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異世界転移したけど森の奥で引きこもってます。スカウト? いやぁ、森から出る気はないので遠慮します  作者: 初音の歌
第一章

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第2話・アウローラの回想



 外の客間は、本宅よりも一回り小さいが、十分に快適だった。


 丸太を組んだ壁。小さな窓からは、森の緑と、遠くの空の青が覗く。

 簡素なベッドには、清潔なシーツと柔らかな枕。天井には、有羽が取り付けた簡易の風送り魔道具が、静かに空気を回していた。

 アウローラは、靴だけ脱いでベッドに倒れ込んだ。

 全身に広がる満腹と疲労。エアコンほどではないが、客間を満たす涼やかな風が、まぶたを重くしていく。


(……昼にあれだけ食べて、夜は肉、と言ったのだったな、私は)


 ぼんやりと思い出し、少しだけ自分で苦笑する。

 そんな些細な意識も、やがてとろとろと溶けていき――


 意識は、静かに過去へと沈んでいった。





◇◇◇





 三年前。

 あの日の空は、よく晴れていた。

 信じられないくらい、青かった。

 城門の前の広場。

 兵たちが整列し、鼓笛隊が行進曲を奏で、人々が道の両脇で旗を振っていた。


 その中心に、彼がいた。


 黒髪を後ろで束ね、軍装に身を包んだ青年。

 まだ若いのに、肩には公爵家の紋章。幼い頃から一緒に遊び、共に学び、剣を交え、未来を語り合った、昔馴染み。

 そして、数か月前に夫になった男。


『すぐ戻るさ』


 出立の朝、彼は笑ってそう言った。


『東の帝国も、そう長くは持たない。あいつら、戦場で兵糧管理できないからな』

『そんな理由で勝敗を語る男に嫁いだ覚えはないぞ、私は』

『いやいや、兵站は大事だぞ、アウローラ。民を飢えさせず、兵を飢えさせず、そのうえで敵を叩く。それが「良い戦」ってやつだ』


 得意げに胸を張る姿が、可笑しくて、愛おしかった。


『……それでも、危険には変わりない』


 アウローラは、袖をぎゅっと掴んだ。


『英雄でも、矢一つで死ぬのが戦場だと、父上が言っていた』

『ああ、その通りだ』


 彼は真面目に頷いた。


『だからこそ、生きて戻る。英雄にはならなくていい。お前の隣に、普通に立っていられたら、それでいい』


 そう言って、彼はアウローラの額に軽く唇を寄せた。


『帰ったら、約束通り、あの港町に新しい学校を建てよう。孤児も、貧しい子も通えるようなやつを』

『言ったな?』

『ああ。お前が王族として、俺が領主として、きちんと形にしよう』


 その約束が、たった数か月後に「叶えようのない約束」に変わるとは、その時は思いもしなかった。





◇◇◇





 夫の遺体が戻ってきた日のことを、アウローラは今でも夢に見る。


 城門前の広場は、あの日も晴れていた。

 だが、旗は垂れ、音楽はなく、代わりに低い祈りの声と、すすり泣きが満ちていた。

 棺に収められた彼は、眠っているように見えた。

 顔には傷一つなく、穏やかな表情だった。

 ただ――胸元の装甲の中央だけが、醜くえぐれていた。

 そこに、帝国の新兵器「銃」による弾丸が穿たれたのだと、説明された。


『敵の狙撃手も、同時に死亡しております』


 報告に来た将校が、淡々と続ける。


『発砲と同時に銃なる武器が破損し、爆発したとのこと。未完成の兵器だったのでしょう』


 だから何だ、と叫びそうになった。


 だから何だ。

 だから、何になる。

 彼が死んだという事実は、変わらない。


 アウローラは、棺にすがりついた。

 かろうじて人目を憚って声を上げることだけは止めたが、喉の奥からは獣のような呻き声が漏れた。

 涙がとめどなく溢れ、視界が滲む。

 その涙が頬を伝い、口元に流れ込んだときに感じたしょっぱさで、ようやく自分が泣いている事に気付いた。


(……ああ、あの人は、本当に、死んだのか)


