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異世界転移したけど森の奥で引きこもってます。スカウト? いやぁ、森から出る気はないので遠慮します  作者: 初音の歌
第一章

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第8話・国王への報告



 王宮の一角、重厚な扉で隔てられた謁見室ではなく――

 もう少し狭く、壁一面に地図と書類の並ぶ「仕事部屋」に、アウローラは座っていた。

 正面の席には、南の大国の王――彼女の父である国王フォルトゥム。

 机の上には、大陸の地図。

 その中央には、大きく塗りつぶされた緑の塊――魔境の大森林。

 アウローラは、その一角を指先でなぞりながら、淡々と口を開いていた。


「……以上が、今回の調査範囲です。新たに確認された魔物が三種。瘴気を帯びた植物が二種。いずれも詳細は後ほど文書にまとめて提出します」


 フォルトゥム王は、組んだ指の間から、じっと娘を見つめている。

 魔境の大森林へ赴いた初日から、欠かさず続けている報告。

 どんな魔物がいたのか。

 どんな植物があったのか。

 樹海の中の生態系、地形、気候。

 それらを、アウローラは決して隠さず、ありのまま伝えてきた。

 二年前――夫を亡くし、荒れ狂った感情のまま「死に場所」を求めて森へ乗り込んだとき。

 そのときの報告は、もっと刺々しく、どこか投げやりだった。

 今は違う。

 声は落ち着き、瞳にははっきりと「生きる意思」が宿っている。


「それと――」


 アウローラは、地図の中央から、少し南寄りの場所を指さした。


「森の賢者の住まう一帯。結界の範囲に変化はなし。居住空間も、以前と大きな変化はありません。客間が少し、豪華になっていましたが」

「ほう」


 国王の片眉がわずかに上がる。

 王国内で「森の賢者」と呼ばれている存在――世渡有羽のことだ。

 彼についても、アウローラは可能な限り詳細に報告している。

 どんな言葉を話し。

 どんな知識を持ち。

 どのような発明品を見せてくれたか。

 その全てを、国王は正面から受け止めてきた。

 ひと通りの報告が終わったところで、国王はゆっくりと問いを投げた。


「それで……」


 椅子にもたれ、指をこめかみに当てながら。


「賢者の勧誘は、今回も駄目か?」


 アウローラは、びしっと背筋を伸ばし――。


「はい! 駄目でした!」


 実に元気よく、晴れやかに答えた。

 フォルトゥム王は、額に手を当てて、大きくため息を吐いた。


「元気よく答えるでない。良い事態では無いのだぞ?」

「それは私が誰よりも解っております!」


 アウローラは、即答した。

 表情は明るいのに、言葉そのものには迷いがない。


「森の賢者――有羽は、権威や名声、金や地位などに全く興味がありません! はっきり言ってお手上げです! むしろ陛下が良い案ください!」


 明朗活発。

 元気溌剌。

 年は二十になったというのに、昔のような少女の勢いのままだ。

 フォルトゥム王は、思わず目を細める。

 口には出さないが、ほんの少しだけ安堵していた。


 三年前。

 夫を失い、憎悪と虚無に喰われていたアウローラ。


 何を話しかけても、空ろな目。

 何に笑っても、どこか冷めた顔。

 あの頃の娘は、見ているだけで胸が締め付けられた。

 ――今。

 目の前にいるのは、昔のように明るく笑い、王女としての務めも果たそうとする娘だ。

 森の賢者への勧誘が上手くいかないことは、確かに頭痛の種だが。


(……あの娘が笑って話しているのなら、それだけで価値はあるのだがな)


