夏の声
暑い夏が来る。
正直夏は嫌いだ。私は寒い方がいい。
汗かくと気持ち悪いし、冬のほうが静かでいい。
夏は嫌いだ。
八月十日 午前十時 夏休み
太陽がこれでもかと殺人光線を放っている。
アスファルトは熱せられ、卵を割って落とせば目玉焼きが出来るくらい熱い。
実際は出来る訳が無いのだが、そのくらい暑いと言う事だ。
「おーい、夏野ー」
名前を呼ばれた。私の名前。
夏野 愛
まるで夏を愛しているみたいな名前。
正直自分の名前は好きになれない。
どうせなら冬を愛しているみたいな名前だったらいいのに。
「プール行こうぜー」
そんな私を地獄に誘おうとしているのは幼馴染の神田 涼
涼むという名前のせいか、こいつは夏休みの大半をプールで過ごしている。
「またプール……? たまには図書館とか行ったら?」
「えー、やだよー。騒げないじゃんー」
私は騒ぎたくない。
図書館の方が涼しくて勉強も出来るから一石二鳥じゃないか。
「うへぇ……勉強って……夏休みの宿題やるのー?」
「何言ってんの? もう終わってるし」
何ぃ!? と身を反らせてオーバーなリアクションを取る涼。
当たり前じゃないか。宿題なんて七月中に終わってる。
「え、じゃあ見せて……」
「図書館行く?」
「……え、今から?」
「アイスクリームで手を打とう」
「いや、プールは?」
「宿題、見せて欲しいんでしょ?」
「……はぃ」
交渉成立。トボトボと自分の家へ勉強道具を取りに戻る涼。
私も取ってこよう、と自分の部屋に戻ろうとした時
「愛ちゃーん、スイカくれんか?」
近所の爺ちゃんが来た。
何故スイカを私に注文してくるのか。
答えは簡単だ。私の家が八百屋だからだ。
「今でっかいのしかないけど……爺ちゃん大丈夫? 持って帰れる?」
「大丈夫じゃ。愛ちゃんよりまだ筋肉はあるわい」
そうっすか。まあ普段から畑仕事をしている人だ。大丈夫だろう。
桶の中で冷やされている大きなスイカ。
物凄く美味しそう。ゴクっと唾を飲みこみつつ、桶から一個取り出しビニール紐で縛っていく。
「愛ちゃん上手いのー。流石八百屋の娘じゃて」
「どうもどうも。爺ちゃん、二千円」
「ほぇー、もうちっと安くならんか? なんやったら愛ちゃんも一緒に食べん?」
なんだと。
ぶっちゃけ凄い食べたい。甘くて冷たいスイカに齧り付きたい。
「じゃあ……千五百円。四分の一貰う」
「交渉成立じゃな。じゃあ家くるか? 今親戚が来とるんだわ」
成程。それでスイカか。
しかし爺ちゃんの親戚と一緒にスイカに齧り付くのか。
流石にちょっと遠慮した方がいいだろうか。
私が悩んでいると涼が戻って来た。
サブバック片手に、もう片方の手にはスポーツドリンク。
「あれ? 爺さん何してんの?」
「なんじゃ、涼か。今からスイカ食おうと思ってな。愛ちゃんをナンパしとるんじゃ」
ナンパだったのか。
いや、冗談だろうが。
「スイカ? えー、私も欲しいーっ」
予想通りだが涼が食いついてきた。
私もスイカ食べたい。しかし爺ちゃんの家には親戚が居る。
私一人だったら気まずさMAXだが、涼が居れば何とかなりそうな気がする。
「じゃあ涼、はい」
私が縛ったスイカを涼に手渡す。変わりに涼が持っていたサブバックとスポーツドリンクを預かり、八百屋の奥へと放り込んだ。
「ちょ! 私が運ぶの?! 重いーっ」
「陸上部が何言ってんのよ。私は文科系だし……爺ちゃんは歳だし」
「そうじゃのー。涼が居てくれて助かるわい」
爺ちゃんも乗っかって来た。
さっきは自分が持つって言ってたのに。
そのまま林に囲まれた道を通り、大きな石で出来た橋を渡る。
太陽が容赦なく私に殺人光線を放ってくる。日焼け止めなど意味が無いのでもう諦めている。
おかげで私の肌は白くは無い。都会で言うところのギャルという奴だろうか。
「もう少しじゃぞー、頑張れ涼」
「ひ、ひぃ、結構重いぃ……」
