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冥土の土産  作者: raina
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 第一章 『何時まで放置するの?って投げかけても結局なあなあでやり過ごしてきたあのカレンダーが目に入った時』

 第一章 『何時まで放置するの?って投げかけても結局なあなあでやり過ごしてきたあのカレンダーが目に入った時』


 深い深い森の奥。

 全く馴らされていないのか、凸凹と起伏が激しい砂利道を進み、途中で人の足によって整地された荒い横道を進む。

周囲の木々が鬱蒼と生え揃い、これ以上奥に進むのを阻もうとしてくるので、其のたびに頭を下げて、無造作に腕を広げる木々の枝を、掻い潜らなければならない。そんな恐ろしい、猛獣でも出てきそうな獣道を進むと、暫くして、所狭しに並ぶ木々の隙間から、茶と緑以外の鮮やかな色合いが視界に入ってくる。

 それは、古いお屋敷であった。

 日本ではあまりお目にかかれないイギリス積みの煉瓦が、美しく積み上げられて、お屋敷の外観を形成している。イギリスのカントリーハウスの様に豪勢で広大なものではないが、それでもそのお屋敷には、公爵顔負けの品位が備わっている。

 そんな、御伽噺にでも出てきそうなお屋敷で、今年16歳を迎える青年は、今日も変わらない日常に、安穏として、時の流れに身を任せているのだった。

「あーあっと、またテンパイかよ。もう良いから流して、もう疲れたから。高い役作っても結局流れるんだからなぁー。信じる者は救われるとは良く言ったもんだよ。そんな神の子になれるとか言われても、あんたは一体何人の悪魔を排出してきたと思ってんだ。ははは、イエスでキリスト!ってか? ……、っっ!!!!海底きたあああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 里中(さとなか)森羅(しんら)

 彼は今、古いお屋敷の中の12帖ほどの洋室で、真っ白なカーテンを備えた豪勢な天蓋付きのベッドに寝転び、麻雀に興じている。

 その部屋の窓際では、真っ白な遮光カーテンが両側で纏められ、レースカーテンが気分良さそうに揺らめいている。床下には、赤色の文様の様な絨毯が敷かれ、足元から伝わる冷気から、立つものを加護する様な暖かさが伝わってくる。壁には、イギリスのヴェネチィアだろうか? 日が落ち、街全体が影絵になっている綺麗な遠近情景に、水先案内人がボートを漕ぐ姿が描かれた絵画が掛けられていて、天蓋付きのベッドの横では、大理石の天板の、見るからにも高そうな、ダークブラウンのサイドテーブルが置かれていた。その上では、お洒落なシェード型のスタンドが置かれ、そのベッドサイドライトは、夜遅くに読書をしたくなるような、シックな装いを醸し出していた。

 そんな、貴族の様な高貴なイメージを払拭とさせる内観で、森羅は今麻雀をしているのだ。

 しかし、麻雀をしている者とは思えないほどの内観にいながら、それよりも更におかしな光景が目の前に広がっている。

 その部屋には森羅しかいなかった。

それにもかかわらず、純白のベッドの上では、様々な牌が簡易麻雀卓に並べられ、つい先ほど小気味よい音を立てて、森羅の目の前の手配だけ、手を明かすように露になっている。その他架空の三人の手配は立てられたままである。はてさて、森羅は誰と麻雀をしているのだろうか?

