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異世界転移したけど森の奥で引きこもってます。スカウト? いやぁ、森から出る気はないので遠慮します  作者: 初音の歌
第一章

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第4話・有羽の回想



 麻雀卓を片づけ、牌を箱に収め終わる頃には、もう夜もだいぶ更けていた。

 アウローラは、最後の半荘で見事に焼き鳥に。一度も和了あがれないまま、きれいさっぱりラスを引き当てた。


「今日はこのぐらいで勘弁してやる!」


 去り際に放った捨て台詞が、それはそれは見事な三下臭さで。

 ぷりぷり怒りながらも、侍女に腕を引かれて客間へ向かっていく背中を思い出し、有羽はひとり、ふっと笑ってしまう。


「……何だよ、あの怒り方」


 ソファに身体を預け、天井を見上げながら呟く。


「まるで、駄々こねる子供じゃん」


 初めて会った時は、あんな風じゃなかった。


 もっと険しくて。

 もっとやけっぱちで。

 今にも壊れそうな目をしていた。


 ふと、意識が過去へ引き戻される。


 二年前の、あの日。

 初めてアウローラたちと出会った、最悪の初対面。


 ……いや、その前だ。


 この世界に来た、あの日から――。





◇◇◇





 気づいたら、森の中にいた。

 それが、最初の記憶だった。


 湿った土の匂い。

 見上げれば、見知らぬ木々の枝葉が空を覆っている。


 十四歳。中学生だったはずの身体が、いつの間にか、見知らぬ世界に放り出されていた。


「……は?」


 ぽつりと口から漏れたのは、それだけ。

 その前後が、すっぽり抜け落ちていた。

 どうやってここに来たのか。

 その直前、自分は何をしていたのか。

 朝ごはんは食べたのか。学校へ行く途中だったのか。それすら曖昧だった。

 代わりに、妙な「感覚」だけが頭の中にあった。


 魔法。


 まるで、見たこともないパズルを渡されたのに、完成図だけは知っている、みたいな。

 ばらばらのピースを、触っているうちに自然と組み立てられてしまう、そんな不気味な確信。

 手を伸ばし、空中に指で線を描くと――そこに、未知の記号や構造が「分かる」形で浮かび上がる。


(……え、なにこれ)


 自分の想像したものを、そのまま「創造」できる。


 炎を。

 風を。

 光を。

 見たこともない紋様と式を組み合わせて、空間に刻み付けるだけで、現実がそれに従う。

 この世界の魔導師の誰も到達できない次元に、異世界転移したその瞬間から、すでに立っていた。


 理由は、分からない。

 中学生だった有羽は――最初のうちは、それを楽しんでいた。

 ワクワクしていた。ほんの本気で、テレビゲームの中に放り込まれたみたいだと、胸を躍らせていた。

 炎の球を飛ばすたびに、


「うお、すげー!」


 風で木の葉を巻き上げるたびに、


「マジかよ、チートじゃん!」


 と、ひとりはしゃいでいた。




 初日はそれで良かった。


 数日経っても、まだ笑っていられた。


 一週間後には、笑っていられなくなった。


 一ヶ月後には、夜、一人で泣いた。


 半年後には――もう、感情は摩耗していた。


 ただ、生きるために動いた。


 魔物を倒し、肉を切り分け、炎の魔法で焼いて、食べる。

 水を集め、寝床を探し、体力を温存する。

 明日も生きるために、今日をやり過ごす。

 それだけの生活。


 一年経った頃。

 有羽は、自分でもよく分からない衝動に突き動かされて、一つの魔法を作った。

 記憶を再起する魔法。


 かつての暮らしを忘れられず。

 かつての生活を再現したくて。

 過去の記憶を鮮明に呼び起こす魔法を、組み上げた。


 構築に時間はかからなかった。

 気づけば、完成していた。

 発動も、すぐだった。

 目を閉じ、魔法を流し込んだ瞬間――。


 忘れていたものが、怒涛のように押し寄せてきた。


 家族の顔。

 母親の手の温かさ。

 父親の、ちょっと不器用な笑い方。


 友達との会話。

 くだらないことで笑い合った昼休み。

 ゲームの話で盛り上がった帰り道。


 日本の風景。

 コンビニの明かり。

 夜の道路を走る車。

 高層ビルの窓に点る灯り。


 全部、全部。


 一度忘れようとして、遠ざけて、見ないふりをしていたものが、鮮明になって、目の前に広がった。

 そして――死にたくなるほど、後悔した。


(なんで、忘れたままでいなかったんだろう)


