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優しい手も冷酷な手も、淡雪にとっては毒だった

 あれは、夏の終わりだった。

 窓を開けて、外の空気を吸いながらお仕事をまとめている時だった気がする。


『お嬢様、皇帝陛下より伝令です』

『え?』


 私はその声に筆を止めた。


 領土に新しい領民を迎えるための金銭、土地の計算がちょうど終わったところでね。計算用紙を手に取ってから顔をあげたの。

 本当は、すぐ反応できれば良かったのだけれど。びっくりしすぎて。


 何にびっくりしたのかって? それは……。


『貴方は……?』


 伝令を受け取ったことではない。もちろん、部屋の扉は開けっ放しだったから、勝手に入ってきたことでもないわ。

 私は、目の前でそれを告げる人物に驚いたの。


 そこには、真っ黒な短髪を晒し、こちらを真っ直ぐ見つめる男性が1人。他の使用人と同様、燕尾服を身につけている。見たことがない顔だった。


『挨拶が遅れました。先週より、お城でお世話になっております。アレンとお呼びください』

『ご丁寧にどうも。知らなくてごめんなさいね』

『……いえ。お部屋でお仕事をしていらっしゃるのは承知ですので。それよりも、こちらを』

『ありがとう。いただくわ』


 アレンと名乗った男性は、とても真面目で好感の持てる人だった。

 名乗ってすぐに頭を下げてくるなんて、誰にでもできることではない。だって、ここはグロスター伯爵の城……領民に使用人に、関わった人みんなに嫌われるところだもの。

 だから、お父様たちの前ではお給金のためにヘコヘコしている使用人も、私の前ではまるでドブネズミを見るかのように見下してくるの。それが普通。


 なのに、彼は、頭を下げた。この、私に向かって。

 こんなこと、最後にされたのいつだったかしら。とりあえず、思い出せないくらい昔のことだわ。


『ご丁寧にありがとう』

『いえ。執事学校で、挨拶の仕方は習っておりますから』

『そうなの。卒業したばかり?』

『はい、そうです。何か不躾なことがございましたら、遠慮なくおっしゃってください』

『ふふ、そんな固くならないでちょうだい』


 私も、それに応えるため立ち上がってお辞儀を返した。すると、すぐに寄ってきて伝令を渡してくれる。


 何か、失敗でもしたのかしら。

 私1人で執務をしているから、添削してくれる人が居ないの。それで皇帝陛下にご迷惑をおかけしていたら嫌ね。

 そしたら、これからは目の前にいるアレンが添削してくれたり……。ううん、そんな負担なことをさせるわけにはいかないわね。彼にだって、お仕事があるのだし。


『……なんだ』


 なんて思いながら座って伝令を開くと、そこにはなんてことない、お茶のお誘いが書かれていただけだった。しかも、正妃であるエルザ様からの。


 皇帝陛下って、こんなお茶目な面もあるのよね。

 以前、「伝令だ」なんて陛下のお城に呼び出しされて、何かと思えばご息女のアシ様が作ったお菓子の試食会だったこともあったわ。

 あの時は、本当に何も書かれてなくてただ「登城しろ」とだけだったから、前夜は眠れなかったな。お父様たちにも相談できないし。

 懐かしいわ。あの時ちょっと文句言ったから、今回は書いてくれたのかしら。


『皇帝陛下は、毎回無茶振りしているのですか?』

『へ!?』

『あ、いえ、その。……すみません、とてもホッとしたお顔でしたので』

『そんなわかりやすい顔してた?』

『はい、とても』


 そんなことないと思うんだけど。

 だって、私は「いつも不機嫌そうで近寄り難い」人らしいから。そう使用人が言っているのを、聞いたことがあるもの。


 でも、アレンはそんな私の表情を見ながら微笑んでいる。

 ここに入ってきた使用人は、1秒でも早く出ていきたいって表情を隠そうともしないのに。……変な人。


 私は伝令を畳みながら、微笑む彼に話しかける。


『皇帝陛下から、お茶に誘われたのよ。伝令と言ってもこれは悪戯。よくあるの』

『そうですか』

『正確には、正妃のエルザ様から』

『あのエルザ様が?』

『……え、何か言った?』

『い、いえ。……私は、これで失礼します』

『ありがとう、アレン』


 用紙のカシャッとした音で、彼の声が聞こえなかったわ。でも、そんな重要なことじゃなさそう。


 アレンは、私が伝令を畳み終わる前に、またもや深々とお辞儀をして部屋を出ていってしまった。

 本当、律儀な人ね。挨拶の仕方が、数週間前に居なくなったシャロンに似ているわ。良い使用人が来てくれて嬉しいな。


 私は、伝令を……他人に見せてはいけない決まりのある伝令を、机の上に置いてあったマッチで火をつける。

 お父様たちに見られたら何を言われるかわからないから、配慮して伝令をくださったのかもしれないわ。あの人たち、皇帝陛下の単語を聞くだけで媚を売りに行く準備をするんですもの。