「涼が来てくれて本当に助かったわ。私じゃ落としてたかも」
何せこのサイズのスイカは十キロ以上ある。
か弱い女子高生が持つには重すぎる代物だ。
「私も女子高生なんですけど!?」
私の八百屋から十分程度歩いた所に爺ちゃんの家はある。
何気に豪邸だ。昔ながらの日本家屋で、まるで時代劇に出て来る武家屋敷だ。
「かえったどー」
爺ちゃんが扉を開けつつ、私と涼も続いて中に。
すると婆ちゃんが駆け寄ってきた。
「あらあらー、涼ちゃんに愛ちゃん、スイカ届けてくれたのー?」
「あぁ、婆さん。この二人にも食べてってもらうから。切ってくれ」
あらまあ、と嬉しそうに笑う婆ちゃんにお辞儀しつつ、家の中へと招かれる私達。
中は風通しが良く、扇風機すら要らないようだ。
「あー、つかれたー」
畳の上に寝転がる涼。人の家だというのに遠慮なしだな。
まあ、私も小さい頃から良く来てるから気持ちは分からんでもないが。
「二人共、ほれ。冷たい麦茶じゃ」
そこに爺ちゃんがコップと自家製の麦茶を持ってきてくれた。
爺ちゃんも一緒になって畳に座りこみ、私達三人は麦茶で乾杯。
涼は一気飲みしつつ、辺りを見渡しながら首を傾げる。
「あれ? 親戚来てるんじゃなかったっけ? なんか人の気配しないけど……」
「あぁ、今は川に遊びに行っとるんじゃ。なんぞ魚釣って帰ってきたら焼いて食うか?」
「ほんと?! 食べる食べる! じゃあ私らも捕りに行こっか!」
あからさまに渋い顔をする私の肩を掴み、「いこーよー」とねだってくる涼。
ここまで来たらコイツは願いが叶うまで駄々を捏ね続ける。
正直ウザいので渋々了承する私。
「やった! じゃあ今から行く? ぁ、婆ちゃん、もうスイカ切ってる?」
「あー、婆さーん、ちょっと出かけてくるわー。スイカまだ切らんでええぞー」
爺ちゃんの言葉に、奥から「何いってん、もう切ってまったわ!」と怒りの声が聞こえてくる。
流石に申し訳ないので、私と涼は婆ちゃんを宥めるようにスイカを食べに行った。
スイカバー程のスイカを食べた私達は、爺ちゃんに案内されて川に来た。
ちなみに残りのスイカは、ちゃんとサランラップで包んで冷蔵庫に入れたのでご安心を。
「あ、バーベキューやってる人も居る。いいなー」
「なんか獲れたら儂が焼いたるわ。気合入れて取って来い」
張り切る涼。いや、それはそうと爺ちゃんの親戚は何処にいるんだ。
辺りは家族連れが多い。見るからに都会から来ましたって人ばかりだ。
なんか首や手首に光り輝くアクセサリーを付けている。
あれを付けている人は皆都会っ子だ。
「爺ちゃん、親戚の人ってどれ?」
「あー? あぁ、あの奥の方に居る奴らじゃ。まだ小さいガキ共しかおらんくてスマンの」
なんで謝るんだ。別に出会いなんて期待してないし。
川へ一人で特攻した涼を無視して、爺ちゃんと共に親戚の元へ。
小学生程の子供が三人。そしてその両親が二人。
会釈しつつ、爺ちゃんが私を紹介する。
「明正ー、こちら儂の近所で八百屋やっとる愛ちゃんじゃ。ちなみにプリプリの女子高生じゃ」
「どうも、プリプリの女子高生です」
笑いながら応対してくれる爺ちゃんの親戚。
明正と呼ばれた男性は麦わら帽子を取りつつ、丁寧に私へ挨拶してくれた。
「どうもどうも、いつも親父が世話になってます」
その明正さんの後ろ、奥さんだろうか。白いワンピースにカーディガンを着た綺麗な女性。
奥さんも丁寧に、凄い綺麗なお辞儀をしてくる。
私も釣られて頭げた。なんか気恥ずかしい。こんな綺麗な人の前で、私は今Tシャツに短パンなのだ。
もっと良い服着て来ればよかった。
「おい明正、魚は獲れたんか?」
「ダメだなー。なまっとるわ」
そんな会話をする爺ちゃんと明正さん。
子供達は川の石を集めたり、軽く足を水に付けて遊んでいるだけだった。
そういえば私も昔ハマったな。綺麗な石を集めて部屋に飾ってたっけ。