「ふぅー、危ない危ない。横の手配かなりツモ運良かったから、危うく振り込んでしまうところだった。でも公平にやったし、絶対安全牌きってたし―」

 ……エアー麻雀。

 まさか、絶対一人では出来ないであろうテーブルゲームをやってのけるとは……、超然としていると言えば聞こえは良いが、はたから見れば、居た堪れない所感に押しつぶされそうで、耐えられそうもない。

「というか俺…… 何やってんだろう……」

 一際テンションを上げてすっと正常に戻ると、どうしようもないほどの冷たい空気に、現実を突きつけられてしまう森羅。

そして室内で一人、森羅は胸の内を吐き出す様に、憂鬱な思いに身を覆われてしまうのであった。

 それが、いつものパターンである。

 森羅は今監禁されていた。

 周りを深い森に囲まれたお屋敷に監禁されて、もう三年の月日が流れた。

森羅が中学生デビューを果たせずに迷走をしている内に、世間一般の同世代の若者達は皆、夢の高校生活に心を躍らせているのだ。

 森羅が窓を覗いても、レースカーテンの先に見えるのは、堅牢に取り付けられた鉄の格子であり、折角の当たりに広がる、安らぐような自然の香りと美しい木々の交錯により生まれる叙景も、その鉄格子によって、森羅の心は荒んでしまうようであった。

 そして、森羅を監禁しているのは、身代金目当ての誘拐犯、―というわけではない。今のご時世、日本警察の優秀さもさることながら、身代金誘拐が成功することは、まず0パーセントに近いものだ。そんな成功率の低い犯罪に、刑法では他の誘拐より重い罪を課されるとくれば、身代金誘拐犯の方もたまったものではないだろう。

 それでは、誰が森羅を監禁しているのか?

 ―ガチャリ……コンコンッ

 森羅が窓際で項垂れていると、豪勢な洋室全体に、重たい金属の接合部が外れる音と扉を叩く乾いた音が響き渡る。

 その音が聞こえたかと思うと、数瞬の間を置いて、よく通った女性の声が聞こえてきた。

「森羅様。息抜きの時間はもう終わりでございます。お勉強に致しましょう」

 現れたのはメイドであった。

 白と黒を基調としたロングドレスタイプのメイド服―ではなく。ミニ丈スカートとニーハイソックスを着用した、所謂アキバ系と言われるメイド服。

それを身に纏った彼女は、感情を表に出さないまま、ただ目の前の森羅に向けて、淡々と任されたスケジュールをこなそうとする。

「……あ、ああ。うん。分かった」

 (はやし)(みず)()(りん)

 そんな愛想笑いも浮かべない彼女だけれど、彼女は今の森羅のお世話係として付いているのだ。いや、正確にいえば付いてもらっていると言った方が良いのか。

 里中財閥。

 三年前森羅が監禁される前までは、大変大きな中間持株会社であり、主に3Dシステムについて大いに世界の凡ゆる分野の企業で貢献してきた。そのシステムは大したもので、世界的に注目を浴び、近未来と呼ばれる空想上の世界にたどり着いたとさえ謳われた。その近未来のシステムは、またたく間にネットを通じて世界中を震撼させたのだ。

 しかし、三年前にその里中財閥は、ある出来事を持って解体されることになる。そして莫大な財産を失った里中家は、人生の極点から転落の一歩を辿る。その一歩は余りにも大きなもので、今では誰も立ち寄らない森の奥地で、人目を憚りながら日々を過ごしていた。

 なので、今では雇われているメイドも数えるほどで、小さなメイド団体からしか雇うことの出来ない境遇に陥っている。

 可愛らしいフリルの付いたスカートを揺らしながら、室内に足を踏み入れた花鈴の手には、薄型の精密機械が入った、薄茶色のハンドバッグが握られていた。

花鈴は、窓際で立ち竦む主人公を一瞥すると、何も言わずに、部屋の中央にある楕円形の猫脚デスクの上に、そのハンドバッグを下ろした。

その中から精密機械、もといPCを取り出し、OSの起動にかかるのだった。

 そして花鈴は、やる気なさげな主人公を無言で目で訴え、猫足のクラシックチェアへと誘導する。

そのパソコンで一体何をするのかというと、

「やあ、今日も青春をエンジョイしてるかい?」

「ぼっちぼちですね。ぼっちなだけに……」

 まだ現役とも言えるノートパソコンに映し出されたのは、和かに手を振る三十代後半の男。一応スーツを着ているのだが、そのデザインは悪趣味なことに、黒地のスーツに赤色の縦縞をはしらせているというもので、ネクタイもしているのだが、斜め状にPTAの羅列が刻まれ、それが鮮やかな色彩を放っている。

