第九話 誓い……
「おてあらいさん?」「みたらいだ!」
という流れを作るためだけに御手洗という珍しい名前を使用したのだけど、ハルトということで落ち着いてしまい、御手洗という苗字は闇に没することとなってしまった。
当の建築士が眼前に立っていたのなら、「馬鹿かオマエは」と不可抗力にビンタを張ってしまうだろうと僕は考える。それほどまでに、馬鹿デカい空間だった。
個人的には金輪際歓迎したくない三人の少女と一人の蓬髪少年のお陰で、退屈しのぎはできたけれど、それでも優に五・六時間も待たされた。そのせいか、飼い主にダンボール箱に入れられて捨てられた子猫のような気分を否応なく味わわされたのだが、待機させておいた当のヨセフは緊迫した表情で「面倒なことになった」とだけ言い、僕の手を引っ張って緑の魔方陣へと歩を進めたのだ。そして、ワープしたのが、現在地――王の間である。
そのデカさを誰かに上手く伝えろと言われれば、それこそ建築士が眼前にいたら「馬鹿かオマエは」と怒鳴ってビンタを張るぐらいのデカさである。地球上の建築物等では比することすら、ままならない。いや、東京ドームとかを引き合いに出せば、それはそちらが勝っているのだろうけれど、肝心なのは、僕がいるのが一つの部屋だと言うこと。競技場でもイベント会場でもアフリカ草原でもなく、一城の中なのだ。
何よりも目を引くのは、天井のシャンデリアである。そんじょそこらのシャンデリアでなくて、雪の結晶が集まって氷を作るように――百を越すシャンデリアがそれぞれ束になって、巨大なシャンデリアを形成しているのだ。まるで、宇宙から降りてきた煌びやかなUFOが垂れ下がっているみたいでる。
そして、次に意識が回ったのは、やはり王座である。正確に言うのであれば、王座の位置である。もはや「頭が高い! 控えおろう!」などと警告を受けずとも十分に王と民の地位的格差を示しているだけの高さがある。階段の段数を数えていたら頭がグラグラしてきそうだ。
さぞかし慢心を戒めることを知らない傲慢な王が腰掛けているのだろうな、と思ったら、王ことカーネルは意外にも優しい目をした四十代ほどの男であった。白線の混じった髪をオールバックで整え、片手には獣の骨で造ったような武器兼用の杖が持たれている。アゴヒゲが見事に威厳を放ち、芸術の限りを尽くしたような服装をしている。
「ほう。御主が……」
これだけ離れていると、大声を出し合わなければ会話もままならないように感じていたが、案外この空間自体、声が響く構造になっているのかもしれない。カーネルの太く澄んだオペラ歌手のような声は、優に僕の耳へと届いた。
王の間は全面が象牙色で、その庄上を入り口から王座にかけてレッドカーペッドが敷かれている。レッドカーペットの脇には等間隔に鎧をまとった騎士が身動きせずに直立しており、鋭利な刀剣を携えていた。
「そうです。彼はハルトという異世界の住人にございます」
ヨセフは、いつもに増してかしこまった態度を取っている。
「うーむ、やはり奴と面影が被ってしまうのう」
カーネルは、僕を眺め回しながら、アゴヒゲを親指と人差し指で摘んで撫でている。捉えようによっては寛大にも厳格にも見える顔を、難しそうに歪めていた。ヨセフはそのカーネルに向かって、慎ましく喋りかける。
「カーネル様。彼の前でそのような発言は重大な問題を引き起こしかねません」
「お、そうれはそうだな」
うっかりしていた、というふうに含羞するカーネル。
「ところで、御主。我々に従う気がないというのは正気かね?」
厳粛な雰囲気に発言することもできず、置物のようにただ鑑賞されていた僕に、いきなり話が振られる。どうやらヨセフが大半の話は通してあるようで、カーネルは訝しげな目をしていた。
「隣国を崩壊させろっていうのは御免だ」
僕の声が空間に響き渡る。固く握った拳が手汗で蒸れていくのを感じながら、あえて威嚇的な態度をとってみる。こういうのは、一度でも下手に出ると一生かけても同等には見てくれなくなるのだ。敵対でも非難対象でも、同等でなければならない。