 そう思ってしまう自分を、国王は内心で苦笑する。

 しかし、現実問題もある。


「とはいえだ」


 フォルトゥム王は姿勢を正し、真面目な声に戻った。


「第二王女たるお前が直々に足を運び、幾度となく勧誘して、それでも首を縦に振らぬ者など、前代未聞だ」


 王族の顔に泥を塗っている、と騒ぐ宮廷貴族も少なくない。


「一部の口煩い連中は、『あまりにも不敬』だと騒いでおる。これ以上拗らせば、あまり良い流れにはならぬだろうな」

「それも、解っています」


 アウローラは、ぐっと表情を引き締めた。

 元の明るさが嘘のように、その声は真剣そのものだった。

 国王は、娘の瞳をじっと見据え、ふと呟く。


「……力尽くでの連行は、やはり無理か?」


 それは、父としてではなく、一国の王としての問い。


「話は聞いた。今のお前のレベルは59。最早、伝説の英傑級だろう。それでも無理なのか?」


 アウローラは、ほんの少し、目を伏せ――すぐに国王を見返した。


「不可能です」


 声には一切の迷いがなかった。


「レベルが上がったからこそ、前よりはっきり解るようになりました」


 手袋をはめた指が、自分の胸元を軽く叩く。


「例え、護衛隊、侍女隊――私の手勢、全ての力をぶつけたとしても。結果は変わらないでしょう。全滅するだけです」


 国王は眉をひそめる。

 アウローラは続けた。


「有羽は、膨大な魔力を持つだけの魔導師ではありません。あれは……実戦の経験が違います。森の中で、何年も、何十回、何百回と()()をくぐっている」


 その目が、一瞬だけ、二年前の記憶を思い出す。

 竜を一撃で穿った熱線。

 音もなく降り立つ、無詠唱の風の魔法。

 自分が48だった頃ですら、「勝てるわけがない」と悟った相手だ。

 今、59になって。

 より正確に、その「断絶」を感じるようになった。


「そして――」


 アウローラは、静かに言葉を重ねる。


「力による連行を行った瞬間、今まで私が積み重ねてきた『信頼』が全て消え失せます」


 森の賢者は、基本的に人間社会を信用していない。

 ほんの少しだけ、アウローラと、その周囲の者たちに「許可」を与えているだけだ。


「陛下も、森の賢者の知識がどれほど脅威か、もう理解しておられるでしょう?」


 国王は、重々しく頷いた。

 直接、森から有羽の発明品を持ち帰れた例は多くない。

 だが、断片的な知識のいくつかは、既に王国内で活用され始めている。

 例えば、エアコン。

 有羽のお手製と比べれば、性能は雲泥の差だ。

 時間制限もあり、冷却範囲も狭い。

 それでも――。


「涼しい室内というものは、ここまで人の心を穏やかにするのかと、何度も思わされたな」


 国王は、遠い目をした。

 他国の特使を迎えた幾つかの会議で、その効果ははっきりと現れた。

 灼熱の季節に、ひんやりとした風が流れる会議室。

 汗が引けば、余計な苛立ちも引く。

 それだけで、攻撃的な言葉の応酬が減り、穏やかな話し合いが増えた。

 たったそれだけのことで、外交の結果が変わるのだ。


「食に関しても、だ」


 国王は、傍らの書類に目をやる。


「例の……うどん、であったか」


 小麦をこね、麺にして食べる料理。

 材料は簡素だ。

 だが、腹持ちが良く、味の変化もつけやすい。

 「つゆ」と呼ばれるものは、まだ完全に再現できていない。

 醤油もどきの調味料も、試行錯誤の段階だ。

 それでも――王国産のスープにうどんを入れるだけで、立派な主食に化ける。

 貧しい村への配給用としても、兵士用の携行食としても、応用の幅は広い。


「冷蔵庫。低温熟成肉。その他諸々……」


 国王は、アウローラから聞かされた「まだ実物を見ていない発明品」の一覧を思い出す。

 どこまでが誇張で、どこまでが事実なのか。

 娘の言葉をすべて信じるならば、まだまだ数え切れないほどの「驚異」が森の中に眠っている。

 そんな賢者との友好関係を、失うわけにはいかない。

 力ずくの連行は――論外だ。

 国王が沈思黙考していると、アウローラが勢いよく口を開いた。


「そんな訳なので!」


 びしっと、胸の前で拳を握る。


「二週間後に、また森に行ってきます!」


 国王は、こめかみを押さえた。


「次回『は』長期滞在です! 一杯調べてきます! 一杯話を聞いてきます! 全ては王国の為に!!」


 眼をランランと輝かせて、アウローラは宣言した。

 ……その目は、どう見ても。


(どう見ても、『楽しんできます!』と言っておるな)


 父親の心の声が、部屋の天井にむなしく響く。

 はぁ、と、もう一度ため息。

 愛娘が元気になったのは、心の底からありがたい。

 ありがたいのだが――。


(随分と、森の賢者に餌付けされてしまったものだ)