 戻れるわけではない。

 分かっていたはずだ。

 でも、思い出してしまった以上、もう元には戻れない。


 もう、どこにもいない。


 忘れていた家族は、もうここにはいない。

 友達も。学校も。日本という国も。

 戻る道は、どこにもなかった。


「……帰りたい」


 呟いた声は、森の中で、誰にも届かない。


「日本に、帰りたい」


 どれだけ願っても、祈っても。

 魔法式を組み替え、世界の構造を解析しようとしても。

 帰る手段だけは、どうやっても見つからない。



 気付いたときには、もう、どうでもよくなっていた。





◇◇◇





 そこから先は、半分は惰性だった。

 ひたすら、生きやすいように環境を整える毎日。


 森の木々を切り倒し、ログハウスを建てる。

 冷気と風を操り、温度調整の魔道具――元の世界の言葉で言えば「エアコン」を作る。

 冷蔵庫。

 こたつ。

 ストーブ。

 魔物の素材を使って、服や布団も作った。


 羽毛布団は、森の中の凶暴な鳥「ヘルレイヴン」の羽を使った。

 飛びかかってくる漆黒の鳥を撃ち落とし、丸裸にして、せっせと羽を洗い、乾かし、詰めて。

 ふわふわの布団に潜って、思わず笑った。


「これ、日本の高級家具店にも負けない出来じゃね?」


 誰もいない森の中で、一人で大笑いした。




 笑いながら、少しだけ涙が滲む。





◇◇◇





 暮らしに慣れて、どれくらい経った頃だったか。

 一応、壁に彫った刻みで日にちを数えていた。

 あの日は――二十歳を少し超えた頃だったと思う。


「元の世界だと、酒飲める歳かぁ……」


 自分で作った果実酒を、ちびちび舐めながら、ひとりごちた。

 森の外に出る気はなかった。

 外で誰かと触れ合いたいとも、思えなかった。


 一応、魔法で森の外の様子を覗いたことは、何度かある。

 空に眼を浮かべるような感覚で、森の外、町や人の生活を遠くから覗いた。

 ファンタジー世界、という言葉がよく似合う光景だった。


 剣と魔法。

 馬車。

 城。


 だが、そこに「日本」はない。

 コンビニも、自販機も、スマホも、何一つ。

 有羽の故郷は、この世界のどこにもないのだと、思い知らされる。


 だから――森の外に行きたくなかった。

 森の外で生きたくなかった。


 これ以上、絶望できない。

 きっと本当に壊れてしまうと、解っていたから。





◇◇◇





 たまに、家の周りの結界を襲う馬鹿な魔物がいた。

 中途半端に強い魔物が、「何かありそうだ」と本能で感じてか、この結界に頭をぶつけに来る。


 本当に強い――有羽ですら「強敵」と認定するレベルの魔物は、近寄ってこない。

 彼もまた、そういう「奴ら」の縄張りには近づかない。

 互いに、森の中で、暗黙の不可侵条約を守っているようなものだった。


 ただ、その日、結界を揺らし続けたのは、若い竜だった。

 何度も何度も、結界にブレスを吐きつける。

 結界そのものが破られる心配はまるでなかったが――。


「……うるせえ」


 単純に、煩い。

 喧しい。

 邪魔。

 その程度の理由で、有羽は家を出た。


 結界の外に足を踏み出し、音の方向へ向かう。

 木々の間から、巨大な影が見えた。

 若いが、竜は竜だ。

 空で舞い、何かを探すように視線をさまよわせている。


「はいはい、どーもー」


 軽く手を挙げながら、魔法陣を展開する。

 炎と光を束ね、細く鋭い線へと圧縮する。

 熱線。

 ブレスを吐こうとした竜の胸元めがけて、それを放つ。

 音は、ほとんどない。

 ただ、空気が一瞬、歪んだだけ。


 次の瞬間、竜の胴体に、ぽっかりと穴が開いていた。


 鱗も、骨も、肉も、まとめて焼き切る熱。

 竜は悲鳴を上げる暇もなく、翼の力を失い、そのまま森の奥へと墜ちていった。


「……よし」


 短く息を吐く。


(しばらく、竜肉料理だな)


