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異世界転移したけど森の奥で引きこもってます。スカウト? いやぁ、森から出る気はないので遠慮します  作者: 初音の歌
第七章

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第110話・ゴミ掃除


 国境線上。大河を舞台に繰り広げられる、有羽とアギトの激戦。

 その戦いは、先程のクロエとアギトの闘い以上に――壮絶だった。


 目にも止まらない……のではなく、目では追えない。

 人の知覚で拾えるのは、衝突音だけ。


 金属がぶつかる音ではない。

 骨が砕ける音でもない。


 世界が軋む音。

 空間が擦れる音。

 水面が叩き割られる音。


 視界に映るのは結果だけだった。


 水面がえぐれる。

 泥が爆ぜる。

 土煙が上がる。

 そして、次の瞬間に別の場所でまた爆ぜる。


 王国側の兵も、帝国側の兵も、ただ立ち尽くす。

 矢も槍も、剣も魔法も意味がないと分かる。

 分かってしまうから、戦慄している。

 彼らの視界には戦いの「動き」がない。

 国境線の中心に、二つの影がある――と、辛うじて分かる程度。


「ああぁぁぁぁぁっ!!」


 アギトの叫びが響く。

 怒りを含んだ叫び。

 叫びながら、無数の拳撃と蹴撃を飛ばす。


 前後左右、複雑に高速で動き回りながらの接近戦。

 地面から跳び、空中でぶつかり、衝撃と波紋が戦場に広がる。


 撃つ――捌かれる。

 蹴る――防がれる。

 薙ぐ――受け流される。


 アギトの手足に込められた魔力は、触れただけでレベル五十付近の魔物なら吹き飛ぶ密度だ。

 そんな攻撃を、有羽は涼しい顔で――すべて捌き切っていた。

 それも素手で。

 特殊な障壁を張るでもなく、権能を使うでもない。

 まるで子猫のじゃれ合いに付き合うような、平然とした態度で。


(舐めやがって……コイツ……っ!!)


 アギトの奥歯が砕けそうなほど噛みしめられる。

 だが届かない。

 全て容易く受け流される。

 拳も、蹴りも、爪も、牙も――当たらない。


 触れてはいるのだ。

 だが触れた次の瞬間には、感触が掌の外へ滑って逃げる。

 衝撃音は派手に鳴っているが、実際のところ、全て流れて消えている。


 有羽は、動いている。

 だが正確には、動いているというよりも……付き合っているだけだ。

 アギトの動きに合わせて。

 アギトの攻撃を受け止めて。

 子猫のじゃれ合いに対して、片手間で相手をするように。

 そのことが理解できるから――余計にアギトの怒りが膨らむ。


「余裕ぶるな……このクソ隠者ぁっ!!」


 アギトが、全力の右回し蹴りを放つ。

 直撃を受ければ、竜の首ですらへし折れて死に至る破壊力。

 その脚が、空気を裂きながら迫る。


 それを有羽は――軽く左腕を上げて受け止めた。


 瞬間、響き渡る激音。

 爆音。

 轟音。


 振動だけで、人の身体の芯が震える。

 帝国側の兵も、王国側の兵も、目を見開く。

 目を見開かざるを得ない。

 今の一撃を、有羽が平然と受け止め、微動だにしていないのだから。

 有羽が、呆れたように口を開く。


「仕方ないだろ――実際、余裕なんだから」

「~~~~っ!!」


 アギトの顔が、更に歪む。

 怒りが熱になる。熱が殺意になる。殺意が行動になる。

 行動は、無数の拳撃乱舞として形になる。


 だが――届かない。

 有羽は受ける。

 捌く。

 避ける。

 踏み込む。


 その一連に無駄はなかった。

 小さく最短で――嫌気がするほど正確な対処。

 アギトの攻撃が激しくなるほど、有羽の受け流しが滑らかになる。


 それが、アギトには許せない。

 戦いは空へ、地上へ。

 二人の姿は何度もかき消える。

 視界には映らない。

 人の動体視力で追える速度ではない。

 だが――術式の発動だけは、結果として見える。


縫い留めろ界境の指(バインド・ステッチ)!!」


 アギトが両手を突き出す。

 指先から幾条もの光の線が伸びる。


 糸。

 境界に糸を打ち、座標そのものを縫い留める拘束術。

 移動を封じ、存在点を固定し、世界の座標に釘を刺す。


 本来なら、逃げられない。

 場所を縫い留められた時点で、動けない。


 だが。



「――■■■(Custos)■■■(Terrae)



