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『桜咲く(サクラサク)』そのあとに

作者: さいか

 恋をしてみたい。

 黒髪ロングで、眼鏡を掛けてて、図書室でドストエフスキー(僕は未読)を読んでて、僕に気が付くと『おはようございます』とはにかむような笑顔で声を掛けてくれるような女子と青春の思い出を作りたい。


 そう、僕、榊浩太(さかきこうた)は高校デビューする。

 中学時代の全てを勉強に捧げた僕には報われる権利があるはずだ。

 そのためだけに、偏差値74の南海高校を蹴って偏差値62の大成高校に進学したのだから。


 まずは入学式の新入生代表挨拶。

 ここで華々しく、将来への希望と出席者の謝辞をぶち上げて、周りの有象無象との差を見せつけてやろう。


『続いては新入生代表の挨拶です』


 さあ来い。1週間かけて推敲した原稿は胸ポケットに入っているぞ……!


和泉梨香子(いずみりかこ)さん、お願いします』


 ……は?


ー◇ー


 堂々としたものだった。

 和泉梨香子は黒髪ショートで、裸眼で、ハキハキとしゃべる女子で。


「やー、緊張したー! ね、ね。変じゃなかった?」


 僕の隣の席だった。

 一年二組の最後段。窓側一列目が和泉梨香子、二列目が僕だ。


「お疲れ様。立派なもんだったよ」


「えー、そっかなー」


 にへら、と。頬を緩ませる表情は、挨拶のときのしゃんとした話しぶりからは想像もつかない。


「三月頭にいきなり学校から連絡きてね、もー、春休みは緊張しっぱなしだったよ」


「前から話は来てたんだ?」


「あはは、そりゃそうだよー。急に指名されてあんなに喋れるわけないって」


 ……僕は連絡なくても準備してたけどな。


「そだそだ。名前教えてよ。せっかくお隣さんなんだしさ」


 迷う。

 この陽キャ女子ははっきり言って好みじゃない。そんなやつ相手に、高校最初の個人的な自己紹介というイベントを使って良いのか?

 けれどこいつは曲がりなりにも新入生代表挨拶をした女。僕の青春パートナーの格は十分備えているとも言えるわけで……。


 けれど、そんな逡巡の時間はわずかだった。


「はい静かにー。ホームルーム始めるぞー」


「あ、先生きた。それじゃ、またね」


 ひらひらと手を振って、和泉梨香子は顔を前に向ける。真面目ではあるようで、先生の話をしっかり聞いてこちらを見る気配もない。

 じっと見つめてても仕方ないし、僕も前を向く。


 ホームルームはつつがなく進み、校則について書かれたしおりや生徒手帳の配布、これからの予定の連絡が少々。

 そして、生徒ひとりひとりの自己紹介へと内容が移る。


 名前、出身校、趣味、やりたいこと。それなりに偏差値が高い高校らしく、みんな無難に、事故がないよう自己紹介をこなしていく。


「つぎ、榊くん」


 名前が呼ばれた。何度か確認した自己紹介の原稿を胸ポケットにしまい込み、壇上へと向かってく。


「桜木北中学出身の榊浩太です。中学時代は勉強ばっかりしてきたので、高校では部活とか楽しいことをいっぱいやりたいと思ってます。得意科目は数学です。一年間よろしくお願いします」