 竜の肉は、美味い。

 固い部位もあるが、しっかり処理すれば、かなりのごちそうになる。


(燻製にして、干して、スープにもして……)


 そんなことを考えながら、ふと――


「……あれ?」


 違和感が、肌に引っかかった。

 魔力の流れ。

 風の揺れ方。

 いつもの竜討伐後とは、微妙に違う。

 周囲を「何か」が動いている。

 気配を探る魔法を、そっと広げる。


 そこにあったのは――人間の気配だった。


「ありゃ?」


 思わず、口が勝手に動いた。。

 この森の奥で、人間の気配を感じること自体、初めてだった。

 慎重に、音を殺して近づく。

 岩場の上から見下ろすと、そこには――


 金髪の、綺麗な顔立ちの女の子がいた。


 いや、「女の子」が似合う年齢ではないのかもしれない。

 だが、有羽から見れば、まだ若すぎる。

 美しい顔に、疲れと傷と、微かな諦めの色を貼り付けて。

 剣を構え、必死にこちら――さっきまで竜がいた方向を睨んでいる。


 その周りには、鎧に身を包んだ護衛たち。

 ボロボロになりながらも、仲間を庇うように立っていた。

 さっきまで、あの竜と戦っていたのだと、すぐに察しがついた。


 有羽の声が、岩場の上から転がり落ちる。

 まるで何かを、追い求めるように。


「人?」


 女の子――後にアウローラと知る第二王女が、ぎょ、と目を見開く。


「……何やってんの、こんな場所で?」


 半分呆れた、半分本気で不思議そうな声だった。

 自分でも、もっと気の利いた第一声があっただろうと思う。


 けれど、口から出たのは、それだけだった。


 無詠唱で風の魔法を発動させ、岩場からふわりと飛び降りる。

 一切の衝撃を感じさせない着地。

 地面に足をつけてから、改めて彼女たちを見る。

 ボロボロだ。

 鎧には傷が走り、顔には泥と血の跡。

 それでも剣を握る手は震えていない。


 金髪の女の子は、こちらを睨むように見つめていた。

 その瞳の奥にあるものを、有羽はその時、まだうまく読み取れなかった。

 ただ――どこかで見たことがあるような、そんな顔をしていた。


 壊れかけた顔。

 自分の居場所を見失って、行き場のない怒りと悲しみを抱え込んだ目。


 ほんの少しだけ。

 ほんの少しだけ。


 少し前の、自分に似ているような気がして。



「えーっと……もしかして、迷子?」



 とても、自然に、首を傾げて聞いていた。

 それが、アウローラとの初めての出会い。





◇◇◇





 竜が墜ち、森のざわめきが少しずつ元に戻る。

 その静寂の中で、奇妙な沈黙だけが残った。


 金髪の女――アウローラと、その護衛たち。

 岩陰に身を寄せていた侍女たち。

 そして、彼らの前に、ふらりと現れた黒髪の青年。


 誰も、すぐには言葉を発せなかった。


 アウローラは、剣を構えたまま、目の前の男を警戒の色を隠さずに見据えている。

 護衛たちは、傷ついた身体を起こしながら、じりじりと半歩前へ出ようとする。

 侍女たちも、恐怖と困惑の混じった顔で、男とアウローラの間を見比べている。

 有羽は、有羽で――。


(え、何話せばいいの、これ)


 久々の「人」である。

 声をかけた瞬間に、人間がわらわら居たことに、正直びびっている。

 竜より緊張していた。


(えーと……こういうの、ゲームとかだと「助けてくれてありがとうございます!」とか、「あなたは一体……?」とか、そういう流れじゃないの?)


 そんなメタな感想も頭の隅に浮かんだが、口には出さない。

 出さないが――何を言えばいいのか、本気で分からない。

 アウローラのほうも、似たような意味で固まっていた。


(……何者だ、この男は)


 さっきの熱線。

 詠唱も、目に見える術式もほとんどなかったのに、竜の胴体を一撃で貫いた。


 そんな魔術は、この世界のどの体系にも属していない。

 宮廷魔導師を総動員しても再現できるとは思えない。

 それを、目の前の男は「ちょっと邪魔だから」くらいのノリで放った。


(危険だ。限りなく危険な存在だ)


