第107話・激闘②
アギトとクロエ――両者の激しい戦闘は続いていた。
力は同格同士の戦い。
数値化すればレベルは同じ八十五。
出力に差があるわけではない。耐久も、火力も、強度も、帳尻は合う。
本来ならば互角で、戦いは長期戦になる。
――生まれた時期が同じならば、だ。
――今現在の戦いの均衡は、少しずつ崩れつつある。
空が裂ける。
大気が割れる。
切られる、というよりも噛み千切られる傷痕。伸びる根が裂け、破裂音が響く。
衝撃で大河の水面が上下し、岸が震え、飛沫が舞う。
そんな中で――アギトは笑っている。
「ほらほらっ! どうしたお人形! 防御が手ぬるいんじゃないのかなぁ!?」
軽い調子で、右手が振り下ろされる。
爪が空気を噛む。噛まれた場所だけ、空間が薄く裂ける。
裂けた縁から青白い火花が散り、遅れて轟音が落ちる。
クロエは受けた。
【葉盾】
葉脈の膜が幾重にも展開され、緑の光が網目のように絡み合う。
触れた瞬間、青白い火花が散り、盾の表面が焦げ、葉脈の線が悲鳴のように震える。
守れている。守れている――はずだ。
しかし、一枚目が割れる。
そして、二枚目も割れる。
次いで、三枚目さえ割れる。
割れた瞬間に葉が生え、埋め直す。
埋め直した瞬間に、また噛まれる。
クロエの動きは必死だ。
しかし必死だからこそなのか、動きが直線的。
防御は確かに固いが……その固さに集中しすぎる。
アギトは、そこを嗅ぎ取る。
蔓が伸びてくる軌道。
根が立ち上がる角度。
葉盾を重ねるタイミング。
防御を張り直す癖。
クロエの――戦闘の呼吸。
その全てを、見通す。
見えたものを、最小の動きで刈る。
動くものを、最小の力で崩す。
そして――距離を詰める。
クロエの目の前まで迫る回数が、目に見えて増えていた。
無数の石杭を避ける。
伸びる蔦を踏破する。
根の壁の隙間を見つけて、そこへ爪を差し込む。
爪と緑の障壁が、文字通り目と鼻の先でぶつかり合う。
間近で顔を見合わせながら――アギトがにたりと笑った。
「どうやらお前、生まれて間もないみたいだね」
言葉は優しいふりをしている。
けれど実際は刃。
「無駄が多い。隙が多い。一手一手に余裕が無い」
クロエは答えない。
答えられない。
言葉の機能は存在しない。
だが、目は逸らさない。
硝子玉の瞳の奥にあるのは、ひとつの感情だけ。
アウローラを護る。
その一点だけが、クロエの世界を形作っている。
「アタシも昔はそんな感じだったよ。腕ぶんぶん振り回すことしかできなくてさぁ……今のお前みたいに、力の扱い方が下手だった」
アギトの情緒は幼い。
だが戦闘経験は長い。
数百年。
森の中で暴れる魔物。
天蛇の領域へ迷い込んだ冒険者。
昔、外へ出た時に絡んできた不埒者。
戦うことは多かった。
誰かと笑い合うことが少ない代わりに、噛み砕く経験だけは積み上がっている。
だから――戦場での判断が早い。
故に、アギトはクロエの動きの「甘さ」を、短時間で見抜く。
「おちびちゃんは『戦う』の初めてなんだろ?」
アギトが、楽しげに言う。
「甘い甘い。盾ひとつ張るのにも構成が甘い」
ぴしり、と音がする。
クロエの葉盾に、またひびが入った。
そう。アギトとクロエの違いは「そこ」だ。
クロエは生まれて一か月ほど。
文字通りの赤子。
力はある。領域もある。出力も同格。
だが「戦う」という経験が無い。
そのため、クロエは大量に使う。
根を生やす。壁を作る。樹弾を撃つ。苗界を広げる。
守るために増やす。増やすために消費する。
経験が無いからこそ、必要以上に力を使う。
対して、アギトは最小で使う。
爪にだけ込める。指先だけ噛む。必要な分だけ裂く。
経験が有るからこそ、必要以上の力を使わない。
同じ出力なら、最小で使う方が長く持つ。
