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03:カール・ブルクハルトとの関係

 オーガスタの娘、ヴァイオレッット妃は、初代ウォーナー侯爵の夫人であった。

 一侯爵夫人になぜ”妃”と付くのかと言えば、彼女はサイマイル王国、神聖イルタリア帝国、”花麗国”という三国の君主の妃になったからである。いずれとも死別した後、最終的に、海軍艦長だったジョアン・ウォーナーと結婚したのだ。

 彼女の評判も母親同様……それ以上に高かった。ただし、後世に残された周辺の人々の回顧録から、高潔とか清廉潔白というよりも、我儘なお転婆娘として知られるようになった。愛嬌と度胸は抜群で、そう言った点で、母親とは違った愛され方をしていた。

 アリスの直系の先祖と言われれば、シュミットは納得出来るのである。

 生き生きとしてコケティッシュな魅力がある。


 同じく”花麗国”のアランが描いたという肖像画も、その辺を惜しみなく表現している。アリスと同じ色の素晴らしいアメシストの瞳は輝き、口元は今にも楽しげに笑い出しそうだ。

 ヴァイオレット妃の肖像画は初めから高く掲げられていたので、それは下から見た感想だった。

 オーガスタの肖像画をあそこから動かせないのは、もしかしたらそのせいかもしれないと、シュミットは思った。

 あの絵は下から見てはいけないのだ。アランという画家は意地が悪いのか素直なのか、彼女の本性を、巧みに肖像画に塗り込んだようだ。もっとも、”ハンス・シュミットの論”が正しければ、だ。

 ヴァイオレット妃の肖像画の隣は初代ウォーナー侯爵の絵。麗々しい軍服を身に着けている。

 そこからつらつらと、ウォーナー家の面々を見て行く。小さなアリスの肖像画に興味を引かれたが、他の絵より、数秒程、長く立ち止まっただけで流す。ある程度、時間を潰すと、シュミットはバーサに「ありがとうございました」と挨拶をした。


「もう結構ですの?

この間いらした学者さんは、一日あっても足りないと、ずっとここにいらしましたよ」


「その人は、美術史家ではありませんでしたか?」


「え? ……ええ、そうだったかもしれませんね」


「それならば、そうでしょう」


 どこがそれならばそうなのか、バーサは煙に巻かれたような気分になった。


***


「あの男、怪しいですよ。あのベルトカーンの男です!」

 

「シュミットさんのこと? 確かに怪しいけど、悪い人じゃない気がする」


「お嬢さま! 怪しいと思っていらっしゃるなら近づかないで下さい。

そもそもベルトカーンの人間なんて、信用出来ません。

あの悪辣なカール・ブルクハルトみたいに、よからぬことを企んでいるかもしれません」


「バーサ、ベルトカーンの人間は、みんな、カール・ブルクハルトみたいな人間じゃないわよ」


 稀代の悪党、カール・ブルクハルトは、オーガスタと同じ時代を生きたベルトカーン人だった。ベルトカーン国王の手先として、”花麗国”動乱、エンブレア騒動、いわゆるヴァイオレット戦争と称される騒乱を裏で操ったと言われ、今なお、エンブレア人には憎まれ、ベルトカーン人にも嫌われている人間だった。

 彼に関する史料は少なく、「恐ろしく不吉な男だった」という評価が残るばかりだ。

 分かっていることは、ベルトカーン王国大使として、エンブレア王国に赴任して、自国に有利となるように諜報活動や様々な工作をしたことだ。その企みは失敗したが、その過程で多くの人間が命を落とした。

 すなわち、エンブレア王国の守り手を自負するオーガスタにとっては、敵である。


 そんな訳で、映画『オーガスタ~”王家の妙薬”の使い手~』にも当然、カール・ブルクハルトは重要な役として出てくる。

 アリス以上に、その役を演じる俳優は役作りに苦心していた。ハニートラップを得意とし、「多くの女性を魅了し、操った」こと、「あからさまに不吉では、怪しまれる」ということから、普段は瀟洒な身なりの男として描かれる。それでいて、不吉な陰鬱さを醸し出さなければならないからだ。


「いやぁ、難しい役ですね。

私は同じベルトカーン人ということで、彼に意見を聞かれたのですが、いくら同国人といっても、私には殺人鬼の気持ちなんて、とんと分かりませんよ」


 何度もリテイクされるブルクハルト役を哀れそうに見ながら、フォルクナーはアリスに話しかけた。それから、邪魔くさそうにアリス越しにシュミットを見る。彼はカール・ブルクハルトの場面に興味があるのか、珍しく撮影現場に顔を出していた。そこが『夕凪邸』ではなく『暁城』なのも、彼の興味をそそったのかもしれない。


「シュミット氏は殺人鬼の気持ちに詳しそうじゃないか?