 王族としての本能が、そう告げていた。

 護衛たちも同様だ。

 剣を抜き、いつでも動けるように姿勢を低くしながらも――同時に、相手を刺激しすぎないよう慎重に構えている。

 有羽は、そんな視線を全身に浴びながら、しばらく黙っていた。


(……いや、きっつ)


 重い。

 視線が重い。

 竜のときより、精神的なプレッシャーが重い。

 沈黙が、じりじりと場を焼いていく。

 やがて、有羽が沈黙に耐えかねて、ぽそりと口を開いた。


「あー……」


 初っ端から、ひどく頼りない声だった。


「とりあえず……あっちに家あるけど、来る? 怪我人も居るみたいだし?」


 護衛たちが、一瞬だけ顔を見合わせる。

 アウローラは、ぐっと剣を握る手に力を込めた。


(罠、かもしれない)


 そう考えないほど、甘くはない。

 だが、仲間たちの傷は深い。

 自分も、立っているだけで足もとの岩が揺れるような感覚があった。

 魔力も、体力も削られている。

 それに――今の一撃。

 竜を一瞬で墜とした魔法を見せつけられた今、この男が本気で害意を向けてくれば、ここで拒絶したところで結果は変わらない。


「……導け」


 アウローラは、短くそう告げた。

 有羽は、肩をすくめる。


「じゃ、ついてきて」


 それだけを言って、森の中を歩き出した。





◇◇◇





 しばらく歩くと、森の雰囲気が変わった。

 鬱蒼としていた木々が、ある地点から急に途切れ、視界が開ける。


「……っ」


 アウローラが息を呑んだ。

 そこには、森を切り開いて作られた「空間」が広がっていた。


 畑があった。

 畝がきちんと整えられ、見知らぬ野菜や穀物が規則正しく並んでいる。

 井戸があった。

 石を積み上げ、桶がかけられている。

 そして、その向こうには――丸太で組まれたログハウス。

 木の壁。煙突。窓。扉。

 周囲には物置小屋や木製のベンチも見える。


 森の只中に、生活の匂いがあった。


 護衛たちも、侍女たちも、揃って口をぽかんと開けている。


「……」


 アウローラも、言葉を失っていた。

 人類未踏の魔境。

 王都にまで噂が届く、死地。

 そこに、まるで田舎の農家のような居住空間があるなど、誰が想像できただろう。


「ここ、俺ん家」


 有羽は、何でもないように言った。

 その横顔は、特別な誇りも、隠したい後ろめたさも見えない。


(あー……傷は回復魔法で治せるかな)


 頭の中では、すでに処理の段取りを組み始めていた。


(水と食いもんはストックあるし……寝る場所はどうすっかな。適当に魔法で仮眠用の小屋でも作るか)


 そんなことを考えながら、振り向きかけたその瞬間。

 アウローラの口が、先に動いた。


 もし、このとき。

 彼女の言葉が、少しでも違っていたら――。

 もっと早く打ち解ける未来も、あったのかもしれない。

 だが、過去は変えられない。


 夫を亡くしたばかりで。

 国と帝国の狭間で、心をすり減らして。

 王族として生きてきたアウローラと。


 現代日本の市民として生きて、突然異世界に放り出され。

 誰もいない環境で、心をすり減らして。

 故郷を失った有羽と。


 二人の価値観が、この瞬間に噛み合うはずもなかった。


「貴様……」


 アウローラは、無意識のうちに「第二王女」の顔を引きずり出していた。


「何だここは!? どういうことだ!? 何故ここにこんなものが……」


 剣を握る手に力がこもる。

 声には怒りと困惑と、ほんのひとかけらの恐怖が混ざっていた。


「貴様は何者だ! 答えよっ!!」


 その叫びは、決して間違ってはいなかった。

 魔境の大森林の内部に、こんな居住空間がある。

 そこに一人の男が住んでいる。

 疑問を抱かないほうがおかしい。

 王族として警戒し、問いただすのは当然だった。

 平民に命じるような口調も、この世界では正当なものだ。

 むしろ、武器を突きつけず言葉だけで済ませている分、穏当と言ってもいい。


 けれど――。


 目の前にいたのは、「この世界の平民」ではない。

 ある意味、アウローラと同じくらいに、自棄になっている異世界人だった。


「……あ?」


 有羽の声が、低く漏れた。

 額に、ぴき、と青筋が浮かぶ。

 癇に障った。

 とても、癇に障った。


(……なんで、こっちが怒鳴られてんの?)