えも言われぬ奇抜なファッションであった。

「まぁ良いんじゃないか? 監禁生活なんて、この平和な国でそう味わえるものじゃない。それに、最高じゃないか。メイドさんにかしずかれての監禁生活なんて、寧ろこちらからお願いしたいくらいだ」

 (……かしずく? これが?)

 ベッドに腰を下ろし、携帯を弄る花鈴の方に視線を送る森羅。

そして胸中にフッと浮かんだその言葉は、咽喉を通ることはなく、寸前の所で押し留められた。

 その森羅の視線を感じてか、花鈴はチラッと携帯の画面から顔を上げる。

「ふぅー」

 肩を回してお茶を濁し、その射程範囲からの離脱を図る。

「それより今期のアニメヤバイぞ!!」

 そんな森羅の心境など知らないとでも言うように、目の前のパソコンに映し出されたおっちゃんは、年甲斐もなく心を躍らせるのが見て取れるほど、画面に熱い思いをぶつけてくるのであった。

「取り敢えず落ち着いてください」

 子供のような無邪気な笑顔に、若干引き気味になりながら、森羅はその無駄に荒ぶらせているテンションを鎮めようとする。

 このパソコンに映し出された、今にもこちら側に押し寄せてきそうな男は一体誰なのか?

 ()()(なぎ)()(きょう)

 彼は大手の学習塾の講師であった。

彼の凄い所は、その学習塾で、受験と言われるもので使われるほぼ全ての科目において、教壇に立つことを許されているということだ。さらにそれだけではなく、彼はこうして、最新のインターネットの配信機能と通話機能を通し、通信講義も行なっているのだ。

 この男は、森羅の総合された学習面においての先生とも言える人であった。

「もう、そんな偽りの世界で生きるのはやめたまえ」

「な、何が言いたいんですか?」

「何だ? この場で言って欲しいのか? 君は中々……性的倒錯が激しいのだな。なるほど、マゾヒストか」

 ―ビクッ

 その秘佐柳の言葉に、森羅の背後で携帯を弄っていた花鈴がビクッと体を震わせる。

そして、首筋に一筋の汗を浮かび上がらせると、落ち着かない様に体をもじもじとさせるのであった。

「俺が、そんな奴に見えますか?」

「ああ。見えるよ。君のその言動と表情を見れば。気付かない訳がないだろう?」

 続ける秘佐柳の言葉に、後ろの花鈴は何気ない風を装いながら、携帯を掲げて、そのボディに映し出された自らの表情を盗み見るのであった。

「馬鹿言わないでくださいよ。僕は、先生のようにおかしなセンスの人の方が、脳内麻薬物質の分泌が盛んだと思いますけど?」

「はははっ、君も言うようになったな? だがおしいな。私のセンスが分からないとは。それにな、古来より変人は変態には成り得ないと言う唱導がある」

「どっちも同じようなもんでしょ?」

「違うな。変態はそれをいけないこととして楽しんでいるが、変人は真剣なんだ。いけないこととは思わない」

「尚更タチが悪いですね」

「やめてくれ。股間が疼く」

 コホンッ

 森羅の後ろで態とらしい咳払いをする花鈴。

 その咳払いに、画面を通じて語り合っていた二人の心は、スピリットのレベルにまで共鳴するのであった。

「さて、まずは数Ⅰからかな? 今日は因数分解について何だが、私に付いて来れるかな??」

「先生! ディメンジョンを感じます!」

「ふふっ、既にその領域か。さすがだ。ではもう一段階まで行くとしよう。さあそろそろ始めようぜ!」

 そして、森羅の個別講義が始まるのだった。


 講義が始まって一時間ほど経過すると、花鈴は急用が出来たと言って、部屋に鍵をかけて出ていってしまう。その顔はどこか赤みを帯びていて、森羅は訝しげに思ったが、そこまで深くは気にする事はなく、森羅は返事を返して花鈴の背中を見送ったのだった。

