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赤いバラを一輪

 私は、赤が嫌いだった。

 だから、自分の髪色は最悪な色としか思えない。

 こんな血のような色、誰が好むの? 少なくとも、私は大嫌いだったわ。野蛮すぎるもの。


 なぜお姉様のようにクリーム色の艶やかな髪じゃないのか、物心ついた時からずっとお母様に文句を言っていた気がする。そんな時、お母様は決まって「パトリシアの赤は、お祖父様の赤なのよ。誇りなさい」と言うの。

 そんなこと言われたって、お祖父様にお会いしたことがない私にとっては憎む対象でしかない。


 そんな私が赤を好きになったきっかけは、あのバラだったと思う。


『……の試算を翌月の会議までに揃えます』


 お父様に連れられて、王宮に行った時のこと。

 確か、領地を広げるための相談をしに行った気がするわ。本当はお姉様が行くはずだったのに、お稽古事の先生の都合でどうしても抜けられなくて、私が代理でついて行ったの。

 こう言うところに顔を出しておくと、婚約者候補の目に止まりやすいらしい。……お姉様ならともかく、私には不要だわ。興味ないもの。


 初めて入った王宮は、当時12歳の私にとって広すぎるところだった。

 門を抜けてすぐ広がっている庭園は、私のお屋敷にあるお庭の10倍はあったと思う。そこには、たくさんのお花が風に揺られて気持ちよさそうに動いていた。数えただけでも3人の庭師が、お花にお水をあげたり枝の剪定をしたりしていたわ。うちじゃ1人だけなのに、すごいわ。


『いつも助かるよ。ちゃんと休息もとるようにね』

『ありがとうございます』

『そのバラは、エルザ様への贈り物かい?』

『ええ。私の好きなものを持っていくお約束をしまして。バラにかすみ草を1本添えさせていただきました』

『良いな。白が、赤を引き立てている』

『バラには、かすみ草が一番です』

『私も同意するよ』


 その庭を抜けると、王宮の大広間が待ち構えていた。

 たくさんの人々が行き交い、また、立ち止まって書類片手にお話をしているその光景は、お屋敷でお茶を飲みながらニコニコしているだけの私にとって、カルチャーショックを受けるに十分だった。「王宮に入れるのは、貴族だけ」と言うお父様の言葉を聞いていたから、みんなお茶を飲んでまったりしているような人たちかと思っていたの。

 先ほどから聞こえてくる会話には、お茶会の「お」の字もない。


 そんな中私は、ちょうど手前にある柱のところで先ほどから話している男女に視線が行った。


『ああ、そうだ。アリス』

『はい、ロベール侯爵なにか?』

『シャロンは元気か?』

『おかげさまで。今日も、きっとお屋敷のお掃除に奮闘していますわ』

『そうか。いつも一緒なのに、今日は居ないからどうしたのかと思って』

『心配して下さっていたと伝えます。昨日、メイドが急に辞めてしまってまだ代わりが見つかってないから連れて来ませんでした』

『そうだったのか。でも、伯爵令嬢の君が1人で来るのは賢明ではないぞ』


 男性は、ロベール侯爵だ。

 一度うちにも来てお父様とお話されていたから、顔は知っている。でも、隣に居る女性は見たことがない。……いえ、女性というよりは、女の子って感じだわ。多分、私より年上だけど年齢は近いと思う。

 なのに、ドレスじゃなくてスーツ姿で、扇じゃなくて書類を持っているの。それと、ラッピングされた真っ赤なバラを1本。


 その子は、自分たちよりずっと大人の侯爵相手に、物おじひとつせず会話をしていた。あんな分厚い書類を持って会話をするなんて、どんな人なの?

 私は、一瞬にしてその女の子から目が離せなくなる。


『おや、デュラン卿じゃないか。美しいお嬢様を連れてとは、羨ましい』

『お久しゅうございます、ロベール侯爵。次女のパトリシアです。失礼ですが、そちらは……』

『アリス・グロスターと申します。申し訳ございませんが、謁見が控えておりますので私はこれで失礼いたします』


 アリス・グロスターと名乗った女性は、お手本のようなお辞儀をしてきた。その美しさに目を奪われ、カーテシーが遅れてしまう。それなのに、彼女は嫌な顔ひとつせずお父様と私に向かってニッコリと微笑んできた。でも、視線が合わない。

 きっと、その謁見に気持ちが行ってしまわれているのだわ。直感的に、そう思った。


 アリス様は、そのまま踵を返しコツコツとヒール音を軽快に鳴らし、王宮の奥へと消えていってしまった。

 伸びた背筋、スラッとした足、どれを取っても無駄のない美しさが私の視線を離させてくれない。その後ろ姿が見えなくなっても、見えない糸で結ばれているかのように瞳を逸らせなかった。