 心のどこかで、冷静なツッコミがよぎる。

 けれど、その声はすぐに飲み込まれた。

 胸の奥に溜まり続けていた、言葉にできない苛立ちが、表に出てくる。

 竜を撃ち落した時には何も感じなかったのに。

 「貴様」と呼ばれた瞬間、何かがぶちっと切れた。


(あー……)


 有羽は、静かに悟った。


(ないな)


 この瞬間、アウローラたちに対して「穏当に接しよう」という気持ちは、きれいさっぱり失せた。

 とはいえ。

 目の前には、血を流している者たちがいる。

 足元はふらつき、息も荒い。

 そこにだけは、まだ「良心」が残っていた。


「……まぁいいや」


 有羽は、ぼそりと呟くと、軽く息を吸い込んだ。


「ちょっと黙って」


 その言葉と同時に、空気の流れが変わる。

 彼は指を鳴らした。


 光が、ふっと広がる。


 複雑な詠唱などない。

 聞こえるのは、短く紡がれたいくつかの音だけ。


 それなのに、その効力は圧倒的だった。


 暖かいものが、身体の芯から湧き上がる。

 痛みが、すっと消えていく。

 裂けていた皮膚がふさがり、折れていた骨が元の位置に戻る。

 疲労で鉛のように重かった四肢が、驚くほど軽くなる。


「……な」


 アウローラは、思わず目を見開いた。


「なに……?」


 詠唱速度。

 効果範囲。

 治癒の速度。

 どれもこれも、アウローラの知る「回復魔法」の常識を遥かに超えていた。

 護衛たちも、侍女たちも、唖然と自分の身体を見下ろす。


「傷が……」

「痛みが消えた……」

「魔力の枯渇も、かなり戻って……?」


 警戒心が、思わず緩みかける。

 その瞬間だった。


「――っ!?」


 全員の身体が、いきなり後ろへ吹き飛ばされた。

 何かに殴られたわけではない。

 地面が崩れたわけでもない。


 ただ、見えない「何か」に弾かれた。


 家の周囲に張り巡らされていた結界。

 その境界線の、外側へ。


「うおっ!」

「きゃっ……!」


 尻もちをつく者、転がる者続出。

 予想外の出来事に、アウローラは目を白黒させた。

 痛みはない。

 あくまで安全に「外」へ押し出された形だった。

 ただ、耳に届いたのは――一本の冷たい声。



「――出ていけ」



 扉の向こうから聞こえてきた。

 さっきまでの、どこか呑気な調子は跡形もない。

 底冷えするような、拒絶の音。



「二度と、俺の視界に入ってくるな」



 言葉が続く前に、バタン、と扉が閉まる音が響いた。

 丸太の扉は、容赦なく視界を遮る。

 窓も、カーテンがぴっちりと閉められた。

 有羽は、そのまま中に消えた。

 誰の声にも応じず。

 誰の名も呼ばず。


 ただ、「拒絶」だけを残して。


 アウローラたちは、家の外。

 結界の外側。

 静まり返った夜の森の中に、まるで置き去りにされたように立ち尽くしていた。





◇◇◇





 アウローラたちを結界の外へ弾き飛ばしてから、数日が過ぎた。


 あの日――追い出した直後、しばらくの間、結界の向こうで何かが騒いでいた。


 とりわけ、あの綺麗な金髪の偉そうな女の子は、かなりの声量で何かを叫んでいた気がする。

 結界の防音効果が優秀すぎて、内容は一切伝わってこなかったが。


(きっと、「無礼者!」「出てこい!」とか、そんな感じだろ)


 ぼんやりそう想像して、ソファにひっくり返りながら、聞こえない声を無視し続けた。

 やがて、護衛や侍女に引き摺られるようにして、彼女たちの気配は森の向こうへと消えていった。


「……何だったんだ、あの連中」


 その日の晩、有羽はベッドに寝転がりながら、天井を睨んでいた。

 喉の奥に、得体の知れない苦味が残っている。むしゃくしゃする。

 助けたことさえ後悔しそうな連中だった、とさえ思う。


 竜を落として、安全な家まで案内して、その結果があの怒鳴りつけだ。

 思い出すだけで腹が立つ。


(まあ、どうせ二度と会わないしな)


