第11話 ある侍女の慟哭
《ロゼの侍女視点》
いくら後悔してもしきれない。
モロー子爵家に仕えていた侍女――だった私はそう思った。
私が仕えていたその令嬢は、毎日マナーの教師が訪れて指導されていた。
私はその前に男爵家に勤めていたが、これほど毎日マナーの教師を呼んで指導される令嬢などいなかった。
内心いぶかしんでいたら、見目麗しく、優しげな顔をした少年が現れた。
どなただろう……と考えていると、その少年は急に嘲るような表情になり、お嬢様を鞭打った。
それだけではなく、
「……この程度でよろけるのか? 本当になってないな、さすが『出来損ない』」
と罵倒している。
彼女は悔しげに睨もうとすると、また鞭が飛ぶ。
「反抗的だな。今日は時間があるからたっぷりとしごいてやる」
優しげな顔をした少年の振るまいとはとうてい思えず、驚き恐怖しただただその光景を見つめるばかりだった。
ようやく少年の気が済んだようで、満足げな顔で出て行く。
そのときに私を目に留めたので思わずビクッとしてしまった。
鞭打たれる!
……と思わず目をつぶってすくんでしまった。
だが、いつまで経っても鞭は飛んでこなかった。
恐る恐る開けると、憂い顔の少年が心配そうに私をのぞき込む。
「どうしたの? 脅えているようだけど、大丈夫?」
私は混乱し、彼の手にある鞭をそうっと見ると、彼は気付いて苦笑した。
「……あぁ、驚かせてしまったかな。これ、見た目ほど威力はないんだ。私はどうも迫力が出ないようで、彼女に厳しく指導するために小道具を使っているんだよ」
そういうことなのか、とちょっと安心した。
「何しろ、彼女は礼儀作法があまりにひどくてお茶会に出席出来ないようなんだよね。なので、最低水準になるためにマナーの教師はもちろん寄親である侯爵子息の私も彼女の指導に当たっているんだ。……怖い思いをさせてしまうかもしれないけれど、勘弁してほしい」
と、綺麗な笑顔で丁寧に言われて私は舞い上がり、ブンブンとうなずいた。
頻繁に彼は訪れ、指導しては去っていく。
彼は子爵など足下にも及ばない侯爵家の嫡男だそうだ。
そんな雲の上の方なのに、私にも必ず「怖い思いをさせてしまってごめんね」と声をかけてくれる優しい方だ。
その話を同時期に入った他の使用人にすると、他の使用人たちも侯爵子息に優しい言葉をかけてもらっているらしい。
「あの優しい侯爵子息にあそこまでされるんでしょ? うちのお嬢様ってひどくない?」
と、つい言ってしまった。
それに皆が同意した。
……最初はそれくらいだった。
無表情に命令されるのにだんだんと腹が立ってきた。
侯爵子息はあんなに優しげに声をかけてくださるのに、たかが子爵令嬢が何を威張ってるの?