 その瞬間にだけ、妙に冷静な思考が割り込んだことを、今でも覚えている。

 そして、そのすぐ後を埋め尽くしたのは――

 東の帝国に対する、焼け付くような憎悪だった。





◇◇◇





 その日の夜、アウローラは、一人で礼拝堂に立ち尽くしていた。


 誰もいない空間。

 高い天井から吊るされた燭台が、ゆらゆらと炎を揺らす。

 祭壇の前で、彼女は剣を抜いた。

 柄を両手で握りしめ、そのまま床に突き立てる。


「……奪ったな」


 低く、小さく。

 誰に聞かせるでもない声。


「私の……私たちの未来を。国の未来を」


 帝国の旗。

 帝国の皇帝。

 帝国の貴族。

 帝国の兵。

 あらゆる「帝国」に、憎しみを向ける。


 その憎悪が、魔力を呼び起こした。


 胸の奥からせり上がる黒い炎のような感情が、そのまま光と熱へと姿を変えていく。

 頭の中は殺意一色。そこには、余計な思考が入り込む余地はなかった。

 だからこそ、術式は驚くほど滑らかに組み上がった。

 上級の、そのさらに上。女神に祈りを捧げる者たちでさえ、滅多に触れられぬ領域の魔法陣が、礼拝堂の床に浮かび上がる。


 アウローラは、祈りではなく、呪いの言葉を呟いた。

 東の砦に、帝国の補給基地に、彼らの築いた軍事拠点に。

 狙いは、ただそこだけ。

 自国の兵のいない地点だけ。

 それだけは、ぎりぎりのところで守った。


 だから、その魔法は「禁忌」とは認定されなかった。

 だが、その威力は、ほとんど神罰に等しかった。


 帝国側のいくつもの砦が、一夜にして燃え上がった。


 塔が崩れ、倉庫が吹き飛び、補給路が断たれた。

 朝までに届いた報告書には、炎に焼かれた陣地の跡が描かれていた。

 その光景を見て、アウローラは、何も感じなかった。

 満足も、後悔もない。

 ただ、乾いた虚しさだけが胸に広がっていた。


(……多分、もう二度と使えないな)


 使い終わった瞬間に、自覚した。

 感情だけで身体を満たすことは、おそらく二度とできない。

 今やろうとしても、間違いなくどこかで躊躇する。

 その一瞬の迷いが、あの規模の魔法を破綻させるには十分だ。


 だから、あれは一度きりの魔法だった。


 その魔法が引き金になったのかどうかは分からない。

 だが、帝国は間もなく和平の使者を寄越した。


『停戦協定』『不可侵条約』


 お互いに、これ以上戦争を続けても、負債が膨らむだけだと判断したのだろう。

 南の王国もまた、その判断を呑んだ。

 感情では、とても納得できなかった。

 夫を殺されて、滂沱のような涙を流したばかりなのに。


 それでも、アウローラは、王族として署名の場に立った。


 あの日、文書に署名した瞬間。

 ペンを握る手が震え、紙に落ちた滴が赤みを帯びていたのを、彼女は覚えている。


(ああ、本当に……人は、血の涙を流せるのだな)


 和平が結ばれ、国が安堵の溜息をついたその日。

 アウローラは、静かに一つの闘いを終え――そして、別の闘いに堕ちていった。





◇◇◇





 それからしばらくの間、アウローラは荒れた。


 新しい婚約話が持ち込まれるたび、それを片端から突き返した。

 丁寧に断ったりはしない。

 書状を破り捨てることすらした。

 国王陛下は、深いため息をつきながらも、こう言った。


『しばらくは、好きにさせておけ』


 娘の心情を慮っての言葉だった。

 臣下たちは渋い顔をしたが、誰も正面から反対はしなかった。

 アウローラ自身も、自分がまともではいられないことを自覚していた。

 胸の内側に溜まり続ける激情が、どこにも行き場を見つけられず、焦げ付いていく。

 剣を振っても、魔法の訓練をしても、足りない。

 戦場にも出られない。

 帝国とも戦えない。


(ならば――)