 言えた。速すぎず、遅すぎず。まばらな拍手のなか、席に戻ってく。途中で一瞬だけ和泉梨香子と目が合った。彼女は一瞬何か言いたそうに右手を少しさまよわせ……。


「お、おつかれさまっ」


 にっこりと、笑顔で迎えてくれた。


-◇-


 ない。


 学校側による保護者への説明も終わり、喧騒もはけた昼前の教室でただ一人。

 僕は原稿メモを探していた。

 自己紹介の原稿ではない。日の目を見ることがなかった新入生代表挨拶原稿。


 あれがなかった。

 ばくばくと心臓は暴れっぱなし。だって、あれの最後は『新入生代表 榊浩太』と書いてあるのだから。

 誰かに見つかれば、今後三年間『勘違い代表野郎』定着間違いなしだ。


 教室をぐるぐると回る。自席と教壇への往復を何度も繰り返す。

 もう落ちている埃の場所も覚えたころ。


 がら、と。

 扉が開く音がした。

 振り向けば、和泉梨香子が立っている。


「さ、榊くん。まだいたんだ」


「あ、うん。ちょっと探しものしててさ。い、和泉さんは?」


「わ、わたしも荷物忘れて。取りに戻ってきちゃった」


「そ、そうなんだ」


「うん、そうそう」


 何故かお互いにギクシャクとした言葉を交わし、それぞれ自分の用事に向き直る。

 木の床。机と椅子の影。教壇。チョークの粉。変わり映えしなく、見つからない。

 振り返り、そういえば。


「和泉さん、荷物は」


 あった? そう言おうと、頭を上げて。

 右手が突っ込まれたスカートからポロっと。

 探してた原稿によく似た、折り畳まれたメモが落ちるのを見た。


「「あっ」」


 目が合った。

 てくてくてく、と。自分以外の時間が止まったような空間を歩いてく。

 しゃがんだとき、和泉梨香子の足が少し視界に入った。じっと動かないそれを尻目にメモを拾い上げる。


『皆さま、この度は私たち新入生のためにこのような式を開いていただき、ありがとうございます 〜中略〜 新入生代表 榊浩太』


 冒頭も、末尾のくくりもまるっきり見覚えのある通りだった。


 再び折り畳み、厳重にポケットにしまい込む。


「中身、見た?」


「う、うん」


 うわぁ。

 一縷の望みは正直な返答によって打ち砕かれた。


「い、いつ……!?」


「えと、ホームルーム、榊くんが自己紹介に行く前。落ちたから拾って。すぐ返そうとしたんだけど、タイミングなくて。ぐしゃぐしゃになってたから、きちんと畳もうとしたら、中、見えて……。ごめん」


「いや、それは……」


 和泉梨香子は悪くない。落としたのは僕なのだから。けれど、それより。


「あのさ、中身、黙っててほしいんだけど」


 これが一番大事だ。


「そ、そんなの……」


「頼むよ! 何でもするからさ!」


 渋る和泉梨香子の肩を持ち、ぐいっと真正面から顔を見る。

 ことここに至って僕には何の武器もない。脅しでも何でもいいから言質を取る必要があるのだ。


 かちりかちり、と。時計の秒針がひどく大きく響く。

 肩を持つ手がじっとりと汗をかいているような気がした。

 和泉梨香子は視線を時折さまよわせ、時折じっとこっちの目を見たりして。


 ふーっ、と。大きく息を吐いた。次に、とん、と僕の胸を押す。

 距離が離れる。向かい合って、三歩の距離。

 ちょうど、お互い上半身が見えるくらい。

 そして。


「じゃあさ。買い物付き合ってよ」


 そう、言ったのだ。


-◇-


 目的地の『スーパーまるかな』は高校に続く坂を降りて五分ほど歩いたところにある店だった。

 全体的にお値段安め、鮮度そこそこ。土日は近くの住民でかなり混んでいる、というのが和泉梨香子の談である。


 ただまあ、今は平日の昼前。

 カートを押しても、誰かとぶつかるようなことは無かった。


 カートに乗せたカゴの中には和泉梨香子がメモとかを見ることなく入れたキャベツや豚肉、牛乳などが入っている。


「ずいぶんと買うんだな」


「そう? 今日の含めて三日分だから、そうでもないよ?」


 さらっと言う言葉に、特に不自然なところはない。数千円分の買い物をして平気なのだ。結構な大金だと思うのだが。


「榊くん、あんまり買い物しない?」


「そうだなあ、スーパーに来たのはかなり久しぶりだと思う」


「やっぱり。そういう感じだと思った」


 どういう感じだよと思うのだけど、まあ、言いたいことが分からない訳ではない。

 受験科目に偏重してる男だ、僕は。


 そうやって話しながらスーパーを一回り。

 レジに並ぶのかと思ったところで、和泉梨香子は「こっち」とスーパーのカートを引いた。


「お米買いたかったんだけど重くて。榊くん、10キロの持てる?」


「まあ、持ってみる」


 でかい米袋を持ち上げると、ずしっ、とくる感触。持ち続けるのはきついだろう。

 ただ弱音を吐くのは妙に癪だった。


「これくらいならっ……と」


 言いながら、米袋をカートの下の段に置き入れる。しゃがんだときにこけそうになったけれども、何とか無様を晒さずにすんだ。


「おおー。やっぱ男子って力強いね」


 ぱちぱちぱちと柔らかい拍手。


「ん、まぁ、うん」


 褒められて悪い気はしなかった。

 こそばゆさも感じるくらいには。

 