「愛ー! 一匹ゲッツー!」
涼がニジマスを掴み取りし高々と掲げる。
思わず周りからは拍手が。
なんだろう、なんか凄い恥ずかしい。
爺ちゃんも拍手しつつ
「流石やのー。そういえば翔はドコ行ったんじゃ」
「あぁ、アイツは上流の方に歩いて行ってみるって……」
翔? もしかしてまだ子供が居るのか。
「上流? お前、忘れたんか。山のほうは危ないで。地元民ならともかく……他所の人はすぐに迷っちまう」
確かにそうだ。
あの山は迷いやすいで有名だ。私達は微かな道を見分ける事が出来るから迷う事は無いが、他所の土地の人がそんな道、分かる筈も無い。
「爺ちゃん、私探してこよっか?」
「いやぁ、まあ……じゃあ頼めるかの?」
爺ちゃんに言われて上流へと向かう。
その時、微かな声で「お願いします」と聞こえた。
恐らく奥さんの声だろう。物凄く綺麗な声で、今にも消えてしまいそうな印象を受けた。
川にそって山へと入る。
天然の石階段を上りながら辺りを見回した。
人の気配はしない。もっと奥の方へ入ってしまったのだろうか。
「おーい、ええと……名前なんだっけ……翔か。かけるくーん!」
試しに呼び掛けてみるが反応は無い。
やはりもっと奥か、と歩を進める。
山の中は涼しかった。
木々で太陽の光を塞いでいるのもあるが、流れる川の音がより一層涼しさに拍車をかけている。
真夏だというのに肌寒さすら感じる程だ。
「いないなー……結構奥まで来たのに……入れ違いになったのかな。もう戻ってきてるかも……」
そう思い戻ろうとした時、『助けて』と誰かの声に振り向く。
誰だ、と思いつつ耳を澄ませる。辺りには誰も居ない。
でも確かに声が聞こえた。女の人のような声。
もう一度耳を澄ませる。
「た、たすけ……誰か……」
その声を聞いて一気に走りだす私。
山道で走るのはご法度だ。だがこの山は私の庭同然。
「翔君?!」
居た。岩の下、昔飛び込んで遊んでいた淵に落ちていた。
私は靴を脱ぎ、そのまま自分も飛び込んだ。
子供の頃は楽しかったが、今はそうそうやろうなんて思わない。
「大丈夫?」
翔君らしき男の子。見た目中学生くらいだろうか。
私よりは確実に年下だろうが、何処か大人っぽい印象を受ける。
「す、すみません……俺、泳げなくて……」
「大丈夫だから」
そのまま翔君を引っ張りながら泳ぎ、浅瀬まで来る。
翔君と思しき少年は、浅瀬で四つん這いになって息を切らしている。
「君……翔君でいいんだよね?」
「あ、はぃ……そうです……」
「私、君のお爺ちゃんの知り合いだから。ほら、皆の処に戻ろ?」
手を引いて立ち上がらせると、咄嗟に目を反らす翔君。
あぁ、下着が透けてるのか。別に私は気にしない。相手は中学生だし。
「……ムッツリ?」
「ち、チガイマス!」
「冗談冗談。その内乾くから。ほら、手繋いで」
はぐれたら大変だ。また一から探し出さねばならない。
まあ川に沿って下れば嫌でも帰れるんだが。
その後、皆の所に戻るまでには服はしっかり乾いていた。
流石夏の殺人光線。服の水分を飛ばすなんて朝飯前と言う事か。
涼はあれから数十匹というニジマスを掴み取りしたらしい。
流石だな。今はそのニジマスを爺ちゃんが炭で焼いていた。
辺りになんとも言えない香ばしい匂いが漂う。
「おう、愛ちゃん悪かったのー。ん? 水被ったんか? 髪の毛ゴワゴワになってるで」
「まあ、うん。ちょっと……」
翔君と目を合わせつつ、口に一指し指を当ててナイショにしよう、とジェスチャー。
咄嗟に目を晒す翔君。なんか初々しくて可愛いな。弄りたくなってくる。
涼は既に爺ちゃんが焼いたニジマスに齧り付いていた。
凄い美味しそう、と私も爺ちゃんに一つおくれとねだる。
「熱いからの、気を付けるんじゃぞ」
「ありがとーってアツっ!」
受け取ったニジマスを翔君にも渡し、一緒になって齧り付いた。