 彼女は、一つの場所に目を向けた。

 大陸の中央部。

 人類未踏の地。

 魔物が蔓延り、多くの国が探検隊を送っては、ほとんど帰ってこないという「魔境の大森林」。


「探索隊の募集、ですか?」


 募集要項を読み上げた文官が、思わず眉をひそめる。


「あそこは、熟練の冒険者や騎士でさえ撤退を余儀なくされる場所ですぞ。殿下が行くような――」

「だからこそだ」


 アウローラは、あっさりと言った。


「そこになら、私の怒りの行き場がある」

「殿下……」


 当然のように、周囲はこぞって止めにかかった。

 王族が行く場所ではない。

 何を考えているのか。

 危険すぎる。


 だが、そのすべての言葉を――アウローラは、実力で黙らせた。





◇◇◇





 訓練場。

 王国最強と謳われる将軍が、額に汗を浮かべていた。

 対峙するのは、軽装の鎧に身を包んだアウローラ。


「本気で来てください、将軍殿」

「すでに本気である!」


 剣と剣がぶつかり、火花が散る。

 将軍の剛剣がうなりを上げるが、アウローラは一歩も引かず、むしろ押し返す。

 彼女の剣筋は、華奢な体格からは想像もできないほど鋭く、重い。

 一撃一撃に、感情の濁流が乗っている。


 魔法の訓練では、国一番の宮廷魔導師が青ざめていた。


「殿下、それは詠唱速度が人間の域を超えておりますぞ……!?」

「まだ足りん」


 詠唱を短く削り、術式を簡略化し、それでいて威力を落とさない。

 怒りと憎しみが、彼女の思考を研ぎ澄ませていた。


 この世界には、「レベル」と呼ばれる力の尺度がある。

 専用の魔道具を用いて、個人の戦闘能力や魔力を数値として測る、簡易なものだ。

 一般人で1~10。

 腕自慢の者で10~15。

 兵士たちが20前後。

 王国でも名の知れた戦士や魔導師ともなれば、30に届き。

 将軍や魔導元帥となれば、40を超える。


 もし、50に達する者がいれば、それはもう「英雄」と呼ばれる存在だ。


「殿下、念のため測定を」


 魔導測定器を持ってきた文官が、おずおずと声をかける。

 アウローラは、無言でその水晶球に手を置いた。

 淡い光が灯り、数値が浮かび上がる。


『48』


 場の空気が、凍りついた。

 ほぼ英雄の領域。

 しかもこれは、鍛錬の積み重ねだけではなく、感情の炎に焚きつけられた、一時的な上昇も含んだ数値だった。


(……これでは、もう誰も止められん)


 測定器を覗き込んだ宮廷魔導師が、心の中で嘆息した。

 事実、アウローラを真正面から諫められる者は、誰もいなくなった。

 国王陛下は、長く黙したのち――ついに首を縦に振った。


「……条件をつける。必ず護衛を連れていけ。お前が死ねば、それこそ国難だ」

「承知した」


 アウローラは、ただそれだけを言った。





◇◇◇





 そして、彼女は「魔境の大森林」の前に立った。


 鬱蒼とした木々。

 濃い瘴気と、見えない殺気。

 足を踏み入れる前から、森は侵入者を拒絶するかのような圧を放っている。

 護衛として選ばれたのは、国でも選りすぐりの精鋭たち。

 その誰もが、顔を強張らせていた。


「殿下、本当に――」

「怖じ気づいたか?」


 アウローラは、わざと軽い口調で笑ってみせる。


「だったら、今ここで引き返してもいいぞ。私は一人でも行く」

「……行きますとも」


 護衛たちは、互いに視線を交わし、小さく頷き合った。

 アウローラは、腰の剣に手を添え、もう一方の手を森の奥へと向ける。

 胸の内には、まだ煮えたぎるものがあった。

 夫を奪われた痛み。

 帝国に向けた憎悪。

 行き場を失った戦意。

 国を動かすことはできない。

 だが、自分の身体を動かすことならできる。


(だったら、せめて――)


