第三話 竜の背中にのって……
あらゆる方面からの定評を買うため、慣れない要素も取り入れることにした。しょうがない、しょうがない。
鉄扉の外には、暗闇で正面からライトの光を向けられたような眩さが広がっていた。ヨセフに続いて足を踏み出すと、素足が若々しい芝生の上につく。
教会が立地していたのは、ノヴェルタ宮殿の庭であった。庭といっても、サッカーグラウンドがひとつ収まるであろう広さがある。眼前には遠方まで芝生が風に波立っていて、その遥か先に僕の視界から空を遮るほど巨大な宮殿がそびえていた。
「でかいな」
宮殿の頂上付近を見ようとすると、首筋を痛めてしまいそうだった。とりあえず言えることは、これほどの規模を誇る建築物は地球にはないということである。おそらく、これも『世界の規則』が違うからこそ可能な代物なのであろう。
「この宮殿自体がノヴェルタという国といっても過言ではないよ。国民の八割はここで暮らしているんだ。この国の王様――コーネル様は身分の高低に関わらず全ての国民が宮殿で最低限の生活を送れることを約束しているからね」
「へえ、いい王様だな」
「まあ、未だに身分の高い人間のほうが高層に住むっていう習慣はあるけれど」
ヨセフはそう言ってから、虚空に向けて口笛を吹いた。リズムのない、一定の音が周囲に響き渡る。まるで、何かを呼び寄せているようであった。
口笛がやむ。一陣の風が吹いて、彼方まで広がる芝生がサワサワと静かに音を立てた。
しばし、無音が続く。
やがてどこからともなく、翼で風を切る音が聴こえてきた。
バサッ、バサッ、と。
かなり重量のある何かが、遥か上空から降りてくる。
足元の芝生がざわめき、また、風が吹いたのかとも思ったが、よく見るとその風は僕らの周辺にしか吹いていない。まるで、うちわで重点的にあおがれているような感じだ。
上に振り返ると、そこには逆光で輪郭以外が陰に塗りつぶされた翼竜が、ゆっくりと天から降りてくるところであった。
「さすがに、歩いていくには距離があるからね」
ヨセフはそう言った。
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ウイングロードというらしい。
身体の表面にはエメラルドのように輝く岩の鎧をまとい、本体の五倍はあろうかという翼を兼ね備えている竜の名。「西端の洞穴でケガしているところを助けたのがキッカケで、それ以来ずっと私に仕えている利口な竜だよ」と自慢げにヨセフが話すのを尻目に感嘆の声を上げていた僕は、今現在においてその竜の背に乗っかっている。
僕らが出てきた教会が、アリのように小さく見える。清々しいほどに開かれた景色には、雲ひとつない青空と、どこまでも続いている大地、その大地にいくつかある小さな街、霞みかかっている山脈などが見て取れる。いずれも、日本の景色とはいえないものだ。
「訊いてなかったけど、君! 名前は?」
ヨセフは僕の前にまたがって手綱を握っている。不覚にも、僕はその小学生ぐらいの男女とも判別つかない子どもの身体にしがみついている状態であった。まあ、振り落とされたら一巻の終わりだし、仕方ないことではある。無罪を主張する。
「御手洗遥人! おてあらいって読むなよ! みたらいだからな!」
「意味が解からない。ミタライハルト? それが名前なの?」
そう訊きながら、ヨセフは手綱を引っ張る。すると、それに比例するようにウイングロードはさらなる飛躍を始めた。高度が見る見るうちに上昇していく。
「そうだ! おかしいのか!?」
「それが君たちの住む世界の名前なら、しょうがないけど、こっちの世界じゃ笑われるよ!」
「長いのがおかしいっていうなら、遥人だけでも良いんだぜ!」
「ハルト? それはいいね!」
ヨセフの賛同をいただいたところで、ウイングロードはとうとう宮殿の壁と平行に上昇を始める。つまり、真っ直ぐ天へ昇っている状態だ。僕は、重力と慣性の法則にしたがって、竜の背から落ちそうになる。
「あ、わ、わわ!」
僕はヨセフの身体に巻いた腕に一層の力を込めて、振り落とされないようにした。
「あ! ちょっと! どこ触ってるの!」
とたん、前のヨセフが上ずった声を出した。
では、どこを触っているのであろうかと疑問に思い、探るような手付きで調べてみる。すると、右手の人差し指付近に、なにやら小さな窪みがあった。まるで、人差し指をスッポリ収めるためだけに用意されたかのようなサイズの窪みであったので、有無を言わずに人差し指を突っ込んでみる。
「あ! ああっ! ちょっと、やめて!」
眼前のおかっぱ頭が拒否を表すように、ぶんぶんと振られる。妙に長いモミアゲも、流れる風に乗ってなびいている。
やめろと言われても、手を放してしまえば、命を失うことになる。あんな綺麗に手入れされた芝生の上でなら、死んでみてもいいかな何て思うのは九十歳を過ぎてからだ!
僕は構わず窪みを弄り続ける。この窪みが何なのか分からなければ、僕が今しがみついている部位もわからないからだ。
「んんっ! ちょっと! 操縦ができない! 変なところに指入れないで!」
そこで、ようやく思い至る。
これは、おへそなのだと。
憚るも、僕は十歳近く年の離れた子どものへそを、何の悪びれもなく弄っていた。他人にへそを触られるというのは、やはり恥ずかしいものなのだろうか。そして、他人のへそを触るというのは懲役何年に値してしまうのであろうか。
「おいヨセフ! この際だから訊いておく!」
「なんなの一体!」
「オマエは、男なのか!? それとも女なのか!?」
ヨセフはそこで黙り込む。思いのほかウイングロードの上昇も減速しているように思えた。ここらで降りるのであろうかと疑問にしていると、案の定、もう少し上がったところに、テラスのごとく壁から突き出た着地台のようなものが設けられていた。
ウイングロードは、広大に掲げられた翼を半ば折りたたみながら、その着地台へと足をつける。
「私は女だあ!」
ノヴェルタ全域に響き渡るような大音声で、ヨセフは言い放った。
のちに訊いたところによると、男に間違えられるのが彼女のコンプレックスらしく、この時の僕のような発言をすると、それはもうクールなヨセフでさえ火を噴くのだそうだ。