 有羽が声を落とし――次の瞬間、大地が隆起した。

 土壁が生えたように見える。


 しかし違う。

 あれは結果だ。

 有羽は――()()()()()()()


 地面の在り方そのものを組み替え、座標の定義をずらした。

 場所を縫い留める糸は、場所が動けば意味を失う。

 固定しようとする「点」が、別物に変えられる。

 結果、拘束術式は隆起した土壁だけを縛る。


 アギトの口が引き攣った。

 人には分からない。

 だがアギトには分かってしまう。


 防御不能なはずの拘束が、無効化されたのだ。

 しかも力で弾かれたのではない。

 目標地点を、世界側から書き換えて。


(……あんな真似、アタシじゃ出来ない)


 術式で対抗する以前に、術式の前提を壊している。

 怒りの中に、冷たい恐怖が混ざる。

 反射的にアギトが後ろへ跳び、距離を取る。

 だが距離を取った次の瞬間――もう追撃が来ていた。



■■■(Stella)■■■(maris)



 海の星。

 有羽が呟くと、大河がうねった。

 大河の水面が持ち上がり、球になる。


 膨大な水球が、アギトの頭上から落ちた。


 圧し潰す。

 息を奪う。

 動きを奪う。

 外から見れば、水に沈んだだけだ。

 だが内側は違う。


(水じゃ、ない……!?)


 巨大な水球の内部で、耳が潰れるような圧がかかる。

 声が出ない。肺が潰れる。骨が軋む。

 深海の圧――それがここに成立している。


(クソ隠者……「海」を引っ張ってきやがった……!)


 第一段階――水の生成と操作。

 第二段階――水圧場の顕現。

 第三段階――潮位基準の書き換え。

 第四段階――海原参照枠の召喚。


 対象の周囲だけを「深海」として成立させている。


 外から見れば水球。

 中身は深海。

 普通の存在なら潰れて死ぬ。

 アギトでも、潰れかけている。


(まずい……潰れて……死ぬ……!)


 アギトは必死に術式を組む。

 境界干渉の応用。

 因果の不整合を「元の位置」へ戻す局地整列。


(――揺り戻せ世界の輪(アライン・リバース)


 局地的な時間歪曲の解消。

 成立してしまった()()()()()()を、元の世界線へ押し返す。


 瞬間、水球が弾けた。

 水が爆ぜ、雨が降り、飛沫が地面を叩く。


 アギトは全身ずぶ濡れのまま上空へ跳ぶ。

 一呼吸のための離脱。

 あのまま居れば殺される。


 上空で息を吸い込む。

 喉の奥が痛い。肺が痛い。身体の芯がまだ重い。

 それでも、理性は完全には死んでいない。

 次にどう噛みつくかを考える余裕は残っている。


 そして上空から見下ろし――気付く。

 有羽の姿が、何処にもない。


(……え?)


 空から見下ろす。

 地面を見る。

 川面を見る。


 いない。

 どこに消えた?

 どこに行った?