 アウローラは、森の暗がりを見据えた。


(この命が、どこかの誰かの役に立つ場所で燃え尽きたい)


 その一歩が、後に己の行く末を変える出会いへと繋がることを、このときの彼女はまだ知らない。

 ただ、自分の激情を抱えたまま。

 第二王女アウローラ・ウィル・ミラ・アウストラリスは、「魔境の大森林」へと足を踏み入れる。




◇◇◇





 魔境の大森林は――噂以上の地獄だった。


 最初に出会ったのは、一つ目の巨人。

 樹々の間を縫って進んでいた時、唐突に、視界が影で塞がれた。

 見上げれば、そこに立っていた。

 肌は岩のようにごつごつとした灰色。

 額から顎にかけて、真ん中にでんと一つだけ輝く巨大な眼球。

 その瞳孔が、ぎょろりとアウローラたちを見下ろした瞬間――瞳から、白い光が奔った。


「目を閉じろ!」


 アウローラの叫びと、光が降り注ぐのはほぼ同時だった。

 岩が、地面が、近くの枯れ木が、みるみる石へと変わっていく。

 護衛の一人が、反応が一瞬遅れ、腕を庇うようにして前に出た。次の瞬間、その腕は肘から先だけが石と化した。


「くそっ……!」


 アウローラは素早く一歩踏み込み、剣に魔力を纏わせて地面を蹴る。

 巨人の足首めがけて斬り払うと同時に、火の魔法を混ぜた爆裂を叩き込んだ。

 石化の光も、瞼さえ閉じていれば効かない。

 ならば、瞳を閉じさせればいい。

 爆音と共に足首が砕け、巨体がよろめく。

 その隙に、護衛たちが一斉に飛び出し、脚の腱を狙って斬り刻んだ。

 一つ目の巨人――サイクロプスは、地響きを立てて倒れ込んだ。

 だが、それでも息も絶え絶えと言った風で、手を伸ばしてくる。


「しぶとい……!」


 アウローラは、最後にその一つ目めがけて、雷の槍を叩き込んだ。

 ようやく、巨人の身体が動かなくなる。

 それ一体を倒すだけで、普通の冒険者なら討伐隊が一つ要る。

 だが、この森には、そういう「一体一体が災厄級」の魔物が、そこら中にいた。





◇◇◇





 別の日には、樹々そのものが牙を剥いた。


 幹がねじれ、枝が腕のように伸び、茂った葉の隙間から無数の黄色い目が覗く。

 瘴気を孕んだ樹木が、意思を持って動き出した存在――イビルトレント。

 吐き出される瘴気が、空気そのものを腐らせる。

 吸い込み続ければ、それだけで肺が焼かれ、内臓が溶ける。


「風障壁、展開!」


 アウローラの号令と共に、護衛の魔導師たちが風の盾を張る。

 瘴気を押し返し、その隙に前衛が突っ込んで、幹を断ち切る。

 しかし、切り倒したはずの幹が、なおも地面を這い、蔦が足を絡めとろうとしてくる。


「しつこいっ!」


 アウローラは天に向けて杖を掲げ、炎の輪を描いた。

 次の瞬間、炎の波が地表を走り、瘴気と共に樹々を焼き尽くす。

 焼け焦げる匂い。

 焦げた樹皮の向こうから、なおも伸びてくる黒い枝。

 ようやく沈黙した頃には、護衛たちは皆、息を荒げていた。


「殿下……この森は、本当に……」

「まだ入り口も入り口のはずなのに、これで……?」


 誰もが口には出さないが、心の中では同じことを思っていた。

 ――これは、長居する場所ではない。





◇◇◇





 さらに、夜には別の地獄が待っていた。


 月明かりも届かぬ森の闇の中、耳に届くのは、一定のリズムで刻まれる足音。

 ざく、ざく、ざく。

 それが複数、四方から近づいて来る。

 息を潜める前に、真紅の瞳が闇にいくつも浮かび上がった。

 全身を逆立つ毛で覆われた灰色の狼。

 口元には常に血の泡を纏い、瞳には理性のかけらもない。


「レリクスウルフ……」


 誰かが呻くように呟いた。

 常に血を追い求める、狂気の狼。

 死肉では飽き足らず、まだ温かい血を好む厄介な魔物だ。


「殿下は下がって――」

「下がる暇があるなら、前に出る!」


 アウローラは剣を抜き放ち、前に躍り出る。

 雷光を纏わせた一閃が、飛びかかってきた一体の首を刎ねた。

 だが、仲間が殺されても、他の狼は怯まない。

 むしろ血の匂いに興奮し、さらに素早く襲い掛かってくる。

 護衛たちはそれぞれの得物を構え、背中を合わせて円陣を組む。

 アウローラは円の最前面に立ち、剣と魔法を駆使して狼たちを斬り伏せていった。


 ――そんな戦いが、何日も続いた。


 サイクロプス。

 イビルトレント。

 レリクスウルフ。

 上位のオーク。

 小型とはいえ竜種。


 まるで「地獄の見本市」のような魔物たちを、次から次へと相手取る。

 アウローラは英雄級。護衛たちもレベルは30に届き、一番下の侍女ですら25。腕利きの兵と同等の力を持つ精鋭揃いだ。


 それでも――ただ、生き延びるだけで精一杯だった。





◇◇◇





 そんな戦いを続けるうちに、アウローラは一つの違和感に気づき始めた。


(……起伏が、妙だ)


