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異世界転移したけど森の奥で引きこもってます。スカウト? いやぁ、森から出る気はないので遠慮します  作者: 初音の歌
第六章

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第98話・目を向ける①

長くなったので2話に分けます


 帝国の首都――帝都ヴァリエント。

 その帝都には、現在緊張があった。

 正確には、その緊張感は「北」の地から続いているものだ。帝王が軍を率いて北に向かい、そして帰還した時から続いている緊張感。


 言うなれば空気が違う。

 気温ではない。北の大地は冷えるが、帝都の空は暖かい。

 北の冷えが移った訳ではない。


 しかし――胸の奥が重い。

 神聖国の小隊を殲滅した。

 だが「終わった」のではない。

 むしろ始まったのだと、誰もが分かっていた。

 あの小隊だけで終わるはずがない。加護持ちを小隊規模で運用した国が、たった一度の威力偵察で引き下がるはずがない。北の山脈の向こうで、次の刃は研がれている。


 将兵は沈黙する。

 騒ぎ立てる者はいない。余計な言葉は命を削る。

 帝王を護衛する兵達の足音も、いつもより揃っている。揃えようとしているのではない。揃わざるを得ない緊張がある。


 街道沿いの風景は穏やかだ。農地。小さな集落。

 そして帝都には活気がある。金属を叩く音。河運は活発で、商人たちの声も激しい。

 子供達も常に騒いでいる。賑やかで、帝都全体がつねに呼吸している。

 それが、帝都の日常。


 ――そんな日常が、妙に脆く見えた。


 この脆さを、神聖国が踏みにじる。

 その可能性が現実になった。

 北部から帝都に帰還してからも、その重さは消えない。

 帝城は巨大で、頑丈で、威圧的。帝国の象徴として隙のない要塞であるはずなのに、今日の壁はどこか薄い。石の厚みの向こうに、見えない牙がある気がする。

 謁見の間を通り過ぎても、回廊を歩いても、兵が敬礼しても、いつもより音が少ない。

 ――帝王が帰ってきたのに、喜色が薄い。


 分かっている。

 喜んでいる場合ではないからだ。


 そしてもうひとつ。

 全く別の緊張が、城内に刺さっている。


 帝王ウィルトスは、執務室の窓辺に立つ背を見つめていた。窓から射す陽が、星空のような髪を淡く照らす。頬杖をつき、外を眺める少女の横顔は、どこまでも無邪気に見える――はずだった。