そんなふうに思い、だんだん聞こえないフリをしはじめた。
「生意気だったから無視してやったわ」
「えぇ!? ……でも、そうよね。あんな出来損ないの娘の言うことを聞くのも癪だものね」
などと嘲笑い、どんどんエスカレートしてしまった。
今考えると、何をやっているんだろうと頭を掻きむしりたくなる。
彼女は『たかが子爵令嬢』じゃない。
平民の私たちから見たら立派な貴族。私がお仕えする子爵家のご令嬢だったのよ。
学園に行くとき、彼女は私たちを連れて行かなかった。
「役立たずはいらないわ」と言い放たれて怒り狂った。……実際その通りなのに。
この頃の私はほとんど侍女の仕事を放棄し、弟クリープ様に侍っていたのだ。
そしてクリープ様と一緒に彼女の悪口を言いまくっていた。
一年後、彼女が帰ってきた。
学園でも悪評が高くこれ以上通わせられないと小耳に挟み、「ざまあみろ!」と、嘲笑った。
帰ってきた彼女に対する嫌がらせはますますエスカレートし、彼女のいない隙に部屋に入って物を壊したり汚したりしていた。それを自ら洗う彼女を皆で大声で嘲笑った。
…………その虐めが発覚したのは、彼女が出て行く前日だった。
旦那様に呼び出され、詰問され、しどろもどろに答えた。
ただ、ちゃんと言うべき事は言った。
「侯爵子息様は私たちにも優しい言葉をかけてくださり、あの子に鞭打っていたことに脅えていた私に『怖がらせてごめん』って言ってくださったんですよ!? それなのに、お嬢様ときたら……無表情に命令してくるんです!」
それを聞いた旦那様は、私を軽蔑するように言った。
「それはさぞかし怖かっただろうな。……だが、お前が脅えるほどに鞭打たれていた私の娘は、もっと怖かったんじゃないか?」
私はその言葉にハッとする。
……考えもしなかった。
「そして、お前は侍女であるのに仕える者が鞭打たれているのを怖がっているだけだったのか。そのような者に無表情に命令するのを、お前は腹立たしいと言うんだな。……なるほどな。よくわかった。もう行っていい。そして、明日付で懲戒免職処分とする。もちろん、紹介状は書かない。理由はわかっているな?」
私は旦那様の言葉に震えた。
どうして? とも思った。
私は、あの出来損ないの子爵令嬢にふさわしい待遇をしてやっただけなのに。
……などと、このときまでは思っていたのだ。
呼び出された他の者も青くなって出てきた。
どうしよう、と話し、とにかく彼女が出て行くまでは表面的でも従順なフリをしようということになった。
だが、私たちと彼女との間にできた溝は埋まらなかった。
彼女は起こされずとも目を覚まして着替え、荷造りまで終えていた。
起こしに行ったらすでに出て行こうとしているところだった。
私は驚きのあまりにうまく言えず、彼女は冷たく私を一瞥した後さっさと出て行ってしまった。
慌てて荷物を持とうとしたら、「捨てられるから渡さない」と言われる。
私の厚意をなんだと思っているの!?
……と憤りそうになったが、我慢した。
挽回するべく後をつけていたら、旦那様と鉢合わせして叱られた。
違う!
私は持とうと思っていた!
必死で訴えたら彼女が言い放った。
「ゴミと称して捨てる気だ」
「今までさんざんやってきたじゃない」
…………そうだった。
やったことなのに、大したことじゃないと、自分の中で終わった話だと、忘れ去っていた。
お嬢様は去り際に言った。
「それほどまでに恨まれている理由がわからない」
と。
それはそうでしょうね。
だって、恨みなんてありませんから。
ただ、なんとなく面白がってやっただけ。
お優しい侯爵子息の侍女になれない私の鬱憤を、お嬢様で晴らしただけだもの。
――その一時の鬱憤晴らしで私は懲戒免職処分となり、次の働き口がなくなった。
それどころか、お嬢様を精神的に傷つけ不利益な行動をし、おまけに子爵家の物品を故意に壊したとして、とうてい平民の私には払えないほどの賠償金を支払うように命じられた。
相手は子爵家。
この領を治めている貴族だから、絶対に逃げられない。
逃げ出さないよう牢屋に放り込まれた。
私の他、私と一緒に悪口を言い嫌がらせをしていた者も同じく牢屋に放り込まれ、払えないと判明したとたん、男性は鎖につながれ汚れ仕事や危険な仕事の強制労働、私たち女性は娼館に送られた。
もうここまで落ちたらまともな職にはつけない。
いえ、長生きできるかどうかすら……。
……どうしてあんなことをしてしまったのだろう。
今考えてもわからない。
ただ……あの鞭打つ少年がすべて正しいと、お嬢様は鞭打たれて使用人にすらバカにされ当然の不出来さだと、あのときは思ってしまったの……。
次回、辺境伯領に戻ります。