カーネルは、王座の肘掛を使って頬杖をつき、どうしたものかと鼻息を漏らした。王という絶対的な存在である彼にとって、『思い通りにならない』というのは、いささか腹立たしいことであろう。ノヴェルタの民であるならば、誰もが王の命令には服従するのであろうが、僕の場合は異世界の人間であり、この国の常識はない。王の命令に従うのが当たり前なのだと諭されても、素直には承諾できないのだ。しかも、命令の内容が『隣国を崩壊させよ』となれば、なおさらだ。郷に入れば郷にしたがえとはよく言うが、この場合は従ってはいけないかもしれないとすら思う。
カーネルが僕の反抗への処置を決めかねていると、ヨセフは一歩前へ踏み出した。
「転送させた精神体が我々に反抗するというケースは実験過程で既に考えられていました。なのに、私はそれを考慮せず、何の対策もないままに実験を始めてしまったのです。これは私の過失にございます」
「ほう、何が言いたい?」
少しだけ、カーネルの眼光が鋭くなる。
ヨセフが言いたいことぐらい、僕にも分かった。
僕を、庇おうとしているのだ。人間兵器が兵器として機能してくれない、というトラブルの責任を、僕から自分へと転嫁しようとしているのだ。すべて自分が背負い込もうとしているに違いなかった。
「所憚らずに述べますと、私はあちら側の人間には知能が欠如しているものと考えておりました――いえ、技術は進歩していますし、知能というのは無理があったかもしれません。そうですね、人間として考える力、つまり道徳がないと思っていたのです。けれども、ハルトは自分の意思で考え、私に誰とも争う気はないと断言しました。そこで私は気付いてしまったのです」
ヨセフは唾を飲み込むように、喉を上下させた。
「何に気付いたというのだ?」
「そもそも、異世界の住人を戦渦に巻き込もうとしたこと自体、間違っているということです。我々の国のことは、我々が始末しなければなりません」
ヨセフの小さな体躯は、微かに震えていた。その発言は、王の方針に背いたということになるのだ。カーネルはまさかヨセフがそのような口ぶりを見せるとは思いも寄らないといった表情だった。
「だからといって、兵器として転送した彼を元の世界に戻して上げられないのが、非常に忍びがたいのですが」
ヨセフは僕に目を合わせようとしない。カーネルのほうをじっと見つめて、まるで僕はそこにいない存在として扱っているような、はたまた僕の存在を意識しないように努力しているような横顔であった。
「ヨセフ、お前を研究所に配属させるには、ちっと時期が早すぎたかもしれぬな。お前はいささか情が深い。察するところ、その男と一緒にいるうちに慈悲の念が沸いたのであろう」
「ち、違います! 確かに彼は私の所業を見直させてくれる鏡にはなりましたが、彼自身には特別な気を使ったりはしていません!」
そんな必死に否定しなくとも……。と、うな垂れたくなるほど、ヨセフはきっかり否定した。状況から考えれば僕との昵懇を否定せざるを得ないのは明らかだが、それでも、なんだか落ち込む僕だった。
「お前、まさか両親がイシュバルトの兵に虐殺されたのを、忘れたわけではあるまいな?」
カーネルは、難癖をつけるような、そんな仕草で言った。ヨセフの両親が、イシュバルトの兵に虐殺? 初耳であった。そういえば、レイトの奴だって異常なまでにイシュバルトへ怨念をたぎらせていた。
「忘れていません」
ヨセフは、少しだけ俯いて、しっかりと否定した。「忘れるはずがありません」
「ならば、イシュバルトは憎いだろう? わしだって、憎いのだ。奴らの許すまじ所業の数々を、見過ごせるわけがなかろう? 奴らがどれだけノヴェルタの民を死に追いやったと思う?」
カーネルは、ヨセフの憂いへ浸け込むように、投げかけを続けた。ヨセフもヨセフで、過去の惨劇を想起するように、拳を握り締めている。彼女は確か二十歳であったはずた。まだ若いのだし、家族がいてもおかしくはない。けれど、彼女は一人暮らしをしていた。
家族の誰かが高い地位につけば、家族も同様のフロアで住むことができる、僕はそう納得していたじゃないか。だとすると、ヨセフの家には少なからずも家族がいて当然なのだ。なのに、居なかった。これは、どういうことだ?
