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異世界転移したけど森の奥で引きこもってます。スカウト? いやぁ、森から出る気はないので遠慮します  作者: 初音の歌
第二章

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第17話・カレー作り



 森の空気が、少しだけ軽くなった気がした。


 瘴気の濃度も、魔素の密度も、何もかもが変わらないはずなのに――南部の自分の縄張りに足を踏み入れた瞬間、有羽は「あ、帰ってきた」と身体の奥で実感する。


「ふぁー……やっぱ自宅が一番だな」


 疾風のように駆け抜けて、ログハウスの前でぴたりと足を止める。

 往復六日。片道三日。世間一般からすれば狂気の強行軍も、有羽にとっては「ちょっと遠いコンビニ」レベルの感覚だった。


「……あそこまで行くのに、何だかんだ時間掛かっちゃうのが難点だよなー」


 本人の口から出るのは、そんな呑気な愚痴だけだが。

 視線を巡らせる。

 結界の縁に変化はない。触れた痕跡も、押し返した反動もなし。

 足跡を拾う感知魔法にも、ここ数日に人間が触れた気配は引っ掛かっていない。


「よし、と。王女さん御一行は、今回は留守中に来なかったか」


 ひと安心。

 もし来ていたら来ていたで、「しょうがないなぁ」と客間の布団を用意していたのだろうが――今はそれより、大事な案件がある。

 有羽の胃袋が、主張を始めていた。


「……やるか」


 肩から下げた鞄と、女帝から借りた植物製の即席リュックを、玄関の土間にどさっと下ろす。

 その瞬間、室内にふわりと漂う、複雑な香り。

 土、陽光、乾いた風。そこに、刺激と甘さと苦みが混ざったような、何とも形容しがたい匂い。


「……ふ、ふふふふ」


 顔が勝手に緩む。


「宝の山だ、これ」


 靴を脱ぎ捨てるように上がり込み、玄関近くの作業台に荷物を並べていく。

 麻の袋に小分けされた種子。

 繊維質の強い樹皮。

 細い葉が束ねられたもの。

 鮮やかな赤の鞘。

 一つ一つに軽く魔力を流し込むと、視界の端に情報が浮かぶ。


(クミンもどき、コリアンダーもどき、ターメリックもどき……カルダモン、シナモンっぽい樹皮、クローブ、チリペッパー、タイム、それっぽいサフラン……お前ら、全員まとめて愛してやるよ……!)


 唾液が喉の奥で鳴った。


「危ない危ない、まずはベースからだな」


 ひとしきり並べてニヤニヤしたあと、ぐっと息を整える。

 テーブルの端に、カレーの「核」になるメンツだけを選り分けた。


 クミン。

 コリアンダー。

 ターメリック。

 そして――いつも自家栽培しているショウガもどきとニンニク。


 キッチンに移動する。

 魔法で成形した耐熱石のコンロ。炎ではなく、魔力で温度を制御する「IHもどき」の加熱板。その上には、底の厚い鉄鍋とフライパンが整然と並べられている。


「さて、と」


 まずは香りの土台作り。

 クミンシードを小さな器に取り、指先でつまんで鼻先に近づける。

 独特の、みっちりとした香ばしさが鼻腔に広がった。


「まずは乾燥……卑怯な手、使わせて貰いますよっ、と」


 有羽の右掌から瞬時に魔法が展開される。掛かるべき時間や手間を省く、反則染みた手法。

 本来ならば、風通しの良い日陰で吊るすなりして乾燥させるのが真っ当な手段。

 しかし、有羽の創造する魔法は、近道を可能にする。

 この世界に食品乾燥機は存在しないが、それに替わる方法を、有羽なら簡単に用意できる。

 次第に香る……独特の匂い。


「はー……これこれ。こいつが無いと始まらん」


 しばらく匂いを嗅いだ後、次は魔法で粉砕……しようとして、止める有羽。

 魔法でパウダーにしても良い。けれどあえて、石臼を持ち出す。

 そして丁寧な手つきでスパイス達を、臓物のようにごりごり潰せる石臼の上にあける。

 魔法で粉砕するのは簡単だが、最初のテストくらいは自分の手でやりたい気分だった。


「たまにはアナログも悪くないか」


 石臼を押す腕に、じわりと力を込める。

 ごり、ごり、ごり。

 油分を含む種子が砕け、固まっていた香りの粒が一気に解き放たれる。


 クミン、コリアンダー、ターメリックを別々に粉砕しながら、何度も香りを嗅ぎ、指先についた粉をぺろりと舐めた。


「うん、こっちのコリアンダー、ちょっと土っぽさ強いな……でも悪くない。ターメリックは……お、ちゃんとあの独特の土臭さと苦みあるじゃん。クミンは優等生。お前は満点だ」


