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異世界転移したけど森の奥で引きこもってます。スカウト? いやぁ、森から出る気はないので遠慮します  作者: 初音の歌
第四章

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第69話・星髪の顎①

 

 渓谷に張られた天幕の列は、帝国軍の手際の良さを示していた。

 森に道を穿ってきた者たちだ。緊急の状況であればあるほど、訓練された身体は勝手に動く。

 杭を打ち、縄を張り、布を広げ、地を均し、火を起こす。

 声を荒げる者はいない。叫びが必要なほど混乱していない――ということではない。


 むしろ逆だ。


 誰もが「声を出すのが怖い」。

 余計な音で空気を揺らしたくない。

 余計な動きで、あの「何か」の機嫌を損ねたくない。

 天まで突く巨体は、今はもう見えない。

 雲を塗り替えていた瞳も消えた。

 まるで幻のように。


 けれど兵たちは知っている。

 見えていないだけだと。

 あの「視線」の重さが、まだ皮膚の裏に残っている。

 耳の奥に、空間が軋むような感覚が残っている。

 魔術兵などは特にひどい。術式を組もうとするたび、世界の線がずれる予感がして、指先が止まる。

 精兵であるがゆえに、厄介だった。

 鈍い者なら「見えないなら大丈夫だ」と無理やり忘れられる。

 だが戦を生き残ってきた者ほど、見えない気配の方が怖いことを知っている。

 そして、その恐怖を裏打ちするように――ある天幕の外を通りがかった兵が、妙に明るい声を聞いた。


「まだ居るからねー。オイタはしないように」


 軽い。

 あまりに軽い。

 それを言ったのが、天幕の中にいる少女だと知って、兵は胃の底が冷えた。


 その天幕には、三人しかいない。

 帝王ウィルトス。

 剣聖ハガネ。

 そして、星髪の少女――アギト。


 酒瓶が並んでいる。干し肉、乾パン、塩漬けの豆、硬いチーズの塊、干し果実。

 行軍用の保存食。豪華とは言い難い。

 だが今は「豪華かどうか」ではない。

 餌ではない。

 供物だ。

 ウィルトスは改めて頭を下げる。


「すまんな。行軍中ゆえ、そんなものしか用意できん」

「だいじょぶだいじょぶ! 充分味するからおいしーおいしー……ぐにににに」


 アギトは干し肉を噛みちぎりながら、子供みたいに頷いた。

 口調が可愛い。

 仕草も、年頃の少女そのものだ。

 ただ、少し前に剣聖の刀を素手で砕いた少女でもある。


 美しい。

 星空を織り込んだような髪。

 皮膚は白く、目は定まらず、動きは軽い。

 肉体の起伏は女性らしさに満ち、笑えば傾国の美と呼ばれるだろう。


 だが、天幕の空気は冷えていた。

 美しいものほど、怖いときがある。


 ハガネは黙っている。

 折られた刀は外で保管されている。刀身の破片はまだ集めきれていない。

 破片ひとつですら「神鉄」だ。帝国の技術者が見れば発狂する価値がある。

 だがいま、その価値に触れる余裕はない。

 価値の次元が違う相手がここにいる。


 ウィルトスが口を開く。

 言葉を丁寧に選び、噛んで飲み込んでから吐き出すように。


「改めて詫びる――すまなかった。無断でお主の領域に踏み入った。心より詫びる」

「ん? ……にゃはははは……いやー、まさか人間に頭下げられるなんてねぇ……よく考えると初めてのことかも。今まで全員、トチ狂ったように攻撃してくるのばっかりだったからねー」


