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異世界転移したけど森の奥で引きこもってます。スカウト? いやぁ、森から出る気はないので遠慮します  作者: 初音の歌
第二章

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第16話・女帝の独白



 有羽の背中が、ぐん、と遠ざかっていく。

 大量のスパイスを詰め込んだ蔓の背嚢を背負い、足裏にほとんど重さを感じさせない滑らかな走り。

 地を蹴るというより、風の流れに身体を乗せて運ばれているような、そんな走り方だった。


 オアシスの樹々の枝葉が、彼の通過に合わせてわずかに揺れる。

 しかし、土は抉れない。

 根も折れない。

 ただ、風の筋だけが、彼の進路をなぞるように伸びていく。


『……相変わらず、器用な使い方をするものだ』


 マネキンめいた木の顔に、微かな愉悦が浮かぶ。

 樹神女帝は知っている。

 あの「風」は、単なる風属性の魔法ではない。


 足元に圧縮された空気。

 それを解放することで生む推進力。

 それを支えるための、同時展開される緩衝用の術式。

 周囲の樹木に負担をかけぬよう、軌道上の枝葉に先回りして流し込んだ微量の結界。

 人の子が組み上げるには、あまりにも多重で、あまりにも繊細な魔法運用。

 ――あれを、完全に再現できる術者は。


『この世界の、どこにもおるまい』


 女帝はそう断じる。

 太古の昔から、彼女は人の営みを見てきた。


 裸足で泥を踏みしめるだけだった頃の人の子。

 粗末な槍しか持たず、夜になれば闇に怯えていた時代の人の子。

 やがて、火を操り。

 鉄を打ち。

 魔法と呼ばれる「言葉」を覚え。

 人の国は増えた。

 塔は伸び、城壁は高くなり、学院と呼ばれる学び舎が建てられていった。

 天を討ち、森を焼くほどの術を編み上げた魔導師も、確かにいた。

 竜を撃ち落とした英雄も、確かにいた。

 だが、あれらは皆、「大雑把」だ。

 強い。

 しかし、粗い。

 自分の足元の草を裂くことすら気にかけぬ、粗野な炎と雷。

 森をひとまとめに「燃えやすいもの」としか捉えぬ、雑な広域魔法。

 対して、有羽の魔法は――。


『森に、害が少ない』


 それだけで、女帝にとっては十分すぎるほど異質だった。





 ◇





 初めて彼の存在を知覚したのは、八年前。


 大森林の南部。

 それまで何もなかったはずの場所に、突如として「芽」が出現した。

 土の中に眠っていた種が発芽した、という感覚とは違う。

 外から、少量の土ごと「移植」されたような、妙な違和感があった。

 幼い人の子の気配。

 驚きと恐怖に満ちた、細い魔力の灯り。


 本来なら――。


『すぐに、消えると思っていたがな』


 魔境の大森林は、人の侵入を拒む。

 瘴気。

 強大な魔物。

 複雑に入り組んだ地形。

 いずれか一つに躓けば、細い命など簡単に折れる。

 女帝は、それを何度も見てきた。

 だから、南部に現れた小さな灯りを、最初は「短命な火」としてしか認識していなかった。


 それなのに――。

 火は、消えなかった。


 何度も、何度も、強い魔物の気配に囲まれ。

 何度も、何度も、血と汗の匂いにまみれながら。


 小さな灯りは、しぶとく生き長らえた。


 時に、崖から落ちかけ。

 時に、瘴気に肺を焼かれかけ。

 時に、牙に肉を食い破られかけ。


 そのたびに、彼は――自分の中の何かを、必死にかき集めて耐えた。


 女帝には、彼の表情までは見えない。

 だが、魔力の揺らぎから、彼の感情はある程度読み取れる。


 震える。

 怯える。

 それでも、立ち上がる。


 小さな芽が、嵐に打たれながらも根を伸ばす姿に、よく似ていた。





 ◇





 そして、転機は一年後に訪れる。


 南部の空が、一瞬だけ「反転」した。

 女帝の広げた根を通じて、世界樹から流れ込む光の線が、ひときわ激しく震えたのだ。

 南部のその一点から、膨大な情報の奔流が噴き出す。