 だが今日は、違う。

 静かすぎる。

 動かなすぎる。


 アギトは城に戻ってから、気が付くと外を眺める時間が増えた。

 笑っていないわけではない。

 喋らないわけでもない。


 ただ――近寄りがたい。

 冷たい気配が、刺さる。


 帝王の傍には、剣聖ハガネがいた。黒い鞘を腰に差し、壁にもたれ窓辺の背を同じように見ている。いつも通りの無愛想な顔だが、今日に限っては口数がさらに少ない。

 そして、帝王と剣聖が――ひそひそと。

 この世で最も似合わない行為……「ひそひそ話」をしていた。


「ぬぅ……おいハガネ。お主、何か知ってるか?」


 ウィルトスが声を落とす。

 豪快な帝王が「声を落とす」だけで異様だった。


「知らん」


 ハガネは即答する。

 即答するほどに解らないということだ。


「そういう貴様こそ、何か心当たりはないのか?」

「余に聞くな。余にも解らんわ」

「……蛇娘め。何に気を荒立てている?」


 ハガネの言葉が、妙に重い。

 気を荒立てている――確信がある言い方だ。

 ウィルトスは苛立つでもなく、むしろ困っていた。困り方が、敵前での困り方ではない。理解不能な生き物の機嫌を損ねたくない時の顔。


「北の帰り道から、ずっとあんな感じだよな……むぅ」


 ウィルトスは顎に手を当て、思考を巡らせる。


「考えられることは……神聖国関連か?」

「それくらいしかないだろうな」


 ハガネが言う。だが、すぐに首を傾げる。


「だが、戦っている時は特に変わっていなかったぞ。むしろふざけた態度で敵を引き裂いていた」

「……飯や酒が不味かったか?」

「あやつは、飲み食いできるものなら何でも喜んで食うぞ。蒸かしただけの芋でさえ、笑いながら貪り食っていたわ」

「となると……解らん」


 帝王が「解らん」と口にするだけで、帝国は揺らぐ。

 だが今、揺らいでいるのは帝国ではなく帝王の理解の範囲だった。

 ウィルトスもハガネも、アギトの機嫌が悪いことは感じ取れる。

 感じ取れる。だが――理由が解らない。


「本人は普段通りに振る舞ってるつもりだろうがな……どう見ても気が立っている」

「もしもあの蛇娘が癇癪を起こせば、この帝国で止められる者はいないぞ。どうするつもりだ帝王?」

「どうするって……言われても、なぁ」


 ウィルトスが、がしがしと頭を掻いた。

 アギトは帝国に来てから、基本的に大人しく過ごしていた。

 少なくとも「害」を与えていない。


 盤上遊戯で遊ぶ。

 酒宴を楽しむ。

 兵の愚痴を聞いて笑う。

 馬鹿話をして「ぎゃおー」と冗談を言う。


 帝都の建物を壊した報告はない。

 民に危害を加えた話もない。

 ――噛みつく真似はしているが、実際に噛んだのは基本的に肉と芋と酒だけだ。

 人に寄り添う形で、あまりにも自然に日々を過ごしている。


 だからこそ、今の苛立ちは「異様」に見える。

 そして、その異様が怖い。

 アギトの力は、人とは隔絶したものだ。解らないままにするのは恐怖でしかない。


 しかし拘束などできない。

 できるはずがない。

 拘束しようとする発想自体が、刃を自分の首に当てる行為。


「……まあ、とりあえず話を聞くしかあるまいて。ほれ、いくぞハガネ」

「待て。儂もか?」

「当然よ。余一人で死地に向かわせるな。帝王には供回りが必要だ」

「勝手な事を……」


 ぶつぶつ言いながらも、ハガネは足を動かした。

 二人が近づくと、アギトはすぐに気づいた。

 背中に目でもあるのか、とウィルトスはいつも思う。

 振り返った少女は――普通に笑った。


「およ? どしたの、おじさんにお爺ちゃん。お仕事忙しいんじゃないの?」


 きょとんとした顔。

 澄んだ声。

 冗談めいた口調。

 外側だけ見れば、いつも通り。

 だから余計に、背筋が寒い。

 ウィルトスは慎重に言葉を選んだ。強く出るのは悪手。弱く出ても悪手。笑って誤魔化すのも悪手。帝王の交渉術が、戦場より難しい局面で試される。


「あー、そのだな……アギトよ。お主、最近何かあったのか?」

「何かって……何? え? アタシ変な所でもある?」


 アギトは自分の体を見渡した。手の先、足の先、髪の毛の先。なにもない。汚れも乱れもない。むしろ完璧すぎるほど整っている。


 ウィルトスとハガネは、同時に視線を交わした。

 やっぱり気のせいか?