 地形が「森」だけではない。

 鬱蒼とした樹海を抜けると、突然ひらけた谷が現れたり、小さな山のような隆起が姿を見せたりする。

 外から見た限りでは、ただの大森林だった。

 だが、内部を歩けば歩くほど、これはただの森ではないと感じさせられる。

 ある時、彼らは岩壁を背に、小さな丘の上で休息を取っていた。

 樹々の影に身を隠しながら、水と口当たりの軽い食料を口にする。


「殿下、前方の地形は……」

「少し下れば、谷になっているようです。崖のような箇所も」


 護衛たちの報告を聞きながら、アウローラは膝に置いた地図……というより、まだ白紙に近い羊皮紙を見つめた。

 そして、ふと、かすれた声で呟く。


「……異界、か」

「殿下?」

「この森は、森そのものが『ダンジョン』になっている」


 周囲の空気が、ぴんと張り詰めた。


 ダンジョン。

 世界各地に点在する、魔素のたまり場。

 そこに流れ込む魔力が凝り固まり、浄化されず放置されると、やがてその場所は「ダンジョン」となり、魔物が発生する洞窟や空間へと変化する。

 多くの者にとって、ダンジョンは危険であると同時に、宝の山でもあった。

 魔物素材が取れる狩場として利用し、近くに集落を築き、財を築いた冒険者たちも世界にはいる。


 だが――。


「こんな規模のダンジョンなど、聞いたことがない」


 アウローラは低く言った。


「道理で、未帰還者が多いわけだ。外から見ただけでは、正体に気づけない。けれど、一度奥に入り込めば……」

「帰還は困難、というわけですね」


 護衛の一人が、顔色を失いながら続ける。


「その上、この森がダンジョンだと気づける者も限られる。殿下のような、魔法技術に長けた達人クラスでなければ……」

「だからこそ、放置されてきたのだろうな」


 アウローラは、小さく息を吐いた。

 この大森林は、遥かな昔から存在している。

 裏を返せば、すでに「安定している」とも言えた。


 だが、ダンジョンである以上――いつか必ず「限界」が来る。


 その時、何が起きるか。

 アウローラは、教本で読んだことのある語を思い出す。

 スタンピード。

 魔物たちの「許容量」を越えた時に起きる、ダンジョンの崩壊。

 溜まりに溜まった魔力と魔物たちが、一気に外へ溢れ出す現象。

 定期的に魔物を狩り、数を調整しなければ、必ず起こる破滅の時。

 だが、この森の魔物は、強すぎる。

 とても「安定して狩れる」相手ではない。

 国家規模の対策が必要だ。

 個人や一部隊の努力でどうこうできる話ではない。


(……この情報は、必ず持ち帰らなければならない)