 疑問が浮かび――





「――どうした? 天蛇の分身ってのは、その程度か?」





 ――アギトの真後ろから、答えが来た。


 汗が一筋垂れる。

 動きを全く追えなかった。

 上空に飛んだ瞬間に、背後を取られている。

 恐怖が一瞬だけ湧き上がりかけ――それを怒りで噛み砕く。


「だあぁぁぁぁあっ!!」


 振り向きざま、爪を薙ぐ。

 裂空の一閃。

 大気が裂け、空に黒い筋が走る。


 だが薙いだ先に、有羽はいない。

 また消えた。

 目に捕らえられぬ速度で回避した。


 ほんの一瞬、アギトの思考が止まる。

 そして――凄まじい衝撃が背中に。


「か――!?」


 打ち付けるような拳。

 落とすための一撃だ。

 骨に響き、肺が潰れ、視界が白くなる程の。


 アギトの身体が、地面に叩き落とされる。

 墜落。

 轟音。

 土煙。

 大地が抉れ、亀裂が走り、周囲一帯が振動する。


 土煙の中、アギトは痛む身体を引きずるように起き上がる。

 歯を食いしばる。

 息が荒い。

 怒りと痛みが混ざる。


 そこへ、有羽が音もなく降り立った。

 あまりに静かに。

 まるで落ち葉が落ちるように。


 どちらも超常の者同士。

 どちらも神域に立つ者。



 それでも――戦いの天秤は、あまりに一方的だった。





 ◇◇◇





 戦い続ける有羽とアギトの様子を、アウローラは呆然と眺めていた。

 腕の中では、クロエがじたばたと小さな手足を動かしている。

 自分も行く、守る、叩く――そんな主張を全身で表現していた。

 しかしアウローラの意識は、そこへ届かない。


 何故なら……視界に映るものが、衝撃的すぎた。


 見えるのは結果だけ。

 空気が裂ける。

 水面が跳ねる。

 土煙が上がる。

 光が走る。

 その中心に「森の賢者」が……世渡有羽がいる。


「……有羽」


 思わず声が漏れた。

 それは届かせようとして発した声ではない。

 彼がこちらを向くことなど、期待していない。

 ただ、無意識に出た音。

 あまりに遠すぎる存在に対して、手を伸ばすように――アウローラの中の何かが、勝手に名前を呼んだだけ。


(有羽はあそこまで――あそこまで強かったのか)


 強さは知っていた。

 二年前、森で遭遇した日から。

 竜を落としたあの日から。

 自分を遥かに上回ると、最初から思っていた。

 国が総力を挙げても叶わない存在だと、感覚で理解していた。


 だが。

 今見ている強さは、そういう段階ではない。


 物差しが、そもそも届かない。

 次元が違う。

 位置している地点が別物だ。

 同じ空の下にいるのに、座っている場所が違いすぎる。


 樹神女帝と、世界天蛇。

 森の西と東の主格。

 この二柱と並べて語るべき「森の主」が、南にもいたのだと――今になって身体で理解する。


 星髪のアギトは、強かった。

 クロエと互角以上に渡り合い、押し切り、殺そうとした。


 そのアギトが――有羽に振り回されている。

 いや、振り回されている、という言葉すら優しすぎる。


 あれは圧倒しているというより――「手順」で片付けている。


 掃除の手順だ。

 邪魔なものを移す。

 危険なものを掴む。

 暴れそうなら押さえる。

 騒ぐなら黙らせる。

 それを、淡々とやっている。

 その冷たさが――妙に怖かった。


「――殿下!」


 声が届いて、アウローラはようやく現実に戻る。

 セシリアの声。

 視線を向ければ、セシリアだけではなかった。

 国境軍と境界狩猟軍の兵が数名、必死に距離を測りながら集まってきている。


 彼らも理解しているのだ。

 今の戦いに加勢はできない。

 近づけば死ぬと。

 それでも王族の安否確認だけはしなければならない故に。


「御無事ですか殿下!? お怪我は……!」


 セシリアの声は切迫していた。

 先程、確かにアウローラは吹き飛ばされた。

 障壁ごと叩き潰される衝撃で。

 重傷でもおかしくない――いや、死んでいてもおかしくない。


「……ああ。大丈夫だ」


 アウローラは自分の身体を確かめるように、肩を回す。

 腕をぐるぐる回す。

 足首を軽く弾ませる。

 痛みがない。

 息切れもない。

 むしろ、負傷する前より体が軽い。


「見ての通り問題ない。……有羽が治してくれた」


 あまりにさらりと言うものだから、セシリアが目を細めた。


「……先程、あの星髪の攻撃を受けて重傷だと思ったのですが……」

「重傷だったぞ。かなり危うい傷だった」


 あっけらかんというアウローラ。

 だが言葉は、軽口ではない。

 傷の深さを正しく事実として伝える声音。


「あのままだったら何かしらの後遺症があってもおかしくないくらい、傷は深かったぞ」


 セシリアがぎょっとする。

 彼女は見た。

 アウローラが吹き飛ばされる瞬間を。

 障壁が割れるのを。

 一部始終を全て。


 あれで無事なわけがない。

 無事で済むはずがない。

 しかし――現実は無事だ。


「だが、流石は有羽だな。あの傷を一瞬で治した」


 アウローラは胸を張った。

 何故か、我が事のように誇らしげに。


「まったく、どこまでも凄い奴だ」


 その表情は明るい。

 けれど瞳は真剣で熱を帯びている。

 誇らしさと、安堵と、そして――それ以上に「女」としての感情が混ざっているように見えた。


 セシリアは、その言葉と顔を間近で見て――改めて戦場へ視線を移す。

 何も見えない。

 感じ取れるのは音と衝撃と光だけ。

 たまに、星髪がいたと思った次の瞬間に、地面が抉れている。

 たまに、空が裂けたと思った次の瞬間に、有羽が別の場所にいる。

 そんな戦闘を見て、セシリアの背筋が寒くなる。


(……あれは……人が求めていい存在ではない)