美味え、なんだこれは。
塩もついてないのに、焼くだけでこんなに美味くなるのか。
「明正ー、焼けたぞー」
「おーぅ」
ん? あれ、奥さんが居ない。
何処行ったんだろ。トイレかな。
「そういえば明正、墓参りはもう行ったんか?」
「いや、これから行こうと思ってる」
墓参り? いや、爺ちゃん生きてるじゃん。
一体誰の墓を参るんだ、と思っていると
「杏さんが亡くなってから……もう五年も経つんじゃな」
「そうだな。翔、母さんにも魚お供えするか。きっと食べたがってるぞ」
それを聞いた瞬間、私の血の気が引いて行く。
さっき居た人は? あの綺麗なお姉さんが何処にも居ない。
まさか、と思いつつ明正さんに確認を取ってみる。
「あの、さっきまで明正さんの後ろに居た女性は?」
「ん? 誰か居たかな?」
何でも無いです、と誤魔化す私。
そこに涼が何かあったの? と顔を覗き込んで来た。
「なんでもないから。魚食ってなさい……」
その後、爺ちゃんの家へ帰宅。
余った魚は持ち帰り、婆ちゃんが色々と料理してくれる事となった。
そこで更にテンションを上げる涼。いや、お前食っていく気か。
っていうか図書館で勉強はどうした。
「じゃあ、親父。俺達は墓参り行ってくるから」
明正さんがバケツやら花やらを持って車に積んでいた。
その時、どうしても気になった私は明正さんに同行していいか、と聞いてみた。
「え? 別にいいけど……」
「ありがとうございます……」
爺ちゃんも婆ちゃんも、そして涼も首を傾げていた。
何故お前が行く、と。
しかし私はどうしても気になったのだ。
あの時、あの女性は一体何だったのかが。
ワンボックスの車で墓へと向かう。
山の中にあるらしい。車で数分走り、途中で降りて徒歩で向かう。
私は小学生の子供達三人と仲良く手を繋いで。
なんか既に人気者になっていた。
「悪いね。うちの子、母親知らないから……」
あぁ、成程。まだ恋しい年頃なんだろうな。
私は両親の顔すら知らないから逆になんともないが。
「この先に小さな滝があってね。そこで杏と出会ったんだ」
「そうなんですか……」
小さな滝が一望できる舗装された高台に、ポツンと一つお墓が建っていた。
そしてそのすぐ横。
私が川で見た女性が立っていた。
再び綺麗にお辞儀してくる。
私もつい、頭を下げて会釈する。
「来たぞー杏。ほら、お前達も墓掃除」
子供達は各々雑巾を持ってお墓を拭き始めた。
恐らくこの中で杏さんの事をまともに覚えているのは翔君くらいだろう。
かすかに目に涙を溜めているのが分かった。
なんだか一人で突っ立っているのも気が引けるので、私はお花を準備する。
水切りはしてあるか。そのまま花瓶に入れて、お墓の両脇へ。
『ありがとう』
そんな声が聞こえてきた。
ふと目線を上げると、そこにはもう女性の姿は無い。
家族全員で手を合わせる。
私は家族では無いが一応手を合わせる。
親が居たらこんな事をするんだろうか。
まあ、近所の爺ちゃんが死んだら墓参りくらいしてやろう。
「愛ちゃん……だっけ、ありがとうね」
「あ、いえ。すみません、いきなり来たいなんて言って……」
明正さんは目頭を押さえつつ、滝を眺める。
泣いているのだろうか。
「さっき……聞こえたんだ。ありがとうって……杏の声で……」
あぁ、さっきの声聞こえてたのか。
っていうか私、妙に冷静だな。幽霊を見て、声まで聴いてしまったのに。
「君がいてくれたからかな。ありがとう」
「いえ、そんな……」
好奇心で着いてきた、なんて言えない。
それから数分、お墓の周りでゴミ拾いしつつ車に再び乗りこむ。
そっと車の窓からお墓の方を見ると、深々とお辞儀する杏さんが見えた。
私も見習おう。
私は夏が嫌いだ。
無駄に熱いし肌も痛い。
スイカも美味しいし、川で捕った魚を焼いて食べるのは格別だし。
私は夏が嫌いだ。