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01:はじめに

 殺してやった。

 この国にあだなす男を。

 はじめて使うこの”薬”は、思ったよりも強力で、目的の男以外にも、たくさん死んでしまった。

 困ったわ。

 でも、どうやら世間では疫病が流行っているらしい。

 彼らはそれに感染して、死んでしまったことになったらしい。

  

 ああ、良かった。


 オーガスタは無垢な笑顔を見せた。


***


 カッート!

 監督が彼女の演技を止めた。戸惑っている。台本では、ここで”ニミル公爵夫人オーガスタ”は己の初めての殺人に、それも思ったよりも多くの人間を殺してしまったことに、葛藤するはずなのだ。

 それなのに、オーガスタを演じる女優、アリス・ウォーナーはまったく罪の意識のないような微笑みを見せたのだ。


「オーガスタは反省なんかしなかったはずよ。

だって正しいことをしたと思っているのでしょう?」


 二百年前の衣装を身に着けたアリスは、コルセットで絞った腰に手を当てた。


「こっちの方が、よりオーガスタの狂気を表現できると思うのだけど?」


 周りのスタッフがはらはらして見守った。数々の映画賞を総なめにした映画監督ジェラルドは、撮ったばかりの映像を見る。

 アリスの微笑は純真であればあるほど、恐ろしい狂気に見えた。この演技を没にするのは惜しいが、自分の演出も譲りたくない。


「少し考えさせてくれ」


 助監督がやれやれと肩を竦め、「みんな、悪いが、少し休憩だ」と呼びかけた。

 まだ映画を撮り始めて数カットもせずにこの有様では、先が思いやられる。

 しかしアリスの意見を無下に出来ない事情があった。

 アリス・ウォーナーは若い女優だったが、実家はウォーナー侯爵家であり、その血筋は王家にも連なる。そして、今、撮影している『オーガスタ~”王家の妙薬”の使い手~』の主人公、ニミル公爵夫人オーガスタの子孫でもあった。

 オーガスタは約二百年前にこのエンブレア王国で生きた女性で、当時から現代にいたるまで、非常な尊敬を集め続けていた。

 彼女を題材とした映画、ドラマは何度か作られているが、そのどれもが、激動の時代、エンブレア屈指の悪女と言われた王妃ロザリンドに息子の命を狙われ続け、幼い娘を政略の駒として他国に嫁がされ、彼女自身も、さまざまな苦労と悲しみを与え続けられてもなお、聖女の如き慈愛と献身の精神でもって、気高く生きた女性という描かれ方だった。

 そのニミル公爵夫人オーガスタの従来の印象を覆す問題作が、『”王家の妙薬”の使い手』だ。

 これは去年、ベルトカーン国の歴史学者が発表し、一躍、話題になった歴史書である。

 オーガスタは毒を操って、何人もの人間を殺していた。

 中には王妃ロザリンドが謀殺したとされる王位継承者たちの一部も含まれていた。

 あまつさえ、弟である王をも毒殺したというスキャンダラスな内容に、エンブレア王国の人間は反発した。もともと、エンブレア王国とベルトカーン国は海を挟んで、たびたび小競り合いを繰り返していた関係もあり、平和な現代においては友好国ではあったものの、ふとしたことに、昔の対立感情が露出する傾向にあった。

 そのベルトカーン国の人間が、エンブレア王国の尊敬すべき女性に対し、名誉棄損とも言える本を書いた。

 発売当初、『”王家の妙薬”の使い手』は二国間の友好を危うくしかねない問題にも発展した。エンブレア王国の首相が「あくまで一つの学説にすぎない」との声明を出し、冷静な対応を自国民に要請したほどだ。

 だが、本がエンブレア語に翻訳され、多くの人間の目に触れると、妙な人気を生む。

 これまで完璧だと思われていたニミル公爵夫人オーガスタが実は毒殺犯だった。だがそれは、自分の元から息子と娘を奪った人間に手ずから復讐するためだった。国家を転覆させようとしている人間を抹殺するためだった。そして、国を傾きかけた弟の王をも始末した。それは結局はエンブレア王国の為になった。単なる復讐鬼ではなく、冷静な処刑人――。

