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致命的なハードウェアの欠陥と、暗闇のナビゲート

※本作には残酷な描写や虫の生態に関する描写が含まれます。

暗闇の中、得体の知れない自分の分厚い装甲を見下ろしながら戦慄していた俺の思考を、足元から微かに漂うひどく酸っぱい腐敗臭が強引に現実に引き戻した。


腹の底で煮え滾る狂気やシステムへの探求心を、情報生物学者としての極寒の理性が即座に押さえ込む。


他種の遺伝子を取り込む無限のポテンシャルがあろうと、今の俺たちは明日の命すら保証されていない底辺のスラムだ。


視界の異常な解像度を活かし、自らの領土の正確なリソース把握を開始する。


備蓄庫には何もない。

壁面に生えたわずかな菌糸すら舐め尽くされている。空間の広さに対して、食料は完全にゼロ。


視線を、育児室の奥へ向けると、大蛇の猛毒で死んでいった幼虫たちの残骸。

そのさらに奥で、毒の処理を免れた十数匹の幼虫が、干からびかけながらも微かに蠕動していた。


まだ群れの胃袋は死滅していない。

こいつらさえ生きていれば、持ち帰った肉を液化してコロニー全体を再起動できる。


問題は、肉を狩ってくるべき労働力だ。

すれ違う働きアリの数をカウントしていく。


たったの十四匹。

しかも全員が外殻もまともに形成されていない、重度の栄養失調状態だ。

アリのコロニーとして、これは崩壊の基準を完全に下回っている。


時計のないこの虫の世界で正確な時間は計れない。

だが、彼女たちの体内の水分量と活動限界を見れば、明日の夜明けという絶望的なタイムリミットが弾き出された。それまでに高カロリーなタンパク質を供給できなければ、この群れの生命活動は完全に停止する。


死に体の女王と、刃こぼれした十四匹の最弱の兵隊。

そして群れの命綱である瀕死の幼虫たち。

これが、新たな王として名乗りを上げた俺に与えられた最初の玉座だった。


刻一刻と死が迫っている。

だが焦燥に駆られて無計画に外へ飛び出すような愚は犯さない。盤面を整えずに動くのはただの自殺志願者だ。


足元で力なく蠢く働きアリから発せられる微弱なフェロモンを読み取り、辛うじてまだ動けそうな八匹をピックアップした。

残りの完全に限界を迎えている六匹は、女王の傍に待機させる。


全軍で外に出るわけにはいかない。留守の間に他の捕食者が入り込めば一巻の終わりだ。

防衛戦力としては無きに等しいが、入り口に施した悪臭の偽装工作が破られない限り時間は稼げる。


俺はピックアップした八匹を引き連れ、偽装した入り口の隙間から外界へと這い出した。


外気に触れた瞬間、触角が昼間とは全く違う環境のパラメーターを感知した。

むせ返るような熱気は消え去り、代わりにじっとりとした重い湿気が腐葉土の底に沈殿している。微かな夜風が、濡れたシダ植物の葉を揺らす音だけが不気味に響く。


見上げると、頭上の分厚い樹冠の隙間から差し込んでいたはずの光は完全に消え失せ、森は絶対的な暗闇に包まれていた。


夜だ。


明日の夜明けまで、残された時間は数時間しかないという事実が、重く冷たいプレッシャーとなってのしかかる。


暗闇の中、顔面に張り付いた『レンズ』のような透明な器官と、触角をフル稼働させ、周囲の状況を冷徹にスキャンする。


その時、俺は背後に付き従う八匹の小隊の致命的なバグに気がついた。

巣穴を出て完全な暗闇に包まれた瞬間から、彼女たちの足取りが著しく鈍っている。周囲の景色を一切認識できず、ただ地面に触角を擦り付け、俺の放つ微弱な匂いを数ミリ単位で嗅ぎ回ることしかできていない。


