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冥土の土産  作者: raina
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序章『小さなご主人様へ』

 序章 『小さなご主人様へ』


 小さなご主人様の下を離れ、あれから五年の月日が流れた。


 季節は春にはまだ少し早いと思われ、まだ外は肌寒く、外出時には重ね着を忘れてはならない。そんな秋の頃の躊躇いも忘れてしまった、まだまだ年初めの二月。

 日本と同じくしてドイツもまだ肌寒さに身を震わせる者達で溢れ返っている。

 ルーナ・アンフロワンス・アリステイン。

 彼女は今、ドイツ南部に位置するフライジンク近くのミュンヘン国際空港にいた。

 旅客ターミナルで静かに目を瞑って佇む彼女に、横断する観光客や他外国からの帰省した大学生と思われる者達、ビジネスマンも、時間を奪われてしまったかのように彼女の美貌に魅了される。

 彼女は日本人であった。

 いや、正確に言えば、日本人とドイツ人のハーフであった。そのせいもあってか、彼女のその艷やかな髪は銀白色に染まり、ターミナル全体を照らしだすイルミネーションによって、一際光彩を放っていた。

 彼女の美貌もさることながら、辺りを通り過ぎる人々の視線を釘付けにするには、まだ決定的な理由が残っている。

 そう、彼女はメイドさんだったのだ。

 白と黒を基調としたロングドレスタイプである。

メイド服において暗黙のフルセット。ニーハイソックス、ミニ丈スカートを完備した際に現れる絶対領域。そのあまりのマッチングのせいで、親和性が次第に小さくなり、絶滅したとも思われていた、ヴィクトリアン・メイド型である。

 両肩に白地のフリルが揺らめいて、黒地のロングスカートの上の大半にまで及んでいる。腕には白と黒の布が少し巻き付いていて、胸元には白に縁どられた黒のリボンが存在を引き立てていた。勿論頭には、白のフリルの付いたカチューシャを身に付けている。

 彼女は、ターミナルに備え付けてある中央の柱の円形ベンチに腰をかけ、掌を膝の中央で落ち着けて、静かに目を瞑っている。首が傾くことはなく、寝息など勿論聞こえる事はない、彼女の佇まいは絵を描いたように、正確無比に辺りの者達を虜にしたのだ。

 その彼女の下に、もう一人メイドが近付いてくる。

『まるで聖母マリアの様だぁ』

 ルーナの傍まで来ると、彼女は感情のこもった様に手で拝む仕草をするのだった。

そして、目の前で座って目を瞑るルーナに語りかける。

 その彼女も、ルーナと同じメイド服を着用しているのだが、ルーナと同じものとは思えないほどヨレヨレで、気品が全く感じられなかった。

『何の冗談だ?』

 そのがさつな性格を風体から醸し出すメイドに、ルーナはゆっくりと閉じていた目を開き言葉を返す。

 トリア・リイスキィー・ジャンルグメルト。

 そのメイドは、アフリカ系の血が流れているのか、少し肌が褐色を帯びている。アフリカ系と言っても、服のラインから見て取れる彼女の肢体は、筋骨隆々とは言い難く、寧ろルーナの様にスラッとしているのだった。