 セシリアの中に、恐怖が二つ生まれる。

 一つは、王都の宮廷貴族たちへの恐怖だ。


 賢者に敵愾心を持つ者。

 賢者を囲えと言う者。

 賢者に頭を下げさせろと言う者。


 王族の命を聞かない不敬者?

 王女のスカウトを断る不届き者?

 無礼者への処罰?


(何を馬鹿な)


 あれに制度は通じない。

 あれに権威は通じない。

 あれに「王国の正しさ」をぶつけることは、火の中に油を投げ込むようなものだ。


(死にたいのか、宮廷の連中は)


 想像するだけで、胃が冷える。

 賢者の矛先がこちらに向く未来。

 その未来を止められる者が、王都にいるとは思えない。


 そしてもう一つ。

 それは――アウローラへ向けての恐怖。


(殿下……本当に、慕っていい存在なのですか?)


 彼は今しがた、王女を救った恩人だ。

 可愛いクロエの創造主だ。

 数多の知識を王国へ落とした賢者だ。


 敵対する気は最初からない。

 むしろ味方に引き込めるなら引き込んだほうが国の為だろう。


 しかし――本当に、近づいていいのか?

 本当に、その線を越えていいのか?


 セシリアは有羽と会話したことがない。

 今日初めて、その姿を見た。

 だから有羽の善性が見えず、力しか見えない。


 だが逆に、力しか見えないからこそ……ある意味では、判断が最も生物として正しくなる。


 それは生き物として、当然の恐怖。

 近づくな。

 危険だ。

 あれは「こちらの世界の住人」ではない、と。


 セシリアは拳を握った。

 手汗を滲ませながら、必死に思考を纏める。


(――王女殿下は、そんな賢者を慕っている)


 あの誇らしげな顔を見ただけで分かる。

 声にも混ざっているのだ。

 そして瞳――女としての「熱」を帯びた眼差し。



 その「熱」が、セシリアには一番怖かった。



 大河の水面がもう一度跳ねる。

 衝撃が足元を揺らす。

 視線の先では、目では追えない戦いが、尚も続いている。


 星髪のアギトと森の賢者の戦い。

 超常の戦い。

 誰一人として目を逸らさない。

 視界に映らなかったとしても――勝敗が決まる、その瞬間まで。





 ◇◇◇





 アギトの身体が、有羽の蹴りによって、大きく吹き飛ばされる。

 両腕を交差させ、全力でガードした――はずだった。

 なのに、衝撃は腕の骨を通り抜け、肩を砕くように揺らし、内臓を撹拌する。

 ただの蹴りの一発で。たった一発で。

 星髪の少女は、まるで石ころみたいに後方へ飛ばされる。


「く……そ……っ!」


 アギトは地面に爪を立て、必死に急停止をかけた。

 大地を削り、土煙を上げ、爪先の火花が走る。

 滑走の軌跡がえぐれた溝として残り、土煙が尾を引いた。

 両腕が痛い。痺れが残る。

 だが、そんなことより――腹の底から湧き上がる怒りの方が大きい。


(押されてる……? このアタシが?)