こいつらの視覚は、夜間は完全に機能停止している。

アリの種族ベースは純粋な昼行性だ。昼行性のアリは太陽の位置や視覚情報にナビゲーションを依存し、光のない夜の森では視覚による空間把握能力を完全に喪失する。


この処理速度のままでは、獲物を見つける前に夜明けを迎えるか、他の捕食者に捕捉されて全滅する。


働きアリの生物学的な限界。それがこの群れの最大の弱点だった。

だが、システム管理者である俺には、それを強引にオーバーライドする権限とハードウェアがある。


顔面の透明な器官が暗闇の中で微かな光を増幅し、周囲の地形の立体構造を鮮明な『ポリゴン』として脳髄に叩き込んでくる。

強化された複眼が捉える視覚情報は、光量ゼロの環境下でも一切のブレを生じさせない。

種としての致命的な欠陥を、俺のこのイレギュラーな骨格だけが物理的に補完できる。


後ろから一歩も離れるな。俺が最短の経路パスを創る。


俺は極めて高濃度の追従フェロモンを放ちながら先頭に立った。地面を這いつくばって匂いを辿る必要などない。眼が見据えた最短ルートに向かって、強靭な脚で夜の森を踏み出す。


夜で、この異常な高湿度。

情報生物学者として蓄積した前世の環境データセットが、脳内で一つの解答を弾き出す。


この環境は、今の貧弱な俺たちにとってこれ以上ない好条件だ。


昆虫の殻すら砕けない刃こぼれした顎と、一発でも反撃を食らえば即死するひ弱な八匹の小隊。

この手札で牙や毒を持つ捕食者に挑むのは論外だ。

だが、この高い湿度と暗闇の条件が揃った夜の森には、最弱の部隊でも理詰めで狩れる獲物が地中から這い出してくる。


ナメクジだ。


当然、都合よく巣の目の前に転がっているはずもない。この広大で危険な暗闇の中で無闇に歩き回るのは危険すぎる。

俺は生態学データを検索し、奴らの生息ポイントを論理的に絞り込んだ。


ナメクジは極度の乾燥と光を嫌う。夜になったとはいえ、風通しの良いシダの葉の上などには絶対にいない。

奴らが好むのは、湿度を完全に保てる巨大な朽ち木の下や、餌となる菌糸が密集した腐葉土の谷底だ。


むせ返るような化学物質のノイズの中から、環境の匂いを探る。

強烈な腐朽菌と、湿った木屑の匂いがする方角へ。


強靭な身体を低く沈め、八匹の最弱の兵隊に、フェロモンの『ハイウェイ』とも呼ぶべき高濃度の帯を正確にトレースするよう命じる。

死の危険が満ちる夜の腐葉土の迷宮へと這い出した。


頭上や地中から絶え間なく響く、未知の捕食者たちの微振動。

時折、少し先の暗闇を巨大なムカデや徘徊性のクモらしき恐ろしいシルエットが横切っていく。

その度に俺たちは息を潜め、ただの土塊に擬態してやり過ごした。


後ろを歩く八匹は、栄養失調で足元がおぼつかない。

だがシステムに組み込まれた虫の悲しい性か。夜盲症で完全に視界を奪われていようと、俺が引いた安全なルート(コマンド)を一糸乱れぬ正確さでなぞってついてくる。


決死のステルス行軍を続けること数十分。


触角が、不意に腐朽菌の匂いに混じる生臭い粘液の匂いをはっきりと捉えた。

同時に、地面から鈍重なマテリアルが這いずる微小な振動が脚に伝わってくる。


暗闇を見通す視界が、腐葉土の断層を下りきった先に横たわる巨大な朽ち木を映し出した。

その根本に、べっとりと張り付いた太く光る粘液の轍。まだ新しい。ターゲットはすぐ近くだ。


大顎から無意識に興奮の体液が滲む。

小隊に待機のシグナルを送り、朽ち木の根本で鈍重に這い進む巨大な水と肉の塊へと視線を定めた。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

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