『アレン、か……』


 他の使用人とは違う、不思議な人。

 背筋を伸ばし、ハキハキとした男性だった。誠実さが滲み出てて、一緒にお仕事をしてみたいと思ったわ。彼は、どこを担当しているのかしら。


 次会えたら、領地に蒔く野菜の種や、肥料についてのお話をしたいな。

 よくわからないけど、アレンなら真剣になってアドバイスをしてくれる気がするの。私の話を笑わずに聞いてくれる、そんな気が。

 その予想が当たっていたのを知ったのは、それから数日後のこと。


 

 アレンは、私の専属執事になった。経緯はわからないけど、お父様に突然言われてね。

 シャロンが居なくなって不便していたから、喜んで迎えたわ。だって、それまでは使用人が変わるがわる見てくれるけど、視線が歓迎されていないそれだったし。

 こういう時、貴族って嫌よね。自分のことは自分でやりたいのに、させてくれないんだから。

 あーあ。アレンが女性だったら、湯浴みや支度もしてもらったのに。


 でも、アレンはそれを補う以上にとても良く私の話を聞き、アドバイスをくれた。

 一緒に喜び、時には叱ってくれて。なんだか、私の先生のようだった。


 アレン。

 私、貴方がいてくれたからグロスター家で頑張れるの。いつもありがとう。

 これからも、よろしくね。



***



 カーテンの隙間から入り込んだ日の光によって、目が覚めた。


「……?」


 何か、懐かしい夢を見ていた気がする。

 でも、それがなんなのかは思い出せない。思い出せるとしたら、「アレン」という昔の執事だった人物のことだけ。半年しか一緒に居なかったのに、彼が側に居ないと少しだけ心が寒い気がする。でも、その感情を私は知らない。


 寒いわけないわよね。

 だって……。


「おっはようございます、お嬢様あ! 今日のイリヤは、昨日のイリヤと何が違うと思いますぅ〜?」

「おはよう、イリヤ。……うーんと、アイシャドウの色が違うわね」

「大☆正☆解です! 補足すると、昨日のイリヤより1日歳も取ってます」

「……そうね」


 ほら、今もこんな騒が……賑やかだもの。

 寒さなんて感じている暇すらない。むしろ、ちょっと気温上がってない? 気のせい?


 昨日よりもテンション高めのイリヤが部屋に入ってくると、グッと景色に色がつく。

 今日のモーニングティは、……白湯ですよね。わかってるわ。でも、そろそろ味付きのお茶が飲みたいような。アインスにお願いしたら「聞こえません」って言われちゃった。まだまだ先なのかな。


 というか、待って。

 今気づいたのだけど……。


「イリヤ、どうして私が目を覚ましたのがわかったの? まだ呼び鈴を鳴らしてないけど」

「朝4時から聞き耳をガルガル立ててました」

「朝4時!? え、今は」

「朝の9時でございます。お嬢様の寝息がとても心地よかったです、ふふん」

「……貴女、ちゃんと寝てるの?」

「はい、自慢ではありませんが、イリヤは布団を被れば秒で夢の中の住人になれます」

「そ、そう……」


 それって、答えになっていないような?


 色々ツッコミどころ……ガルガルとか、寝息とかそういうのが満載なんだけど、どこから突っ込んだら良いのかわからない。そんなことに頭を使うって、平和すぎるわ。まだ、ちょっと順応できそうにない。


 私は、とりあえずイリヤから受け取ったモーニングティに口をつけた。

 口の中に、ミントの爽やかな香りが広がっていく。とても心地良いわ。これぞ朝! って感じがして。


「ところで、本日のご予定ですが……」


 まあ、細かいことを気にするのはやめましょう。

 それより、今日も色々覚えないと。


 だって、私はベルなんだもの。

 もう、アレンの持ってくるバラを待ってるアリスじゃないんだもの。

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