第一話 転送されて……
ファンタジーは書けません!
と公言しているimaginaryだが、彼は周期的ファンタジーが書きたくなるそうなのだ。おおかた、彼はファンタジーで売れているユーザ様が羨ましくて仕方がないのだ。そんな浅はかな思いからできたファンタジーであると思って間違いはないだろう。
才能なし。プロットなし。プライドなしの作品ではありますが、よっぽど暇なひと。見てあげてください。
しばらく、彼の無謀な挑戦は続くので。
赤ん坊は生まれる前、母親のおなかの中で羊水に浮かんでいるというが、今現在における僕の状況は、そんな感じだった。ただし、ここは恐らく母親の子宮内ではないだろうし、そもそも僕は赤ん坊ではない。
詳しく状況を説明すると、僕は円柱状の水槽に生まれたままの姿で入れられて、体育座りの格好で水中を漂っている。身体が麻痺しているようで、身動きはできない。水槽の底からはいくつも海蛇のようにグネグネと管が伸びており、その先端は僕の身体のあちこちに突き刺さっている。というか、取り付けられているという表現のほうが正しいかもしれない。ちょうど、コンセントでも挿すかのように、僕の脇腹や首筋、背中や四肢のいたる所まで挿されているのだ。
水槽のガラス越しに見えるのは、薄暗い研究施設のような場所だった。壁には巨大なモニターがあって、何か化学的な図表が映し出されている。そのモニターの前には一般のコンピュータ付属のキーボードを百個ぐらいつなげたような、馬鹿でかい入力機器が設置されている。
それより何より気になるのは、水槽のすぐ前に喜々として騒ぐ、白衣の集団が居ることである。男女の隔たりなく、なにやらハイタッチを交わしたり、抱き合ったり、笑い転げたりしている。僕を眺め回しで感慨深そうにうんうんと頷いている者もいて、身体の痺れが無かったら「見ちゃいやん」と手で恥部を覆っているところだ。
しかし、その白衣の集団のなかに、少しだけ容姿の違う人物が立っていることに気が付いた。白衣は着用しておらず、背が低く顔が幼い。一見は研究所に間違えて立ち入ってしまった迷子のようだが、その只ならぬ雰囲気が僕の思考からその可能性を根絶していた。狂喜の空間に佇んでいても、身じろぎ一つとせずに、冷静さを孕んだ視線を僕に向けてきている。紺色の髪をしていて、髪型はおかっぱがモミアゲだけを集中して育てた感じである。男の子か女の子かは明瞭としない。
ぼんやりとしていると、水槽の外から声が掛かる。そのままの意味で、水中から聞いたような、ぼやけた声である。
「お! 目を動かしているぞ! こっちが見えてるか? おーい!」
声の主が僕に向かって手を振っている。
ぼんやりそれを見つめていると、情景が二重になって、やがて僕の視界は新幹線の車窓からの風景へと転じていった。まさに、ついさっきまで見ていた景色である。どちらが僕が見ているべき光景かと問われれば、それは今見ている、車窓の枠に縁取られた吉井川の風景であろう。
ちょうど、川の土手に同様、手を振っている五十過ぎのオヤジがいる。ひたいには合格祈願と書かれたハチマキが巻かれていて、おおかた同じ車両にこれから受験を受けにいく身内でも居るのだろうなと納得する。
エールを送り続けるオヤジは、新幹線のスピードにより、瞬く間に景色の一部として流れていった。
――そうだ。僕は高校の三連休に、久しく九州の実家へと帰るところだったのだ。
しかし、車窓の枠で頬杖をついて、うつろうつろ景色を眺めていると、いつの間にか意識が飛んで、気付くと先程の水槽の中だったのだ。
はっとすると、視界が手を振る白衣の男へと戻る。やはり、今現在における僕の現実は、ここだということだ。つまり、新幹線に乗っていたというのは過去形になってしまう。
プシュ、と音がしたかと思うと、僕の身体から管が外される。そして、次の瞬間に水底から大量の気泡が浮上してきた。さらに、息が苦しくなる。よくよく考えれば、今まで呼吸をせずに平気だった理由が分からないが、まるでスイッチが切り替わったかのように、僕の身体は酸素を欲し始めた。
――スイッチ? 切り替わったもの? ああ、あの管が外されたからか。
つまりは、あの管が僕に酸素を与えてくれていたということになるが、そんなことはどうでもいい。これも管の影響だったのか、身体の痺れが消えており、僕は水槽の中を右往左往してもがいた。大量の水を呑み込んでしまい、水中でむせ返る。そして、また水が体内に流れ込んでくる。