 文字。

 絵。

 音。

 色。

 匂い。


 女帝は思わず、意識をそちらへ集中させた。

 有羽が開いた魔法。

 記憶を再起させ、忘れていたものを全て引き戻す術。

 世界の理に介入するそれは、女帝から見ても、異様な手触りをしていた。


『……これは』


 彼女は、その光景を「見た」。


 海。

 山。

 鉄と硝子で出来た、高く高く伸びる塔。

 よく分からない箱から流れ出る、歌のようなもの。

 夜でも闇にならない街。

 見たこともない文字が、紙でも石でもない薄い板の上を流れていく。


 有羽の故郷。

 彼が「地球」と呼ぶ世界の、断片。


 女帝は、それらが今もどこかに存在するのか、あるいは既に失われた幻なのか、判断する術を持たない。

 ただ、彼の内部に「刻まれている」記憶として、それは確かにあった。


 家族の顔。

 友人の笑い声。

 学校という場所。

 電車という乗り物。

 コンビニという、夜でも明るい店。


 色彩が増えれば増えるほど――。

 彼の魔力の色は、沈んでいった。

 目を背けていたもの全てを、無理やり直視させられた芽のように。

 女帝は、その瞬間をはっきりと覚えている。


 森の南部の灯りが、一度、完全に「折れた」のを。





 ◇





 それでも、有羽は死ななかった。


 生きる意味を見失いながらも、惰性のように魔物を狩り続け。

 気が向いたときだけ、畑をいじり。

 たまたま思いついた魔法を組みあげては、記録も取らずにそのまま放置して。

 芽は、光を求めることをやめ。

 それでも、根だけは深く深く伸ばし続けていた。

 そうして四年が過ぎた頃――。


 彼の「名前」が、世界に刻まれた。





 ◇





 大森林そのものが、ゆるやかに呼吸する。

 それは女帝にとって、日常であり、時間の流れを知る唯一の感覚だ。


 ある日、その呼吸のリズムに、微かな「異物」が紛れ込んだ。


 大地の奥。

 水脈の向こう。

 世界の根のさらに下、名もなき魔力の海で。

 新たな線が、一つ、描き足された。


 名だ。

 世界は、時折、特定の存在に「銘」を与える。

 女帝自身も、その一つ。



 樹神女帝ドライアド・エンプレス



 その名は、彼女が望んでつけたものではない。

 気づけば、そう「呼ばれていた」。


 東の「蛇」にも、名がある。

 北の「アレ」にも、名がある。


 火山が山であるように。

 海が海であるように。

 世界の枠組みの一部として、刻まれた「登録名」。


 そして――。

 その日、新たに刻まれた名。



 森奥隠者フォレスト・ハーミット



『……お主は、呼ばれたのだよ』


 女帝は、柔らかく、しかしどこか哀しげにつぶやく。


『この世界そのものに、な』


 それは一つの事実を示す。

 世渡有羽は、偶然「転移」したのではなく。

 必然的に「召喚」されたのだと。


 なぜ、彼が選ばれたのかは分からない。

 彼女は、自分が「最古のドライアド」となった理由も知らない。


 気づけば、全ての森の声が聞こえるようになり。

 気づけば、この西部を護ることが「当然」となり。

 気づけば、世界から流れ込む命の循環の一角を担っていた。

 それは「選択」というより、「成り行き」に近い。

 有羽も、おそらくは同じだ。


 南部に根を張り。

 魔物を狩り。

 瘴気の流れを整え。

 北の暴走を、一度だけとはいえ抑え込んだ。


 その、結果。

 世界が、「森の南の番人」として彼を名簿に書き込んだ。


 森奥隠者フォレスト・ハーミット


 南部の均衡を担う者としての、立場。

 本人の意思とは関係なく。





 ◇





『……哀れなことよ』


 マネキンの木の顔が、わずかに伏せられる。


 故郷に還る術もなく。

 異質な魔法と知識を抱えたまま。

 ただ一人で森の奥に閉じこもる人の子に。

 世界は「役目」まで与えた。


 東には「蛇」。

 西には「我」。

 北には「アレ」。


 そして、南には「隠者」。

 四方を押さえるくさびのように、配置された番人たち。


