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異世界転移したけど森の奥で引きこもってます。スカウト? いやぁ、森から出る気はないので遠慮します  作者: 初音の歌
第七章

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第109話・森奥隠者と星髪の顎


 ――魔境の大森林、南部。有羽の居住空間。


 探求神スキエンティアと世渡有羽の二名は、探求神の権能による「最深奥の万魔図書館メモリアル・パンデモニウム・ライブラリー」を展開し、情報収集に励んでいた。

 世界の記録を片っ端から漁っては、引き上げ、並べ、比較する。


 神聖国の加護の段階。

 微加護のルールの穴。

 アギトという現象体が持ちうる機能。

 多種多様な世界の記録を目に通す。


 しかし――ここ数日は手詰まりだった。


 読める範囲は、ほとんど読み終えている。

 新規情報は薄い。断片は拾えるが、肝心の核心は引っ込んだまま。

 もっと深く知りたい情報ほど、届かない領域にある。


 天蛇本体も同様。

 北の番人に至っては、触れようにも名すら解らない。

 森の情報は神の管轄外で――解析不可という状態。




 ――だから今は一旦、手を止めている。

 理由は簡単。頭を使えば腹が減るのだ。

 それは世界の上位存在であろうと同じ理屈で。


 とどのつまり――ご飯の時間である。

 