溺死というのは、最悪な死に方だなと思いながら、水中で喘いでいたのだが、僕はふと、水槽の天井に空気が溜まっていることに気が付いた。それはそうだ。満タンに水が入ったペットボトルだって、排水していけば、それに比例して上部に空気が溜まっていく。
僕は思いのほか水槽の下部でもがいていたので、底を足裏で蹴ってジャンプするように上部を目指した。と、勢い余って人間魚雷のごとく天井に頭をぶつけてしまう。
頭がぐわんぐわんとするのではないかと思ったが、意外にそういうこともない。かなり強打したはずだが、上を見てみると、驚いたことに天井の方がぐわんぐわんに歪んでいた。辞書ほどの分厚さがある鋼鉄の天井が、ぐわんぐわんに、だ。
僕は酸素を得て、水を得た魚の気分を味わう。次第に水位が下がっていき、やがて底に足がついた。
そこで、やっと気が付く。
呼吸を取り戻し、意識が鮮明になったことで、ようやく気付いたのだ。
これは、僕の身体ではなかった。
「どうかね? 調子は」
妙に工学的な機械音が鼓膜を震わせ、囲んでいたガラスがスライドされるように閉じる。僕は円座のような形の台に立っていて、周囲の白衣集団から見つめられている。惜しいことに、「見ちゃいやん」などとポージングできる雰囲気ではない。白衣集団の各々の表情は、さきほどの喜々としたものではなく固唾を呑むようなものだった。例えるならば、さきほどが「恐竜の化石を発見した」ときの反応で、今が「実際に恐竜と対面した」時の反応のように思える。
「言葉は、解るかい?」
集団の中から声が聞こえたかと思うと、モーセが海を割ったときのように、白衣の集団が二つに割れた。その割れた道の先には、先程の子どもが立っていた。
「ああ、解るよ」
僕はうなずく。それと同時に「おお、喋った」と集団から感嘆の声が聞こえる。
僕自身、何故か久しぶりに喋ったような感覚があった。これは記憶面の問題ではなく、感覚――つまり身体の問題だ。この身体が、久しく声を発したのだ。そして、いうなれば声質が違う。僕の声は喉の奥にティッシュを詰めたような、くぐもった声だと両親や友達からも指摘されていたが、自分でも気付くぐらい、いま発した声は透き通っていた。
「それは、よかった。これで国王に良い知らせができる」
眼前の子どもは、やはり大人びた口調で言い、フッと鼻息を漏らす。白衣の人間たちが「やりましたね、ヨセフ様」と言っているあたり、ヨセフという名なのだろう。それにしても、小学生高学年ぐらいの子どもに、だいの大人が様付けとは何ともシュールな光景だ。
「なあ、言葉は解かるけど、状況が解からないんだ」
僕はとりあえず、この空間で一番偉いであろうヨセフとやらに声を掛けた。ヨセフは『だろうな』というふうに頷くと、静かにこちらへ歩み寄ってきた。
「ここは、ノヴェルタという大国だ。そして、君が居るべきでない世界でもある。しかし、我々の国は今、君のような人間の力が――いや、正しくはあちら側の人間の力が必要なのだ」ヨセフはそうして付け加える。「つまり、君の住む世界の人間の力が必要なのだ。君でなくとも誰でもいい。ただ結果として君になった」
黙って聞いていた結果、何も理解できなかった。
「意味が解からないんだが」
歩み寄ってきたヨセフは、僕の手の届く距離まで詰めて立ち止まった。こうして見ると、ヨセフは僕の肩辺りまでしか身長がない。やはり、どうみても小学生だった。
「つまりは、君をこちらの世界――君から見た場合の異世界へ強制転送させてもらったということ。申し訳ないけど、あちら側の世界の君は精神体の引き取られた抜け殻のようなものだから、やがて処分されるだろうね」
異世界ですと!?
僕があんぐりと口を開けていると、ヨセフは続けた。
「君がここに来た理由は主に二つある。一つは、僕たち国家管轄の次元学研究所が実験の成果を上げるため。そして、もう一つは、戦火を交える隣国のイシュバトラを君の手によって崩壊させるため、だ」
「まてまて、ちょっとまて! 一億歩ぐらい譲って僕が異世界に来たのは認めるよ。僕の見解じゃ納得できないようなことが、多々あるからな。それは異世界だから、という所為にしておいた方が僕もいっそ腑に落ちる」
けれどもしかし!
