桜の下の真実
同級生の黄色い悲鳴に叩き起こされる昼休みほど嫌なものはない。
むくりと顔を上げた圭は疎ましげに周囲を見渡した。生徒達は歓声を上げて、皆一様にして窓辺の桜の木の下に目を向けている。
桜の木は購買から来たであろう生徒達にドーナツ状に囲まれており、その中心に二人の生徒が顔を赤らめて立っていた。一人は緑のラインが入った体操服を着た男子生徒でもう一人は緑色のスカーフを巻いたセーラー服の女子生徒のようだ。どうやらあの木の下はすっかり告白スポットになってしまったみたいだ。
昼休みにあの桜の下で告白すれば必ず付き合えるらしい。
そんな噂が立つのも無理はない。これで告白が成功したのは十組目だった。
「それにしてもあの桜すごいですよね」
放課後の部室で後輩部員の姫川が興奮気味に語りかけてきた。元々は四人いた文芸部も今や幽霊部員が過半数を占め、部室では二人きりであることが多かった。なぜこいつは今でも部室に通っているのか理由は定かではない。普通は男子と二人だと気まずいと思うんだが。
「何が?」
「だって、もう十組目らしいですよ告白が成功したの」
「ああ、そうらしいな」
心底興味なさそうに本を読んでいる圭に向かって、姫川はキラキラと瞳を輝かせてで顔を近づけた。
「あのお昼休みに告白すると必ず付き合えるって噂、本当なんですよ!」
「姫川は本気であんな噂信じてんの?」
呆れた顔で問いかける圭に対して、姫川の表情は至って真剣なようだった。
「え?だって十組ですよ、偶然じゃこうはならないですよ。私の友達も勇気を出して好きな人に告白するみたいだし、私も応援してるんです!」
「確かに偶然ではなさそうだが……姫川ちょっとこい」
唐突に立ち上がった圭に姫川は腕を引っ張られる。
「え?ちょっと、急になんですか先輩」
「証明するんだよ。噂が嘘だってさ」
圭は悪戯な笑みを浮かべて、姫川を部室の外へと連れ出した。
「え?ここって……」
「そう、噂になってる桜の下だ」
昼間とは打って変わって放課後の桜の周囲に人影は見当たらなかった。グラウンドは校舎を挟んで反対側に位置し、運動部はそこで練習しているからだろう。
教室にいる吹部の生徒もこちらには目も暮れず、練習に励んでいるようだった。仮入部だろうか青いスカーフを巻いた窓辺に座る生徒の姿がちらほらと見て取れた。
「あのさ、姫川」
急に真面目ぶった声を圭が発した。真剣な眼差しが姫川を捉えて離さない。一陣の風が二人の間を凪ぎ、桜がふわりと宙を舞う。
「俺と付き合ってくれ」
「え?嫌ですけど」
即答、有無を言わさぬ否定だった。いや流石に傷つくんだが。
「ほら、嘘じゃん」
「あ、本当ですね」
「こんなの簡単に証明できる」
何か言ってて虚しくなってくるな。虚勢を張って、したり顔で話す圭に姫川はむっとした顔で反論する。
「もしかしたら先輩が本心で言ってないからかも知れませんよ。だって絶対嘘ですよね今の!先輩があの顔で笑う時は大体、変なこと企んでる時ですから」
「本心だけど」
「え?」
そんな風に言われたら誰だってからかいたくなる。姫川の顔が桜色に染まっていく。
「そんなに顔赤らめられたらこっちが恥ずいんだけど」
「え?いやそんなこと……」
「じゃあ、とりあえずこの話は置いといて。なあ、姫川この告白が成功する条件って何だっけ?」
圭は気恥ずかしい雰囲気をかき消すようにパチンと手を叩いた。姫川はその音にびくりと身体を跳ねさせて、答える。
「え?は、はい、えっと、お昼休みにここで告白すると必ず成功するっていう……あっ、そう言えば、今は放課後でしたね」
姫川は思い出したようで、ハッとした表情になった。
「そう、だから今のじゃ噂が本当か嘘かわからない。まあ、俺が遊びたかっただけだな」
悪びれる様子もなくニヤニヤと笑みを浮かべる圭を姫川はじろりと睨んだ。
「先輩嫌われますよ」
「良いよ。そもそも姫川以外にこんなこと言わないからな」
「……よくそんなことさらっと言えますね。こっちが恥ずかしいです」
赤面した姫川はなぜか嬉しそうだった。