 おそらく、次の滞在でもうどんが出るのだろう。

 新作のパンか、謎の揚げ物か、例の「かき揚げ」とやらか。

 風呂は快適。

 寝床はふかふか。

 化粧品の評判も上々。

 王都の王女の生活より、森の別荘のほうが快適なのではないかと疑いたくなるほどである。


「……アウローラ」


 フォルトゥム王は、わざと咳払いを一つした。


「森での調査は重要だ。賢者との友好関係も、国にとって大きな財産である」

「はい!」

「だが、あまり楽しそうに宣言するでない。側近たちの目が痛い」


 部屋の隅で控えていた老宰相が、目をそらした。

 アウローラは、少しだけ頬を赤くする。


「……楽しんでなど、おりません。あくまで仕事です。調査です。国家の為です」

「そうか」


 フォルトゥム王は、くすりと笑った。

 昔、彼女がまだ幼い頃。

 初めて城下の祭りに連れて行った日のことを思い出す。

 屋台を見て、同じように目を輝かせていた。

 今。

 森の奥の引きこもり賢者の元へ向かう時、その目は同じように煌めいている。


(……まあ、良い)


 王としては頭が痛いが、父としては少しだけ救われる。


「二週間後の出立、許可する。護衛と侍女の編成案を後ほど宰相に回せ」

「は!」


 アウローラは、軍人のように敬礼した。


「では、失礼します!」


 くるりと踵を返し、颯爽と部屋を出て行く。

 残された国王は、しばらく扉のほうを見つめていた。


 そして、扉が静かに閉まる音が、執務室に落ちる。

 眩しいほどの笑顔で「王国の為です!」と宣言していた娘の気配が遠ざかり、部屋の中には、紙とインクの匂いだけが残る。

 フォルトゥム王は、椅子の背にもたれ、しばし天井を仰いだ。


「……ふう」


 長く息を吐く。

 父としての安堵と、王としての頭痛とが、同じ溜息の中で混ざり合っていた。


「殿下は、相変わらずお元気で」


 落ち着いた声が、横からかかる。

 老宰相がそこにいた。

 先程まで、控えめに一歩下がった位置に立っていた宰相。

 アウローラの退室を最後まで見届けていたらしい。

 白髪混じりの髪を撫でつけ、細い眼鏡の奥から、穏やかながら鋭い目が王を見ている。


「何だ、その顔は」


 フォルトゥム王が苦笑する。


「たっぷり餌付けされて帰ってきました、という顔に見えたか?」

「いえ、とても良い顔をしておられましたな、と」


 宰相はくすりとも笑わずに言った。


「二年前のお姿とは、とても同じ方とは思えませぬ」


 王の胸に、ちらりとあの頃の記憶が過る。

 夫を失った直後。

 東の帝国との戦で、血の涙を流しながら停戦条約に署名した娘。

 何を見ても、何を聞いても、どこか遠い場所に置いているような虚ろな目。

 自ら志願して魔境の大森林行きの探検隊に名を連ねたと聞いたとき――王としては止めなければならなかったはずなのに、父としては「いっそ、そこで全て燃やし尽くして戻ってこい」と、どこかで思ってしまっていた。


 あの頃のアウローラを思えば。

 今の、目をきらきらさせて森の報告をしていた娘の姿は、奇跡と呼んで差し支えなかった。


「……まあ、その奇跡をもたらしたのが、例の『森の賢者』だというのなら」


 王は視線を机に落とし、指先で木目をとんとんと叩いた。


「放っておく訳にもいかん、というのが、王としての悩みでな」

「まったくでございますな」


 宰相は、ゆっくりと王の机の前まで歩を進める。

 机の片隅には、「森の賢者に関する記録」と題された束が積まれていた。


 有羽の知識を元にした技術メモ。

 魔境における生活の実例。

 外交や食文化に纏わる助言の写し。


 宰相はそれに一瞥をくれてから、わずかに口元を引き結ぶ。


「……宮廷の一部が騒いでいるのは、事実でございます」

「ああ」


 フォルトゥム王の表情が、ほんの少しだけ険しくなった。


「『第二王女殿下が直々に赴き、幾度も勧誘なさっている。その言葉をことごとく断るなど不敬の極み』……だろう?」

「ほぼ、そのままの文言でございますな」


 宰相は肩をすくめる動作だけで、深いため息の代わりとした。


「確かに、王国の常識だけで見れば、本来ありえぬ事態。王族が自ら動いて求めた人物を、それでも宮廷へ上げない――そんな事例、王国の歴史を紐解いても皆無ですからな」

「だからといって、あやつらの言い分が正しいとは、とても言えん」


 フォルトゥム王は、机の上の書類を指先で弾いた。


「そもそもの話だ。あれが通用するのは『王国の領土内』だけだとなぜ理解せん」


 魔境の大森林。

 王国の地図には、一応「南方」として描かれてはいるが――実際には、どの国も明確な国境線を引けずにいる「空白地帯」だ。

 人類未踏の樹海。

 強力な魔物が跋扈し、探検隊の多くが未帰還となる土地。

 そこに住まう『森の賢者』は、どこの国の民でもない。


「魔境の大森林は、王国の領地ではない」


 王は低く言った。


「そこに住み着いた賢者も、王国の民ではない。つまり、我らの法に縛られる理由は、どこにもない」

「左様」


 宰相も頷く。


「宮廷の連中は、国境と権威の範囲を混同しておるのでしょう」


 彼は指を一本立てて続けた。


「王国の領土内に住む限り、王家とその法に従わねばならぬ。これは当然の理でございます。逆に言えば――領土の外に住む者に、『王族にひざまずけ』『王の命に従え』と言っても、筋は通りませぬ」