-◇-


 が。

 そんな感情はすぐに吹き飛んだ。


 スーパーから出て数分。

 川沿いの桜並木を景色を楽しむ余裕もなく、ただ米袋を両手で持って歩く僕である。

 併せて持っていたレジ袋は既に、見かねた和泉梨香子に回収してもらった後だ。


「だ、大丈夫?」


「大丈夫……!」


「ごめんね。あと少しだから」


「おっけぇぇい!」


 自然と大きな声が出る。力を込めるとそうなるというのは今まで生きてきて初めての感覚だった。


 まあ、それはともかく。

 そんなやり取りがあってからさらに五分。


 橋を越えてすぐそばのところに和泉梨香子のアパートはあった。

 建物全体が少しくすんだ白色をしており、最後の力を込めて上がった階段は錆が浮いていて若干の不安を覚えたくらいである。


 その、なんというか。

 少し家賃がお安めの建物という印象だった。


「ちょっと待ってて! お米、そこに置いといていいから」


 そう言って、和泉梨香子は鉄扉を鍵で開けて中に消えていく。


 ……『そこに』と言われても。

 土足で歩ける外廊下はお世辞にも綺麗とは言えない。

 いくら米が袋に入ってるとはいえ、そこに置くことは躊躇いがあった。


 ただ、そんな思考も僅かな間だけ。


「あっ。持ったままでいてくれたんだ。ありがと!」


 すぐに手を空にした和泉梨香子が現れる。


 そしてほっそりとした腕で僕から米袋を取り上げて体をひるがえした。

 鮮やかな動きで扉の中を見せないようにしながら、和泉梨香子は米袋を腕の中から消してみせた。きっと玄関口にでも置いたのだろうが、あれだけ重いものを持ってよく動ける。

 なんというか、感心してしまった。


 そして気付く。

 和泉梨香子はきっと。


「え、と。今日はありがと! お米持ってもらって助かっちゃった。これだけやってもらったんだから、もちろん約束は守るよ。安心してね」


 にっこりと笑いかけてくる笑顔から目が離せない。

 

「アパートのことは誰かに言わないでね。ボロで恥ずかしいから。お互いに秘密にしよ!」


 言われて、射抜かれて。

 推測は確信に変わった。


 和泉梨香子はきっと全部自分で出来て、にも関わらず僕に秘密の対価を支払わせ、そして自らのアキレス腱を晒してみせたのだ。


 きっと、教室で僕が黙ってくれと言ったその瞬間から、そうだったに違いなかった。


「榊くん?」


 問いかけてくるその顔を、もうまともに見られない。


 恥ずかしくて、恥ずかしくて、それが、僕の方が優れている人間だという勘違いを恥じるものではなく、ただ純粋に和泉梨香子がすごいやつで、だから。

 好きになってしまった相手だから、まともに顔を見れなかった。

 

 熱くなる。

 全身の血が沸騰して、圧力は上へ上へと昇っていく。

 行き着く先は顔だ。

 バカみたいに顔を赤熱させたエネルギーは、けれども発散できずに暴れ回る。そして逃げ場を求めたエネルギーは体の一番柔らかいところから暴発して。


「和泉梨香子! 負けないからなぁっ!」


 叫びとなって口から出ていた。


 ああそうだ。負けるわけにはいかない。

 いかに和泉梨香子が整った顔立ちをしてるとして、いかに和泉梨香子が大人だとして。

 いかに和泉梨香子が思慮深く、気を遣えるやつだとして。


 隣に立ちたいと願うなら、負けたままではいられない。


 和泉梨香子はきょとんとしている。

 不意をついてやったというやつだろう。今はこれくらいでしか予想外の僕では在れないけれど。いつかは--。


「ん。いいよ。受けて立つ!」


 ああ。ダメだ。

 また負けた。

 

 にっ、と口の端を上げたその表情に、心臓が暴れ回るのを止められない。


「以上! さよならっ!」


「うん、また明日。学校でね」


 ゆっくりと手を振る姿すら可愛くて、きっと和泉梨香子はどんなときですら愛らしいに違いなかった。


 階段を駆け降りて、自分でも信じられないくらいのスピードで風を切る。

 川沿いの道、のんびりと走る自転車すら追い抜いて、やっとやっと。

 

 感情より先に体力が尽きて倒れ込む。


 川沿いのそこは桜並木。

 服越しに伝わる土と草の冷たさが心地良い。


 見上げれば満開の桜。

 透けて見える薄桃色も、枝葉によって作られる黒色の影も、それらの間から差し込む陽光ですら、今は全て美しい。


 ああ、どこまでも初めてのこと。


 恋をした。

 ただそれだけのことて、世界はこんなにも美しく見えている。

お読みいただきましてありがとうございます。

ご意見・ご感想などいただけますと非常に幸いです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 企画から拝読させていただきました。 いやあ、初々しいですねぇ。 さすがに初恋の記憶は遠い忘却の彼方ですが、好きな人の前でテンパって変な言動が飛び出すというのは、うっすらと覚えがあります。…
[良い点] 拝読させていただきました。 凄い! まさに「初恋」のお題にピッタリです。 頑張れ! 少年! 君の青春はまだ始まったばかりだ。
[良い点] めっちゃ良かったです! 話の構成も進め方もお上手で、キャラがよく立っています。 榊くんが和泉さんに恋に落ちる過程がすごく自然に描かれていて、和泉さんの性格に好感が持てました。 ふたりの今後…
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