「うわーい! ハンバーグだぁ! 美味しそうー!!」


 有羽の住むログハウス。その食卓のテーブルで、スキエンティアが目をらんらんと輝かせ、ナイフとフォークを握りしめていた。

 食卓の上には、肉汁の香りを湛えた焼きたてのハンバーグ。湯気が立ち、ソースが照り、付け合わせの野菜が色を添える。

 美味しそうな昼ご飯を前に、眼鏡美女が椅子の上で跳ねる。完全にお子様だ。


「ねぇねぇ!? これ何のお肉? 鳥? 牛?」

「デストロイホーン。森で狩った牛さん。地下に一杯冷凍してあるから、いい加減消費しないと溜まる一方なんだよ」

「どんどん消費していいよ! 神様の胃袋は無限大だからね!!」


 ぐっと親指を立てる女神様。

 そのまま返事も待たず、ナイフとフォークを握りしめ、ハンバーグに突撃した。

 じゅわっ、と音を立てながら、スキエンティアはハンバーグを切り分ける。

 肉汁が溢れ、湯気が立ち、香りが弾ける。

 あーん、と大口を開けて頬張る。

 瞬間、女神の顔が蕩けた。


「んっふふ……ねぇ有羽君」

「なにさ?」

「――お礼に加護、要る?」

「要らんわ!! 黙って食え!!」


 怒鳴る有羽。

 至極当然の反応。何処の世界に、ご飯のお礼に加護を与える神が居ると言うのか。

 怒鳴られたスキエンティアは、しおしおに萎びる。


「そんなに怒んないでよぉ……えーん」


 ひんひん泣きながら、もっきゅもっきゅと食べ続ける。

 泣いているのか食べているのか、もうよく分からない。

 有羽は盛大に溜息を吐く。

 ただし、ハンバーグの出来には満足しているらしい。自分の皿の分を切り分け、噛みしめ、味を確認する。


「……ふむ。味はまあまあだな。もうちょい脂身増やしてジューシーにしても良いけど、デストロイホーンは赤身強いからなぁ。このくらいが安牌か」

「……思ったんだけどさ」


 スキエンティアが、ハンバーグに舌鼓を打ちながら首を傾げる。


「有羽君のその、食への情熱はどこから来てるの?」

「日本人を舐めるな。毒がある食い物でも、どうにかして食えるようにする民族だぞ。執念の方向が大体おかしいんだよ」

「……有羽君の故郷、食に関しての探求はわたしより凄いんじゃない?」

「かも知れない。フグの卵巣を三年漬け込んで食うとかさ、正気じゃないだろ?」

「この世界だと狂気の沙汰だよ、それ」


 スキエンティアが半笑いを浮かべながら……それでもハンバーグを食べる手は止まらない。

 美味しいは正義。万国共通の理は、世界を越えて神にも通用するようだ。

 有羽も同じで、今はただ出来立てのハンバーグを頬張るのみ。

 だが旨味たっぷりの肉の味を噛み締めれば噛み締めるほど……心の中に想いが募る。

 ふと、目が遠くなる程に。


「……まだ再現できてない料理は山ほどあるんだよ。特に米料理……」


 そして、急に眼が血走る。

 このハンバーグで白米を食べたくて仕方ない様子。


「ええい、レジーナさん。早く魔国から持ってきてくれ。俺はすぐにでも米が食べたくて食べたくて……!」

「……なんか、すごいね」


 スキエンティアが形容しがたい目で見つめる。

 女神様は迷える人の子を優しく見つめているだけであって、血走った目の米欲しがり星人にドン引きしているわけではない。たぶん。

 ひとしきり米への恨み節を吐き終え、有羽はようやく現実に戻った。

 食卓の上の空気が、少しだけ重くなる。


「……それにしてもだ、女神さん」

「んー? なぁに有羽君?」

「どうするよ。俺たちの情報収集、いい加減手詰まりだろ」


 スキエンティアの口が止まる。

 ふざけた空気が一瞬だけ引っ込む。


「……そうだねぇ」


 スキエンティアは真面目な顔になる。

 世界記録は読んだ。

 神聖国の内情も掘った。

 加護の段階も、ルールの穴も、微加護の安売りの疑いも、拾えるだけ拾った。

 アギトの目的が「刻まれた」ことも確認した。

 しかし、動いているのは外界だ。

 記録では追い付けない速度で、現実が先に進み始めている。


「わたしたち神は、あんまり露骨に介入できないし……」


 スキエンティアは言いながら、目を泳がせた。


「有羽君も、手を出しすぎると天界が黙っちゃいないしなぁ」

「覇皇神ヴェルミクルムのことか?」

「それもあるけど……従属神の子たちも動くよ? 仕事熱心な子多いし」


 スキエンティアは切り分けたハンバーグを口の中に放り込み、ぼそっと付け足す。


「……あんまり苦労はかけたくないなぁ」


 スキエンティアが本音を漏らす。

 その顔は、食いしん坊の女神ではなく「世界の調整」を知っている顔。


 有羽は頬を掻く。

 神々の事情はよく分からない。

 だが、神々が出張ってくる事態が碌でもないことだけは、肌で理解している。


 誰が味方で誰が敵か、という単純な話ではない。

 神が動けば、ルールが動く。

 ルールが動けば、世界が揺れる。


「となると……残る希望は……」


 有羽は懐から緑の宝玉を取り出した。

 テーブルに置くと、ころりと転がる。

 深い緑。光が内部でゆっくり回っている。


「なにそれ? 何か、複雑な魔術構成してるけど」

「簡単に言うと――西の女帝さんとの直通窓口」

「――え?」


 スキエンティアの顔色が、目に見えて悪くなる。

 さっきまでハンバーグで幸せそうだったのが嘘みたいに、青くなる。


「どしたの女神さん……ああ、昔揉めたって言ってたっけ」