「何が?それより姫川、あそこにあるのは購買だよな?」
「はい、あ、先輩、あそこのメロンパンめっちゃ美味しいんですよ!食べたことあります?」
嬉々として話しかけてくるが心底どうでもいい。てか甘いの嫌いだし。
「パンの話はいい。それに俺は甘いのあんまり好きじゃない。でだ、ここ購買から近いよな。今朝もあそこからガヤが集まってた」
「まぁ、そうですね」
パンの話を広げたかったのか姫川の顔は少し不服そうだった。
「それにここは教室からもよく見える。今日の昼なんかうっさくて仕方なかった」
「もしかしてまた寝てたんですか?はぁ、そんなんだから友達ができないんですよ」
まだ何も言ってないのに決めつけんな。母親かお前は。
「うっさい。それよりもう大体検討はついたんじゃないか?」
「何がですか?」
「噂の正体だよ」
ニヤリと笑う圭とは対照的に姫川の顔はキョトンとしている。
「え?全然わかんないんですけど……」
「はぁ、じゃあ、まずこの噂の二つの要素について説明していくとするか」
「二つの要素ですか?」
「まずは一つ目なぜ桜の下で告白しなければならないのかという点だ」
圭は人差し指を立てて、姫川に問いかけた。
「それは、えっと……綺麗だからとか。雰囲気がでるからとかですかね?桜の下で告白とかロマンチックだし」
姫川は桜を仰ぎ見た。ヒラヒラと舞う花びらが美しさと同時に儚さを感じさせた。もう桜は散ってしまうのだ。
「悪くないけどちょっと違うな。桜の下と条件を指定することで告白する生徒を絞ってるんだよ。二、三年しか告白出来 ない。まぁ、本当は三年も告白しないんだが」
「え、何で一年生は告白できないんですか?」
「それは桜の散る時期を考えたらすぐにわかることだ。姫川、入学式っていつだったか覚えてるか?」
「多分、四月七日でした」
「今って何日だっけ?」
「えっと、四月十三日ですね」
「そう、入学してからまだ六日しか経ってない。土日挟んでるから登校したのは四日間だ。だから噂の事もおそらく知らないし、告白するには早すぎる。けど、もう桜は散り始めてるよな」
「え?だったら七月とかに告白すればいいんじゃ……」
「それは姫川が最初に言った通りだよ。誰が七月の桜の面影が全くない緑の木の下で告白するんだよ。桜である意味ないだろ。それなら文化祭の後とかもっと雰囲気が良い時に告白するはずだ」
「あ、確かにそうですね。それなら桜の下で告白する必要性がないから。一年生はあの場所で告白しないって事ですね」
姫川は得心がいったようでこくりと頷いた。
「まぁ、三年も受験忙しいしな。無難に考えて二年が妥当だろ。文理選択もあって、離れ離れになる前に告白したいだろうからな。一緒にいられる時間が短くなれば、気持ちも遠退くだろうし。今日のも二年同士みたいだったしな」
「え?何でわかるんですか?」
「それだよ」
圭は姫川の襟元から垂れる緑色のスカーフを指さした。
「あースカーフの色ですか!」
ピンと来たようで姫川も納得したようだ。
「この学校は学年によってスカーフの色は決まっている。三年は赤、二年は緑、一年は青だな。それ以外にも鞄の紐の色や体操服のラインの色なんかも学年によって色がある。だからわかったんだよ」
「確かに今日告白してた人はどっちも緑でしたもんね」
圭は姫川の言葉にこくりと頷いた。
「そして二つ目はどうして昼休みでなければいけないのかという点だ。これは自分の立場になってみるとわかりやすいな」
「えっ、てことは人目が気になるからって事ですか。最初は私もそう思ったんですけど、それだけじゃない気がして……」
頭を悩ませる姫川に、圭も賛同するように頷く。
「まぁ、周囲に期待されて、見られている状況で告白されて振ることはかなり勇気がいると思うができなくはないからな」
「ですよね、私だったら見られててもさっきみたいに振ると思います」
躊躇ねぇなこいつ、もうトラウマなるわ。
「何回も言うな。流石に傷つくから」
「遊びで告白してきた人に言われたくありません」