()()という言葉が通用するのも、我が庇護の傘の下に居る者に対してだけだ」


 フォルトゥム王は鼻を鳴らした。


「どこの土地でもない場所に、どこの民でもない者が住んでいる。それを『遺憾だ』『不敬だ』と喚いたところで、それはただの感情論に過ぎん」

「……もっとも」


 宰相は、少し肩を竦めた。


「あの森に住んでいる、という事態そのものが、奴らの想像の外にあったことも確かでございます」

「まあ、な」

「魔境の大森林に、一人で暮らしている人間がいるなど――正直、私もアウローラ殿下の最初の報告を聞いたときは耳を疑いましたぞ。そんな事例、王国の歴史書どころか、大陸全土の記録を探してもまず出てきますまい」

「だから、『そんな莫迦げた話があってたまるか。裏があるに違いない』と、な?」

「はい。『神の使いに違いない』『魔王に違いない』『古き竜の変化かもしれない』など、想像力だけは豊かでございます」


 宰相は、皮肉げな笑みをほんの一瞬だけ浮かべた。


「気持ちだけは、理解できますとも。「王族の絶対性」を揺るがす存在を、素直に認めるのは難しい。その心情もまた」

「理屈では、奴らも分かっておろうに」


 フォルトゥム王は、ゆっくりと椅子に背を預ける。


「賢者が、王国の法の外に居ることも。王族の命に従う義務がないことも。だが――感情が、それを認めぬのだろう」


 王族の絶対性。

 何百年と続く王家の威光。

 その()()()()が、森の奥に住む得体の知れぬ一人の賢者の前では、何の拘束力も持たない。

 その現実を、素直に受け入れられる貴族は、そう多くはない。


「……貴族であるが故、ですな」


 宰相が静かに言った。


「長く地位に居座り続けるほど、自らの当然が、世界の当然だと錯覚しがちでございます」


 さらに続ける。


「それにもう一つ。賢者殿の発明品が一向に献上されぬことにも、不満を抱いている様子が伺えます」


 フォルトゥム王は、思わず苦笑した。


「分かりやすい」

「はい。賢者殿の風呂や寝具は、まず王家と貴族から試すべきだ――と言った具合で」

「我欲まみれだな」


 王は呟き、それから少しだけ目を細めた。


「だが、賢者の側の理屈も、私には分かる」


 フォルトゥム王は、机の片隅のメモを指先で摘み上げる。

 そこには、賢者の書いた簡易な図と、それを王国の技術者が写し取った注釈が並んでいた。


「技術発展は、国の仕事だ」


 王は、それを軽く掲げて見せた。


「知識は渡すが、完成品は渡さない――その筋道は正しい」


 宰相が、ゆっくり頷く。


「賢者の()()に頼るようになっては、国は終わりますな」

「うむ」


 フォルトゥム王の声が、少し低くなる。


「賢者が去った瞬間、一瞬で国が詰む。昨日まで涼しさと温かさ、豊饒な食卓を与えてくれていた()()()()が消えた途端、民の不満はすべて我らに向かう」


 それは、王として何度も想像し、何度も打ち消してきた未来だ。

 あまりにも強大な力。

 あまりにも便利な知恵。

 それを、丸ごと抱き締めに行く誘惑は、常にある。

 だが――。


「そこまで見据えて、渡さんのだろう。一個人の力に頼るような国は、最早、国ではない」


 フォルトゥム王は、ぽつりと呟いた。


「森の賢者は、()()()()()()()()()()のことまで考えている。そうでなければ、あの線引きはできまい」

「現実と理想のバランスを、慎重に見定めておられます」


 宰相も同意する。


「陛下が長年、王国の舵取りの中で身につけてこられた感覚と、似たものを感じますな。やりすぎれば反動が来る、ということを、よくご存じなのでしょう」


 フォルトゥム王は、ほんの少しだけ視線を宙にさ迷わせた。

 森の中で、ぼさぼさの黒髪を掻きながら、面倒くさそうに「それやると後で面倒だよ」と言っている賢者の姿が、想像できる。

 会ったこともないはずなのに――娘の話を聞き過ぎたせいだろう。

 だが、フォルトゥム王は正しく賢者の考えを受け取っている。