 いや、気のせいならいいが……。

 そんな会話が、目だけで交わされる。


 気のせいならそれが最良だ。

 気のせいであってほしい。


 そんな祈りを鼻で笑うように。

 アギトが、ふいに口を開いた。


「ところでさ」


 声は軽い。

 まるで雑談の導入のように。

 ウィルトスは、自然に応じた。


「おう。どうした?」

「この国の南ってさ、確か王国だよね。三年前に戦争したとかいう」

「うむ。今は停戦中だがな」


 ウィルトスの脳裏に、南の記憶が立ち上がる。

 焼けた地面。落ちる稲妻。轟く風。

 南王国の第二王女が放った、禁呪級の大規模殲滅魔法

 砦が潰れた日。部下を――死なせた日。


「かつての戦では多くを失った。余の帝国も、相手も等しくな。いずれ決着はつけなければならん」


 言葉が、自然に出た。

 憎しみではない。責務だ。

 あの日の借りを返すことは、帝国の意地だ。

 その隣で、アギトがぽつりと呟く。


「……帝国の兵も、いっぱい死んだんだ」

「ああ。死んだ。大勢な」


 ウィルトスは頷く。

 そして、少しだけ呼吸を整えた。


「余の不明である。……だが、それはそれとして、向こうの第二王女には借りを返さねばならんと思っているがな」


 帝王は不敵に笑った。

 己の失敗を認めた上で、なお敵を敵と定める。

 それが帝王ウィルトスの性分だ。


 ――だが、次の瞬間。





「――――へぇ」





 アギトの声が落ちた。

 たった一言分の音。


 だが、それは音ではなく――温度だった。

 底冷えのする冷たさ。

 氷に触れた時のような、芯にくる冷え。

 そして、刃のように鋭い何か。


 ウィルトスは呼吸が一瞬遅れた。

 ハガネの指が、鞘に触れる。

 剣聖が無意識に「いつでも抜ける」位置へ手を置くほどの圧が、そこにはあった。


 慌てて隣を見る。

 アギトの顔は、変わっていない。

 きょとんとした目。

 笑いを含んだ口元。

 無邪気な少女の表情。


 ――表情だけは、平常のまま。


 ウィルトスは、冷や汗が背中を伝うのを自覚した。

 帝王が冷や汗を自覚する。

 それは戦場でも滅多にない。


(今のは、何だ)


 ウィルトスはハガネに目を向けた。

 ハガネもまた、同じものを感じたのだろう。目が細まり、額にわずかな汗が光っている。

 やはり――何かを抱えている。

 だが、二人はまだ答えに辿り着けない。


 あまりに単純すぎる答え。

 単純だからこそ、想定外の答え。


 アギトの中に芽生えた怒りは、理屈ではない。

 国と国の因縁でもない。

 権力の損得でもない。


 もっと近い。

 もっと小さい。

 もっと鋭い。


 身近な者を悲しませた、という個の感情。


 ウィルトスは気づけない。

 ハガネも気づけない。

 彼らは「大勢の死」を見過ぎて、たった一つの悲しみに焦点を合わせる感覚を、いつの間にか遠ざけてしまっている。

 だから、見えているのに見えない。


 彼らは多くの死と遭遇した。

 多くの怒りを胸に抱いた。

 怒りの理由など、ありふれていると知っている。


 それゆえに、気づけない。

 まさか、あの数百年を生きた少女が。

 あの途方もない存在が。




 ――初めて怒りを知ったなどと。




 帝王と剣聖の世界には、そんな「幼い怒り」は存在しない。彼らは怒りの扱い方を知りすぎている。戦場で怒りを燃料にする方法も、怒りを鞘に納める方法も。長年で慣れすぎた。

 慣れていない者の怒りに、寄り添う術を持たない。


 アギトは窓の外へ視線を戻した。

 帝都の空は穏やかだ。鳥が飛び、雲が流れる。

 だが彼女の瞳は、空を見ていない。

 もっと遠くを見ている。

 南。

 王国。

 そして――その先。

 彼女はいつも通りの軽い声で言う。


「ま、いっか。今は北の方が大事だし」


 笑ってみせる。

 冗談めかす。

 その言葉の裏に、何が隠れているのかを悟らせないように。

 ウィルトスは喉を鳴らし、できるだけ平然を装った。


「……そうだな。今は北だ」


 帝王の声が、少しだけ硬くなる。

 ハガネは何も言わない。

 ただ、窓辺の少女を見ている。

 剣聖の目は、敵を見ている目ではない。


 災厄を見ている目だ。


 星髪の少女は、帝都の空を眺めている。

 風に髪が揺れる。

 蜂蜜酒の甘い匂いが、どこかから漂う。

 いつも通りの、穏やかな日常の匂い。


 ――その奥底に、凍て付く殺意を沈めたまま。


 帝王と剣聖は、その殺意の意味をまだ知らない。

 知らないまま、帝国は次の戦いへ向けて歩き出している。


 知らないまま――それこそが最も危険だということに、まだ気づかずに。




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