 若者たちには、幼い頃から親や教師に聞かされ続けた清廉潔白なオーガスタよりも、そちらの方が魅力的に見えたのだ。

 本は爆発的に売れ、ついには映画化されることになった。

 しかし、勿論、反対も多く、不敬だと映画に携わる人々にも敬遠するものが多かった。

 中でも主役のオーガスタの人選には苦慮した。成功すればよし。けれども、失敗すれば汚点になる。

 多くの女優たちが躊躇する、そんな火中の栗を拾ったのが、アリス・ウォーナーだった。祖先を殺人鬼扱いされ、最もこの映画に反対する立場のはずの人間が、手を挙げたのだ。おまけに、どこの屋敷も貸し渋った撮影場所を、彼女は提供してくれた。

 ウォーナー侯爵家の邸宅『夕凪邸』である。オーガスタが生きた時代に建てられた『夕凪邸』は、この映画に相応しい屋敷だった。 

 もっともアリス・ウォーナーに言わせると、今の『夕凪邸』は建て直されたもので、オーガスタが若い頃の建築様式とは時代的に外れているらしい。

 彼女の親戚のよしみで借りれることになったチェレグド公爵家所有の古城『暁城』の方が、より時代考証に合うという。『暁城』は王宮の代わりに用いられることになっていた。これも大事な場所だ。

 つまりは、この映画の撮影に、アリス・ウォーナーなる女優は絶大な影響力を持っているということになる。


 ちなみに、今も現存するニミル公爵家の夫人、当代のニミル公爵夫人は、本についても映画化についても、「いいんじゃないの?」と鷹揚だった。ただし、『”王家の妙薬”の使い手』を読んだ層には、その態度こそ恐ろしいと、さすがはニミル公爵夫人だという訳のわからない持ち上げられ方をして、これまた話題になった。

 

 そんな問題作の映画の撮影は、結局、その日は中止になった。

 

 夜に、原案である『”王家の妙薬”の使い手』を書いた歴史学者がベルトカーン国から到着することになっているので、彼にも話を聞こうとなる。


 スタッフは近くの村のホテルに滞在していたが、アリスは実家である『夕凪邸』で過ごしていた。今日は監督のジェラルドも泊まる。そこでじっくり、今後の演技プランを練って欲しい。スタッフは今後のスケジュールの進行を思って、そう願った。

 『夕凪邸』にはもう一人、客人が宿泊していた。ベルトカーン国の実業家で、この映画の出資者であるティム・フォルクナー氏だ。何人もの女性と浮名を流し、今はアリスを狙っているのではないかと噂されている洒落者である。

 アリスの家族は王都の屋敷にいて、『夕凪邸』には不在であったが、多くの使用人が働いていた。

 ウォーナー侯爵家は海運業からはじまり、航空業に職種を変えて成功し、今なお、貴族のような生活を可能としているのだ。


 そのウォーナー侯爵家のお嬢さまであるアリスのコルセットを、長年お仕えしてきた”ばあや”のバーサが丁寧に外す。


「昔の人って、よくこんなもの付けていたわね。

もう、苦しいったらないわ!」


「お嬢さま、私、正直、感心いたしませんわ。

オーガスタさまを貶めるような映画……とんでもないことです。

今から役を降りることは出来ませんか?」


「嫌よ。

今まで、ウォーナー侯爵家出身だからって、仕事がくる役と言ったら全部、お優しく慈しみ深いお嬢さまか、純真無垢なお姫さまみたいのばっかり!

そりゃあ、十代の頃なら、それで良かったけど、私ももう、二十二歳になるのよ?