「う、うん……すんごい怒られた……」


 笑って誤魔化そうとして、誤魔化し切れない。

 挙動不審が過ぎる。


「何をしたのよ、おたく」


 有羽がジト目になる。

 女帝を怒らせると怖い。それは分かる。

 だが仮にも上位神がここまで怯えるのは、相当やらかした匂いしかしない。

 スキエンティアは観念したように語り出した。


「えっとね……女帝さんの領域、珍しい植物いっぱい生えてるじゃない?」

「うん」

「……それで、ちょっと欲しいなーって思って……」


 そこで一瞬、言葉が詰まる。


「……無許可で、ぶちぶちと……」

「なんで命がある探求神」


 有羽の溜息が、盛大に落ちる。

 それは責めるというより、呆れてしまった者の溜息。


「そりゃ怒られるわ。てか、採る前にアンタなら解るだろ? 女帝さんがヤバいって」

「いやぁ……あの時は『わぁ、こんなに珍しいのがいっぱいある、すごーい!』って感情だけが先走っちゃって……後のことはあんまり……」

「アンタは昔っからそんななのか」


 この女神は知性と善性はある。

 だが理性は、割とすぐ弾ける。シャボン玉のように儚く脆い。

 有羽はこめかみを押さえつつ、宝玉を指で転がした。


「ま、それは兎も角だ……この宝玉は、その女帝さんと通話するためのもんだよ」


 テーブルの上で、ころころと転がる宝玉。

 沈黙を続ける――今は綺麗なだけの「テレビ電話」の球。


「女神さんが来る前は、何度か女帝さんから声飛ばしてきてたんだよ。けど最近、めっきり無い」

「……ふぅん」


 スキエンティアが不安そうに宝玉を見る。

 見てるだけで胃が痛そうだ。


「最後の通信が、『我は少し考えるべきことがある』ってやつでさ。言ったきり音沙汰無し」


 有羽は、あの時の女帝の声を思い出す。

 軽口でも怒鳴りでもない、妙に静かな声だった。

 天蛇本体と対峙した後。

 ()()を話し、()()を悟り、そして沈黙した。


 有羽は、その()()を知らない。

 聞いていない。

 聞けていない。


 だが、女帝が黙っているのなら――こちらから手を伸ばすしかない。

 手詰まりの今を打開するために。


 有羽は宝玉を見つめる。

 緑の奥で、光がゆっくり回る。

 呼び出せば繋がる。繋がれば話せる。

 女帝は、意味もなく沈黙するような存在ではない。

 話さないのには、それ相応の理由があるのだろう。

 そこに突っ込めば、面倒が増えるだけかもしれない。


 それでも、今は。


「え、や、やるの……? 今……? 女帝さんに……?」

「やらないと、こっちが詰む」


 こちらから女帝に連絡を取る。そう思い立った有羽は、緑の宝玉へ手を伸ばした。

 指先が宝玉の冷たさに触れる――








 ――まさに、その瞬間。

 有羽の脳裏に、映像が()()()()

 クロエからの「送信」だった。



 大河の匂い。

 湿った土の匂い、金属の匂い。

 空気の熱さ。飛沫が肌を叩く感覚。

 轟音が、鼓膜ではなく頭蓋の内側で鳴る。


 大河を挟んで対峙する帝国軍と王国軍。

 互いに動けず、互いに睨み合う数十の精鋭。

 硬直したまま、戦争にならないように理性で踏ん張っている顔つき。


 発生した激闘。戦いの一部始終。

 爪と根と。稲妻と剣戟と。


 無数の情報が有羽の脳裏を巡る。

 だがそれらは全て、些事だった。

 有羽にとっては、些末事だった。





 有羽の知覚は――星髪のアギトがアウローラを殺そうとする姿。

 それだけしか映っていなかった。





 ――その瞬間、有羽の思考は完全に「無」になる。


 国への干渉。

 上位神と同格である力の発動。

 有羽が動けば周辺がどう揺れるか。

 後処理。

 事後の対応。

 国とのいざこざ。


 そして――()()()()()()()()()()()()


 外に出る機能が備わっていない。

 いつの間にか芽生えていた特性。

 あるいは、誰かに植えつけられた制限か。


 動くな、と。

 森の外はお前の居場所ではない、と。

 お前の居場所は森の中だ、と。

 どこかから叫ぶ声がある。


 だが有羽は。




(――黙れ)




 その全てを追い払った。


 どうでもよかった。

 このままではアウローラが死ぬ。

 大事なのは、それだけで。


 それ以外のことなど――全て、どうでもよかった。




■■■■(Sine metu)


 短い呟き。

 その短い音だけで、高密度の術式が走る。


 空間干渉。

 亜空間穴(ワームホール)瞬間生成。

 瞬間縫合。


 座標錨(アンカー)の確定。

 穴の生成。

 口の安定。

 身体の跳躍。

 そして縫合――穴を閉じる。



 有羽の身体が、食卓から消えた。


 跳躍は一瞬。

 穴は瞬間。

 縫合は呼吸より短い。


 そして――ログハウスには、置き去りが一つだけ残った。



「――ちょっ!? ちょっとちょっと有羽君!? 突然何――どこに跳んじゃったのさぁ!?」


 スキエンティアが椅子から立ち上がり、声を上げる。

 だが応える者はいない。

 彼女の声はログハウス内で跳ね返り、残響になって戻る。


 スキエンティアは、今の動作を理解していた。

 空間転移。

 しかも単なる遠距離移動ではなく……()()()()()()()()()()()