 一通り確認し終えると、頭の中で配合を組み上げにかかる。


(まずは教科書的な、無難な比率からかな……クミン多め、コリアンダー中くらい、ターメリックは色と香りの補助)


 魔力で空間に簡易の黒板を展開し、数値を書き込んでいく。


 クミン:コリアンダー:ターメリック=4:4:2

 次に、3:5:2

 さらに、5:3:2 ……などなど。


「とりあえず三パターンくらい試すか」


 小皿を並べ、それぞれの比率で混合。

 スプーンの先で少量を舐めては、眉をひそめたり、にやりと笑ったり。


「……4:4:2は、真面目すぎるな。優等生カレー粉。悪くはないけど、面白みに欠ける。

 3:5:2はコリアンダーが勝ちすぎる……いや、スープとかならアリだけど、最初の一発目の『カレー』って感じとは違う。

 5:3:2……お、これ嗅いだ時のパンチがいい。口に入れてからの広がり方も悪くない」


 舌の上で転がし、鼻に抜ける香りを確かめる。

 ほんの少しのスパイスの比率が、全体の印象を大きく変えていくのがたまらなく面白い。


「やっぱ料理は化学だなぁ……」


 思わず、誰もいないキッチンで独り言が零れた。





◇◇◇





「ベースはこれでいってみるか」


 5:3:2の配合を基準に、ほんの少しだけ調整して、今日の「試作一号」を決定する。

 次は「具」と「ソース」の準備だ。

 戸棚を開け、玉ねぎを一個取り出す。

 皮を剥き、半分に切ってから、きれいな繊維を断つようにスライス。

 包丁は、自分で鍛え直した神鉄製。刃が野菜の抵抗をほとんど感じさせない。


「玉ねぎ一玉……大ぶりだから、ちょっとだけ減らすか。中サイズ換算で一個ぶんくらい。

 クミンシード小さじ1。

 ショウガとニンニクは、それぞれ大さじ1/2……いや、俺好みでちょい増やすか。多くて困るもんじゃないし」


 ショウガもどきをおろし金で擦り下ろすと、ツンとした新鮮な香りが立ち上る。

 ニンニクも同様におろして、白いペーストを小鉢にまとめる。


 トマトは、赤く熟したものを一個。湯むきしてざくざくと刻む。

 ミルクは冷蔵庫もどきの魔道具――魔力で水分子の運動を抑えて温度を下げる「低温箱」――から、ウシ型魔物から絞ったものを1/2カップ取り出す。

 塩、小さじ1と1/2。

 植物油――圧搾した菜種に似た植物油――大さじ3。

 水、一カップ。


「よし、教科書通り。ここまでは真面目にいこう。アレンジはあとでいくらでも出来るし」


 フライパンを加熱板の上に置き、魔力を流し込んでじわりと温度を上げる。

 油を落とし、薄く伸ばす。

 頃合いを見計らって、クミンシードをぱらり。

 じゅっ、と小さな音。

 すぐに、香りが弾けた。


「……っはー、これだ。テンション上がるなぁ」


 クミンが表面で踊るようにぷくぷくと泡立ち始めたところで、玉ねぎ投入。

 一気に水分が出て、フライパンの中が白い湯気に包まれる。


「ここからが根性タイム」


 木べらを手に、ひたすら炒め続ける。

 最初は白っぽかった玉ねぎが、透明になり、やがて薄いきつね色へ。

 さらに焦げないギリギリを攻めながら、じっくりと水分を飛ばし、甘みを引き出していく。


「……まだ。まだだ。もうちょい」


 目が潤むのは、熱気のせいではない。

 鼻の奥をくすぐる香ばしさと、懐かしい記憶が、胸の奥に刺さる。


(あー……カレー屋の前、よく通ったなぁ……)