 メイドが出ていき、扉の施錠音を聞いて数秒立つと、ノートパソコンに映し出された白板はまたたく間に撤去され、また画面の前で座り込む秘佐柳。

 そして、もう教えるのも億劫だとでも言うように、ペン回しに失敗して床に落ちたマジックペンを、拾う気力すら示そうとはしなかった。

「ぶっちゃけるとね。俺先生になりたいわけじゃなかったんだわ」

 (……きたか)

 秘佐柳の口から自然とこぼれ落ちる愚痴に、森羅は口元を引き攣らせて、上司への対応術の技術を向上させるのだった。

「じゃー何になりたかったんですか?」

「……アニメクリエイター」

 バソコンの前の男は、コンマ数秒という程のほぼノータイムで返してくる。

「それはまた、コアな所を攻めようとしていたんですね」

「時代のニーズに乗っかろうとしてたんだ。まぁ、アニメ好きだからだけど」

「ニーズとか……まぁ確かに最近の日本は、そっち方面に突っ走ろうとしていて、なんか怖いですけど」

 最近のアニメーションは、科学技術の躍進や、製作に携わる技巧の持ち主の、揺るぎない邁進により、流動的かつ神秘的な、芸術とも言える作品にまで手を伸ばしている、と言っても過言ではない。

 森羅は、先生の無駄に格好良く決められた言葉に、少なからずとも波長が合うように納得するものを感じたのだった。

「そうだろ? 時代がやっと追いついてきたんだよ。俺たちは新世界に行けるんだ」

「新世界って、流石にそれは言い過ぎでしょう?」

 そこは納得できなかった。

「いや、そうでもないんだよ。海外メディアまで、日本のアニメーション技術に度肝を抜かれてる。まぁそれは、宮崎先生の時代から言われていたことだが……」

「俺は外人が【日本人やベーよ。マジこいつら宇宙人だよ】って、はやし立てているようにしか感じませんけど?」

「まぁそれは否めないな。何時の時代も、初めに新しい道を切り開く者は、はみ出し者と決まっている。だが、先程の外人の喩えが外国語であれば、そんな風潮も吹き飛ばせるかもな」

「……精進します」

 変人というのは、無駄に頭が良い奴や技術を身に付けている奴が多いと、また一つ心労を積もらせる森羅。

「でも、じゃー何でアニメクリエイターにならなかったんですか? そんなにアニメ好きなのに」

 森羅は、アニメの事となると目の色を変えるかのように、ハイテンションになる秘佐柳が、何故そんな好きな道を突き進まなかったのか、なりたくもない先生をしているのか興味をそそられる。

「さっきも言っただろう?」

「え?」

「何時の時代も、新しい道を切り開く者は、はみ出し者と決まってるということさ。分かるかい?」

「言ってることは分かりますけど……」

「いや、体面的な事を言っているんじゃない。いや、言っているのか。どちらにしろ。私が言いたいのはな、この高校という教育制度のつまらなさだ」

「はあ……」

 変人というのは人の話を聞かないのが常である。

 要するに、何を言っているのか分からないのだ。本人は相手が分かっていると認識しているようだが、人の思いは言葉にしないと伝わらない。俺の胸中が解るか? と言われても、それはとてもではないが、難儀な話である。

