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異世界転移したけど森の奥で引きこもってます。スカウト? いやぁ、森から出る気はないので遠慮します  作者: 初音の歌
第二章

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第22話・アウローラ、怒りのグルグルパンチ


 客間の扉が、ばたん、と勢いよく開いた。

 有羽が振り返ると、そこには――さっきまで籠っていたはずのアウローラが立っていた。

 目元はほんのり赤く、長い睫毛の先に、まだわずかに涙の名残り。

 頬も耳たぶも桃色に染まっていて、しかも肩が小刻みにぷるぷる震えている。


「……あー、えっと。王女さん?」


 恐る恐る呼びかけた瞬間。


「ばかばかばかばか!!」


 アウローラが、ものすごい勢いで突進してきた。


「うおっ!?」


 次の瞬間には、有羽の胸ぐらを掴む勢いで、その拳がぽかぽかと叩きつけられる。


「明日じゃなくていいなら、早くそう言え、ばか!!」

「いてぇなおい! 何すんだ!? いや、正確にはそんなに痛くはないけどさ! 落ち着け王女さん!!」

「うるさい! ばかぁ!! この鈍感っ!!」


 ぽかぽかぽかぽか。

 拳の一発一発は、もちろんダメージになっていない。

 有羽の身体を覆う風の守護は、今はほとんど解いているが、それでも彼の身体能力は常人とは比べものにならない。

 だが。


(……すっげぇ鬱陶しい)


 ぶっちゃけ、物理的な痛みより、精神的なダメージが大きかった。

 胸のあたりを、リズミカルにぽすぽす殴られながら、有羽はただされるがまま。


「ちょ、王女殿下!?」

「殿下、落ち着いてくださいませ!」


 侍女たちが慌てて腰を浮かせかけるが、護衛の一人が、そっと手で制した。


「……いい。今は、止めない方がいい」


 その声に、侍女たちは顔を見合わせてから、そっと腰を下ろす。

 ぽかぽか。

 ぽかぽか。

 殴ったところで、傷一つつかないのは皆知っている。

 それでもアウローラは、子どものように拳を振り続けた。


(……殿下、相当悩んでいらしたものな)

(たった一言、「一日くらいずらせる」と言われただけで、この反応……)