 全力で戦っているのに、攻撃が通らない。

 拳も、爪も、蹴りも、何一つ届かない。


 そして防御しても耐えきれない。

 今みたいに、腕で受けても、防御ごと吹き飛ばされる。


 距離が開いて、ようやく止まった。

 アギトは荒い息のまま、有羽を睨む。


 そこにいるのは、中肉中背の黒髪の男。

 特に目立つ外見でもない、どこにでもいそうな「人間の姿」。


 有羽は、怠そうに立っていた。

 息も乱れず、汗一つ見えない。

 まるで戦闘前のままだ。


 アギトの中の幼い情緒は、その余裕そうな態度に噛みつきたくなる。

 怒りが原動力になって燃え上がる。


(まだ負けない。まだ負けてない。勝負はまだ――)




■■(Ignis)■■■■(Aeternus)




 ――睨み続ける、その視線の先で。

 永遠の焔が形成された。


「――――」


 アギトの喉が、ひゅ、と鳴る。

 見た目は単なる炎。

 圧縮された燃える赤色が、芯に白を混ぜ、空気を揺らしているだけの炎。


 だがアギトには分かる。

 ――あれはそもそも「炎」ではない。

 

 燃焼ではない。

 人間の扱う火属性魔法とは根底が違う。


 あれは――熱と反応を「成立させ続ける条件」そのもの。


 燃える、という状態を固定している。

 燃料がなくても、燃え続けるように世界法則の方を合わせた。

 極端な話、空気中の微量成分や、対象の状態差すら燃料扱いにして。


 第一段階――熱量固定。

 第二段階――燃焼条件固定。

 第三段階――反応連鎖固定。

 第四段階――概念火の創造。


 燃え続ける永遠の焔。

 その焔が槍状に圧縮され――アギト目掛けて射出された。


「――っ!!」


 咄嗟に体を逸らして回避するアギト。

 髪が熱で煽られ、肌が痛む。

 炎槍が真横を通過し、遥か後方の地面に突き刺さる。


 そして――途方もない火柱が上がった。


 とてつもない熱量が、一本の柱になって天へ伸びる。

 眩しくて目が痛い。

 熱気が皮膚を焼く。


 有羽が制御しているから、延焼は広がらない。

 だが、もし制御を外したら……街の一つや二つ、簡単に燃え尽きる規模。


 ぞっとする。

 アギトの背が凍て付く程の恐怖。


(ふざけんな……! あんなもん喰らったら一撃で……!)


 あの炎の槍は刺さった瞬間に、刺さった場所を中心に「熱の方向性」を固定する。

 逃れられない永遠の延焼だ。

 流石のアギトも恐怖を隠せず、恐ろしい火柱に視線が意識が向く。


 ――だが、その火柱に意識が吸われた刹那。

 有羽が、懐に飛び込んでいた。

 そして、有羽の膝がアギトの腹部に突き刺さる。


「が――!?」


 声が出ない。

 身体の中身が逆流しそうな衝撃と痛み。

 肺が潰れて息が抜けて、視界が白く弾ける。

 そのまま膝蹴りの勢いで、アギトの身体が後方へ吹き飛ぶ。


 着弾地点は――燃え続ける火柱。

 死ぬ。

 直感がそう叫んだ。

 アギトは吹き飛びながらも、即座に牙を振るう。


「――噛み砕く咎人の牙ワールド・エンド・カットスロートォ!!」


 本来は攻撃の手段だ。

 世界の継ぎ目すら噛み砕く、境界干渉の攻撃方法。


 だが今は違う。

 全て生存のために振るう。


 両手の爪が空間へ走り、火柱の「成立」そのものを噛み千切る。

 永遠の焔は、世界線ごと裂かれ、ふっと霧散する。

 熱が消え、空気が戻り、焦げた匂いだけが残った。

 地面を転がりながら、アギトは身も凍る恐怖を自覚する。


(危なかった……ちょっとでも遅れてたら今頃――)


 だが、震える暇すらない。

 大気が動いている。

 風が蠢いている。


 ――否。違う。

 動いているのは風ではない。

 運動量と流れが支配されているのだ。




■■■(Procella)■■■(Frangens)




 傍目から見れば暴風。

 竜巻が起き、土が舞い、川面が持ち上がっている。


 だが実情はもっと酷い。


 第一段階――力の操作。風力推進。

 第二段階――広域制空。

 第三段階――気圧配置の固定。

 第四段階――空の仕様変更。


 空の「仕様」が変わっていく。

 抵抗しようとする力の向きまで、書き換えられる。

 アギトの身体にかかる力のベクトルそのものが、勝手に上へ向けられる。


 次の瞬間、アギトは投げ出された。

 天高く。

 ただ、持ち上げられるのではない。

 放り捨てられた。


「っ……!」


 手足が空を掻く。

 爪が空間を噛む。

 なのに空から戻れない。


(どうなってんだよ……!)