 その言葉は軽く、そして残酷だった。

 今まで全員――つまり、この場所に来た者は例外なく()()()()()()を辿った、ということ。

 非難する事はできない。

 何故なら当然の事だからだ。

 領地に無断で足を踏み入れ、尚且つ攻撃を仕掛ける輩――そんなものはウィルトスの常識から言っても処断一択。見逃す慈悲など存在しない。

 人間の王である彼ですらそうなのだ。

 遥か天蓋の怪物が、不届き者をどう処分するのか――問う事すら恐ろしい。

 ウィルトスは改めて頭を下げ、名乗った。


「余は東の帝国・現皇帝ウィルトス・ゼノ・ウァリエタースである。こちらはハガネ。今は帝国の客将となっておる剣聖だ」


 ハガネもわずかに頭を下げた。

 剣士の礼。無駄な棘を立てない最小限の敬意。

 アギトはぱちぱちと手を叩いた。


「うんうん。さっきの刀、凄かったねー。びっくりして手が出ちゃったもん。あ、折っちゃってゴメンね? でも先に攻撃してきたのそっちだから、文句言わないでよねー」

「承知している。こうして命があるだけで僥倖だ」

「分かってればよし。てかホント、イカしてたよ? もうちょいでかすり傷くらい付けられたかも」


 アギトは自分の手をまじまじ見ている。

 そこには傷などない。赤みすらない。

 そも、剣聖の一閃を「かすり傷」と言う尺度が、もはや人とは隔絶している。

 ウィルトスはひとつ咳払いをした。


「それで……お主、アギトと言ったな。お主はどういう存在なのだ?」


 アギトは腕を組み、うーんと首を傾げた。

 思案顔が、年頃の少女そのものだ。

 思案する仕草は可愛い。だがその可愛さの中に、恐ろしい牙の光がある。


「うーん……どう説明すれば解りやすいかなぁ……まず、おじさんたちが最初に見た蛇ね。あれがアタシの本体」

「……本体?」

「そ。ずーっとここに留まってるやつ。で、アタシはその本体が伸ばした手」

「……手?」


 理解が追いつかない。

 皇帝として様々な物を見てきたウィルトスでさえ、言葉が惑う。


「んー、何て言うかー……アタシと本体は()()()()()()()()()()()っていうか……意識は共有してるけど、別っていうか……説明むずかしいよ。お酒もう一杯!」


 アギトが空になった瓶を突き出す。

 ウィルトスは苦笑しながら新しい酒瓶を開けた。

 その様子を見ながら、ハガネが低く言う。


「……つまり、記憶は同じだが自我――自意識は別なのか。あの巨大な蛇はお前の『脳』であり『体』。そしてお前はそこから伸びた『手』……何故、手に自我があるのかは分からぬが」


 アギトはぱっと表情を明るくする。

 星が輝くような笑顔。


「そうそうそれ! そんな感じ! いやぁ、お爺ちゃんすごいねぇ。よく理解できるねぇ。やっぱ年の功? あと自我云々に関しては――頑張ったから! としか言えないね!」


 頑張ったから。

 言葉が軽い。

 しかし、その軽さの裏にあるモノは人間では判別できない。

 超越者の尺度。思考すら無意味な領域。

 アギトは干し果実を口に放り込みながら続ける。


「それで、じゃああの『本体』は何なのか――おじさんたちが聞きたいのはそこでしょ?」


 ウィルトスは誤魔化さず頷いた。

 彼の中の勘が告げる。

 この存在に対して、小賢しい駆け引きは死を呼ぶ。


「まあ、な」


 アギトはにんまり笑った。

 その笑みが一瞬、天空の蛇の瞳と重なる。



「本体の名前は世界天蛇(イオルムンガンドル)――世界の境界を噛み続けている、永遠の蛇」



 天幕の中の空気が、さらに薄くなる。

 言葉が音ではなく、重力になって落ちてくる異質な感覚。

 ウィルトスもハガネも、意味を掴めない。

 だが掴めないまま、背筋が理解してしまう。

 その名は、説明ではなく宣告だ。

 ウィルトスの口から出たのは、疑いではない。

 純粋な問いだった。


「いつから……ここに?」


 アギトは肩をすくめる。


「気が付いたら。ホント昔だよ――()()()()()()()()()()()()()


 皇帝の脳裏で、歴史書が音を立てて崩れた。

 国家の誕生など、塵より軽い。

 アギトは天幕の支柱を指でつんつんと叩いた。


「本体の役目はたったひとつ……そうだね。この天幕の支柱と同じ」


 柱があるから天幕は張れる。

 柱が折れれば、天幕は崩れる。


「崩れないように噛み続けろ――簡単に言うと、それだけ」


 ぞっとする言葉。

 何が崩れる?

 森か? 空か? 大地か?

 それとももっと別の何かか?