もういい加減、もっと複雑な役を演じて、本格派の女優に変わりたい」


 アリスは王都の演劇学校に通い、演技を学んでいた。もともと、役作りには定評があったが、求められる役の幅が狭く、正当に評価されているとは言えなかった。


「それであの”毒婦オーガスタ”だなんて! ああ、恐ろしいこと」


 バーサは身を震わせた。


「それだけじゃないわ……私……」


 扉がノックされ、使用人が告げた。


「アリスお嬢さま。お客人が到着しました」


「あら、早いわね。

急いで支度するわ。丁重に扱ってね。先に部屋に案内して、旅装を解いて頂いて。

それから居間に案内するのよ。好きな飲み物をお出しして。

『”王家の妙薬”の使い手』の作者だからって、意地悪したら許さないんだから」


 矢継ぎ早に命令するが、茶目っ気があって憎めない口調だ。使用人は口元をほころばせながら、恭しく礼をした。


「畏まりました」


「バーサ、急いで」


 とは言え、アリスの支度には時間がかかるのが常だった。

 おまけに今は、二百年前の服を模した扮装をしているのだ。

 カツラを外すと、短い栗色の髪の毛が現れる。


「うー、洗いたい」


 わしゃわしゃと髪の毛をかきむしる。


「いけないかしら?」


「急ぎましょう」


 その質問が肯定だけを求めていると知っているバーサは、請け負った。大事なお嬢さまを汗臭い頭で客人に会わせるなんて、とんでもないことである。


 彼女が居間に向かった頃には、そこには映画監督のジェラルドと実業家のフォルクナー氏、そして、到着したばかりのはずの男性が、すっかりくつろいでいた。彼はアリスを見ると立ち上がって挨拶をした。


「はじめまして。

ハンス・シュミットです」


 黒い髪の毛はもっさりとして、ところどころ跳ねている。黒縁眼鏡に囲まれた瞳は灰色。

 瞳と同じ灰色が基調のアーガイル柄のセーターに古ぼけた黒いジャケット、黒いズボン。

 背は高いが、猫背気味。

 年は二十八と聞いていたが、それよりも上に見えるのは、落ち着いた物腰のせいか、陰鬱そうな雰囲気のせいか――。 

 アリスは朗らかに手を差し出した。


「それ本名なの?」


「はい。よく聞かれますが、本名です」


 ハンス・シュミットという名は、ジョン・スミスと同じくらいありふれた名だ。

 偽名の代名詞ともいえる。アリスは常々、なぜスミス家の両親は息子にジョンとつけるのだろうと考えてしまうのだった。

 余計なお世話である。

 ハンス・シュミットにとってもそうだろうが、過去に何度も繰り返されたであろう話題に、彼は不快な様子は見せず、アリスの手の甲に恭しく唇を寄せた。

 瞬間、目が合う。

 理知的で、どこか抜け目のない瞳だった。光の加減で、灰色の中に、うっすらと緑色が入っていることに気付く。

 不思議な瞳。不思議な人。

 学者というよりも、スパイみたい。アリスは、その名前の響きも含めて、そんな風に思った。

 得体の知れない魅力を感じる。


 アリスは呆けたようにハンスを見つめてしまっていた。

 シュミットが笑う。その笑顔に、さきほど感じた陰鬱さはなかった。


「ごめんなさい。

アリス・ウォーナーよ。

ずっとお会いしたかったの。

エンブレア語がとてもお上手ですね」


 ベルトカーン語訛りのない、完璧な発音だった。


「ありがとうございます」


「後で御本にサインを下さる?」


「それならば、ご挨拶代わりに用意してきました」


 サイドテーブルの上に、あらかじめ「ハンス・シュミット」のサインが書かれた著書があった。


「あら……私、自分の本に書いて頂きたかったわ」


 準備が良いと言えばそうだが、どこか不自然なものを感じる。


「その場で書くのは……緊張してしまって……何しろ、突然、こんな風に注目されてしまって、戸惑っているのです。

今まで、サインなんて、書類かクレジットカードを使う時にしか書いたことがないので。

あの、宜しければ、私もあなたのサインを頂きたいのですが」


「そう? じゃあ、後で書いたものを差し上げるわ」


 なんとなく、上手くかわされたような気がしたので、アリスも自分のサインをその場で書くのを断った。

 それに、彼が差し出す適当な紙切れに書くのではなく、有名なフォトグラファーに撮ってもらった、とびっきりのブロマイドに書いて渡したい。ちょっとセクシーな雰囲気で、モノクロの写真だ。それに金色か銀色のペンで書いて贈ろう。キスマークは……やりすぎか。

