編集者様を殴る
普段は温厚だと言われ、実際殆ど怒ることの無い私だが、たった一つまさしく逆鱗に触れるが如く感情が昂り、腸が煮えくりかえり、居ても立っても居られなくなることがあるのだが、ずばり「自分が精魂込めて書いた文章を添削されること」であり、今まさに書いているこの文章に対してもそうであるが、時間をかけて書き綴った私の表現を他人にしたり顔で赤入れをされることが堪らなく不快に感じてしまい、幼い日に数歳上の尊敬する従兄弟から譲り受けた貴重なカードを友人に言葉巧みに騙し取られても悔しさは感じこそすれ相手を後に糾弾することなどせず、それは自らの考えが足りなかったのだと反省するような私であるが(争いを避けたい臆病さ故かも知れない)、今日数年ぶりに心の内に巣食う阿修羅の目覚めを感じたのが、会社に於いて先輩社員から企画書にしこたまフリクションボールペンで添削をされたことであるが、以前も信頼する人物に卒業論文の手入れをされた時初めて本気でその人を憎いとさえ感じたことを思い出し、だったら貴方様が全て書かれたら宜しいのでは、と顔に出しながら相手の善意に拠る修正のススメを長々と聞いていたが、先日仕事の中で入試問題の調査をしていたため読んだ渡辺京二氏の『万象の訪れーわが思索』にも全く同じ気持ちが書かれていたように、編集者様を殴りたいとさえ思ってしまうのだが、これは果たして万人に共通の感情であろうかということを問いたい文章ではなかったのだが、己の責任に於いて表現したことをたかだか一年二年長く働いているだけであたかも文章のプロフェッショナルであるかのように講釈を垂れる優雅な高給取りは二度とその口がきけぬようにしてやろうかという私の呪いで今夜眠ることさえままならなくなって仕舞えば良く、最後にこの文を奇特にも読みきろうという貴方が只の一読者としての感想以上の言葉を残そうものならこの怨念が画面を通して手となりその体毛を毟り取るため精々覚悟しておけ。
送るなら純粋な感想だけにしていただきたい。