 そのときは、本気でそう思っていた。





◇◇◇





 ……二週間後。

 窓の外に見えたのは、見覚えのある金髪だった。


「……何で?」


 思わず、窓枠に額をぶつけそうになる。

 結界の外、少し離れた場所。

 前回と同じ顔ぶれが、揃って立っていた。


 アウローラ。

 護衛。

 侍女。


 前回より、少しだけ疲れた顔。

 だが、大きな傷は見えない。

 アウローラは結界のほうを向いて、何やら口を動かしていた。

 真剣な表情。怒ってはいない。どちらかと言えば、必死に何かを伝えようとしているように見える。

 結界の防音は、やはり完璧で。

 その声は、こちらには一切届かない。

 有羽は、窓の隙間からそれを見下ろし――ため息と共にカーテンを閉めた。


(……また邪魔な連中が来た)


 そうとしか思えなかった。

 しばらくしてから、そっと再び窓を開けて覗くと、アウローラは少し肩を落としたような様子で、護衛たちと共に森の中へ消えていくところだった。

 やっと帰ったか――そう思った、その瞬間。


 帰り際に見えた彼女の横顔。

 寂しそうな、どこか諦めかけたような表情が、妙に胸に刺さった。


「……あー、もう、知らん」


 有羽は、頭をぐしゃぐしゃとかき回し、その感覚を追い払おうとした。





◇◇◇





 その一週間後も、アウローラたちは来た。

 さらに一週間後も、その次の週も。

 彼女たちは、まるで決められた儀式のように、定期的に結界の外まで足を運んだ。


 ときには、結界のすぐ外に座り込んで、何かをしゃべり続け。

 ときには、結界ぎりぎりの場所にテントを張って、一晩を過ごした。

 有羽は、途中から「いないふり」を徹底することにした。

 姿を消す魔法ならいくらでもある。

 気配を薄め、結界と自分の魔力を同化させれば、ほぼ「森の一部」になれる。


 こっそり家から出て、彼女たちに見つからないように魔物の肉を調達しに行くこともあった。

 そういうときに、ちらりと目に入ったのは――彼女たちの簡素な食事だった。


 固そうな干し肉。

 ぼそぼそとした黒パン。

 たまに野菜のスープらしきものはあるが、具は少ない。

 炎に照らされた侍女たちの横顔。

 護衛たちは、無言でそれを噛みしめている。


(……何で、俺が悪いことしてる気分になってんだ)


 自分でも分からない罪悪感が、喉の奥に引っかかった。

 誰も彼女たちをここまで来いと言っていない。

 勝手に来て、勝手に野営して、勝手に帰っているだけだ。


(俺の所為じゃない、はずなんだけどな)


 そう思おうとしても、どこかで引っかかる。

 そんな「訪問」と「撤退」を繰り返すうちに、一か月が過ぎた。





◇◇◇





 その日も、アウローラたちは来ていた。

 いつものように、結界のすぐ外でテントを張り、見張りを立て、簡素な夕食をとっている。

 有羽は、窓辺でその様子をちらりと見たあと、意識を結界の感覚と重ねていた。

 結界を張った者には、そこに触れているものの「輪郭」がなんとなく伝わる。

 風の当たり方。

 魔物の接近。

 魔力の揺れ。


 その変化で、有羽は「異常」を察した。


「……あ?」


 森の奥から、いくつもの気配が近づいてくる。

 一つひとつは、それほどでもない。

 だが、群れている。

 獣のような、低い唸り声。

 牙の擦れる音。


(群れかよ……)