 侍女や護衛の胸中には、呆れ半分、愛しさ半分のため息が渦巻いていた。

 しばらく一心不乱にぽかぽかやっていたアウローラだったが、やがて腕が疲れたのか、勢いが落ちる。

 最後に、胸を一つだけ、ぽふんと叩いてから、くるりと背を向けた。

 そして――顔を真っ赤にしたまま、叫ぶ。


「今日はもう寝る!!」

「え、あ、うん?」

「有羽!!」


 びしっ、と振り返りざま、人差し指を突きつけてくる。


「明日の朝……見てろよ!!」

「え? 何?」

「ちゃんと見るんだぞ!!」

「だから何が?」

「いいから!!」


 言いたいことだけ言い切ると、アウローラはくるりと踵を返し、ぷりぷり怒りながら客間へ戻っていく。

 どんどんどん、と地面を踏み鳴らす足音。

 そして、ばたん、と勢いよく閉まる扉。

 ログハウスの中庭に、残されたのは――ぽつんと立つ有羽と、まったりモードの侍女と護衛たちだった。


「……ねぇ」


 有羽が、テーブルの方を振り返る。


「何なの? どうしちゃったの王女さん?」


 心底分からない、という顔だ。

 侍女たちは、顔を横に逸らしたり、わざと空を見上げたりしながら、くすくすと笑った。


「さあ、何でございましょうか」


 一人が、口元を押さえて微笑む。


「殿下の仰る通り、明日の朝にちゃんと見て差し上げればよろしいかと」


 護衛の一人が、茶杯を傾けながら肩を竦める。


「男は黙って従うのみですぞ、賢者殿」

「そうそう。こういう時の男は、黙って女の言う事を聞くのが吉です」

「……いやいやいや」


 有羽は、心底納得いかないという顔で頭を掻く。


「いや、いいけどさぁ……何なのよ、ホントに……」


 ぼやいてみたところで、誰も教えてくれそうにない。

 この場に居るのは、全員アウローラ側の人間だ。

 有羽は一人だけ、別のゲーム盤に置かれた駒みたいなものだった。


 有羽はぶつぶつ言いながら、空になった皿を回収し、台所へ運び出す。

 侍女たちも手慣れた動きで洗い場に立つ。もう、この家での「後片付け」の動きは完全に身についていた。

 しばらくして、食器を拭き終えた有羽が、ぽん、と手を叩く。


「あ、そうだ」


 くるりと振り返り、テーブルの面々を見渡す。


「今晩、麻雀やる人いるー?」


 その一言で、空気がガラリと変わった。


「はーい、私やりまーす!」


 元気よく手を挙げたのは、若い侍女の一人。

 すぐ隣で別の侍女――年上の侍女長が微笑みと共に、挙手。


「わたくしも。さっきのカレーの借りを、点棒で返していただきたいですわ」

「いや、カレーの借りって何」

「満腹感と幸福感で大きく借りを作ってしまいましたから」

「へいへい」


 護衛の一人が立ち上がる。

 短髪で、陽気な雰囲気のある男。


「よし、今回は俺が行こう」

「お、やる気だね」

「賢者殿に勝てる数少ない機会だからな」

「ハードル上げるなって」


 そんなやり取りをしながら、数名がログハウスの中へ移動していく。


 家の中から、すぐに「ジャラジャラ……」と、石がぶつかり合うような独特の音が響き始めた。

 麻雀牌を混ぜる音。

 この異世界に麻雀なんてゲームは存在しない。

 だが――有羽が魔法で卓も牌も作り、「遊び道具」として持ち込んでしまった結果、今やアウローラ御一行の滞在中は、ほぼ毎夜の恒例行事になっていた。

 夜の暇つぶしに、と有羽がルールを教えたのが始まり。

 最初は、皆ぽかんとしていた。


『えっと……同じ種類の牌を三つ揃える、と?』

『そう。それが刻子』

『数字が順番になっているのは……?』

『順子ね』

『……難しいですわ……』


 そんな反応だった。

 だが、一度理解が進むと――特に侍女隊と護衛の数名は、見事なまでにハマった。

 今では、森に滞在しているあいだは、ほぼ必ず夜に誰かが卓を囲むのが恒例になっている。




◇◇◇





 ログハウスの大部屋。

 中央には、四人が囲むのにちょうどいい高さの卓。

 その上には、牌がきれいに並べられ、四方から伸びた手がそれを混ぜている。


 ちゃらちゃらちゃら……。

 ジャラジャラ……。


「いやあ、いい音だよね。これだけで酒が飲める」

「今は飲んでおられませんけどね」

「雰囲気の話だよ雰囲気の」


 席に座るのは――。


 東家、有羽。

 南家、護衛の一人。短髪で、いつも陽気な男。

 西家、侍女の若い方。

 北家、侍女隊の長――今年で三十になる、黒髪の美女。名はマルガリータ。


 黒髪の侍女長だけ、どこか纏う空気が違う。

 背筋は自然に伸び、指先の動きには無駄がない。


(……今日は、あの人が同卓か。気が抜けない)


 護衛は内心で戦略を変える。

 有羽は――楽しげに笑っていた。


「じゃ、まずは半荘一回。いつも通り、持ち点は二万五千からね」

「「「了解」」」


 配牌が始まる。

 牌が走る音、配られた牌を整える音。誰も喋らないわけではないが、自然と空気に集中が生まれていく。


(……賢者殿は、基本手堅く行く人)


 護衛がちらりと有羽の手つきを見る。

 当の本人は、最初の配牌をぱっと開いて、にやりと笑った。


「……くっくっく」

「その笑い方やめていただけます?」

「なんで。楽しいじゃん」

「その笑いが出る時の有羽様、だいたいろくでもない手牌持ってますから」


 若い侍女が、じとっとした視線を送る。

 最年長侍女は、静かに牌を眺めていた。感情の動きが読みにくいタイプだ。


「じゃ、俺からね」


 有羽が、一枚を捨てる。

 卓上に牌が置かれる音が、やけにくっきりと響いた。





◇◇◇





 しばらくの間、牌の打ち合う音と、時折の小さなため息だけが続いた。


「……くそ、また微妙な手牌だ……」

「欲張りすぎなんですよ、あなたは」

「男は夢を見る生き物なんだよ。倍満ぐらい狙わせろ」

「だからそうやって、殿下に振り込んで飛ばされるんですね?」

「今日は殿下いないから大丈夫」

「あ、そういえばそうでしたわね」


 アウローラは、今日は客間に引き籠っている。

 麻雀においては「高い役を狙っては振り込んで吹っ飛ぶ」「逆に嵌ったときだけとんでもない大勝をする」という、非常に波の激しい打ち手だった。

 今日は、その爆弾がない分、卓上はやや穏やか――に見えた。

 だが、嵐は別のところから吹く。


「ロン」


 最年長の侍女マルガリータが、静かに告げる。


「發、混一……三千九百」

「うわー、やっぱそこかー」


 有羽の呻き。

 狙い通り、彼の捨て牌をぴたりと刺してきた形だ。

 南家の護衛は、ほっと胸を撫で下ろす。


「いやあ……俺の捨て牌じゃなくて良かった……」

「あなたはさっきから、ずっとベタ降りしてますもの」


 若い侍女が呆れたように言う。

 護衛は辟易とした様子で口を開いた。


「賢者殿とマルガリータ殿が本気で打ち合ってるときに、素人が突っ込んでいけるわけないだろ……」

「今の姐さんの当たり牌、ちゃんと読めてました?」

「……なんとなく危ないなとは思ってた」

「なんとなく、で止めておけるのなら上出来ですわ」


 そして次局。

 空気が、さらに張り詰める。


 有羽は、守りながら慎重に手を回していた。

 配牌から、最年長侍女の手が明らかに「重い」ことを感じ取ったのだ。


(……あの人、本当に怖いんだよな)