演技指導をしてやったらどうだ」


「それは私の役目ではありません。

あくまで、”原案”なので」


「じゃあ、何しにここに? いつまで滞在するんだい?」


「あなたこそフォルクナーさん」


「私は、この映画の出資者だからね。順調に撮影が進んでいるか、見守る権利がある。

それに、ああ、美しいアリス・ウォーナー嬢、勿論、あなたと一緒に過ごす時間は、少しでも長いものでありたい」


 フォルクナーに手を取られたアリスは、邪険に振り払った。

 いくら出資者だからって、これは許せない。セクハラ、許すまじ。

 シュミットだったらいいけど。なぜか彼には強烈に惹かれるものがあった。


「申し訳ないけど、次のシーンはニミル公爵夫人オーガスタとカール・ブルクハルトの殺人鬼対殺人鬼の、息詰まる笑顔の下の狂気の攻防戦という、難しい場面なの。

集中したいわ。

少し、静かにしていただけません?

じゃないと、フォルクナーさまが出した大事な資金を無駄にしてしまうから」


 穏便そうな言い訳でフォルクナーを追い払ったはずが、シュミットまで気を遣っていなくなってしまった。


 しかも、肝心のその場面は先延ばしにされた。ようやくブルクハルト役の演技に監督が納得した時には、すっかりランチの時間になっていたのだ。

 映画業界のユニオンは強い。ランチの時間は守られるべき権利だ。

 と言うことで、スタッフは『暁城』の庭園で、ケータリングのランチをとることになった。『暁城』は『夕凪邸』よりも由緒があり、建物も素晴らしいが、庭園も有名だった。その絶景の中で食べる食事は、いつもと違った気分になれた。

 たとえ、時間は守られても、質はいまいちな、茹ですぎのマカロニ・アンド・チーズと、これまた、くたくたのカリフラワーチーズのランチだったとしても、だ。

 さらに、重苦しく難しい場面を一つ撮り終わり、ブルクハルト役の俳優もなんとなく自分の役を掴みかけた感触もあって、ランチの時間は自然と和気藹々としたものになった。

 アリスも一緒になって食事をする。

 ウォーナー侯爵家は質実剛健をモットーにしている家柄で、客人をもてなす時は豪勢であったが、それ以外で食卓にのぼるのは、素朴で質素なものだった。マカロニ・アンド・チーズも食べ慣れた味だ。

 食事以外に、新聞や雑誌も、差し入れられた。


「あのベルトカーンの連続殺人事件。また新しい犠牲者が見つかったみたいよ」


「ああ、あの悪魔の指?」


「悪魔の指?」


「知らないの? ベルトカーンで若い娘が何人も殺されているんだけど、全員が、右手の親指の爪を剥がされているんですって」


「なんで?」


「知らないわよ。犯人に聞いて」


「まだ捕まっていないんでしょう? 怖いわぁ」


「大丈夫よ。だって犯行はベルトカーン国内だけで行われているのよ。

エンブレア王国まで来て、殺人を犯すかしら?」


「分からないわよ。

あのカール・ブルクハルトみたいに……!」


 近いと言っても、海を隔てた国の殺人鬼の話に、どこか現実味のない悲鳴が上がった。

 それから、過去の有名な殺人鬼の話で盛り上がる。ブルクハルト役の俳優は、演技のために、様々な事例を学んだせいで、話題が豊富だった。映画のスタッフも過去の名作から現代の話題作まで殺人鬼の描かれたものを挙げる。


「いやだ、怖い話」


 王の愛人・サビーナ役の女優は血なまぐさい話が嫌いのようだ。話し声が聞こえないように、隅に行く。一人にならないように、アリスも誘った。

 その女優・コレットは母親が”花麗国”出身なこともあって、”花麗国”語を嗜んでいた。そして、美食家だった。マカロニ・アンド・チーズには手を付けず、果物とナッツを摘まんでいた。

 しかし、それはランチが口に合わないという理由だけでもなかった。


「サビーナ役のドレスはサイズがミリ単位で採寸されていて、少しも太れない。

アリスもでしょう?」


「そ……そうね」


 プラスチックのフォークに三本一緒に刺して、口に入れようとしていたアリスは、迷った挙句、予定通りにそれを頬張った。

 コレットはそれを見て、いかにも軽蔑したように眉を顰めた。

 アリスとコレットは、同年代の女優だった。二人とも、若手女優の中では、美貌と実力で注目されている。

 アリスはコレットが自分をあまり好きではないと感じていた。

 彼女が「今回の映画、アリスが実家の権力を使って主役の座を射止めたのよ。あの卑怯者!」と陰で言い触らしているのも知っている。

 でも、構わない。

 なぜならば、アリスだってコレットが嫌いで、「最初にオーガスタ役が来たのはコレットだったのに、その時は断って、映画が上手くいきそうになったからって、サビーナ役にねじこんできたのよ。あの節操なし!」とおおっぴらに言い返していたからだ。


