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04:王妃ロザリンドとの関係

 日中、撮るべき場面を撮り終わった。

 夜のシーンは、また別の日に一気に撮る予定となっていたので、今日の撮影はこれまでとなった。

 だからこそ、コレットはフォルクナーと食事の約束が出来たのだ。


「『夕凪邸』に戻りますか?」


 スタッフがアリスに声を掛ける。

 今日はバーサが随伴していないので、彼女に手伝ってもらって衣装を解いていた。


「ううん、ありがとう。

でも、もう少し『暁城』にいるわ。チェレグド公爵がご滞在なの。ご挨拶に行かないと」


「そうでしたね。アリスさんのおかげで、素晴らしい城をお借り出来ました。

私たちも感動していますとお伝えください」


「分かったわ」


 口実だったが、そうまで言われたら、チェレグド公爵に挨拶に行かねばならないだろう。

 焦りながらも、城の持ち主を探す。

 すると居間にシュミットと一緒にいるのが見えた。非公開の図書室への入室を許されたことなどから、彼はすっかりこの城の主と懇意になったようだ。


「おじさま!」


「おお、アリスか!」


「ごきげんよう。今回は私のお願いを聞いて下さって、ありがとうございます」


「いやいや、こちらこそ。

映画が公開したら、『暁城』も有名になる。観光客がたくさん来てくれるに違いない」


 チェレグド公爵家は二百年前から途切れることなく、子どもたちを海軍へと送り出していた。その武勇は尊敬もされたが、昔のように拿捕賞金が出る訳もない海軍士官の暮らしは、簡単に言えば、公務員だった。

 多くの城や邸宅を維持するのは金がかかる。

 その為、『暁城』は観光客向けに、入場料を取って一部公開しているのだが、昨今、入場者が減少気味なこともあって、アリスの話は歓迎されたのだ。


「いえ……」


 ちらりとシュミットを見る。

 お金の話題は避けて欲しかった。


「撮影は済んだのかな?」


「はい……」


「ではお茶にしないか? 美味しい菓子がある。”王妃の菓子”だ。

アリスも好きだろう?

『暁城』の土産物の一つに加えようと思ってね。

ほら、この『暁城』の絵が描かれた缶に入れて売るのだ。紋章バージョンもあるぞ。

ティールームでも出そうと思う。

ただ、うちとは敵対関係だった王妃ロザリンドに由来を持つ菓子なのが気になる、と言えば気になる」


 ものすごい皮肉な感じがするそれを、アリスは「いいアイディアだわ」と答えた。

 

「どちらもエンブレア王国の代表的な物ですもの。

外国から来た観光客にはうってつけのお土産になるんじゃないかしら?

敵対関係なんて、もう二百年も経ったのよ。誰も気にしないわ」


 シュミットがニッコリ笑った気がした。

 その意味が、アリスにはやはり分からなかった、つくづく、掴みどころのない人だ。


 チェレグド公爵が自ら、アフタヌーンティーの準備に行ったので、また二人っきりになった。

 

「シュミットさん、先ほどは嫌な思いをさせてしまってすみません」


「なんのことですか?」


「あなたのいない場所で、あなたの話をしてしまいました……」


「気にしていませんよ」


 本当に気にしていない様子だ。安心していいはずが、アリスは泣きそうになった。


「どうして? どうして気にならないの?」


 私はこんなに気にしているのに!

 詰め寄るアリスの頬を、シュミットは触れた。


「気にして欲しいのですか?」


「……欲しいわ」


 今や彼女は、座っている男の膝の上に、乗りかからんばかりだ。


「だって、好きな人には興味を持って欲しいから」


「お友だちには、私自身にはそれほど関心がないように、振舞っていたようですが?」


 どうやらしっかり聞いていて、ちゃんと分かっていたようだ。アリスは今後、あんな馬鹿みたいなマウントごっこは止めようと決めた。


「女同士の会話なんて、そんなものよ。

本当に素敵な人は、ちゃんと自分のものにするまでは教えないの。

横から盗られたら悔しいじゃない」


「私のこと……好きなんですか?」


 キスまでしておいて、今更、そんなことを聞くなんて、どうかしている。


「好きよ」

 

 するとシュミットが黙ったので、アリスは不安になる。

 もしかしてベルトカーンでは若い未婚の娘にキスをするのは、ごく普通の挨拶だとでも言うのだろうか?

 寡聞にして、そんな文化は知らない。エンブレア王国では愛情の証のはずだ。勿論、そうだ。


「……私のどこか好きなのですか? 正直、私はあなたに……隠し事をしています」


 やっぱりそうだんだ。アリスは分かっていたこととはいえ、動揺した。

 しかし、それを見せないように振舞う。


「それどころか、あなたのこと、ほとんど何も知らないわね」


「なのに?」


「知りたいの。あなたのこと、もっと知りたいわ。それが好きってことじゃない?」


 シュミットはアリスを優しく、だが、断固たる態度で押しのけると、窓際に向かう。

 そして、沈黙した。

 長い沈黙だ。


 アリスは彼の興味がある話題で、気を惹こうとした。


「どうしてオーガスタさまは王妃ロザリンドを殺さなかったのかしら……」


「……なんですって?」


 窓の桟に手をやったまま、シュミットがわずかにアリスを見た。


「ロザリンドはエンブレア王室に、そして、王国全体にあだなす存在だったはず。

血を分けた弟を殺すよりも、まず王妃を殺すべきだったのではないかしら?