 彼女の読みは尋常ではない。

 牌効率はもちろん、他家の捨て牌、仕草、呼吸のリズム。

 そういうものを総合して、「今、どこにどんな危険が潜んでいるか」を直感的に掴んでくる。

 この世界に、賭博としての麻雀の歴史はない。

 だが、「読み合い」と「駆け引き」の場数を踏んできた大人の女の勘は、それだけで恐るべき武器になっていた。

 南家の護衛に至っては――完全に心が折れていた。


(無理だって……あの人、まじで容赦ねぇんだもん……)


 最早、現物オンリー。被害に合わないよう逃げ道ばかりを選び続ける。

 しかし、その選択は悪手。大事な現物を、早い段階で捨てる愚挙。

 とりあえず生き延びようとする……痩せた考え。


 話にならぬ甘ったれ……っ!

 そのような考え……すぐに餌食……食い物っ……!


 故にその結果は無残な物。

 残り四巡。安牌ゼロ。


「リーチ」


 そこでかかった北家のリーチ。

 東家も西家も、まだ勝負を諦めてない。聴牌気配が漂っている。

 南家の護衛は、何を切れば良いのか分からない。

 しかし。


(これだ……死地に救いの神……! ツモったのは四枚目の九萬……! 槓なんてするものか……一度でも通れば四巡凌げる……! 逃げ切り……っ!)


 だがその考えこそ、待つ側からすれば、絶好の罠……っ!

 まるで白痴……! 喉笛を自ら差し出す愚行……!


「フフフ……ロン」


 再び、柔らかな声が卓に落ちる。


「リーチ・一発・平和・一気通貫・清一」


 淡々と手役を数え上げていく最年長侍女。


「……三倍満。二万四千」


 点棒が、ごっそりと動いた。

 南家の護衛の持ち点は、一気にゼロを超えてマイナスに。


「はい、飛びましたね」

「ぎゃあああああああああああ!!」


 護衛が、頭を抱えて卓に突っ伏した。

 心なしか、顔が「ぐにゃあ」と歪んでいる気がする。

 轟沈……! 護衛、轟沈……っ!


「お疲れさまでした」


 若い侍女が、笑いながら肩を叩く。


「姐さん、今日も絶好調ですね」

「そんなことはありませんよ。ただ、少し巡り合わせが良かっただけです」


 最年長侍女は、控えめに笑った。

 だが、その目には僅かに「獲物を仕留める快感」の光が宿っていた。


「……ほんと、歴戦の強者だよなぁ」


 有羽が、感心とも嘆息ともつかない声で呟く。


「魔物より怖いですよ、あなた」

「何を仰います、有羽様。わたくしが怖いのは点棒が減ることだけですわ」

「やだこの人。いつの間にか雀ゴロになってる……」


 そんな冗談を交わしながら、夜は更けていく。





◇◇◇





 一方その頃。


 客間のベッドの上では、アウローラがようやく布団に深く沈み込んでいた。


 目元には、さっきまでの涙の跡が、ほんのりと残っている。

 だが、眉間の険しさは消えていた。


 胸元に抱いているのは、王都から持参した綺麗なポーチ。

 その中には、綺麗なワンピースが丁寧に畳まれて入っている。

 アウローラは、横向きに丸まりながら、小さく呟く。


「……ばか」


 誰にともなく、でも確実に有羽に向けられた一言。


「ほんと……鈍いんだから……」


 けれど、その口元には、もう怒りの色はない。

 ほっと緩んだ、穏やかな笑みが浮かんでいた。


(明日の朝……ちゃんと、見てくれるかな)


 胸の奥が、くすぐったくなる。

 少し怖い。

 でも、それ以上に楽しみだ。


 目を閉じると、森のざわめきが遠くから聞こえる。

 結界に守られたこの空間は、驚くほど静かで、あたたかい。

 森の魔境のど真ん中とは思えないほど、安心できる場所。

 そこで、アウローラの意識は静かに沈んでいった。


 ログハウスの外では、星々が瞬き、森の上に、薄い光のベールを敷いている。

 焚き火は消えかけ、かわりにランタンの光が、家の中と客間の窓辺を柔らかく照らしていた。

 悲壮感も緊張感も、今はどこにもない。

 ただ、賑やかで、くだらなくて、少しだけ胸がくすぐったい――。


 そんな「いつもの夜」が、この森の奥で、静かに更けていった。



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