 空中で、アギトは悪態を吐く。


(幾ら何でも……強すぎるだろ……!?)


 レベルが高いとか、そんな話ではない。

 術式の発想が違う。

 世界の取り扱い方が違う。


 アギトは知っている。

 有羽が八年前にこの世界へ来た異邦人だということを。


 つまり僅か八年で――有羽はアギトを凌駕する存在になった。


 いや、もっと早い。

 世界天蛇の本体と互角の殺し合いが成された時点で。

 北の番人の暴走を抑え込んだあの時点で。

 四年前にはすでに、上位存在と肩を並べていたことになる。


(有り得ない――絶対に有り得ない)


 負け惜しみではない。

 ()()()()()()()()


 仮にレベルが上位神級に届いたとしても、ここまで圧倒的な差にはならない。

 つまり、何かがあるのだ。

 基幹の段階で、有羽がここに至るだけの「何か」が。


 だが思考は長く続かない。

 地上にいる有羽が、空に投げ出されたアギトへ右手を向けていた。




■■■(Astrum)■■■(Obscurum)




 暗き星――否。黒い穴が複数、有羽の前方に展開される。

 何層にも重なる黒い穴が、規則正しく並ぶ。


 帝国側の人間も、王国側の人間も、理解できない。

 それが何かなど、理解の外だ。

 理解できたのは――クロエと、アギトだけ。


亜空間穴(ワームホール)……? アイツ、何を――!?)


 疑問は瞬間で終わる。

 有羽の右掌に、膨大な熱量が収束していく。

 正しくは「破壊の指向性」が固まっていく。


 アギトは瞬時に察する。

 咄嗟に取った行動は、防御態勢だった。


 幾重にも重なる魔力障壁。

 両腕を交差し、身体を丸め、重心を内側へ。

 境界干渉を使い、空間の位相すら湾曲させる。


 絶対防御。

 そう呼べるだけの全力。

 ――その全力へ向かって。




「――■■■(Fulmen)■■■(Fulgoris)




 第一段階――収束。

 第二段階――位相整列。

 第三段階――増幅。

 第四段階――歪曲収束砲発射。




 一筋の光線が走った。




 ただの熱線ではない。

 破壊の意志そのもののような一本線。


 ワームホールを通過するたびに、光線の太さが増す。

 位相の乱れが矯正される。

 熱量の散りが消える。

 角度が固定される。


 距離も意味がない。

 角度も意味がない。

 防御も意味がない。




 結果――天空まで貫く膨大な破壊光線が、アギトの身体を焼き貫いた。




 ――次いで、空の上で大爆発が起こる。


 振動が遅れて地上へ落ちる。

 轟音が遅れて川面を叩く。

 衝撃が遅れて兵の膝を折る。


 帝国兵も王国兵も、立っていられない。

 膝をつき、手で地面を掴み、呼吸を必死に繋ぐ。

 音を届ける耳が痛い。咄嗟に閉じた瞼が震える。

 世界が一瞬だけ歪んだ錯覚が走る。


 空に黒煙が上がる。

 太陽の光が薄くなるほどの煙。

 焦げた匂いが風に乗って流れてくる。


 そして、黒煙の中から。

 ぐったりと、四肢を投げ出したアギトが落ちてきた。


 落下。

 ただ落ちる。

 抵抗もなく。

 おそらく意識すらなく。


 そして大地へ激突。

 鈍い音と共に、地面が小さく陥没する。


 星髪の少女は動かない。

 動いていない。

 微動だにしない。


 戦場の空気が、凍りつく。


 そんな冷えた景色の中で、有羽だけが淡々としていた。

 ただ、落ちた先を見て、少しだけ眉を上げる。


「――へぇ。耐えたか。案外やるもんだな」


 その言葉は褒め言葉に聞こえた。

 思ったよりしぶとい――その程度の反応。


 アギトは動かない。

 命を繋いだだけ。

 ギリギリで耐えただけ。

 勝敗は、これ以上ないほど分かりやすい形で示されていた。


 そして、この場にいる誰もが理解する。

 ――これは戦闘ではない。

 戦闘の前提になるはずの「力」が、そもそも同じ盤面に乗っていない。



 有羽は見つめていた。

 一目で解る敗者の残骸を……冷めた目で、静かに。



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