どうしてオーガスタさまはロザリンドを見逃したのか?」


「あなたはどう考えているのですか?」

 

 シュミットは、場違いとも思える質問に質問で返した。ただ、興味深そうに見える。それが知的好奇心なのか、別な感情なのか、アリスには捉えきれない。そういう人なのだ。とにかく、彼女は持論を語ることにした。

 ”この場には相応しい”話題だ。


「そりゃあ、嫌がらせだと思うわ」


 歴史学者者が真面目に討論するような問題に、女子どものような理論を振りかざした。

 それの何がいけない。オーガスタもロザリンドも女だ。


「ロザリンドを愛した王は、自身の婚約を破棄するために、後見人であり、当時強大な権力を握っていたチェレグド公爵に刃向ってまでみせた。

ロザリンドも王を愛していた。

それなのに、次第に無視され、見捨てられ、他の女を愛人にした。とても辛かったに違いないわ。

最初は熱愛されていたのよね? どうして嫌われたのかしら?

なにか誤解があった……とか?」


「誤解……そうですね。

男女ならずとも、すれ違いはほんの些細なことから始まり、時に重大なことを引き起こすものです」


 シュミットは知ったような事を言った。


「オーガスタさまは、そんなロザリンドに何度も会いに行き、励ましたり、贈りものをしたそうじゃない。毒を仕込むなら、いつだって出来た。ロザリンドの所業は、私だったら、顔もみたくないくらい酷いものだったわ。

それなのに生かし続けて、会いに行った」


 その件に関し『”王家の妙薬”の使い手』には、王妃ロザリンドを退けた場合、その子である王太子の正当性が揺らぐのを好まなかったと論じてある。

 当時、王国だったベルトカーン国は、周辺国に盛んに干渉しており、エンブレア王国の王座にも興味を示していた。その為、王妃ではなくなった母親を持つ王太子になってはいけないと考えたと言う。


 ならばやっぱり、殺してしまえばよかったのだ。

 そうすればロザリンドは、王妃のままでいられる。大きな失態を犯す前に、明らかになる前に始末しておけば、死んだ者からわざわざ王妃の座を奪いはしないだろう。


「ロザリンドが王妃の座から降りても、新しい王妃がロザリンドのような女性では、また殺さないといけないからではないですか?

いいなりになるような、そして、当時の王が気に入る娘を用意出来るまで、生かしておかなければならなかった……とか?」


 シュミットの口から、”新しい考え方”が出て来た。


「それもあるかもしれないわね。

ロザリンドは王に対しては愛情を抱いていた。ある意味、エンブレア国王に対する強い忠誠心だわ。

それはオーガスタさまの意に沿っていない訳でもなかった。

それは王姉しての立場。

では、母親としての気持ちは?」


 オーガスタの演技に説得力を与える為、アリスも自分なりに、いろいろな考え方を試していた。


「私は思ったの。

オーガスタさまは王に愛されずに、もがき苦しむロザリンドを見て、楽しんでいた」


 王妃ロザリンドの息子・国王アルバートも彼女の処遇をそう決めた。

 彼女は王ではない別な男と通じたことにより、王妃の座にあったまま軟禁された。

 しかし本当の罪は、ベルトカーン大使であったカール・ブルクハルトに唆され、隣国”花麗国”を滅ぼそうとする計画に手を貸したことだった。

 ロザリンドは王都を追われ、長年、軟禁されてきたが、ある日、散歩することを許されていた森の中の湖で、死体で見つかった。

 自殺とも事故とも言われているが、他殺とは疑われなかった。

 一体、誰が、今更、彼女を殺すのだろうか。ロザリンドは人々からすっかり忘れ去られ、その死すら、誰も悲しまず、関心すら抱かなかった。

 アリスはロザリンドの死を、自殺だと推測していた。孤独と無関心に、彼女の心が耐え切れなくなったのだ、と。何よりも愛する王の気持ちを取り戻せなかったのが、辛かったに違いない。

 