 ありていに言えば、アリスは初めて会ったこの男に、すっかり一目惚れしてしまったのだ。


「私も欲しいですね」


 シュミット以外、眼中になくなってしまったようなアリスに焦れたフォルクナーが声を掛ける。


「いいですよ」


 映画の出資者だ。丁寧に扱わないと。

 フォルクナーはディナーに備え、すでに正装だった。撫でつけた髪にタキシード。ジェラルドもそうだ。しかし、ハンスはそんな用意はしていなかったようで、そのまま席に座る。


「なんだか場違いで申し訳ありません」


 そうは言いつつも、卑下した所がないのが、ますます良い。

 アリスは上機嫌になる。

 胸元が深く開いた、身体に添った金色のドレスを着たアリスは魅惑的だった。栗色の髪の毛は綺麗に巻かれ、洗いたての良い香りがした。瞳と同じ色の大粒のアメシストのネックレスがよく似合う。いわくつきの宝石だった。元は海を隔てた隣国、”花麗国”の王室にあり、いつしか民間に流れた。しかし、それを手にした人間たちは、次々と不慮の事故にあったことから、呪われたアメシストと呼ばれていた。アリスの十八歳の誕生日に贈られ、今は彼女を飾っている。彼女がアメシストの呪いを受けるかどうかは、賭け事が好きなエンブレア王国民の間で話題になったが、四年経っても何も起こらない。

 それすらも、アリスの先祖であるニミル公爵夫人オーガスタの威光の賜物と讃えられた。


「ところで、大変、刺激的な内容の本をお書きになりましたね」

 

 ジェラルドが頃合いを見計らって話題を転換する。

 例のアリスの演技についてだ。


「私は最初は、やはり罪の意識で苦しんだと思うのだが」


「そうですね……」


 シュミットはアリスを見る。

 それから自説を論じた。


「ニミル公爵夫人オーガスタは、国王の長女として生まれました。

エンブレア王国では男子優先ですが、女子にも継承権があった。

弟が生まれるまで、彼女が継承権第一位として扱われていました。幼いながらも女王としての心構えをしっかり仕込まれたのでしょう。継承順位が下がってからも、彼女の意識は変わらなかった」


「女王であると?」


 執事が磨き上げた純銀のフォークとナイフを操るのを止め、アリスは聞いた。

 正直、『夕凪邸』の馬鹿みたいに昔風の生活は好きではなかった。照明は暗く、蝋燭の火が揺らめく。今夜は、その蝋燭の揺らめきが、抜群の演出効果を生んでいると思った。

 まるで自分が、オーガスタの時代に迷い込んだようだ。

 シュミットに自分が魅力的に見えるように、視線を送る。


「この国の守り手、と言ったところでしょうか。

……なので、先ほどの演技の話ですが、やはりジェラルド監督の方が自然だと思います」


 がちゃん、と音がしたので、シュミットは「すみません」と謝った。


「ですが、最初の殺人で、目的の人物だけでなく、他の人々も巻き添えにしてしまったのならば、やはり後悔すると思います。

そのせいで、次の殺人からは、さらに周到に計画するようになったのではないでしょうか?

そうしている内に、どんどんと罪の意識は失われ、自分の行為を正当化するようになった……と、私は考えます」


「随分と殺人鬼の心理に詳しいのですね?

歴史学者とお聞きしてましたが」


「歴史とはね、ウォーナー嬢。

人殺しの歴史、そのものなのですよ」


「確かに……その通りかもね」


 アリスはジェラルドに頷いた。明日は彼の言う通りに演技するという合図だった。それに対し、ジェラルドは「あの微笑は見事だった。是非、映画の終盤に使いたい」と褒めた。

 歴史談義に退屈そうにしていたフォルクナーはようやく、シュミットの長話が終わってほっとしたように、世間話を再開させた。

 その後の夜は和やかに過ぎ去った。

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