無限の力など、どこにもないのだ。
どんな超常存在でも、消耗は存在する。
そして同格同士の戦いならば……片方だけが先に摩耗するのならば……傾く方向は決まる。
「残念」
アギトは、口元を歪めた。
「アタシと渡り合うには、百年は足りなかったかな?」
その言葉と同時に、アギトの足が動いた。
蹴り。
しかし、ただの蹴りではない。
蹴りの形をした暴威の衝撃。
空間の一部分が抉れ、クロエの体を叩く。
――小さな体が、暴風に吹き飛ばされるように空を舞った。
衝撃。
痛み。
身体内部の循環が一瞬乱れる。
苗界の根が、わずかに遅れて反応する。
【~~っ!?】
鳴き声にもならない、声なき痛み。
それでもクロエは落ちない。
空中で急制止する。慣れない制止で身体が軋み――だが止まる。
落ちれば終わるからだ。
自分ではなく、アウローラが終わる。
あの危険な牙が、守りたい宝石に向く。
それだけは許せない。
だからこそクロエは、瞳をさらに強くする。
戦意は消えない。恐怖よりも、守る意志が上回る。
その視線を受けて、アギトは嗤った。
「さぁて。どれだけ保つかな、ちびっこ」
笑いながら、指先がぎしりと鳴る。
境界を噛む牙の準備音。
「言っておくけど、アタシの『牙』は加減とか出来ないんだ。気ぃ抜くと、あっという間に『がぶり』だからね?」
にぃ、と笑って――跳ぶ。
爆音。
空が蹴られる。
距離が折り畳まれる。
クロエの苗界が応じた。
蔦が伸びる。根が立つ。葉が重なる。
だが伸びる蔦は、以前よりも容易に捌かれてしまっていた。
アギトはもう掴んだのだ。
クロエの攻撃の「呼吸」を。
蔦が来るタイミング。
石杭が出る角度。
葉盾が厚くなる前の隙間。
並の相手なら、呼吸を掴む前に死ぬ。
だが相手は同格。死なない。
だからこそ、癖を掴まれた時、それが致命的な隙になってしまう。
クロエの戦い方は、まだ幼い。
生まれて一か月ほど。
文字通りの赤子なのだ。
強大な力があっても、力の扱い方にはムラがある。
守る意志だけが先に立ち、技が追いつかない。
「あはははははは!!」
アギトの笑いが、哄笑に変わっていた。
戦いの熱が、頭へ上がっている。
理性は薄れ、興奮が脳を灼いている。
「気張れよ、お人形!! でないと――」
笑いながら、目が一瞬だけ猛獣になった。
殺したくて堪らない、憎しみの瞳。
「――アタシが全部ぶっ殺しちゃうからさぁ!!」
【~~っ!!】
クロエの苗界が震えた。
怒りではない。焦りだ。
守りたい。守らなきゃ。足りない。もっと。
その思考が無駄を生み、無駄が消耗を生み、消耗がさらに焦りを生む。
再度、空中で衝突する。
衝撃と轟音。
大気が裂ける。
水面が抉られる。
河岸が揺れる。
超域存在のぶつかり合いは、少しずつだが確実に――勝敗を決めるべく傾く。
同格の力。
違うのは、運用。
違うのは、経験。
数百年の差は埋まらない――そんな残酷な結論が形になりつつあった。
◇◇◇
河の上空では、牙と根が噛み合い続けている。
けれど河岸――地上でも、静かに終わりへ向かう「傾き」が生まれていた。
アウローラとハガネ。
稲妻の王女と剣聖。
こちらは超越ではない。
だが、人の臨界だ。
光膜を纏った刃と、漆黒の呪いの刃。
この二つがぶつかるたび、火花はただの火花ではなく「魔力の破裂」となり弾けた。
「――はぁっ!!」
アウローラが踏み込み、剣を叩き込む。
力だ。勢いだ。全身を一本の槍にして、押し通す剣。
踏んだ砂利が砕け、河岸の土が抉れる。
「――しっ!!」
ハガネが受ける。
刃の角度をずらし、力の流れを逃がし、次の瞬間には逆側から切り返す。
速さだ。技だ。相手の軌道を読んだ上で、切り返す刃。
拮抗している。
互いに互いを倒し切れない。
剣技だけなら、ハガネが上。