 今、王国で作られているエアコンも、うどんも、賢者のモノの完成度に到底及んでいない。

 だが、胸を張って「王国の試行錯誤で完成した」と言える。

 得た知識を、縋ることなく、国の力に変えた。


「結論としては……」


 宰相が、話をまとめるように口を開く。


「アウローラ殿下が繋いだ交友の縁。これを大事にしていく他、ございませぬな」

「そういうことだ」

「報告を聞くだけで、賢者殿が、地位にも名誉にも興味がないことは、よく分かります」


 宰相は、報告書の一枚――外交に関する助言メモを指先でつまむ。


「異国の宗教観。食と信仰の禁忌。あれだけ的確な洞察をしながら、自ら表舞台に出ようとしない。まさしく『舞台袖の賢者』ですな」

「舞台に引きずり出そうとすれば、舞台ごと壊しかねん」


 王が苦笑い混じりに言うと、宰相も少しだけ笑った。


「ゆえに――」


 フォルトゥム王は、はっきりと言葉を選んだ。


「そういった難物との付き合いは……そうだな。『放牧』が一番良い」


 宰相の眉がわずかに上がる。


「放牧、でございますか」

「自由にさせておくのが最適だ」


 王は、迷いのない声で続ける。


「広い草原に、好きなように歩かせておく。干渉しすぎず、しかし、絶対に敵にはしないよう距離を保つ」

「下手に手を出せば、かの賢者の力はこちらへ向く、と」

「そうだ」


 フォルトゥム王の目に、王としての鋭さが宿る。


「今のアウローラと賢者の関係は、一種の奇跡だ」


 そこには、王としてだけでなく、父としての感情も滲んでいた。


「根気強い、たゆまぬ訪問。笑顔を携え、何度も通い続けた娘が掴み取った、奇跡の糸」


 最初は拒絶され、結界の外へ弾き飛ばされ。

 何度来ても門前払いされ。

 風の日にも、雨の日にも、それでも通い続けた。

 その結果として、今の森の賢者との関係がある。


「宮廷の圧力ごときで、この糸を切らせる訳にはいかん」


 フォルトゥム王の声が、わずかに低くなった。

 宰相も、厳しい目で頷く。


「まったくもって同感でございます」


 王はしばらく黙し、それからぽつりと呟いた。


「……少し、締め上げるべきかもしれんな」


 その言葉には寒気がするほどの鋭さがあった。

 宰相の目が細くなる。宰相の目にも、同様の冷徹さが。


「宮廷は、意見を言う権利こそあれ――決定権がある訳ではない」


 フォルトゥム王は、言葉を発しながらゆっくりと指を組む。


「長い間、変わらぬ立場に居続けて目を曇らせておる。自らを『王』と同じ高さに置き、当然のように口を挟む……今一度、思い知らせてやらねばならん」


 宰相は、王の言葉に静かに頷く。


「御意。確かに――囀るだけの雀など、国の上には不要ですからな」


 その口元に、氷のように冷たい笑みが浮かぶ。

 アウローラの前では、決して見せなかった笑顔。

 フォルトゥム王もまた、同じ種類の笑みを、ほんの少しだけ浮かべた。


 愛娘を守るための牙。

 王国を守るための爪。

 森の奥の難物と、王都の中の難物。

 そのどちらとも、うまく距離を取りながら付き合っていかなければならない。


「では、陛下」


 宰相が一礼する。


「宮廷の()()については、こちらでいくつか手を打っておきましょう。賢者殿への認識を改めさせる機会も、合わせて設けます」

「任せる」


 フォルトゥム王は頷いた。

 窓の外には、傾きかけた陽が、王都の屋根を赤く染めている。

 どこか遠く、王都の門の向こうには、魔境の大森林。

 その奥で、森の賢者はきっと――今日も、夕飯の献立と、新しい魔道具のアイデアのどちらから手をつけるかで、頭を悩ませているのだろう。

 王はふと、そんな光景を思い浮かべ、ひそかに苦笑した。


(……せいぜい、いつまでも放牧のままでいてくれよ)


 王と宰相が、冷ややかな笑みと、わずかな期待と――ほんの少しの不安を胸の内に隠しながら、静かに次の一手を思案するのであった。



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