「僕が何で、その、イシュ……バ、バトーラ? を崩壊させなきゃならないんだよ!」
僕が怒鳴ると、白衣の塊がどよめいた。僕に怯えているように。
しかし、子どものくせに、ヨセフだけは身じろぎ一つしない。
「我らに非協力的になるケースは考えていたけど――まいったな」
「いや、まず協力とか非協力とか以前の問題だ。状況が掴めないんだよ」
「状況は言ったはずだよ。イシュバトラと隣接する西の国境の地形に我らの利がないことと、根本的な兵力の問題で我らの軍が勝利を収めるのが苦しくなっている。そこで君の精神体を異世界から引っ張ってきた所存だって。何せ、その身体は君たちの住む『地球』という次元の人間でしか起動できないからね」
ヨセフはそう言って、僕にもう一歩、詰め寄ってくる。
「君に掛かれば、イシュバトラを崩壊させることぐらいできるはずだ。そうして、念願の世界統一を果たして、ノヴェルタはこの星に唯一の国となる」
あまりにもヨセフの発言の意味が掴めないので、僕はいいことを考えた。この世界を、マンガの世界だと思うのだ。僕はバーチャルな世界に身を置き、誰かがプログラムした仮想の情景を見ている。そうすれば、ゲーム感覚になり、気を楽にして話を聞ける。
「つまり、話を整理すると、僕は君たちの実験により元の世界から精神だけを引っ張られ、この別人の身体に魂を定着させられた?」
ヨセフはうん、と頷く。
「そして、僕の使命は隣国のイシュバトラを崩壊させることで、僕には現にそれができる?」
ヨセフはまたもや、うんと頷く。
「いやだね」
僕は、きっぱりと断った。
一瞬の間をおいてから、白衣集団から「そんな……」と嘆きの声が上がる。集団の中には思わずへたり込んで泣きだす女性もいた。さすがのヨセフも、少しだけ眉を吊り上げて、驚いた表情を見せている。
「刃向かうのか」
「いや、そういうわけじゃなく」
「どういうわけだ」
「逆に、僕は何にも刃向かう気は毛頭ないんだ。つまりイシュ、イシュバ……バ、バ、バトッ――つまり隣国にも」
ヨセフは、聞き取れなかったのか、首を傾げた。
「隣国とも戦わないっていってんだよ!」
「なんで、怒ってるの!?」
僕が大声を上げたからか、白衣の集団の先頭の人間が「ひい」と悲鳴を上げて後ろへ倒れた。ドミノ倒しでもするように白衣の人間が次々と押し倒されていく。ヨセフさえ少し戸惑っているあたり、僕が隣国を滅ぼせるほどの力を秘めているというのは本当なのだろう。とはいえ、噛んじゃったから逆ギレしたとは、言えない、絶対。
「憑かれている身体が疲れているからだ!」
ちょっと上手いことを言ったつもりだったが、倒れ伏した白衣の人間たちは悲鳴を上げて床を這って逃げるばかりだ。アクセントを変えたつもりだったが、誰も僕のギャクには気付いていないらしい。ヨセフも、何とか僕の怒りを静めようとあたふたしている。あの、冷静沈着だったヨセフが、だ。
――僕は、どれだけ最強なんだよ。
今をもってしても強くなったという自覚はない。ただ、身体が取り替えられたという感覚はある。なにか、自分のものでないという違和感がはっきりあるのだ。その違和感は、指一本を動かすだけでも感じ取ってしまうほど、多大なものだ。ただ、不快というわけではない。
こっそり頬を触ってみると、大量発生していた思春期ニキビが消えていた。プロアクティプを超えるニキビケアである。
「よ、よし。誰か着替えを用意してあげてくれ! そして、城の空いた部屋に通すんだ――あれ?」
ヨセフは命令しながら後ろを振り向いたが、そこにはもう誰も居なかった。
「白衣の人たちなら、さっき、ドアから逃げていったけど?」
大きな悲鳴をあげながら逃げていったのだが、ヨセフは気付かなかったらしい。それほどまでに慌てていたということか。
「しょうがないな――私が案内するよ」
ヨセフは、観念したように肩を落した。何と失礼な。