プロローグ:奴隷
幾千の星が輝き、薄青色の月が中天に昇っていた。
そんな月を一人の青年が揺れる馬車の中から眺めていた。
薄汚れたボロ切れに、白と黒の入り交じる長髪をして、青年は馬車の戸口から空を見上げる。
そこで青年の背後から声が漏れた。
「お前たちの命の価値はこの石ころよりも安い。そう心に覚えておけ」
青年はその声に耳を傾け、微笑を浮かべると、声の上がった方向に身体を翻した。
「石ころよりも安い? 俺の命が?」
赤色の瞳が月の明かりに照らされてよりいっそ輝いた。
「そうさぁ~お前は奴隷、奴隷の命の価値なんてクズみたいなもんだ。この馬車に乗った時点で
お前たちの価値はクズの域まで落ちたんだよ」
手に握る木の棒を何度か片手に載せながら男は青年を眺めた。
それを見て、馬車の中にいる青年以外の青年少女たちがその身を僅かに震わせた。
音が、仕草が、声が、それらが馬車の中の者たちを震え上がらせる。
それはすでに調教された奴隷たちの姿だった。しかし青年は彼らとは違い真っ直ぐな目で
男の目を捉え、腕に巻かれたロープを解きながら声を上げた。
「言っておくことがある。まず初めに俺はお前を殴る。その後ここにいる全員を逃がす。
ついでにお前たちを捕縛して、このあたりを仕切っている武力系一家の元締めさんに
引き渡す。以上だ」
そう言い切った瞬間、男の手のひらから木の棒がこぼれ落ち、同時に鈍い音が空間に響いた。
男は腹を抑えながら、青年を見て漏らす。
「ふざけんじゃねぇー……ふざけんじゃねぇーぞ……」
「ふざけてなんていないさ。俺はただ、むかつくんだよ。奴隷商人もお前たちみたいなさらい屋も
大ッキライなんだよ。だからさ、まぁー諦めてくれ」
青年はそう言うと、男の首筋に拳を放った。
鈍い音の後、男は力なく地面に倒れ伏せる。
青年はその姿を一瞬見つめ、周囲にいる奴隷たちに目を向けると高らかに声を上げた。
「君たちはこれから自由になる。それは俺が保証しよう。君たちのいた街や村、その場所まで
俺が責任を持って送り届けてやる。だから安心しろ」
しかし、青年の声を鵜呑みにする者は誰もいない。
たった一人を倒したとしても、まだ御者をする二人の男たちがいる。
その二人を倒さなければ、真に解法されたことにはならないのだ。
そのことをよく理解している彼らはその場から身動きひとつしない。
「毎回毎回、同じような反応をするんだな。でも---」
青年は身体を翻して、御者たちがいる方向を眺めると、大きく口笛を鳴らした。
数秒後---それは突如としてやってきた。
「な、何なんだお前ら!!!」
前からそんな声が響くと、馬車の周りから無数の馬の足音が地響きのように漏れ
無数の明かりが馬車を包み込むようにしてどこからともなく現れた。
青年はその光景を眺めながら、外に向かって声を上げる。
「ようやく来たか。まぁーあれだ。ご苦労」
その声に馬車の外から声が上がった。
「陛下、いい加減にしてください。我々魔軍はこのような下級な仕事のために
創設されたわけではないのですよ? 城を抜け出し、表の世にでるなど人騒がせにも程があります」
甲高い男の声に青年は微笑を浮かべながら続けた。
「そう言いながらも、いつもアルガスは俺のために魔軍をよこしてくれるじゃないか?
俺は本当に感謝してるんだよ?」
「何を申されますか! 我々魔将には陛下を守る義務があるのです。先代の魔王陛下から
貴方のことを託され、我々一同はこの身に変えてでも貴方を守護すると決めたのです。
魔王様の血を受け継ぐ貴方様を、ですから王宮から抜け出すのはこんりんざいやめていただきたい」
青年は馬車の外から聞こえるその声に即答した。
「それは無理だ。なにせ、まだまだやり残したことがあるからな」
「やり残したこと……? それは一体---」
「恋だ。学園生活だ。世界平和だ。後は---」
「フィーリア陛下。もうわかりました。わかりましたから帰りましょう。
宮殿の者たちが、なによりローズ様が心配なさっておられますから」
「ローズが? 嘘つけ、アイツが俺の事を心配するはずがないだろう? だってアイツは---」