つまり、彼女の両親が既に死んでいるということだ。僕は、そんなことにも気付かなかった。
彼女が、ぬいぐるみを集めている理由。
確たる証拠はないけれど、もしかすると、それは寂しさかもしれない。家族がいない部屋に一人でいるのが寂しくて、それでぬいぐるみに拠り所を求めた――なんら不思議ではない話だ。
だとすると、ヨセフはどれだけ辛い思いをしてきたのだろうか。ぬいぐるみの量が、彼女の寂しさの度合いなのだとすると、彼女はどれだけ寂しい思いをしてきたのだろうか。
「なあ、ヨセフよ。あの忌まわしき隣国のやつらに、天誅を下してやりたいとは思わんのか? たとえ異世界の住人とやらに縋ってでも、この戦争に勝ちたいというわしの気持ちが、お前には分からんというのか?」
カーネルが黙り込むと、やがて室内に誰かの嗚咽が聞こえてきた。堪えようとするも、内から込み上げる気持ちに逆らえない、そんな嗚咽だった。僕は、嗚咽のするほうへ視線を向ける。
だが、向けるまでもなく、それはヨセフの嗚咽だった。
とめどなく溢れる涙を腕で拭い、顔を真っ赤にしてしゃくりあげている。まるで、迷子になった女の子が、道端で泣くように、行き場をなくした一人の女性が――ヨセフが泣いていた。
「憎いです。私も、イシュバルトが、憎いです」
嗚咽の合間を縫ってヨセフが、そう言う。あれほど、温厚にして冷静なヨセフが、『憎い』と心から訴えている。僕は彼女の過去を知らないけれど、僕には理解しえないような柵が、彼女の心には取り付いているのだ。それが、ひしひしと伝わってくるようだった。
カーネルの表情が対称的に明るくなる。
「そうかそうか。……ならば、その男を戦争に協力するよう、説得してくれるな?」
カーネルは、手に持った巨大な杖の先端を僕に向けて、そう言った。
そこで、ようやくヨセフは僕のほうへ振り返った。涙に濡れて潤んだ瞳を僕に向け、なにかを訴えるような表情をしている。やわく結んだ唇が、何か言おうと開こうとして閉じる。
イシュバルトを滅ぼせば、すべてが丸く収まるのかな? と考えてしまう自分がいた。いざ、滅ぼせと言われれば尻込みしてしまうだろうが、今の僕は、それでも承諾してしまおうとすら思っていた。事情はよく分からないけれど、ヨセフのこんな表情は見たくない、そう感じた。
しかし、そんな僕の気の迷いを感じ取ったのか、彼女は何かに納得したようにそっと――笑顔で頷くと、王座のほうに顔を向け戻した。そして、言う。
「それはできません」
「なぜだ?」
ずいぶんと腹立たしそうなカーネルが、煩わしそうに拳を握り締めるのがわかる。
「先程は、特別な気は持っていないと言いましたが、本当は、少しならあるかもしれません」
ヨセフは、穏やかに、恥ずかしげもなくそう言う。
「彼に人殺しをして欲しくないと思う自分が、胸中のどこかにいるのです」
「ヨセフ……」思わず、僕も声を出してしまう。
確かに、数時間前に邂逅したばかりの間柄ではあるけれど、僕だってヨセフの泣き顔は見たくないと思った。それと同じでヨセフも僕に人を殺して欲しくないのだという。僕はヨセフという人間を認めているし、ヨセフだって僕を人間として認めている。もう赤の他人じゃない。
「僕は誰も殺さない! そして! 誰も殺させない! 殺させないから!」
僕は、気付くと大声を張り上げていた。
誰も殺させないと、誓うように言っていたのだ。
殺さないし、殺させない。
そんなこと、できるわけがないかもしれない。
けれど、もうこの世界が異世界だなんて思えない。
ヨセフが僕の意思を認めて、王であるカーネルにまで刃向かった。不本意にも僕が背負うはずだった重荷を、自分に転嫁させようとまでした。異世界の住人など、どうでもいい存在なはずなのに、ヨセフは、そんな異世界から来た僕のことも、一人の人間として意思を尊重した。
「そんな良い奴がいる世界、僕だって否定できない」
そんなに情を掛けられたら、僕だって守るしかなくなっちゃうじゃないか。
「ノヴェルタは僕が護る!!!」
僕は、誓った。