 点Aから点Bへ移すのではない。

 点Aと点Bの距離を消した。


 移動ではない。

 点Aと点Bを一瞬だけ「同じ場所」にした。

 世界の地図を、つまんで折りたたむような行為。


 従属神級なら、点Aから点Bの高速移動はできる。

 速度は光速近くまで上げられる。


 だが今のは違う。

 世界の運用に触れる――上位神域の術式。


 スキエンティアは、顔色が変わった。

 技の凄さに驚いたのではない。

 有羽の焦燥に驚いたのだ。


 空間接続の書き換えは「波」が大きい。

 世界に揺れが出る。

 そんな面倒事は、有羽が嫌うモノの筈。


 なのに使った。

 慌てている。

 焦っている。

 ――取り返しのつかない何かを見たように。


「ええ……? 有羽君があんなに慌てるってことは、何かあったのかな……」


 スキエンティアは腕を組み、眉をひそめる。


「確か、クロエちゃんとかいうゴーレムと連絡取り合ってるんだよね。じゃあそのゴーレムから緊急の伝達が……」


 だが、ここにいる彼女には状況が分からない。

 有羽がどこへ跳んだのかも分からない。

 空間を直結されると、追跡の手がかりすら残らない。


「うーんと、うーんと……頼れる誰かは……」


 スキエンティアは視線を泳がせ――そして、現実に戻る。

 森の奥に誰もいない。

 ログハウスにいるのは、神が一柱だけ。


「……って、この森の奥に誰も居ないし。有羽君の家にいるのはわたしだけだし……」


 小さく肩を落とす。


「うえーん! せめて事情説明してから跳んでよ有羽くーん!!」


 泣いても変わらない。

 ログハウスに女神が置き去りにされた事実だけが残る。




 そして、もう一つ。

 世界に「波」が伝播した事実も残る。


 空間跳躍の波。

 それは――森の西へも届く。


 テーブルの上で、緑の宝玉が突然激しく光り出した。




「え? え? ……これ、わたしが触らなきゃいけないの……?」


 スキエンティアはおそるおそる宝玉へ手を伸ばす。

 触れた瞬間、宝玉が魔力を要求するように脈打つ。


 反射的に、魔力が流れた。

 スキエンティアの膨大な神力が、ほんの少しだけ宝玉に注がれる。


 宝玉が「起動」する。

 立体映像が、食卓の上に投影された。


 樹の器――無機質なマネキン顔。

 枝葉を髪にした木人形。

 圧倒的な力を誇る、樹神女帝ドライアド・エンプレスの樹人形。


『――隠者!? お主、いきなりどうした!?』


 声が響く。

 怒声に近い。だがそれは心配の怒声。


『お主の空間跳躍は「波」が大きいから軽々に使うなと、以前も言って――』


 女帝の言葉が途中で止まる。

 映像越しに、目が合ったからだ。

 探求神スキエンティアと、樹神女帝。

 何千年かぶりの邂逅。


『……探求神?』


 女帝の声が、明らかに温度を下げる。

 首を傾げる。理解できないものを見る視線。


『お主、ここで一体何を……?』

「あ、あはははは……」


 スキエンティアは笑うしかない。

 笑って誤魔化すしかない。

 だが口角が引きつる。笑いが震える。声が裏返る。


「お、お久しぶりですぅ……」


 小鹿のようにぷるぷる震える探求神。

 そんな探求神を訝りながら見つめる女帝。


 ログハウスの空気がさらに重くなる。

 残されたハンバーグの湯気が、行き場を失って揺れる。


 家主が消えた森のログハウスで――。

 世界の上位存在同士が、最悪のタイミングで再会した。