 アウローラは決意を固めた。

 百年後かもしれない。

 二百年後かもしれない。


 けれど、いつか必ず、この森は限界を迎える。


 その時、何の準備もしていなければ――南の王国は、災厄に呑み込まれる。


「……よし」


 彼女は立ち上がり、皆を見渡した。


「護衛全員に命じる。この情報を国に持ち帰れ」

「殿下……?」

「魔境の大森林は、森ではなくダンジョンだ。その旨を王城に報せ、長期的な対策を講じるよう進言しろ」


 護衛たちが目を見開く。


「でしたら、殿下も共に――」

「私は、ここに残る」


 即答だった。

 護衛たちが、息を呑む。

 侍女もまた、驚愕の表情でアウローラを見上げる。


「アウローラ様、どうするおつもりで……?」

「私は――」


 アウローラは一瞬だけ視線をさまよわせ、それから、まっすぐ護衛たちを見た。


「私は、さらに森の生態を調べる」

「な……」

「まだ情報が不十分だ。どの辺りまで魔物が濃いのか、境界はどこか、魔力の流れはどうなっているか……」

「馬鹿言わないでください!」


 たまらず、一人の護衛が声を荒げた。


「殿下一人を置いて、我々だけ帰れと!? ありえません!」

「我々の誰一人として、そんな命令を承服できません!」


 皆の視線が、アウローラに集中する。

 それでも彼女は、静かに首を横に振った。


「頼む」


 その声は、小さく震えていた。


「行かせてくれ」


 今にも、泣き出しそうな顔だった。


「私はもう……生きるだけでも辛いんだ」


 風が、森を吹き抜ける。

 ざわり、と葉が鳴る音だけが、しばらくの間、耳に届いた。


「殿下……」


 護衛の一人が、かすれた声を漏らす。


「私の夫は死んだ」


 アウローラは、ぽつりと言葉を重ねる。


「帝国に、奪われた。憎んだ。焼き払った。……それでも、帝国とは戦えなくなった」


 和平条約。

 不可侵条約。

 国としての判断は正しい。

 分かっている。理解している。

 だからこそ、感情の行き場がなくなった。


「私の中の怒りは、行く場所を失ったままだ。戦えば国を壊す。復讐をすれば、人を巻き込む」


 視線を落とし、握った拳を見つめる。


「ならばせめて、この森で……誰の迷惑にもならない形で、燃え尽きたかった」

「殿下、それは――」

「私は、死に場所を探していたんだ」


 その言葉に、誰も返す言葉を持てなかった。

 夫が死んだあの日に。

 憎悪を帝国に向けられなくなった、その時に。

 アウローラの心は、すでに折れていた。


 ただ、そのことに――護衛たちは気づけなかったのだ。





◇◇◇





 その時。

 空気が、ふっと変わった。

 森のざわめきが一瞬止み、代わりに、頭上から大きな影が落ちる。


「上……!」


 誰かが叫んだ。

 見上げれば、樹々の隙間から覗く空を、大きな影が横切る。

 翼を広げた、巨大なシルエット。

 鱗と爪。

 長く伸びた尾。

 二枚の翼が空を掻き、冷たい風を地上へと叩きつける。


 小型とはいえ、間違いなく「竜種」だった。


「最悪のタイミングだな……!」


 護衛が剣を抜き、盾を構える。

 竜は、こちらを見下ろしながら、喉の奥でごろごろと音を鳴らした。

 次の瞬間、その口が大きく開く。


