名もない魔の誕生譚
救いのないとても暗いお話です。苦手な方は、ご遠慮ください。
ズドンズドンという砲撃の音にも慣れた。
半月前、シーブルの村に突如放たれた鉄の塊は、今は生き延びた旅人が逃げ込んだ砦の石垣に打ち込まれている。朝夕の祈りの時間の後に五発とその間の不規則な時間に二十発。規則正しく打ち込まれる人頭大の塊は、石垣を穿つ威力は殆どない。壁に触れるのは三分の一ほどで、殆どは壁に当たる前に地面に落ち、歪な穴を作っている。
「危ないよ。中に入ろう」
砦に据えられた見張り台の一つに上り、石壁に当たって落ちていく鉄塊を眺めていた少年は、梯子からかかった声に小さく首を振ってこたえた。見張り台のてっぺんに据えられた、ようやく人が二人並んで立てるだけの板の上は、小柄な少年が膝を抱えて座るだけでいっぱいいっぱいだ。
「そろそろ礼拝も始まるし、降りよう」
宥める声に再度首を振り、少年は砲撃の音よりも早く光る炎と白い煙を憑かれたように見つめ続ける。
砦から見える、敵軍がはった陣の場所には、つい半月前まで少年が暮らしていた村があった。十数家族が暮らすだけの小さな村だったが、家も納屋もたくさん並んでいた。それらは、始めの砲撃であっという間に焼き落とされてしまった。今は、村長の家だった大きな建物の残骸だけが村の名残をとどめるのみだ。
「おいっ」
鋭い叱責にも少年が動くことはない。少年が大事だと思っていたものは、全て無くなってしまった。大事だとも気づかないうちに、砲撃に削られ、炎に焼かれ、兵士に切り殺された。その喪失を埋めるものを求めて、少年は大砲とテントが並んだ敵陣の横の、焦げた家の痕を見つめていた。
少年が生き延びたのは偶然だ。たまたま砦の向こうの川に魚を釣りに出かけ、たまたま川原で転んで足を痛め、たまたま一緒に来ていた父親だけが荷車をとりに戻った。大した怪我ではなかったのに、母が一昨年に病で亡くなってから心配性になった父は、「ちょっと待ってろ」と走っていったのだ。
川原で大人しく待つ耳に、今日と同じくズドンズドンと砲撃の音が聞こえた時、少年は喜んだ。砦に詰める兵士たちが時折行う、大砲の発射訓練だと思ったのだ。今にして思えば、そんなはずはない。訓練の前に必ず村に来るはずの通達はなかった。それに訓練のある日は、父親は砦の近くに少年を連れてくることはなかった。だけど、その時の少年はそこまで考えが及ばず、ただただ大砲を撃つところが見えるかもしれないと喜んでいたのだ。
痛む足を引きずって急いで砦に近づき、そこでようやく少年は自分の考えの間違いを知る。
普段は見張りが二人、のんびりと立つだけの砦の入り口を革鎧をつけた兵士達が忙しなく行きかっている。怒号も聞こえた。それに、腹に響く砲撃の音、地鳴り。遠く村の方向に煙と炎、そしてこちらに向かって蟻のように駈けてくる父に似た影とそれを追う馬とその上で銀の光る棒を振る悪魔の姿が見え、少年は状況を飲み込めずに立ち尽くした。
「ぼうずっ、中に入れっ。ここは邪魔だっ」
いつのまに近寄っていたのか、兵士の一人が駆け寄り少年の腕をつかんだ。日に焼けた顔を殺気で尖らせた兵士は、味方の兵なのに恐ろしかった。
「父さんが、」
「来いっ」
腕を力任せに引っ張られ、引きずられるようにして砦に入るまでの間、少年は空っぽの人形のように影が倒れこんだ方向を見ていた。砦に連れられてからは、少年と同じように近くにいて保護された旅人の一団とともに、部屋に押し込められて七日経つまで一歩も外に出ることはできなかった。食事や排泄は部屋にあるもので賄われたのだが、その間の少年の記憶は曖昧だった。