 ◇◇◇





 そして――時間軸は戻る。

 有羽が、アギトの爪を止めた瞬間に。





 振り下ろされる爪牙。

 そこに横手から伸びた手。

 有羽の手が、まるで道端の石ころでも摘まむように――星髪の顎の爪を掴み止めた。


 アギトの目が細まる。

 あり得ない、という理解が遅れて脳に届く。

 止まった。止められた。止められるはずがないのに。


 ごりっ、と鈍い音がアギトの手首からした。

 骨が鳴っただけなのか、骨が軋んだのか、もはや区別がつかない。

 ただ確かなのは――握り潰しかねないということだ。

 天蛇の分身の手首を、怒りだけで。


「お前さ――今、誰を殺そうとした?」


 声は淡々としていた。

 怒鳴らない。

 叫ばない。

 感情を荒立てない。


 その代わり、言葉の温度が凍っている。

 氷点下の殺意。

 凍っているからこそ、純度の上がった殺意。


 握られる手首に、圧が増す。

 増すたび、アギトの痛みが増える。

 膝が崩れそうになる。


「……ぐ……っ」


 口を開こうにも開けない。

 呻き声しか出ない。

 立つことさえ厳しい。


 有羽の手に集中しているのは、魔力だ。

 膨大で研ぎ澄まされ、均一に圧縮された魔力が、指先の一本一本に流れ込んでいる。


 ただ掴んでいるのではない。

 このままでは砕かれる。

 何もできないまま、握り潰される。


「なあ――答えろよ。お前に聞いてるんだぜ?」


 有羽の声が、さらに落ちる。

 落ちるほど、圧が増す。

 殺意が冷えれば冷えるほど、握力が上がっていく。

 アギトでなければ、とっくに砕け散っている。

 それほどの握力。


 星髪の顎の顔が歪む。

 痛みのあまり、涙が出そうになる。

 そんな自分が気に入らなくて、アギトは犬歯を剥き出しにした。


「う……っるさい!!」


 左足を蹴り上げる。

 狙いは有羽の顔面。

 爪先が容赦なく突き刺さる――その直前。


 まるで、()()()を捨てるように。

 アギトの身体が投げ飛ばされた。


 空中で叫ぶ暇もない。

 抵抗する暇もない。

 掴まれた手首から解放された瞬間、反動だけが全身に走る。


 水面を跳ねる。

 まるで水切りの石だ。

 大河の水面を、激しく跳ねながら、星髪の少女が飛んでいく。

 跳ねるたび水柱が立ち、飛沫が舞う。


 そして川向こう――帝国側の地面へ激突。


 轟音。

 土煙。

 衝撃で地面が抉れ、石が飛び、土が舞う。

 アギトの姿が土煙に飲まれて見えなくなる。


「――うるさいのはお前だよ。分身如きが」


 吐き捨てるように言い放ち、有羽は視線を切り替えた。

 アギトを敵として認識したまま、優先順位だけを変える。


 視線はアウローラに向けられていた。

 傷だらけの王女が倒れている。

 腕の中にはクロエ。

 小さな身体を抱きしめたまま、必死に守るように丸くなっている。


「……あ……ゆ、有羽……?」


 声が掠れる。

 痛みで顔すら上げられないのだろう。それでも、なんとか有羽の姿を認識した。


 有羽はアウローラの近くで片膝をつく。

 そして優しく……傷だらけのアウローラに触れた。


 その所作は、驚くほど柔らかい。

 さっきまで氷みたいな殺気を垂れ流していた男の手が、壊れ物を扱うように繊細になる。

 アウローラの肩、腕、背中――骨の位置を確かめるように触れていく。

 そして、短い呟きが伝わる。


■■■■■(Resurgens)