「散開――!」


 アウローラの号令が飛ぶのと同時に、熱線が地上を薙いだ。

 岩肌が溶け、樹々が一瞬で灰になる。

 危うく直撃を避けたものの、熱波だけで肌が焼けるように熱い。


「この距離、この高度で……!」


 竜は上空から一方的に攻撃してくる。

 このまま防戦一方では、じわじわと削られて、いずれ全滅だ。

 全員で戦えば――「多分倒せる」。

 だが、被害は必ず出る。


(このままでは、誰かが確実に死ぬ)


 アウローラは、ぎり、と奥歯を噛みしめた。


(私の……自分勝手な「自殺」に、これ以上巻き込むわけにはいかない)


 護衛たちは、アウローラを守るために前に出る。

 だが、その姿が、彼女には鋭い杭のように胸に刺さった。

 アウローラは、剣を握り直した。


「殿下!? どこへ――」

「下がってろ!」


 制止を振り切り、前に躍り出る。

 脚に魔力を集中させ、地面を強く蹴る。

 竜の攻撃の合間を縫い、一気に崖の斜面を駆け上がっていく。


「殿下っ!」


 護衛たちが叫ぶ声が、遠ざかっていく。

 アウローラは、竜を見上げた。


(剣に、雷と炎を纏わせる。飛び上がり、翼の付け根を一撃で断つ――)


 一か八かの、一撃必殺。

 外せば終わり。

 だが、当てれば、竜を落とせる。


(ここで死ぬなら、それはそれでいい)


 夫の顔が、ふと脳裏を過ぎる。

 棺の中の、眠るような顔。


(でも、せめて――こいつは、私が斬る)


 アウローラは、喉の奥から絞り出すように呪文を紡ぎ、剣に魔力を集中させた。



 その瞬間。


 竜の胴体に、突然「大穴」が開いた。



「……え?」


 目の前で、竜の中央部が、ふっと消し飛ぶ。

 熱と光の束が、空を貫いたようだった。

 炎と光が混ざり合った、極めて高密度な熱線。

 とてつもない制御と魔力量。

 儀式級の上級魔法。

 それも、アウローラですら戦闘中には組み上げられない規模の術。

 受け止めきれなくなった竜の身体が、悲鳴もなく崩れ始めた。

 翼が痙攣し、口から黒い煙が漏れる。

 やがて、巨大な影は力を失い、森の向こうへと落ちていった。

 地響きと、遅れて届く爆音。

 その余韻が消えぬうちに――



「ありゃ? 人?」



 呑気な声が、上から聞こえた。

 アウローラたちが背を預けていた岩壁の上。

 遥か高所から、一人の男が覗き込んでいた。


「……何やってんの、こんな場所で?」


 男はそう言うと、ふわりと地上へ降り立った。

 一切の詠唱も、術式の光もない。

 風の魔法で衝撃を消しながら、音もなく岩壁から飛び降りたのだと、アウローラは遅れて理解した。

 見た目は、どこにでもいそうな若い男だった。

 黒髪。

 この世界では珍しい、真っ黒な髪。

 少し眠たげで、呑気そうな顔立ち。


 だが――。


(……似ている)


 その容姿は、その黒髪は。

 死んだ夫に、どこか、ほんの少しだけ似ていた。

 胸が、きゅっと痛む。

 男は、ぽかんと口を開けて立ち尽くす探検隊を見渡し、首を傾げた。



「えーっと……もしかして、迷子?」



 それが、アウローラと有羽の、初めての出会いだった。



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