第四話 通路で……
文字数はとくに決めていませんので、毎回バラバラの長さになっていますが、できるだけキリの良いところで投稿したいとは思っています。
ヨセフが住むのは、ノヴェルタ宮殿の四百三十四階だそうだ。ちなみに、宮殿は総じて四百五十一階あって、もちろん四百五十一階にはカーネルこと王様が住んでいるらしい。地球では百メートル越えれば十分に高層ビルだというのに、この宮殿は二千メートルに達しているというのだ。
二千メートルともなれば低酸素状態に陥って高山病やら酸欠やらの症状が出てくるのだろうが、やはりそれは僕の世界の常識でしかないのだ。この世界では、思いも寄らぬ規則が、僕の思想と食い違う形で存在している。
そういう、『世界の規則』の違いを見せ付けられるたび、僕はこの世界の住人ではないという孤立感が生まれるのだろう。
元の世界には戻りたいが、戻るすべがない。それに、上手く戻れたところで、向こうの世界の僕の身体は――僕の精神体が帰る場所は、骨になって墓に眠っている可能性だってあるのだ。
しかし、向こうの身体が死んだことは、あまり悲しくない。涙も出ないし、気もそがれない。なぜなら、僕は確かにこうやって生きているからだ。死んだという感覚がないのである。確かに僕は、僕のまま生きている。
ただ、心残りがあるとすれば、もう両親や友人と会うことが叶わなくなったことぐらいだろうな、と思う。
かくしてノヴェルタ宮殿の四百三十四階に連れてこられた僕は、一時的に身を潜めておく部屋へと案内されていた。変わらず先頭を歩くのはヨセフである。
「まだなのか?」
僕は、長い廊下を歩きながら、ヨセフに問う。サイドにはそれぞれ部屋番号の書かれたドアがあり、まるでホテルである。ただ、ホテルらしからぬ所があるとすれば、それは部屋番号が『18562』とかいう桁違いな数字になっていることだ。
「まだだよ。ノヴェルタ宮殿はワンホールが物凄く大きいんだ」
ヨセフは、こちらに見向きもせずにツカツカと歩いていく。
説明を受けるに、ノヴェルタ宮殿というのは階ごとに内装も構造もまったく違っているらしい。たまたまヨセフが住んでいる階が、ホテル仕立てになっているとのこと。ホテル仕立てにしたのは、このホールの長であるレゲナーという男と説明された。
四百三十四階ともなれば、やはりかなり高い地位と名誉を持った者が住んでいる層であるらしく、地位の高い者ほど――王が一人であるように――人数は少ないという法則にのっとって、このホールには四十人あまりの人間しか住んでいないのだそうだ。つまり、一人に分配される土地の範囲が、恐ろしく広い。
「なあ、じゃあさ、このホテルの部屋みたいなのは何なんだ?」
先程から延々と両の壁に等間隔で連なっているドアは、どう見ても人が住んでいそうな雰囲気だ。
「ここにある部屋は全部レゲナーの引き出しだよ」
「え……引き出し?」
「ああ。彼は神経質だから、自分の私物を細かく区分してそれぞれの部屋に分けているんだ。そして、どの番号の部屋に何があるのかを全て記憶している」
「すげえな、またそれは」
「彼の記憶力は並外れているからね。今度紹介してあげる」
しばらく歩くと、永遠に続くとすら思われた廊下の先に、なにやら緑に発光する魔方陣が浮かび上がっていた。せいぜい日本の高級ホテルだと認識していたが、その非現実的な現象を目の前に、やはりノヴェルタなのだと再認識する。
「あれは何なんだ?」
「ノグネスの魔方陣さ」
「それは何なんだ?」
「空間移動専門の魔方陣だよ」
そう言いつつ、ヨセフは僕にどこからともなく取り出した鉄の玉を渡した。パチンコ玉ぐらいの、ちっちゃなヤツだ。ヨセフは僕にそれを渡し、僕は渡されたそれをまじまじと見つめる。
「これは何なんだ?」
「あれはそれはこれはって、ちょっとは自分で考えなよ」
子どもに諭された。
しかし、分からないものは分からないのだから、しょうがないではないか。僕のそういう姿勢が伝わったのか、ヨセフは観念して口を開いた。
「それは、私の『存在力』の断片を魔法で具現化したものだ。あの魔法陣は私専用のだから、ハルトは使用できないのだけれど、その私の『存在力』を持っていれば、同じように魔方陣を使えるようになるんだ」
「へえ、魔法は何でもできて便利だなあ」
「多分、私が君たちの世界に行っても同じことを言うと思うよ。『へえ、科学は何でもできて便利だなあ』ってね」
ああ、テレビとか、パソコンとか、そういうのか。
ようは、どちらの世界も大して変わらないということか。
緑の魔方陣の前に立つ。
魔法陣は、よく見れば、よく見るほど不思議な形をしている。大小さまざまな円が重なっていて、六芒星やギリシア文字のようなものが合わさっている。
「ハルト、手を握って」
ヨセフが僕に手を差し伸べてきた。おそらく、同等に空間を移動するにはお互いの身体を接触していなければいけなかったりするのだろう。
僕は、素直に従ってヨセフの手を握ろうとしたのだったが、そこで一度ためらった。なぜなら、差し伸べてきたヨセフのほうが、何だか恥ずかしそうに頬を染めながらそっぽを向いているからである。
いや、分かるよ。分かるとも。
防衛体制が崩れる非常事態を見計らって執拗にへそを触ってくるような男とはなるべく接触したくないのであろう。さっき声が枯れるほど謝ったのだが、完全には許してもらえないらしい。
「? どうしたの」
手を握る直前で静止した僕を、彼女は気遣うというよりは警視している。またへそを触られるんじゃないかと訝しんでいるようだ。
「なあヨセフ。地球人を代表して言わせてもらいたいんだけどさ。別に地球人は何もそこまでへそに固執したりはしないぜ」
「代表して言うことじゃないよ、それ!」
「いや、地球人は僕みたいな変人ばかりじゃないって言いたいんだ!」
「それはわかってるよ。ずっと観測してきたんだから」
「観測って……こっちから向こう側が見れるのか?」
「アトランダムな風景は見ることができるよ。私は地球に好きな詩人だっているんだ」
「へえ、誰だよ」
「金子みすゞ」
「昔なんだな」
「うん――すずめと小鳥とそれからわし、みんな違って、みんないい」
「鳥ばっかりだ!」
――鈴と小鳥とそれから私、な。
「あら? 昔のことだから憶えてないや」
そうして、照れて頭をかいているヨセフを見ていると、やはり子どもっぽいところもあるんだなと関心する。天才少女って感じのイメージだけど、やっぱり子どもは子どもだ。
そう思うと、へそごときで右往左往している自分が少し馬鹿らしくなった。
僕は、差し出されたままだったヨセフの手を握る。
「よし、じゃあ行こうか」
ヨセフは、そう言ってから慣れた手つきで魔方陣へ触れる。すると、魔方陣からエネルギーが送られてきているみたいに、僕とヨセフの身体も緑色に発光を始めた。
一瞬の耳鳴りのあと、僕の意識は光の速さで途絶える。