それは、静かに息をする
「……」
わかっていた。ええ、わかっていたわ。
こうなることは、十分承知していたわよ。
でも、言わせてちょうだい。
「お嬢様、使用人をお守りくださりありがとうございます!」
「お嬢様の勇姿を目の前で拝めた私は、幸せ者です」
「先代までこのお話は語り継がせていただきます!」
「お嬢様万歳!」
「……ええ、そうね」
大袈裟って言葉、知ってる?
サルバトーレを追い払った日の夜のこと。
まさか本当に「パーティ」をするなんて思っていなかった私の前に、料理が次々と並べられていく。
手品かな? ってくらい装飾に富んだ料理が並べられていく中、使用人が変わる変わる私に感謝の言葉を伝えに来るし、隣でお父様とお母様が「ベルが立派になって」と言って涙ぐんでるし、……と言うか、お父様は号泣しているし。
それだけなら、まあ良いわ。フォンテーヌ家だものね、で片付けられる範囲だから。
でも、そうじゃないの。これにプラスして、今居るダイニングの飾りつけがもうどこかの本で読んだような誕生パーティそのものだし、車椅子なんかそのままクリスマスパーティに出席できるレベルでピカピカ光ってるし、そこの壁にはイリヤが描いた「喜怒哀楽」の私が堂々と飾られている。みんな私に話しかけた後、その肖像画に敬礼したり拝んだりしてからダイニングを出て行ってるのもなんか怖い。
もう、全てが怖いわフォンテーヌ家。
「ベルよ、こんな爵位のために婚約解消できない親を許してくれ」
「本当……。ベルにこんなこと背負わせて、私たちは何をしているのかしら」
「お父様、お母様。爵位は大切なものです。それがないと、このお屋敷を維持できるお給金の出るお仕事はいただけないですし、私たちも生活できません。使用人のみなさまの頑張りもお返しできないようになってしまうなら、私は婚約者を大切にしますわ。今日は、叩いてしまってごめんなさい」
「ベル……!」
「なんて良い子なの……!」
……あれ? 言葉を間違えたかしら。
私がお父様お母様と会話をすると、多少使用人でざわついていたダイニングがシンと静まり返った。……のは一瞬で、すぐに拍手と歓声が私を包み込む。
お父様ったら、「今日は無礼講だ! サミン侯爵からいただいた年代物のワインを全部もってこい!」なんて言っているわ。続いて、「ちょっと貴方! アインスからアルコールは控えるように言われているでしょう!」とお母様が。やっぱり、このお二人は仲が良い。
ところで、この車椅子の装飾をそろそろ外して欲しいのだけれど。……言える空気ではないわね。
「それにしても、ザンギフたちの料理はいつ食べても美味しいわ」
「本当! うちに来てくれてありがとう」
「そんな……私にはもったいないお言葉です」
食事前の祈りをした後、私は目の前に聳え立つ……言葉は間違っていないわ。聳え立つ攻撃力が高めのテリーヌにナイフを入れた。見た目はピラミッドみたいだけど、一応長方形に近いから多分テリーヌね。
中身を開けると、ヤングコーンやニンジン、ズッキーニにトマトの断面が顔を出す。色の配色や形もちゃんと考えているあたり、やっぱりザンギフたちは優秀な料理人だわ。グロスター家には、こんな細かく飾りつけまでしてくれる料理人は居なかったもの。
「ザンギフ、このお星様の形したお野菜はなあに?」
「そちらは、オクラと言います。ピロ地方の名物で、レディースフィンガーとも呼ばれている美しいお野菜です」
「じゃあ、断面がお星様ってだけで長細いお野菜なのね」
「左様です。テリーヌだけでなく、スープや炒め物、単体でおひたしにしても美味ですよ」
「へえ。これって、栽培しやすいの?」
「はい。弱酸性寄りの土壌で育つので、大抵の場所での栽培が可能ですね。この屋敷のお庭にもありますよ」
「見たい! ねえ、食事が終わったら見に行って良いかしら?」
ザンギフの言葉に耳を傾けながら食べてるのだけれど、全然青臭くないの。口の中でプチプチした食感もあって、楽しいわ。少しネバっとしているのも、新鮮!