姫川が嫌悪感を露わにした顔で睨んでくる。さっきのかなり根に持ってるみたいだな。謝らなかったのは確かによくなかったかもしれない。それにこれ以上言われたら流石にメンタルがきつい。
「さっきはごめん、ちょっとやり過ぎたかもしれないな」
「ふふ、別に怒ってませんよ。さっきの仕返しです」
自分の企みが成功して姫川は嬉しそうだ。本当にしたたかなやつだ。
「はぁ、まぁ怒ってないなら良かったよ。ところで姫川の友達もここで告白しようとしてるんだよな?」
「はい、そうなんですよ!あれは両思いだと思うので、あんまり心配してないんですけどね」
「別に友達の恋愛事情はいいんだ。重要なのはその友達はどうやってこの桜の下に相手を誘うのかということだ」
「え?えっと、多分好きな人にメッセージを送るか話すかするんじゃないですか。昼休みに桜の下で待ってます、って」
「そうだな。さっきの俺みたいに行く先言わずに無理やり引っ張ってくるやつはそうそういないよな」
「そりゃ、先輩みたいな変な人はいないと思いますけど……それが何か関係あるんですか?」
姫川は質問の意図がよくわかっていないようで、疑わしげに圭を見つめた。
「姫川はその言葉を言われたらどう思う?それが答えだよ」
「え?告白されるんだなって。あっ」
姫川もようやく気づいたようだ。一見ちっぽけに見えるこの質問が大きな意味を持つことに。
「そう、噂が大きくなりすぎて、誘われる段階で告白されることがわかるんだよ。噂を知らない一年ならまだしも二年ならその気がないならそこで断るはずだ。だって、桜の下まで行ったら人に見られた状態で振ることになるからな。それよりは先に断った方が余程、楽なはずだ」
圭が淡々と説明すると、姫川がどこか悲しげに表情を曇らせる。
「確かに誘われた段階で断るかも知れませんね。でもそれは告白した人が気持ちを伝えられなくてなんか可哀想ですね」
さっきまで人の傷跡をえぐってた人間とは思えないな、その優しさをちょっとは分けて欲しい。でもその気持ちは分からなくもなかった。告白する前に断られるなんて何だかやるせない気持ちになりそうだ。
「確かに可哀想だな。でも、仕方ないことだよ。だって、もし姫川が昼休みに告白を振ったら、その友達はどうなると思う」
「それは……告白しにくくなる」
姫川は沈んだ顔でどこか苦しげに答えた。あの場で断れば、多くの人を悲しませることになると気づいたのだろう。
「そうだ。噂とは言ってもそのお陰で勇気を貰えることだってある。ホントに信じてる奴なんて殆どいないと思うけど願掛けぐらいにはなるしな。それが一人振られただけで意味を為さなくなる。少しでも裏切りがあったらいけないんだよ。それが偽りであってもいいから肯定が欲しいんだ」
「確かに、噂のお陰で気持ちを伝えようって思う人もいますもんね。その人達の気持ちを自分の一言で台無しにしてしまうと思うと怖いです」
姫川の表情は暗い。どうしようもない現実をうまく受け止めきれないようだった。
「だから、先に振るのは間違いじゃない。むしろ正解なんだよ、もし流れで付き合うことになったりしたら最悪だしな」
「確かに……そうかも知れませんね」
二人の間に沈黙が落ちた。数分のはずだったのにやけに静寂が耳に残り離れなかった。ふっと息を吐く音が聞こえた後、静寂をかき消すように明るい声音で圭が話し始めた。
「とまぁ、長い間話してきた訳だが実はある部分に齟齬が生じているんだ。どこかわかるか?」
圭の突然の質問に姫川は答えを窮した。
「え?別に変なところなんてなかったような……」
「告白が成功した数だよ。十組ってのは普通無理だろ。だってまだ入学式から五日しか経ってないんだから」
「でもそれは合計してってことなんじゃないですか?」
「今までのぶんをってことか?確かそうかも知れないな。じゃあ、それはいつからの合計だと思う?」
「うーん、先輩が二年だった時からの合計とかじゃないですか?」
「それは違う。だって俺が二年の時にも告白が成功していたのは十組だったからな」
圭がさらりと話したことを理解出来ず、姫川は首を傾げた。