 有羽は、舌打ちした。

 結界の外。

 ギリギリで守りから外れた位置にいるアウローラたちに向かって、それは一直線に進んでいた。


「……あああああ、もう、何やってんだあいつらは!?」


 窓を開ける音より先に、有羽の叫びが出た。

 玄関の扉を蹴飛ばす勢いで開け、外へ飛び出す。

 結界の境界線で、一瞬だけ足を止めた。

 その向こうでは、すでに護衛たちが剣を抜き、円陣を組んでいる。


 暗がりの中、光る目がいくつも揺れた。


 狼に似た魔物――だが、レリクスウルフほどの異常さはない。

 それでも、普通の兵士にとっては十分な脅威だ。

 数は十を超える。

 牙が剥き出しになり、一斉に飛びかかる瞬間だった。


「おいコラ」


 有羽は、結界の線をまたいだ。

 足元に魔法陣を、描くまでもなく「思い浮かべる」。

 大気が震えた。


「寝ろ」


 その一言と同時に、見えない衝撃波が森を薙いだ。

 狼型の魔物たちが、バタバタとその場に崩れ落ちる。

 骨を砕くこともなく、意識だけを刈り取るように。

 数匹、しぶとく立ち上がろうとした個体だけ、指先から放たれた小さな光弾が額を撃ち抜いた。

 沈黙。

 それから数秒遅れて、護衛たちの息を呑む音が届いた。


「な……」

「今のは……?」


 有羽は彼らを一瞥し、それ以上は見なかった。

 かわりに、傷ついている者を探す。

 足を噛まれた護衛。

 腕を裂かれた侍女。

 アウローラ自身も、頬に浅い傷を負っている。


「……ったく」


 舌打ちしながら、手を掲げる。


「一回だけだからな」


 そう言って、回復魔法を放った。

 柔らかな光が、結界の外周まで届く。

 先ほどと同じように、傷も疲れも一瞬で消え去っていく。

 立ち上がる護衛。

 目を瞬かせる侍女。

 だが、安堵する暇は与えなかった。


「いい加減にしろ!」


 有羽の怒鳴り声が、その場の空気を叩きつけるように響いた。


「もう帰ってくれ! 俺に関わるな! 出て行けって言っただろ!」


 護衛たちが、一斉にたじろぐ。


「……何がしたいんだアンタらは!?」


 怒りと困惑と苛立ち。

 どうしようもない感情が、一気に口から溢れた。

 アウローラたちは、一瞬、恐怖に竦んだ。

 荒れる気持ちを抑えぬまま、有羽は踵を返し家に戻ろうとする。

 だが、その中で――金髪の女は、まっすぐ有羽を見据えた。


「待ってくれ!」


 声が割れるほどの勢いで、叫ぶ。


「礼を……礼を言わせてくれ!」


 有羽の眉が、ぴくりと動く。


「お前の魔法のお蔭で、私の部下は助かった!」


 アウローラは、必死だった。


「お前の助けで、私たちは死なずに済んだ! 頼む、王都に来て、お前に礼をさせてくれ!」


 そう言ってアウローラは、頭を下げた。

 護衛たちも、侍女たちも、驚いたように彼女を見る。

 王女が、一介の得体の知れない男に、ここまで頭を下げるなど、本来ありえないことだ。

 だがアウローラは、迷いも躊躇も見せなかった。

 それでも――。


「いらん!」


 有羽は、即座に言い放った。


「本当に礼をしたいなら、俺に関わるな!」


 その目は、怒りよりも、どこか痛みに近い色をしていた。


「それが礼だ!」


 それだけ言い残し、有羽は踵を返した。

 結界の内に足を踏み入れ、そのまま家の中へ戻る。


「待ってくれ!」


 背中に、アウローラの声が飛んできた。


「お願いだ、話を――!」


 懸命な声。

 本当に、喉が裂けるほどの必死さが滲んでいた。

 その響きが、有羽の胸のどこかを強く叩いた。

 けれど、足は止まらない。

 扉を閉める。

 音を遮断する。

 静寂が戻る。


 心臓の鼓動だけが、やけにうるさく響いていた。





◇◇◇





 それからも、アウローラたちは何度も来た。


 来るたびに、護衛や侍女たちの動きは洗練されていった。

 最初の頃のように、酷い怪我を負って現れることはほとんどなくなった。

 魔物との戦いにも慣れ、森の地形にも慣れ。

 彼ら自身が、いつの間にか「この森に通う冒険者」として成長していった。


 雨の日も。

 風の日も。


 アウローラは結界の外に立ち、「王女が来たぞー! 今日こそは話を聞いてくれー!」と笑いながら叫んだ。

 最初の頃の近寄りがたい王族の仮面は、もうほとんど残っていない。

 どちらかといえば、しつこい訪問販売員か、根性だけはやたらある近所の子供のようだ。


 ……いつの間にか、有羽は「結界の外の音」を拾う魔法陣を一部だけ解除していた。


 完全な防音ではなく、あくまで「聞こうと思えば聞こえる」くらいの調整に変えていた。

 窓の外を見て、今日来ているかどうか確認するのも、すっかり日課になっていた。


(……だから何なんだ俺は)