 ウィルトスが口を開こうとした、その前に。

 アギトは先回りするように、くるりと酒瓶を回した。


「確証は無いよ? でも多分……本体が噛むのをやめたら()()()()()()()()()……なんとなくだけど、そんな気がするんだー」


 ウィルトスの顔が強張った。

 覇王の顔ではなく、ひとりの人間の顔になる。

 国を存亡を考えた事はある。国の行く末を憂いた事もある。

 だが――世界の滅亡など、想像もしたことがなかった。


 ハガネは、視線だけでウィルトスを諫めた。

 これ以上踏み込みすぎるな、と。

 だが、皇帝は踏み込まざるを得ない。

 踏み込むのは危険だが――無視はそれ以上に悍ましい。


「……この森は何だ?」


 アギトはニヤリと笑った。

 悪戯染みた笑み。幼子が遊戯の際に浮かべるような、無垢な笑み。


「ふっふっふ。それはねぇ……」


 ウィルトスもハガネも、息を呑む。

 渓谷の外の音が遠ざかる。

 まるで世界がこの答えを待っているように。


「わかんなーい!」


 天幕内の空気が、ずるっと滑った。

 ウィルトスもハガネも、一瞬本当に崩れ落ちそうになる。

 アギトは悪びれもせず続けた。


「ほんとにわかんないんだって。最初からあった、ってしか言えないし。西の女帝も南の隠者も、そのへんは分かんないと思うよ」

「西? 南?」


 帝王の頭は速い。

 僅かな単語だけでも掴めるものがある。

 特に、方角を言って貰えれば、戦場に生きる王はすぐに答えを導き出す。

 ここは東。蛇の領域。

 ならば森の四方にも――


「まさか――この森の西や南にも、お主と同じような存在がいるのか?」

「いるよー。西は樹のおばさん。南は海の引きこもり。どっちもアタシと同格かな?」


 アギトは人差し指を立てて、子供っぽく数えるように言う。

 ウィルトスが言葉を飲む。

 樹のおばさん。海の引きこもり。

 ふざけた呼び方だが、アギトが「個人」として認識している。

 同格。アギトと……あるいは本体である蛇と同格。

 その時点で、ウィルトスの手が届く範囲ではない。

 

 アギトはそこで、急に顔を近づけてきた。

 星屑の髪が揺れ、天幕の薄い光に淡く瞬く。

 ウィルトスの鼻先に、酒の匂いと、どこか冷たい夜空みたいな匂いがかすめた。



「北は――()()()()()()()()()()。おじさん達は興味すら持っちゃ駄目だよ?」



 声は可愛い。

 しかし言っていることは、命令より重い警告。

 ウィルトスがゆっくり頷く。

 己の誇りより重視しなければならないモノがあると、明確に悟った。


「……承知した」


 アギトは満足そうに頷き、干し肉に戻る。

 緊張が一瞬だけ緩む。

 その隙に、ウィルトスは問いを重ねた。


「しかしなぜ……余らを殺さぬ? 帝国は侵入者だ」


 アギトは干し肉を噛みながら、片目だけ上に向けた。

 その表情は、答えを楽しんでいる顔。


「んー。理由はいくつかあるよ? でも一番デカいのはね」


 彼女は酒瓶を机に置き、指でとんとん叩いた。

 まるで拍子を取るみたいに。


「おじさんが、ちゃんと()()()()から」


 ウィルトスは息を止める。

 頭を下げた。

 それが、生死の境界を分けた。


「あとさー、面白かった。()()()()()()()とか、普通やらないもん。てゆーか、見た事ないよ? 本体が人間にお酒勧められたの、生まれて初めてだよ?」


 くすくす笑うアギトは、本当に可憐な姿だった。

 心底愉快そうに笑ってる。

 ウィルトスはその姿を見て、ようやく自覚した。

 あの時の命乞い。一か八かの酒宴の誘い。

 あれが、万分の一の奇跡を掴んだのだと。

 ウィルトスは、背筋を伸ばした。


「寛大な配慮に感謝する。そして理解した。帝国軍は、ここで一切の破壊行為をしない。撤収するまで最低限の行動に留める」


 皇帝が、ここまで明確に誓うのは珍しい。

 だが、誓わねばならない相手がいる。

 アギトは満足げに頷いた。


「うん、それならいーよ」


 その瞬間、天幕の外の空気がほんの少しだけ軽くなる。

 見張りの兵が、ようやく息を吐いた気配も。

 誰もが、見えない何かの許可を感じ取っている。


「で、その代わりと言ってはなんだけど――」

「ん? 何だ? 余に出来る事なら可能な限り、答えるぞ?」

「お酒、もっとちょうだい。こんなんじゃ全然足りないよー」


 陽気な少女の、頬を膨らませた素朴なお願い。

 しかし、そのお願いはこの場において、何よりも重い。

 ウィルトスは充分それを理解していたから――。


「――承知した」


 苦笑しながら、新たな酒瓶を開ける。

 目の前では、アギトが干し肉を噛みながら、星屑の髪を揺らして笑っている。


 この酒宴は帝国軍にとって勝利の酒ではない。

 しかし敗北の酒でもない。


 ――世界に許された、帰還の杯だった。


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