いやだ、これじゃあ、尻軽女みたいだわ。

 

 急いで身を引く。それじゃあ、さようなら。

 けれども、今度はシュミットが扉を支えて閉めさせない。そして、しみじみと述懐した。


「……私はやっぱりカール・ブルクハルトの子孫ではないと思うんです」


「あらまぁ、突然、どうなさったのですか?」

 

 聞けば、シュミットが大げさに顔を顰めた。


「もしも、私がカール・シュミットだったら、こんな好機を逃したりはしません」


 アリスは声を上げて笑った。


「親子だって、性格が違うのよ?

まして、あなたとカール・ブルクハルトの間には、二百年もの時が流れている。

その間に、真面目で立派な人の血が入ったに違いないわ。それもたくさん。

だからあなたも真面目な性格なんだわ」


 そう請け負うと、シュミットは、あれほどフォルクナーが熱望したアリスの手を取り、キスをした。


「おやすみ。アリス。よい夢を……」


「あなたも」


「鍵をしっかりと掛けて下さい。

あと――早くベッドに入った方がいい。

風邪をひきますよ」


 改めて、薄いナイティ姿を見られ、恥ずかしくなっていると、兄のエドワードがやって来た。


「シュミット、階を間違えているぞ」


「そのようです。

失礼、ウォーナー嬢」


 エドワードにぐいぐいと引っ張れるシュミットを見送った後、アリスはしっかりと施錠した。

 それ以降、彼女の部屋を訪れる人はいなかった。

 ただし、夢の中では、誰かが枕元に立っているのを感じた。

 黒っぽい髪の長い、華奢な女だ。

 何か言っているようだが、アリスが苛々して「もう寝たいの!」と一喝すると、消えた。

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