 自分でも、なんでそんなことをしているのか理解できない。

 理解できないが、やめられなかった。





◇◇◇





 ある日、窓の外に雪が降っていた。


 白い粒が、静かに降り積もる。

 森の木々の枝に、薄く雪が乗っていく。


「あー……もう冬か」


 有羽は、ぼんやりと呟いた。

 季節の流れに、少しだけ安堵を覚える。


(さすがに、冬は来ないだろ)


 魔境の大森林の雪中行軍など、自殺行為もいいところだ。

 いくら何でも、そこまで無茶はしないだろう。

 そう思って――何の気なしに、窓の外を覗いた。


 そこにいた。


 雪の中。


 白い息を吐きながら、肩を震わせながら。

 結界の外で、雪に塗れながら。

 それでも、家のほうを向いて、笑っている金髪の王女が。


「……は?」


 一瞬、頭が真っ白になった。

 アウローラは、いつもの調子で手を振っていた。


「おーい! 王女が来たぞー!」


 声は、結界越しでも分かるくらい、明るかった。

 頬は赤く、唇はかじかんでいるのに。

 護衛たちと侍女たちも、同じように雪をかぶっている。

 立っているだけで震えが止まらないのが、ここからでも分かる。


 なのに、誰も文句を言わない。

 誰も、引き返そうとしない。


「……ふざけんな」


 思考より先に、身体が動いた。

 扉を蹴飛ばすように開け、雪の中へ飛び出す。


「ふざけんな!」


 結界の境目に立ち、怒鳴る。

 雪が舞い上がる。


「何考えてんだ! 死ぬ気か、この馬鹿野郎!!」


 アウローラが、目を丸くした。


「……え、来てくれ――」

「黙れ!」


 有羽は、問答無用で結界を開いた。

 アウローラたちを、内側へ引きずり込む。

 雪と冷気は、結界の外に置いてくる。

 中に入った瞬間、空気は暖かさを取り戻した。


「全員、動くな! じっとしてろ!」


 護衛が何か言いかけるのを、怒鳴り飛ばす。

 有羽は、その場で両手を地面についた。


「……っ」


 魔法陣が、一気に広がる。

 土の中の成分を組み替え、木材を生成し、空間を区切る。


 あっという間に、ログハウスの簡易版のような小屋が一軒、そこに「生えた」。


 壁。

 屋根。

 窓。

 暖炉。

 必要最低限だが、吹雪を凌ぎ、暖を取るには十分な設備だった。


「死にたくなかったら、そこで寝ろ!!」


 怒鳴りつける。

 護衛たちも侍女たちも、呆然と口を開けていた。

 何が起きたのか理解できていない顔。

 アウローラだけが、ぽかんと小屋と有羽を見比べて――。



「……はは」



 少しだけ、息を漏らした。

 その顔は、ひどく無防備で。

 嬉しそうに。

 子供のように。

 にへら、と笑った。



「うん!」



 と、とても素直に頷いた。

 その笑顔が、有羽の頭に焼き付いた。


「……っ」


 自分でも、何かをこれ以上見てはいけない気がして。

 有羽は、踵を返した。


「勝手に凍え死なれるほうが、後味悪いんだよ……」


 誰にも聞こえないくらいの声でぼやきながら、家に戻る。

 扉を閉める前、振り向きかけた視界の端に――もう一度、あの笑顔が映った。


 にへら、と。

 無邪気で。

 あまりにも、まっすぐで。


 その笑顔がまだ、脳裏をちらつく。

 ログハウスの灯りを消して、ベッドに転がった今でさえ。


「……あー、ほんと」


 有羽は、枕に顔を押し付けて、うめくように言った。


「なんであそこで、あんな顔すんだよ……反則だろ」


 苛立ちとも、照れともつかない感情が、胸の中でぐるぐると渦を巻いていた。





◇◇◇





 そして二年後。

 あの金髪の王女様は、焼き鳥のラスを引いた挙句、


『今日はこのぐらいで勘弁してやる!』


 と三下みたいな捨て台詞を吐いて客間へ向かう女に、なっている。

 ソファの上で、有羽はひとり、肩を揺らして笑った。


「……まあ、悪くない変化だよな」


 ぽつりと呟き、立ち上がる。

 明日は、朝飯をどうするか考えないといけない。

 あの様子だと、絶対に何事もなかった顔で「有羽、朝食はベーコンエッグが食べたい」とか言い出すに違いない。


「ふてぶてしい王女様だよ、ほんと」


 そう言いながらも、声にはどこか楽しげな色が混じっていた。



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