「え?その年は誰も告白しなかったんですか?」
「いや、告白してたぞ。今年みたいな感じで」
ますます訳がわからず頭を悩ませる。
「じゃあ、何で今も十組なんですか?」
「それは簡単だ。実は噂は昼休みに桜の木の下で告白すれば必ず付き合えるだけじゃなくて、告白が成功したグループの数までが噂なんだよ」
本当に圭の言っている意味がわからず、姫川は混乱した。
「え?え?どう言うことですか?」
「その噂は俺たち三年が二年に流した噂だからだよ。だから知ってる、というか俺が二年の時も三年の先輩に伝えられたからそういう習わしなんだと思う」
「だから最初から俺は噂の正体に気づいていたんだよ」
噂の正体の呆気なさに姫川は愕然として固まった。
「……え?じ、じゃあ、今までの先輩の話って」
「実は全部意味ない。三年がここで告白しないっていうのも、みんな噂の正体知ってるから、ここじゃ告白しないからだよ。ホントはこれさえ言ったら良かったんだけど、それじゃあんまり面白くないだろ」
「えーじゃあ、今までの何だったんですか」
姫川は顔をしかめて、ガックリと肩を落とした。
「かっこつけただけだな」
「何ですかそれ」
今のはマジでムカついてそうだった。あんまり調子に乗らないでおこう。
「まぁ、推理なんて大体そんなもんだよ。結局はこじつけなんだ。あー、でもあながち間違いじゃないのかも知れないな」
「え?」
「ほら、あそこ」
圭は校門近くで言い争いしている二人の生徒を指さした。
「何ですか?あっ、あの二人って」
彼らは今日桜の木の下にいた二人組だった。どうやら昼のあれは演技だったようで、男子生徒は膝をついて項垂れていて女子生徒は呆れた顔でその場を立ち去っていった。多分、あんな雰囲気で断れるわけないじゃない、とか言われたのだろう。悲しいかなこれが現実なのだ。
「流石に同情するな」
「可哀想……なんか知りたくなかったです。全部嘘だったなんて」
姫川は心底がっかりした様子で俯いた、しかしそれをすかさず圭が否定した。
「姫川、それは違うぞ」
「え?どうしてですか?」
「少なくとも初めて噂ができたときは本当だったはずだ。噂がなかった時に告白が成功した生徒達がいたからこそ噂が出来上がったんだから」
「確かに。じゃあ、全部は嘘じゃないってことですね」
姫川はどこかほっとした様子だった。本当のことが少しあるだけで彼女にとって救いになるのだろう。
「ああ、そうだな。それにあんな昼に告白する奴らだけじゃないはずだろ」
「それって、どういう……ああ、そういうことですか」
瞳の先にほんのりと赤みがかった桜があった。普段は桃色のはずなのに夕焼けに照らされた世界ではまるで赤いフィルターがかかったみたいだった。桜も校舎も圭の頬も赤い、多分自分の頬も赤い。
「なぁ、姫川」
とくんと胸が高鳴った。桜を見つめる先輩の横顔には今まであった飄々とした雰囲気が消えていた。体温が上昇していくのを感じた。頬が赤く染まっていく。さっきよりもずっと濃く、世界から浮き出るように赤く染まる。
「綺麗だな」
「はい、そうですね」
「俺はこっちの方が好きだ」
「私も好きです」
「だよな」
いつの間にか自然と笑みが溢れていた。先程の暗い雰囲気なんて嘘みたいに吹き飛んでいた。
「先輩、ここで一つ齟齬が生まれましたよ」
今度は私の番だと言わんばかりに姫川がニヤリと笑った。
「え?何?」
「当ててみてくださいよ」
「いや、本気でわかんないんだけど」
「こういう時は鋭くないんですね」
姫川は意味ありげに微笑み、じっと圭を見つめた。
「何だよ。勿体ぶらず教えろよ」
「いやです。先輩がちゃんとしないと教えません」
「何だよそれ」
「別にー何もないですよ。ほら、荷物取りに戻りましょ先輩」
暮れなずむ空の下で二人で手を繋ぎ校舎に向かう。いや正確には先輩を引っ張っていく。
先輩は私の気持ちの矛盾にいつ気づいてくれるだろうか。悪戯じゃなくて、本心で告白されたら答えを伝えよう。
その齟齬の正体、私だけが知る大切な真実を。