 繁華街の路地裏。商店街の匂い。給食のカレーの日。

 再起魔法が呼び出す記憶は、いつだって鮮明すぎる。

 少しだけ心が重くなったところで、有羽は意識的に肩を回した。


「今はこっちのカレーに集中集中」


 いい色になったところで、ショウガとニンニクを投入。

 香りが一段階変わる。鋭さが加わり、鼻腔がぐっと刺激される。


「ここで焦がすと全部台無しだからな……っと」


 軽く火力を絞り、香りが立ち上ったところで刻んだトマトを投入。

 じゅわっ、と酸味のある蒸気。

 トマトが崩れてペースト状になるまで、混ぜながら軽く煮詰める。

 タイミングを見計らって――さっき調合したスパイスミックスを投入。

 黄色と茶色が混じり合い、フライパンの中が一気に「カレー色」に染まった。


「うお……」


 思わず、声が漏れる。

 香りが、明らかに「それ」になった。

 懐かしい、と同時に、「この世界で初めて」の匂い。


 ……一滴だけ、眼から何かが流れたけれど。

 それを無視する有羽。無視しなければ、前を向けない。


「……よし」


 水を加えて、一度全体をのばす。

 ぐつぐつと泡が立ち始めたところで、火を弱めて保温状態に。


「次、メインディッシュ」





◇◇◇





 ログハウスの床の一部を踏むと、そこだけ板が静かに滑ってずれ、階段が現れた。

 魔法で温度と湿度を管理する地下室へと降りていく。

 ひんやりとした空気。

 木箱や樽が、整然と並べられている。

 その中の一つ――低温熟成用の箱を開けると、淡い冷気がふわりと漏れた。


「お前だな、今日の主役は……牛と鳥の、良いどこ取りの魔物くん」


 牛鳥型魔物のモモ肉が、適度に水分を飛ばされ、表面がしっとりと引き締まった状態で寝かされている。地球には居なかった生物……だが有羽にとって大事なのは食えるか食えないか。

 あるいは美味いか不味いか。

 そしてわざわざ低温熟成してあることから解る様に……この魔物の肉は美味い。

 王都で高額で取引される部類の肉。

 無論、有羽からすれば森で見かけると「いい肉見っけ」の一言で処理される品種。

 慈悲は無い。

 

 有羽は箱の中を見つめる。脂身と赤身のコントラストが美しい。

 一本取り出し、軽く指で押す。

 弾力。戻り。香り。


「うん、いい感じに熟成されてる。自分で言うのもなんだけど、俺、ほんと何してんだろうな……」


 ぼやきながらも、顔は完全に嬉しそうだ。

 モモ肉を数本抱えて階段を上がり、キッチンへ戻る。

 余計な筋と脂を処理し、一口大に切り分ける。

 塩を少々。

 下味用に、スパイスミックスをほんの少しだけ揉み込む。


「一回焼きつけてから煮込むか、そのまま突っ込むか……今日は初回だし、焼き目付けたいな」


 別のフライパンを熱し、油を薄く敷く。

 十分に温度が上がったところで、モモ肉を並べた。


 じゅうううう。


 肉の表面が一気に白く変わり、焼き色がついていく。

 脂が溶け出し、香ばしい匂いが室内に充満した。


「反則だろこれ……」


 表面にしっかりと焼き目が付いたところで、カレーベースの鍋へ投入。

 ミルクも注ぎ入れ、全体を静かにかき混ぜる。

 とろりとした液体の中に、こんがり焼けたモモ肉が沈んでいく。


「ふふ……ふふふ……」


 有羽の笑い声が、ログハウスの中に低く響いた。


「今回は見送るが……ガラムマサラも作らないとな……くっくっく」


 口元が、完全に悪の幹部だった。

 魔力で火加減を調整し、弱火でのコトコトタイムに突入する。

 鍋の表面には、ゆっくりと小さな泡が立ち、少しずつ濃度が増していく。

 スプーンで一度すくい、ふっと息を吹きかけてから口に含む。


「……」


 数秒の沈黙。


「…………あー、やば」


 思わず、肩が脱力した。


「まだ荒い。まだ調整の余地はある。けど……あー、これもう、ちゃんと『カレー』だわ……」


 香りは、この世界で手に入る素材なりに少し野性味がある。

 トマトの酸味も、玉ねぎの甘みも、完全に日本のそれとは違う。

 それでも――舌の上に広がる感覚は、紛れもなく「懐かしいもの」に近づいていた。


(……次来た時、王女さん達に試しに食わせてみるか)


 そんな考えが、一瞬だけ脳裏をよぎる。

 すぐに首を振った。


「いやいやいや、まずは俺が楽しんでからだろ。あいつらには第二号、第三号くらいでいい」


 口ではそう言いつつ、頭の片隅ではすでに「辛さ控えめ版」とか「パンに合うタイプ」とか、「王都でも再現可能なレシピ」まで設計し始めている自分に気づき、思わず苦笑した。


「……ホント、何やってんだよ、俺」


 鍋の蓋を軽くずらし、香りが逃げすぎないように調整しながら、もう一度木べらで底をさらう。

 とろみを帯びたカレーが、ゆっくりと鍋の中で波打った。


「よし――記念すべき、この世界カレー第一号」


 誰もいないキッチンで、有羽は小さく宣言した。


「最初の客は、俺だ」



 こうして、世渡有羽の「カレーによる新たな堕落計画」が、静かに本格始動するのだった。



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