「それはもう罪だね。ユネスコを糾弾するつもりはないが。公平的なアクセスはジェンダー問題然り、適切な配慮だとは思う。が、革新的教育方法? はっ! 分野別の認知的な習得、創造性や知識のノウハウを活かしたやり方が、今の教育制度の基準だと? ふざけるのも大概にして欲しいというものだ。技能や資格を手にする者は決まってる。一般社会において、必要とされる基本的な学術能力は、中等部で終了してるさ。その先に行くには、それぞれに専門的な教育育成プログラムを組んだほうが、よりよい技術の、社会の枠組みを作れることが何故分からない? 世界に生きる大学生、専門学生、非正規雇用者の中で、気付く者も大半にはいるだろう。今の高校生で、本当の意味で学ぶ事が出来ている者など、今の世の中には、ほんの一握りしかいない。本当の意味での学びは、その先から始まる。でもそれでは遅い。だから私は―」

「先生、落ち着いてください」

 森羅は、いつの間にか社会の人材育成にまで苦言を申し立てて、理性を失っているオタクの中年男にストップをかけた。

「……すまない。熱くなってしまったようだ」

「いや、はははっ。そんなの誰にでもありますから。気にしないで」

 自分の世界に入り込むにしても、これ程までに、蟻地獄かとツッコミたくなる程、辺りをたぐり寄せようとするのは珍しい話なのだが、森羅は温和な空気を放ちながら、熱くなって少し顔が赤くなっている秘佐柳に、優しい言葉を返すのだった。

「―まあ、取り敢えずだ。私が言いたいのは、簡単に言うと、未知の世界に踏み出す勇気がなかったという話で―」

「じゃー初めからそう言えよ!!」

 流石の森羅も、紆余曲折に語り挙げた行く末が、ヘタレだったからとは思いもよらなかったようだ。その先には、ドラマの様な真情あふれる物語は無いにしても、何かひと悶着の末、決断した結果であると期待していたのだが。

 森羅は、温和な顔を崩して全力でツッコミに入る。

この時ばかりは、その内に秘める優しさの片鱗すらも、示すことを憚った様である。

「ま、まあ落ち着いてくれ。誰にだって落ち度は有るということだ。スティーブ・ジョブズだって、ジョン・レノンに一泡吹かせられただろう?」

「知りませんよ、そんな事」

 全くオタクというものは、無駄に関心が強いせいかあらぬ知識を持っており、対応するのも疲れるものである。と、オタクな森羅は内心ため息をつく。

 森羅はうんざりとしながら、目の前のパソコンの男の方へ視線を送る。

「はぁー……、でもお前、メイドさんとか………マジで人生舐めてるよなぁー」

「……何なら代わりたいぐらいですけどね。今なら監禁生活も特典で付いてきますよ」

 森羅は妬む様な、重い羨望の眼差しを向けられ、少し機嫌を損ねたのかムッとするのだった。

「まあ、監禁されて何も出来ないんじゃ、メイドさん触り放題でも、お釣りが来ないと割に合わないな。いや……、それよりも、もっと凄いことを」

「殺されますよ?」

「経験者は語る……か」

「やってないから」

「なるほど……エロゲだけか」

「そっちもねぇよ」

 森羅は、絡んでくる中年男をあしらう術は何だろう?と、出来ればご教授願いたいものだと、切に願うのであった。

「そう言えば、君が書いてた小説はどうなったんだ?」

「その話はもうしないでください」

 切に願うのであった。

 あまりの監禁生活の辛さに、森羅はこのままでは駄目だと逃亡を図った時もあった。

今では懐かしい話だが、監禁生活で一年が過ぎさろうとする頃であっただろうか? このまま一人だとまずい。お金も何も無いけれど、服さえあれば何とかなる。というか、何とかしないと、俺の青春取り返しがつかないことになるぞ。と、意気込んでいたのだ。

しかし、施錠された扉を突破して走り回る森羅は、思った以上の造りの複雑さに、自分の家だというのに迷いこんでしまうのであった。情けないと感じて、泣きそうになったところで、お付きのメイドが、棒状のお菓子を片手に、普通に歩いていた所に出くわし、数秒の沈黙の後、あっさりと拘束されたのだ。