だが、アウローラには魔法がある。
稲妻の一閃。雷速の光。
剣戟の最中に放たれる刹那の雷だ。
それがある限り、ハガネは常に「回避」を脳の片隅で走らせなければならない。
その意識の分だけ、踏み込みが鈍る。
踏み込みが鈍れば、剣聖でも踏み込めない間合いが生まれる。
だからこそ拮抗する。
だからこそ――余計に残酷だった。
均衡を崩し始めたのは、力でも経験でもない。
ましてやレベル差でもない。
得物の差だ。
「……っ!」
火花が散った瞬間、アウローラの指に微かな違和感が走った。
剣から伝わる「震え」が、さっきより重い。
嫌な予感は、すでに形になっている。
(……一体なんだ、あの黒刀は)
ハガネの刃が鋭すぎる。
アウローラの全力の魔力付与でさえ、完全には防ぎきれていない。
実際、感触が違うのだ。
黒刃が当たるたびに、剣身が削れる。
刃の内側から強度が奪われていくような不気味な感覚。
(……果たして、いつまで保つか)
アウローラは一歩引きながら、呼吸を整えたふりをして剣身を一瞬だけ視る。
光膜の下、刃の根元に細い亀裂が走っている。
一本ではない。二本、三本。蜘蛛の巣のように、薄く。しかし確実に。
(これでも、国に仕える名工の作だぞ……!?)
王女の剣だ。
美しさと実用の両方を兼ね備えた名剣。
材質は上質な鋼にミスリルを混ぜた合金。
魔力付与を載せれば、竜の鱗にすら負けない硬度を叩き出す。
欠けたことなど、ほとんどない。
過去に一度、竜と戦った時に力加減を誤って、少しだけ刃こぼれした――その程度。
長く腰に差し、何度も血と汗を吸わせ、それでも折れないからこそ愛剣になった。
その名剣が――今、明確に力負けしている。
(あと何合持つ? 見極めろ。見誤れば――)
剣が折れた瞬間、均衡は崩れる。
剣と魔法の両立が、この戦いの土台。
剣を失えば、魔法だけで剣聖を押し切るのは難しくなる。
距離を取る余裕が消える。術式を組む余裕を失う。
だがアウローラの戦意は揺らがない。
揺らがないどころか、内側で魔力がさらに高まっている。
剣を振るいながら、同時に魔法を組む。
火と風の回路が重なり合い、稲妻の線が掌の奥で準備される。
この状況でも一切揺らがぬ両立。
剣が折れる前に、何か手を打つために。
それを見て、ハガネの目がさらに細くなった。
(……姫の剣は限界が近い)
衝突のたび、光膜の張り直しがわずかに遅くなっている。
最適化のための魔力調整が増えているのだ。
刃の傷が増えた分、魔力を分配し直している。
アウローラは賢い。剣聖が胸中で感嘆する程に。
だが、その賢い対処が、追い詰められている事実を浮き彫りにする。
(あと少しで、断ち切れる)
剣を失えば、姫は一気に不利になる。
魔法があると言っても、剣を失った瞬間に間合いが崩れる。
剣と魔法の両立が、この拮抗を生んでいた。
片方を失えば、均衡は壊れる。
(剣を断ち切れば、姫に儂を止める事は不可能。ようやく、あの馬鹿蛇娘を止めに行ける)
だが、気は緩めない。
姫の魔力が、増している。
剣を守るための魔力ではない。
もっと深いところで、雷が膨らんでいるような気配。
(……何か大技を撃つ気か)
ハガネは足を止めない。
止めれば剣が入る。
踏み込めば稲妻が刺さる。
だから常に動きながら、常に斬りながら、常に読んでいる。
アウローラの兆候を、決して見逃さないように。
戦いの終わりが近い。
その終わりが、望む形かどうかはまだ分からない。
上空では超域が傾きつつある。
地上でも臨界が傾きつつある。
そして、どちらが先に倒れるかで――国境線の未来が、決まってしまう。
どうなるか、その答えはまだ誰にも出せない。
ただ確かなのは――戦いの終わりが近づいているという事実だけだった。