部屋を出る許可が下り、少年が兵士に頼み込んでこの見張り台に登った時には、村は今と同じような変貌を遂げていた。
「礼拝にでないのか。お前、悪魔に食われるぞっ」
動かない少年に焦れたのか、梯子がぎしぎしと軋み声の主が下りていく。その音をかき消すように再び砲撃の音が響き、少年はぎりりと奥歯を噛みしめた。
礼拝で何を願うというのだ。神がいるなら、こんな目にあっているはずがない。それに……。
「悪魔なら、もうそこにいるだろうよ」
少年は大砲を睨みつけ、膝の前で拳を握りしめた。
この砲撃は、砦を落とすことを狙っていない。射程ぎりぎりの場所に大砲を据え、毎日決まった数の弾を撃つ。砦を壊すにも兵を減らすのにも威力の足りない砲撃が、単なるパフォーマンスに過ぎないことを知ったのは昨日だ。
この砦を預かる将軍と敵国の間で取引があり、この攻撃は敵国が少年の国と同盟を結ぶ隣国を攻める間、少年の国が兵を出さない為の口実として使われているにすぎないらしい。兵士の一人が親指ほどの金の粒と引き換えに、旅人の一団にいた商人に話していた。教えてもらった商人は、安堵のため息を吐き、この場に居合わせ足止めを食らった不幸を嘆いたが、少年はただただ呆然とその場を動けずに固まってしまった。
少年の村は、パフォーマンスをもっともらしく見せるための演出として滅ぼされたのだ。
考えただけで、少年の胃が内側から燃えるように熱くなり、噛みしめた奥歯がぎりぎりと軋む。じとりと見つめる先に、必死で逃げる父を追いかけて切り伏せた悪魔の姿がよみがえって、こめかみがきりきりと痛んだ。
どれほど憤っても、少年には力がない。我が物顔で村の跡地に陣をはる敵に戦いを仕掛け退けることはもちろん、父を切り殺した兵士の一人を殺すことでさえ不可能だろう。
暗い目に怨嗟の炎を燃やし、少年は敵陣を見つめる。砲撃が止み、やがて聞こえてきた礼拝の鐘の音も、少年の心に平安を呼び戻すことはなかった。
力が欲しい。
少年は瞬きのない瞳をじっと大砲に向けて願う。
あの人の形をした悪魔たちを滅ぼす力が欲しい。国の対面を保つために少年の父と村を差し出したこの国を滅ぼす力が欲しい。
少年の渇望を乗せ、高く澄んだ鐘の音が響く。
呪えるものならば、目に映るこの世界を全て呪いたい。滅ぼせるなら、こんなくだらない理由で少年から大事なものを奪うことを許した神が創ったこの世界全てを滅ぼしたい。
細く尖った少年の絶望と嘆きは、祈りの鐘に寄り添うように空気に乗って、音が届く全ての土地に流れ、しみ込んでいった。人々が祈りに乗せるのとは正反対の想いは鐘の音に微かな濁りを加え、聴くものの心に闇を植えつける。
それから間もなく、少年は砦から姿を消した。
その頃から、朝夕の礼拝の時刻に祈りを捧げていた人間が我を失い、殺人を犯す事件が多発するようになった。気が狂ったとしか思えないほど残虐な殺人を犯す間、犯人は決まって低い低い音で鐘の音を真似るのだという。
神聖なはずの祈りの刻に、魔が差すようになった。その衝撃は、人々の神への信仰を薄れさせた。いつしか祈りの習慣は消え、朝夕の鐘の音は聞こえなくなった。
それでも、朝夕に吹く風に、時折、聞こえるはずのない鐘の音が聞こえるという。その中に、低いうなり声が聞こえたら、気を付けた方がいい。絶望と悲しみに染められた魔が、世界を滅ぼせと囁いているのかもしれないから。