 そして、彼女は英語を話していた。

なので、少し大きな声でルーナに話しかけた彼女だが、その言葉の意味を理解する者はこの場には少ないであろう。

『いやー、周りで群れてる女、男の突き刺すような視線の翻訳をしたんだけど、お気に召さなかった? ルーナハウスキーパー?』

『……お前をシベリア送りにしたルーチングのお偉いさんの気持ちがよく分かるよ。いっそ戻るか? 頭から浴びるように飲めるぞ、お前の大好きなグルジアのワインが』

『はははは、そりゃ笑えないぜ? ルーナハウスキーパー。あの豚小屋に戻るのは御免だ。私の人生でも最低最悪の一時だったよ』

『夢見心地になれるとお墨付きだったから、私も一度行ってみたかったのだがな』

『あー止めとけって。そりゃ、酒が大好きな頑健な奴等の強がりだよ。あそこじゃ酒で酔えても頭は酔えない。腹の底でビビってるのさ』

 トリアはそう言って肩を竦める。

彼女のうんざりとした言葉は、短い期間ではあるが、シベリアで過ごした煩悶の日々を露呈しているようであった。

 そしてトリアは、苦々しく歪めた口を緩めると、改造されたエプロンドレスの内側のポケットから、ライターと煙草を取り出す。

怪しげな外装に包まれたパッケージから煙草を一本取り出すと、口にくわえ、火を付けようとする。

『おい』

 しかし、トリアがライターに火をつけるため、親指に力をかける数瞬手前で、ルーナが静止の言葉を投げかけた。

『周りに人がいる所で煙草は吸うな。お前のメイドとしての資質は重々承知の上だがな』

 そのルーナの言葉に、トリアは口を曲げたように不快感を露にする。

しかし、二、三秒ルーナの真っ直ぐな視線を受け止めると、舌打ちをして、またもとのポケットに煙草とライターをしまうのであった。

 それでもトリアはまだ納得いかないのか、ルーナの視線を受け止めずに、悪態を付く様に続けるのである。

『煙草が吸えないって、そりゃ拷問だね。シベリアから逃れてドイツに飛ばされて、やっと掴んだ安息の地も、あたしが思ったより激戦区なのかね』

『そんな事はない。お前の今までの人生が馬鹿らしくなるほどの平和な場所だ。……いや、お前には逆に辛いかもしれないな』

『そりゃ大変だ。でも、自由に酒も飲めない煙草も吸えないじゃー、本当に地獄だな』

『お前にとってはそうかもな』

『……マジで駄目?』

『駄目だ』

 チラッと顔を伺うトリアに、揺らぐことのないルーナの視線が突き刺さる。

その様は断固として引くことなど出来ないようで、強い決意の表れが見て取れた。

『まぁ、人のいる所では駄目だということだ。お前が一人の時に、適度に摂取するのは別に構わない。私が、お前の肺や胃の管理まで口出しは出来ないからな。でもご主人様の前では絶対駄目だ。もしこれからお前が付くご主人様の前で煙草など吸えば、私が直々にロシアのメイド協会に、お前の履歴書と推薦状を送り付けるからな』

『……へい』

 トリアは項垂れるように肩を落として、ルーナの曲げることなど出来そうもない、芯の通った声に頷くしかなかった。

 ルーナは非の打ち所がないほどの完璧なメイドであった。

世界各国にはメイド協会【MAW】と呼ばれるものがあり、そこはその国の最高権力を持つメイド達によって結成された、言わばメイドの組織の中枢と言っても過言ではない。

国に散らばる、凡ゆるメイド団体。その中でも、大きく力を持つメイド団体のメイド長【ハウスキーパー】により結成されているのだ。

 ドイツでルーナはMAWに所属していた。

 一八歳の頃にドイツに渡り、三年でこの地位にまで上り詰めた彼女は、冷凛のルーナとして世界各地のメイド達にその名を知らしめた。

 そして今、彼女は三年間過ごしてきたドイツを去ることになる。

 それは彼女がずっと待ち望んでいたものを手にすることが出来たから。

彼女はそのために愛して過ごした日本を離れ、ドイツに渡り、凡ゆる苦境を乗り越えてきた。辛くて死んでしまいたいほどの孤独に立ち向かって、語学を身に付けて、上で指示する者の信頼を掴むために、死にもの狂いで体を動かした。苦心惨憺の末、その彼女の考えられないほどの努力は、有り得ないほどの地位を運ぶことになった。

 そして今、彼女は日本に帰国する。

 以前に、この空港をくぐった自分とは到底思えないだろう地位とスキルを付け、彼女は今此処にいるのだ。

『酒や煙草はまあ置いとくとして、あたしは冷凛のルーナともあろう者が、あれだけご執心なご主人様とやらが一体どんな奴なのか、楽しみでしょうがないよ』

『素敵な方だよ。とても』

 ルーナはそう言うと、また静かに目を閉じた。

彼女は、いつもどうしようもなく辛くなると目を瞑り、記憶の奥底に大事にしまい込んだ、小さなご主人様の顔を思い浮かべる。まだ自分が未熟なメイドで、色々な失態を晒してしまい、泣きそうになっているのをいつも小さな体で庇ってくれる、彼の事を。

 誰がどう見ても私のミスだと分かるのに、彼はいつも私の前に立ってくれて、それに父親も母親も困ったように顔を歪めると、最後は優しく笑うのだ。

私が初めてメイドとして付いたのは、そんな幸せな家族だった。

とても幸せで、本当に何時までもこの家族の下で働きたいと思っていたのだ。

 ルーナは、またゆっくりと目を開けると、今度は両の足に力を入れ、円形のベンチから静かに腰を上げて立ち上がる。

 そして、目の前で面白そうに笑みを浮かべているトリアに向けて、静かに、それでもはっきりとした声で告げる。

『―行こうか、ご主人様のもとへ』

 彼は今、どうしているだろうか?

 眠たそうな眼に負けないように、ちゃんと決まった時間に起きて、顔を洗って、身支度を整えられているだろうか?

 三食きっちりと食べ。栄養のバランスもしっかりと気を付けているだろうか?

 勉学を怠ることなく、適度に体を動かして…………ああ、でもやっぱり―

 ―彼は今、幸せに暮らせているだろうか?

 ルーナの胸中は、そんなどうしようもないほどの愛で一杯だった。


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