 それを今、まざまざと実感する。


「愛した人が振り向いてくれないって辛い事よね」


 初代・ウォーナー侯爵夫人はオーガスタの娘・ヴァイオレットだった。

 二代目・ウォーナー侯爵は、ロザリンドの孫の王子がヴァイオレットの娘と結婚して継ぐ。

 つまりアリスには、オーガスタとロザリンド両方の血が流れているのだ。


 チェレグド公爵家が所有する『暁城』の絵が描かれた缶に入った”王妃の菓子”。

 皮肉な話だが、二百年も経てば、誰も気にしない。


 それまでアリスを横目で見ていたシュミットが、きちんと振り向いた。その口から衝撃的な発言がされる。


「たとえばもしも、私が殺人鬼でも……ですか?」


 さすがに「え?」とアリスが躊躇した。

 謎めいた人だが、犯罪者ではないと思っていたからだ。ランチの時間のスタッフの話が思い出される。

 ベルトカーン国を恐怖に陥れている殺人鬼の話題だった。


「”悪魔の指”とでも?」


 怯えた様子のアリスに、シュミットは微笑みで自身の発言を打ち消した。


「先祖がね……」


 一旦、言葉を切った。


「私の先祖はカール・ブルクハルトらしいのです」


 それにはアリスは「あらまぁ」と言った。


「それ本当ですの?」


 カール・ブルクハルトは独身で、子どもがいたとは聞いたこともない。


「分かりません」


 シュミットの表情は冗談や嘘を吐いている風ではなかった。


「ただ、我が家ではそう言い伝えられています。

決して、人に知られてはいけない……とも」


 エンブレア王国だけでなく、ベルトカーン国でも忌み嫌われている男の子孫を名乗っても、なんの得もない。にもかかわらず、シュミット家では長く言い伝えられてきた。誰にも話すなと言い添えられて。そこに、真実味があった。


「カール・ブルクハルトには特定の女性はいなかった。あの男は、エンブレア王国の王妃をはじめ、その女官長、王の愛人、”花麗国”のファッションデザイナーなど、様々な女性を誑かしてきました。

その時に……まぁ、なんというか、子どもが出来てもおかしくなかったでしょうね。

男と女の間には、そういうこともままあるのです。二百年前のことですし、今よりも倫理観が高かった訳でもないでしょう。

……すみません」


 未婚の若いアリスの前で、シュミットは申し訳無さそうになった。


「私、そこまで子どもじゃないわよ」


 アリスは憤慨して見せ、そうでないことを教えようと、シュミットに近づき、その胸に手を置いた。

 男の鼓動を感じる。


「カール・ブルクハルトの子どもを産んだ女性がどんな立場だったかは知らないけど、子どもに父親のことを話したのね」

 

「ええ……」


「彼女にとって、カール・ブルクハルトはどんな相手だったのかしら? 騙されても愛していた?」


「騙されたままだったからこそ、愛していると思い込んでいたのかもしれませんよ」


「少なくとも、女性がそう想うほど、魅力的な男性ではあった?」


「さぁ、分かりません。

カール・ブルクハルトとは一体、何者かと確かめようとしたら……」


「オーガスタさまの真実に気づいてしまった」


 ハンス・シュミットは、最初、カール・ブルクハルトについて本を書くつもりだと言っていた。


「そうです。

カール・ブルクハルトの子孫という話は、なかなかどうして……胸につかえるものがあります」


 心臓の動きが早くなり、沈痛そうな影がよぎる。

 これは”本当”だ。アリスは確信し、同時に慰めたくなった。

 二百年も前の殺人鬼の影に、この人は怯えている。

 きゅっと、ジャケットの胸元の生地を握る。

 その手を、シュミットはやんわりと外した。まるで自分に触れていはいけないと言うように。


「気にすること、ないわよ。

あなたが殺人鬼の子孫ならば、私だってそうよ」


「ニミル公爵夫人オーガスタのことですか?」


「それもあるし、初代ウォーナー侯爵も元は海軍士官。軍功を挙げて爵位を得た。その夫人のヴァイオレット妃は、その名もついたヴァイオレット戦争で自ら戦い、"血まみれ王妃"と呼ばれているわ。

それからチェレグド公爵家の血も入っている。海軍士官ばかり輩出して、多くの戦争に従軍した。

たくさん殺しているに違いないわ。

王家もそうよね。王家なんて、その際たるものじゃなくって? 口先一つで、多くの人間の生死を左右出来る。

――あなたは言った。

歴史とは、人殺しの歴史、そのものだって」


「アリス……」


 感極まったように名前を呼ばれ、アリスは胸が高鳴ったが、彼女は敢えて、彼の名を呼ばなかった。


「あなた、やっぱりカール・ブルクハルトの子孫に違いないわ」


「……なぜ、そう思うのですか?」


 シュミットの声がかすれた。


「だって、女を誑かすのがとっても上手」


「私に騙されてもいいと?」


「いいわよ」


 アリスが許可すると、シュミットは顔を傾けた。


 お約束のように、今度も邪魔が入る。

 遠慮がちにノックがされ、この城の当主であるチェレグド公爵が顔を覗かせたのだ。


「そろそろいいかな? 私は構わないが、茶が冷めてしまう」


 また、二人の唇は触れ合うことなく、離れた。


 残念と思う気持ちと、そうでない気持ちがせめぎ合う。 

 シュミットは隠し事をしている。このまま二人の関係を進めてはいけないことは、どちらも本当は分かっているのだ。

 それなのに、二人っきりになると、ついつい、そんなことは明後日の方向にうっちゃってしまうのだ。

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