今では扉の施錠は、さらに豪勢なものにアップデートしていただいたようで。森羅としては、【お手数おかけして本当にすいません。お構いなく】の念が絶えない。

 その次の年に決行したのが、この一発当ててやろうぜ作戦である。

 これはまさに、作戦名通りで、とにかく一発当ててその世界で生きていこうという何とも安直な考えなのだが、当時の森羅はこう語る。

【いやぁ、マジ自信あったんですけどね……。そこそこ本は好きで、子供の頃はそれはもう沢山の書籍に目を走らせていたんですけど……。あの……小学生の図書カードって、あったの覚えてます? 俺の学校だけなのかな? あれ、貸出のマークでいっぱいだったんですよ俺。夏休みとか入る前に、先生に無理言って沢山借りたりしてたなぁ。何枚も重ねてホッチキスで止めてたんですけど、それを見た担任の先生が友達いないのかって心配しちゃって……、それはもう大変だったんですよ。ははは、あんまりいなかったけど……。それが小五の夏の、俺のトラウマです】

 と、トラウマを語っていただいたのだが。それだけ本は読んでいて、執筆能力には自信があると言いたいのだろう。

森羅の生活する室内には、ワープロもパソコンも置かれてはいなくて、早くも詰んでしまったか? と、言われそうだが。森羅は秘佐柳の助けにより、講義で使うという名目で、原稿用紙と鉛筆を手に入れたのだ。

今時珍しいアナログ執筆に、全身全霊で、心の中で歓喜の叫びを上げる森羅。

それにより書き上げた魂の一作。

宛名を先生の住所にして、経由で出版社先へ回送してもらおうとしたのだが、メイドに渡した労作は、次の日そのまま無言のメイドから手渡される。よく分からないまま中を見ると、そこには自分の力作に、丁寧に赤いペンで修正が入れられ、アドバイスみたいなものが書かれていて、それを見た瞬間に、森羅は全てを無かったことにした。

 それが、一発当ててやろう作戦の全貌である。

 その、心に深く刻まれた忘れたい過去を、目の前のおっさんは臆面も無くほじくりかえそうとしていて、それに森羅は、静かにこめかみに青筋を立てるのだった。

 その森羅の言いようのない気迫に押されてか、秘佐柳は若干言葉を詰まらせる。

「……ま、まぁ、希望は捨てない事だよ。人間諦めなければ何でもこなせるというのが定説というものだ。メイドさんがいるだけマシじゃないか。世の中には、むごたらしい程の災厄に身を焼いている者だっているんだし、まだまだ君の人生も捨てたもんじゃない」

「……そう思ってた時期が僕にもありました」

「何処の悪徳商法だよ…… と言われそうだが、相当来てるな?」

「ええ。もうエアー麻雀とかしてるレベルです」

 森羅は視線を横に逸らしながら、顔に斜めの陰影がかかったかのように、テンションを退行させる。

「それはまた…… ご愁傷さまです」

 そんな気まずい感じになってしまい、秘佐柳は若干一歩引いて、当たり障りのない言葉を送るのである。

 しかし、秘佐柳はどうにか森羅を元気づける事は出来ないだろうかと、珍しくも温情を示そうとして、ありすぎる知識をやれやれとでも言いそうなほどのスケールとやる気で展開するのであった。

「メイドと言えばあれだ。メイツィア共和国。確か特待制度があったはずだが」

 メイツィア共和国。

 今の世界ではメイド団体、メイド協会とそのメイドの世界的興隆が著しく、今では国と国の間で冷戦とも取れる情報戦、交戦状態に陥っている小国と、メイドの社会的地位が躍進しているのだ。なので日本では、メイド協会によりある一定の都市をメイツィア共和国として解放し、その自治共和国では、より優れたメイドの育成を行なっている。

