シバタロウとユウタ
「ねえ、もっとゆっくり歩いてよー」
ユウタは駄々をこねるように言う。
ワイはお構いなしに、リードをぐんぐん引っ張る。
――おいおい。弟分のくせに生意気やぞ。散歩の主役はワイや! ワイについてこれんやつは置いていくで!
片側二車線の道路から隔離された歩道。通行人はちらほらいるが、すれ違うにも十分な余裕がある道幅。帰宅途中の太陽を横目に、ワイとユウタはお花摘みに向かう。
「シバタ、早いって。もっとのんびり、おしとやかに散歩しようよ」
――誰がシバタや! ワイの名前はシバタロウや! 母ちゃんがつけてくれた大事な名前やぞ! 次シバタって読んだらムキーって怖い顔したるからな!
へろへろのユウタを引きずりながら、どんどんと人を追い越す。
へっへっとワイの息。
ぜえぜえとユウタの息。
警察犬にもひけを取らないワイの鼻がひくひくと反応する。
全身のもふもふが、もふもふもふになるほど高揚したワイ。
ユウタの握力を凌駕して、鼻が示す方へと一目散。
「おう、シバタロウじゃん!」
上がピンク、下は黒のジャージ。明るすぎない茶色に染まった髪は後ろでくくられている。ワイに気付いて止まってくれた彼女は、すこし顔を紅潮させ肩で息をしている。
『お姉さん!』
ワイは一鳴すると、お姉さんの元へと身を投げる。
しゃがんで受け止めてくれた彼女は、わしゃわしゃともふもふをもふる。
散歩のときにたまに会うお姉さん。ワイの名前を憶えてくれ、いつもわしゃわしゃしてくれる。ワイはそんなお姉さんが大好きや!
「おまえは今日ももふもふで可愛いな」
『ありがとナス! でもお姉さんの方が可愛いで!』
そんなワイとお姉さんの幸せ時間を邪魔する輩が現れる。
「お姉さん。ぼくも可愛いですよ」
いつの間にか追いついてきたユウタが吐く。
あろうことかお姉さんの前に跪き、自分も撫でてもらおうとしている。
――こいつ、まじか! いや、さすがにひく!
小学一年生にして、小学一年生の使い方を理解しているやつとかひくわ!
なんなんやこいつ、なんなんやこいつ!
お姉さんはあははと大きく笑う。
「確かに君も可愛いね。その積極性は目を見はるものがあるなー」
そう言うと彼女はユウタの頭もわしゃわしゃした。
ワイは見逃さなかった。
その瞬間、ユウタの目が、獣のそれになっていたことを。
ワイの弟は、とんだ化け物やった。
「ユウタ君はいつも散歩させて偉いねー」
「そんなことないですよ。飼い主として当然のことです。シバタはおしっこもうんちも、一人じゃできない未熟者ですし」
ユウタは頭をぽりぽりと掻きながら言う。
――こいつ、やりやがった! 自分のしっかりものアピールに加えて、ワイのことを下げにかかってる! 柴犬にジェラシってる!
『お姉さん! 違うんです! 全部嘘です! ワイはおしっこもうんちも、おならもしません! 好きな食べ物はイチゴです!』
ワイは必死に鳴きわめいた。
「なんか訴えてるなー。なにを言ってるかはわからないけど、なんかアイドルっぽいことを言ってる気がする」
――くそ! 言葉の壁が、文化の壁が、ワイとお姉さんの仲を引き裂く!
世界はまだ、こんなにも残酷なのか!
「それじゃあ、またねー」
お姉さんは大きく手を振った後、颯爽と走っていく。
その背中を名残惜しそうに見つめるワイとユウタ。
お姉さんが見えなくなると同時に、ワイは怒りを爆発させる。
『おまえ、やってくれたな! お姉さんに誤解されたやろがい! ワイはやろうと思えばなんだってできるんや! おしっこした後に水で流したり、うんちを袋に入れて持ち帰ったり。やらないだけで、やろうと思えばできるんや!』
むきーっと歯を見せて言う。
「なに言ってるのか全然わかりませーん。てか、抜け駆けしてお姉さんのところに行ったな! もう換毛期になってもブラッシングしてやらないぞ!」
ユウタはふんっと鼻を鳴らすとワイよりも先に歩き出す。
『別にブラッシングなんてしなくてもええけどね! 毛が撒き散らされて困るのは母ちゃんやで!』
先を行ったユウタの背に吠える。
それとほぼ同時にユウタがこてっと転ぶ。
――おいおい。足元ちゃんと見ないからやで。
急いで追いついて様子を伺う。
幸い顔は打っていなかったが、右の膝には血が滲んでいる。
泣くかと思った。
いつも転んだときは泣いていた。
でも今日は違った。
そのまま立ち上がって、自分の膝を見ている。
「いてて……」
そう呟くユウタの顔は、眉根は寄っていたが涙はこぼれていなかった。
――そうか。もう小学生やもんな。
そろそろとユウタの股にもぐる。
「乗せてくれるの?」
ワイはじっとすることで肯定の意を示す。
――昔はよく乗って遊んでたしな。母ちゃんに怒られるから最近じゃ乗らなくなったけど。まあ、今日は特別や。
ユウタはワイの意思を汲み取ったのか、抱き着くように体を預ける。
――重! いやいやいや、重い! どんだけ成長したんや。前に乗せたときは軽々と走れたけど、もう走れん。関節が……、関節が悲鳴を上げとる。
一歩、一歩と、落とさぬように慎重に足を運ぶ。
「ありがとな、シバタロウ」
抱き着いているユウタが、耳の近くで囁く。
次はもう、乗せてあげられないかもしれない。
大きくなって、できることが増えるユウタ。
大きくなって、してあげられることが減るワイ。
もっと大きくなっても一緒に散歩してくれるやろか。
ワイは知っている。
ワイは、人間のように長生きはできない。
どこまでこの子の成長を見れるやろか。
中学? 高校? 大学? 結婚?
長生きせなあかんなー。
まあ、でも、見送る側にはならなくて済みそうなのはよかったやで。
星が散り始めた空を見上げ、
「くうん」と一声鳴いてみる。