 ウォーナー侯爵家の家訓。

 人を侮ってはいけない。

 が、侮られてもいけない。


 それでも二人は顔を見合せば、仲が良いように振舞う。

 ニミル公爵夫人オーガスタとカール・ブルクハルトが見たら、国も命もかかっていない、くだらない腹の探り合いだが、当人同士にはプライドをかけたマウント合戦がはじまる。


「フォルクナーさんって素敵よね。

今晩、食事をご一緒にすることにしたの。

近くの村に、"花麗国"で修行して来たシェフが開いたお店をあるの。

地元で採れた食材を使ったメニューで、とても美味しいのよ」


 まるで自分だけが知っている特別な情報のような、自慢気な言い方だった。


「ああ、あそこね。知ってるわよ。

開店当初から何度も行っていて、シェフとも顔馴染みだわ。

私もオススメのお店よ。

そうそう、私の名前を出すといいわ。

楽しんで来てね」


 コレットが鼻白んだ。

 ここは”私の”地元なのだ。詳しいのは当然じゃないか。

 

「ありがとう。

でも、()()()()()の名前を出したら、注目されちゃいそう」


 今度はアリスがムッとする。

 別にあんたが偉い訳じゃなく、実家のおかげじゃないか。


「それにフォルクナーさんと二人の食事だから、あんまり騒がれたら困るわ。

あちらはどういうつもりか知らないけれど、私はあくまでも友だちとして食事に行くのだから」


 誘われた体だが、どっちがどっちだろう。

 コレットはフォルクナーを狙うことにしたようだ。普段のアリスなら、自分に言い寄っている男が他に目移りをしたと知ったら、その気もなかったくせに、その不実さに腹を立てたはずだ。

 だが、今回は違う。

 フォルクナーのことなど、どうなっても構わない。

 その態度を、コレットは敏感に察した。


「あら、私がフォルクナーさんと出掛けるの、気にならない?

そうね、アリスったら、最近はすっかり、あの歴史学者に首ったけみたいだもんね」


「そう?」


 その通りだ。

 ここにきて、アリスは失策を犯したことに気付いた。

 シュミットのことをコレットにからかわれたくない。

 しかし、餌に喰らいついた猛獣は、決して離しはしないのだ。


「私には理解出来ないわ。あんな野暮でつまらなそうな男。

フォルクナーさんの方がお洒落で会話も楽しい。それにお金持ちじゃない?」


 ウォーナー侯爵家の令嬢は、金に困ったことがないので、男の価値を金で測るという発想がなかった。ただし、それを表に出すと、同性に嫌がられることは知っていた。


「まぁね」


 そうは答えたものの、お金云々を差し引いても、フォルクナーとの会話よりも、シュミットと話していた方が楽しい。

 そう思ったアリスだったが、ほぼ全てがオーガスタについてで、個人的な話はしていなかった。それなのに、自分はキスまでしてしまった。先走っている。


「あなたはお金なんか気にしないか……」


 コレットが嫌味たっぷりに言った。


「あら、シュミットさんもお金持ちだと思うわ」


「え?」


 アリスの反論に、コレットは訝しげな顔をした。


「だって、本がすごく売れたじゃないの。

ベルトカーンだけでなく、エンブレアでも。その他、いろんな国で翻訳の引き合いが来ているって。

映画が公開したら、もっと売れるでしょうよ」


「で……でも、フォルクナーさんの方がお金持ちだし、何よりも継続性があるわ。

あんなの、一発屋じゃない」


「そうね。

だけど、フォルクナーさんは、成功者特有の偉そうなところが鼻につくわ。

お金があっても、それじゃあ……ね。

シュミットさんは、謙虚なのがいいわ」


 御し易そうで。

 

 もしかしたらそう聞こえたかもしれない。

 アリスは自分のすぐ近くに、シュミットが戻って来ていたのに気付かなかった。

 シュミットは曖昧な笑みを浮かべている。

 今の話を聞かれていた。

 

 コレットもシュミットの姿を見た。アリスの方を見てから、親切な風に誘った。

 

「あら、シュミットさん。いつの間にいらしたんですか?

何かお食べになります」


「いいえ……『暁城』の図書室への入室を許可されましたので、そのご報告に。

今晩は『夕凪邸』には戻らないかもしれません」


 そんな!

 アリスは駆けて行って、弁解したかった。

 そんなつもりじゃなかったの。

 けれどもそれは叶わなかった。ランチの時間は終わり、仕事の時間がやって来た。権利を行使したら、義務を果たすのだ。


 アリスの心は穏やかではなかった。

 たった一言で、その受け取られようで、自分の立場はいかようにも変わる。

 国や命がかかっていなくても、若い娘にとって、”恋”はそれ以上、大事な時だってある。


 一言の価値を知ったアリスの演じるオーガスタは真に迫っていた。

 結果オーライで、難しいはずのシーンはリテイク無しで済んだ。あまりの演技の応酬で、アリスとブルクハルト役の俳優の台詞が全て言い終わった後も、誰一人、しばらく声が出なかったほどだった。

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