 その中で、有羽だけが――あまりにも、若い。


 東の蛇は、動くだけで森の地形を書き換える古き災厄だ。

 北の「アレ」は、存在そのものが破壊衝動の塊だ。

 女帝は、あれらと戦いたくない。

 単純に、規模が大きすぎる。

 あの二体が本気でぶつかり合えば、この大森林どころか、大陸の地形すら変わりかねない。


 しかし、南の隠者とは違う理由で「戦いたくない」。

 有羽とだけは――。


『感情が、拒む』


 女帝の価値観は、人のそれとはかけ離れている。

 全ての命を等しく尊ぶわけではない。

 弱き芽を、容赦なく踏み潰す根もある。

 虫の大群を、一斉に枝で払うこともある。

 必要とあらば、森の一部を切り落とし、焼き払うことすら厭わない。


 だが、それでも。

 ただ一人で、誰の助けもなく、懸命に生き続ける命に対して――彼女は、弱い。


 有羽が、岩陰で膝を抱えて眠っていた夜。

 嵐の中、震える手で焚き火を守り続けた夜。

 竜を撃ち落としたあと、誰とも言葉を交わせずに天井を睨んでいた夜。

 その「色」は、彼女の根の先まで、じわりと染み込んできた。


 あれほどまでに折れて、なお。

 あれほどまでにこじらせて、なお。

 隠者は、畑を耕し、魔物を狩り、湯を沸かし、料理を作り続けていた。

 彼の生き方は、女帝の目には――。


『幼き日の我と、似ておる』


 虫に噛まれることすら怖かった、一本の小さな芽。

 雨に打たれ、風に折られながらも。

 それでも根を伸ばし続けた、かつての自分。

 有羽は人の子であり、女帝は樹霊だ。

 生き物としての形も、寿命の長さも、まるで違う。


 だが、「懸命に根を張る」という一点において、二人は似ていた。

 だからこそ――。


『戦など、したくないものだな』


 彼女は、心からそう願う。





 ◇





 ふと、オアシスの上空を渡る風が変わった。

 南部へと向かう、有羽の魔力の筋が、少しだけ遠ざかっていく。

 それを見送るように、女帝は木人形の顔を上げた。


『願わくば』


 そっと、言葉がこぼれる。


『そのまま、健やかに』


 マネキンめいた木の姿に、柔らかな笑みが浮かんだ。

 次の瞬間――。


 足元から、ざり、ざり、と音がする。

 木人形の足首に絡んでいた根が、そのまま上へと這い上がり、身体を包み込む。

 幹と枝が崩れるのではなく、逆に「還っていく」。

 腕が、指が、胴が、ひとつひとつ木の板へとほどけ、大地の中へ滑り込む。

 やがて、そこには何も残らない。


 樹神女帝には、本来「形」がない。

 先程までの木人形は、ただの分身に過ぎない。

 この西部全域に絡みついた根。

 頭上に広がる樹冠。

 風に揺れる葉の一枚一枚。


 その全てが、彼女の身体であり、眼であり、耳なのだ。





 ◇





 大森林は、今日も静かに呼吸している。

 西部の根を通じて、女帝は森のあちこちを「視る」。


 東――。

 膨大な存在感。

 しかし、動かない。

 巨大な蛇が、ただ、とぐろを巻いて眠り続けている。


 北――。

 かつて荒れ狂い、大地を裂きかけた黒い「何か」。

 今は、深い地の底で沈黙している。


 その静寂を保つために、四年前、有羽と共に奔走したことを、女帝は忘れていない。

 あの時の、嫌になるほどの疲労感と消耗も、まだ根のどこかに残っている。


 そして、南――。

 若き隠者の灯りが、軽やかに跳ねている。


 森の魔物を避けながら。

 時に、小さな魔物を無造作に「眠らせ」ながら。

 時に、気まぐれに倒木を片付けながら。

 背中には、スパイスの香りを詰め込んだ蔓の背嚢。


 彼の進む先には、彼自身の畑。

 樹に囲まれた小さなログハウス。

 温かい湯。

 そして、新しく生まれる「カレー」の香り。


 女帝は、その光景を、根の奥からそっと見守る。

 西の主として。

 森の調律者として。



 そして――ただ一つの、懸命に生きる芽を見つめる、古い樹として。




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