 回復魔法――そんな代物ではない。


 治療ではない。

 治癒でもない。


 失った構造を()()()()して、元の形として再接続する。

 欠けた部分を補うのではなく、欠ける前の形に()()する。


 治療ではなく復元。

 治癒ではなく再生。

 有羽の行使した術は、回復という言葉から外れていた。


「――あ、あれ?」


 アウローラが目をぱちくりと瞬かせる。

 痛みが消える。痺れが抜ける。呼吸ができる。

 腕の中のクロエも同じだ。

 きょとんとした顔で瞬きを繰り返し、次の瞬間にはわたわたと手足を動かし始める。


 傷だらけだったはずの身体が、元通りになっている。

 裂傷も、痛みも、疲労も。

 まるで最初から傷なんてなかったかのように。


「大丈夫みたいだな」

「う、うん……大丈夫だけど……って有羽!? え? あれ? お前、どうしてここに――」


 現実として有羽の存在を認めた瞬間、アウローラの声が跳ねる。

 疑問が洪水のように溢れ、思考と言葉が追いつかない。


 有羽は、苦笑した。

 見慣れたわんこを見守るような、心底ほっとしながら浮かべた苦笑。

 その眼差しは――愛おしいものを見る眼差しに近い。


「そこの小さい奴の「送信」があったんだよ」


 有羽がクロエを指す。

 クロエは、両腕を振っている。

 がんばった、やった、つたえた、と言いたげに。

 声は出ないのに、全身で主張している。


「お前が危ないってな」

「そ、そうなのか……って、ちょっと待て有羽!」


 アウローラが勢いよく身を起こす。

 クロエの「送信」により、有羽がここに来たことは解った。

 だが、その「来た」という事実が一番ありえない。


「有羽の家からここまで、どれだけ距離が離れていると……お前一体どうやって――」

「まあ色々聞きたいことあるだろうけど、それは後でな」


 有羽はくしゃりとアウローラの頭を撫でた。


 優しい手。

 優しい声。

 優しい顔。


 その優しさに、アウローラが固まる。

 撫でられた頭の感覚に、変な声が喉まで上がって飲み込まれる。


 だが――そんなアウローラから視線を切り、有羽が立ち上がる。


 立ち上がった瞬間、空気が変わっていた。

 さっきまでの有羽の優しさが、消えている。

 残るのは凍て付いた殺気だけ。

 有羽の視線が、土煙の向こうへ刺さる。


 土煙が吹き飛ぶ。

 風ではない。圧だ。

 存在感が土煙を押し退ける。


 そこにいたのはアギトだった。

 肩で息をし、目をぎらつかせ、手首を押さえながら立っている。

 星髪の美少女が、天蛇の手が、完全に怒っている。

 獣が、本気で噛み殺す相手を見つけた目。


「……先にアイツを片付けるわ。話はその後で」


 有羽の口調は雑だった。

 まるで床のゴミを片付けるみたいな調子。

 相手はレベル八十五。

 世界天蛇の分身。

 それでも気負いがなく、軽い。

 アギトが牙を剥く。


「……やってくれたなぁ。引きこもりのクソ隠者……!」


 声が掠れるほど怒っている。

 理屈ではなく、感情が先に走る。

 痛みの記憶が燃料になる。

 爪が鳴る。

 ぎちりぎちりと空間が軋む。

 境界が噛まれる準備音。


「……邪魔するなら相手が誰だろうと構うもんか……お前もぶっ殺してやる……!」


 その言葉を聞いて、両軍の兵が凍りつく。

 帝国兵も王国兵も同じ顔をする。

 ――この星髪は、止まらない。

 止める理屈がない。止める方法がない。

 唯一止められるであろう有羽は――気怠そうに手招きするばかり。



「――いいから。はやく来いよ」



 挑発ではない。

 煽りでもない。

 ただ、邪魔なものを片付けるために「呼んだ」だけ。



 アギトの表情が歪んだ。


「――――!!」


 怒りが爆発して、爆音が生まれる。

 アギトが跳んだ。

 大地を蹴る音が砲撃のように響き、河岸の土が吹き飛ぶ。

 星髪の顎が、牙のまま突っ込む。


 有羽は動かない。

 足も体も、動かさない。

 冷めた目つきで、迫るアギトの姿を見続ける。


 そして迫る爪牙を――左手一本で弾き飛ばした。


「……づぅ!?」


 思わず苦悶の声を上げるアギト。

 右手が砕けそうな衝撃と痛み。

 クロエのように障壁を張るでもなく、根を伸ばすでもなく。

 邪魔な埃を振り払うような仕草で、叩いて弾いた。


「……どうした? 殺すんだろ? ほら、相手してやるから」

「……上等だよっ!!」


 先程以上の唸りを上げて、アギトの両腕が魔力を放つ。

 天蛇の権能。世界の境界すら噛む、その力の一端を爪に宿す。

 その一連の動きを、有羽は静かに見つめたまま――再び轟音が戦場に木霊する。




 森奥隠者フォレスト・ハーミット星髪(ホシカミ)(アギト)

 人間では踏み込めぬ、神域の戦いが――今、国境線の上で始まった。




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― 新着の感想 ―
惜しい! 糠漬けにするのは白子ではなくて真子(卵巣)ですね
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