弱酸性寄りの土壌なら、ミミリップ地方にもピッタリね。……って。今の私はベルだった。ミミリップの心配はしても仕方ないわ。
でも、栽培されているところは見たい。
「今日はお外が暗いので、明日にしましょう」
「ちょっとだけ、ね?」
「では、イリヤが帰ってきてからにしてくださ……」
「!?」
ザンギフの隣に立っていたアインスにおねだりをしていると、ダイニングの入り口から何かが落ちた鈍い音がした。フォークとナイフを置いてそちらに視線を向けると……。
「え……。イリヤ、パーティ聞いてない」
そこには、いつものメイド服を着たイリヤが立っていた。その足元には、画材が転がっている。
彼女の寂しそうな表情を見た私は、ものすごい罪悪感に襲われ立ち上がった。
「ご、ごめんなさい、イリヤ。あの、別に貴女を除け者にするつもりはなくて、その」
「……イリヤ、知らなかった」
「あ、え、えっと! イリヤ、一緒に食べない?」
「そうよ! イリヤも一緒に食べましょう」
「そうだぞ、イリヤ。今日は無礼講だと話していたところなんだ。だから、泣かないで」
いえ、私だけじゃない。お父様やお母様、他の使用人たちも完全に彼女を忘れていたようで慌て出す。
お父様なんて、自分が持っていたワインをそのまま差し出そうとしてるわ。それはちょっとマナー的にどうなの?
「……イリヤ、仲間に入れて欲しいです」
「ええ、良いわよ! 私の隣、来てちょうだいな」
「イリヤ、私の隣でも良いわ」
「いいや、私の隣だ」
「本当ですか! じゃあ、ちょっとお待ちください!」
私たちが慌てて誘うと、明るい表情を取り戻したイリヤが、落とした画材を拾ってダイニングを出ていってしまった。それにホッとしていると、ザンギフとアラン、アインスの表情が曇っていく。よく見ると、他の使用人も。
「イリヤに悪いことしたわ」
「うむ。まさか、帰ってくるとは思ってなかった」
「やあね、イリヤの住まいはここでしょう。帰ってくるに決まってるじゃないの」
そうよ。お屋敷で働く使用人は全員ここに住んでいるじゃないの。わかっていたのに、忘れちゃうなんて。後で、個人的にもイリヤに謝っておこう。
そうやって反省したのに、やっぱりイリヤはイリヤだった。
「お待たせしましたァ!」
「え?」
「え?」
「あ……」
戻ってきた彼女の両手には、ガトーショコラとプリンが。満面の笑みを浮かべて、こちらに向かって歩いてくる。
見た目はとても美味しそうなのだけれど、それを見るザンギフの真っ青な顔色で色々察したわ。アインスなんて、両手で顔を覆っている。アランは……居ない。多分、逃げたわね。
「え、イリヤ。あの、仲間に入れてって……」
「はい! イリヤの作ったデザートも仲間に入れてください!」
「……そっち?」
というか、いつ作ったの?
私は、ニコニコ顔のイリヤを見ながらどうやって断ろうか必死に脳を動かす。
***
宮殿の廊下を歩いていると、前から見知った人物がやってきた。
「こんにちは、ジャック」
「こんにちは、ロベール卿」
この人物は、宮殿侍医のジャックだ。
アインスの後継人で、……ジョセフの例の不自然な発言の時に王宮を急に出て行った人物の1人でもある。
ジャックは、ニコニコ顔を披露しながら俺に向かって話しかけてきた。
「天気が良いですなあ」
「そうですね」
「では、これで」
あまり会話をしたがらないのに、今日はどうしたんだ?
一度疑うと、何もかもが怪しく見えてしまう。
遠ざかる後ろ姿を見ながら、しばらくボーッとしてしまったよ。
でも、今はそれどころじゃなかった。
急いで、陛下の元へ行かなくては。確認していただく書類が溜まりすぎて、補佐役のクリステル様が死にそうなんだ。