「家にはメイド協会の推薦を取れるほどの優秀なメイドはいませんよ」

 秘佐柳の言葉を受け止めた森羅は、何を言おうとしているのか秘佐柳の意図を見抜きジト目でその可能性が0パーセントであることを暗に示すのであった。

 メイツィア共和国に移住するにあたり、特待制度というものがある。その制度を使えば、どんな場所や境遇置かれていたとしても、強制的にメイツィア共和国に移住させられるのだ。それは罪人にしても例外ではない。

 森羅もその制度を適用すれば、監禁生活から開放されることは間違いないのだが、それには満たさなければならない条件がある。

 メイド協会に推薦されたメイドに選ばれなければならないのだ。

 メイド協会から認められるということは、まず大きなメイド団体で名のあるメイドにしか可能性はない。たまに聞いたこともないメイドが推薦されるという事もあるが、それは本当に稀であった。森羅の家でも三年前はその大きなメイド団体から何人かメイドを雇用していたが、今では皆抱えきれず、残ったのは少ない財産でやりくりできるほどの平凡なメイド達であるのだ。

 だからこそ今の森羅には願ってもない話であり、秘佐柳が選択した励ましの言葉としては正しいのだが、結果としてそれは森羅に精気を取り戻させることには繋がらず、さらに深みへと堕とすことになってしまったのであった。

 シーン

 辺りを突き刺さるような静寂が支配する。

 その何とも言えない空気に耐えかねたのか秘佐柳は口を開いた。

「あーそのなんだ……悪かったな」

「いや別に良いですよ。先生が気を遣ってくれてるのは分かってましたから」

 ばつが悪そうな顔で謝罪を述べる秘佐柳だったが、それを森羅は別段気にしてないとでも言うように穏やかな面持ちで応じるのだった。

 ガチャ……ギイィ

 そんな中、良いタイミングであると言っても良いのか、急用で出ていった花鈴が戻ってきた。その頬は薄く上気し心無しか顔を若干俯けているのが一層彼女の纏うオーラを艶っぽいものへと変化させているようで、その様子に森羅は彼女の身に一体何があったのかと探究心が擽られる感覚に苛まれる。

「何かあったの?」

 数秒の悪魔と天使のせめぎ合いの後、悪魔に軍配が上がると堪えきれずに森羅は花鈴の方へ視線を向け、原因を探りにかかった。

「ふぇっ!?」

 ボーと何処か虚空を見つめて意識は上の空の所へ森羅が話しかけたことにより、花鈴は素っ頓狂な声を上げて、その予想外の質問に普段のスタンスとは想像もつかないほど慌てふためき手をバタバタと動かす。

「なっ、何もして、ないれす……よ?」

 一頻り手を振り回した後、ハッとして花鈴は石の様に固まるとコホンと咳払いを一つ赤面で先程のみっともない振る舞いを取り繕おうとする。しかし、平静を装うとするメイドだが、滑舌は普段と比べ淀みないとは言い難く、動揺しているのが一目瞭然であった。

「そ、そっか」

 余りにも怪しすぎて、何もしてないわけないだろうと心中でツッコミを入れる森羅であったが、流石に本人がこんなにも恥ずかしがり、拒んでいるのだからあまり深く追求するのも無粋だよなぁーとそれ以上の詮索にブレーキをかけるのであった。

「全く君は……はぁ」

 そんな森羅の親切心に目の前の秘佐柳は、片手を額に持ってきて深いため息をつく。

 森羅は秘佐柳が何故そのように落胆としているのか全く解らないとでも言うように、間抜けな顔を向けるのだった。

「?? どうしたんですか?」

「いや何でも。一つ言うなら、もったいないなということだ」

「は??」

「気にするな。大したことじゃない」

 森羅は秘佐柳の言葉が何を意図しているのか全く理解できないでいた。

 森羅が少しだけ困惑の表情を浮かべているその背後では、画面に映る秘佐柳の全てを見透かしたような表情に花鈴は顔を青ざめて震えるのだった。


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