 そんな中、お父様たちの会話は続く。


『いつぞやは、年代物のワインを分けてくださりありがとうございます』

『ああ、美味なものはみんなでいただくと良いからな。どうだった?』

『琥珀色の輝きがとても美しく、香りも味も文句なしのワインでした』

『ちょっと渋くなかったか?』

『いえ、私はフルボディが好みなので、もっと渋くても好きです』

『そうかそうか! またそっちのワインが手に入ったら流そう』

『ありがたき幸せです。それでは、うちからはチーズを。最近流行りのブルーチーズと、タイムの花から採った蜂蜜をお送りしましょう』

『これはこれは。タイムの蜂蜜は、息子が好きでな』

『そういえば、御子息様が今度王宮入りするとのことでしたが……』


 私は、その会話を半分も聞いていなかった。


 それよりも、先日木に登って作った顔の傷が治っていて良かったと心からホッとしていたの。あんな素敵な方の前で、恥をかくところだったわ。

 次からは、サヴァンの言うことを聞いてもっと淑やかな遊びをしましょう。今までそんな感じのことを言われ続けたけど、無視していたのに。今は、素直に聞ける気がする。


『アリス様……』


 バラがお好きと言っていた気がする。お好きなものをどなたかに差し上げるお話をしていた気がするわ。

 私は、そんな曖昧な情報にも関わらず、胸の中が高揚していくのを止められなかった。


 私の知らない大人な世界で1人立っている、凛としたアリス様。その彼女の持っていたバラが、自身の髪色と似ていた。

 それだけで、今まで不満に思っていた「赤」が誇らしげになる。

 それだけで、心臓の音がお父様たちにも聞こえてしまうのでは? と心配してしまうほど強く響く。


 これが「憧れ」だと知ったのは、その日お屋敷に帰ってサヴァンに内緒話としてアリス様のことを言った時だった。

 サヴァンは、「自分の髪色が赤で良かった」と話す私をホッとした表情で見ていたわ。「お嬢様の赤は、いつだって私の憧れです」って言いながら。


 アリス様。

 また会えると良いな。



***



 その「また」は、1年後にきた。


 お姉さまが風邪を引かれて、メルシエ伯爵家のサラ伯爵夫人にお誘いいただいたお茶会に行けないことがわかったの。そういう社交場が好きな私は、喜んで代理参加したわ。

 そうしたら、そこにアリス様もいらっしゃっていたの。すぐにわかったわ。あの時の胸の高鳴りは、今でも鮮明に覚えている。


 立食のパーティー形式だから、きっとお話する機会もある。

 当時の私は、胸を躍らせた。


『こんにちは、パトリシア様。私は、ロダン伯爵令嬢、レア。あなたのこと、よくお父様から聞くのよ。お前も、デュラン伯爵のご令嬢のように髪を美しく保てって』

『こんにちは、レア嬢。お褒めに預かり、光栄ですわ』

『ね、なんの香油を使っていらっしゃるの? とても良い香りがするわ』

『これは……』


 でも、声をかけるタイミングが掴めない。

 次々と他地方のご令嬢が話しかけてくるし、彼女は彼女で、ずっとあの緑色の髪をしたご令嬢と話し込んでいる。


 話したい。あれから、何度か王宮に行ったけど会えなかったアリス様と話したい。

 そんな感情をセーブできなかった私は、その時彼女と話しているご令嬢に嫉妬した。


 緑の髪に真っ赤なドレス。それは、あの時見たバラそのもの。

 バラがお好きな彼女は、きっとあの女を気に入ったに違いない。だから、話し込んでいるのよ。あんな楽しそうに。


『何をするの!』

『あら、ごめんなさい。かかっちゃったわ』

『あなた、今わざと……』

『そんなことないわ』

『どうしたの? ……あら、大変!』


 アリス様とやっと離れたその女に、私は持っていた葡萄ジュースをかけてやった。

 その真っ赤なドレスにシミを作ったのよ。そうすればもう、あなたはバラじゃない。


 私が何か言う前に、サラ伯爵夫人が駆け寄ってきた。もっと暴れてやろうかと思ったけど、満足したから良いわ。

 私が笑うと、ドレスを汚した女はキッと睨んでくる。睨みながら、サラ伯爵夫人と一緒に屋敷の中へと消えてしまった。


 そんな騒ぎを起こしても、アリス様は私を見てくれなかったの。

 他の……同じ髪色のご令嬢と楽しそうに話しているのが見える。私もあの笑顔が欲しいのだけれど、どうすれば良いの?


 結局、終盤で他のご令嬢と混ざって挨拶を交わすだけしかできなかった。「あの時王宮であったパトリシアです」と声をかける間もなく、お茶会はお開きになってしまったの。

 その間も、ドレスを汚してやったあのご令嬢は私のことを睨みっぱなしだったわ。お気の毒様。私は悪くないわ。



***



 そのお茶会以来、私は方々で「悪役令嬢」と呼ばれるようになった。

 わがままで、何か気に入らないことがあるとその人のことを精神攻撃するんですって。誰よ、そんな噂を流したのは。


 お父様もお母様も、私に「もっとお淑やかになりなさい」と何度も叱咤してきた。でも、私は反抗するように話を聞かず美容に走った。

 きっと、私が美しくないからアリス様が見てくれないんだ。そう思って、顔も髪も極上級のマッサージやケアを毎日のようにしたわ。それでも満足できず、お化粧道具も最高級のものを揃えて侍女にメイクを学ばせた。「アリス様に振り向いてもらう」当時の私の口癖は、それだった。


 そんな日々を送っている時、あの出来事が起こる。


『お嬢様。落ち着いて聞いてください』

『何よ、お説教なら結構よ。どうせ、先日のお茶会で顔にお水をかけてやったクレマンス嬢から何か言われたのでしょう? 放っておけば良いのよ、あっちが悪いんだから』

『いいえ……。あの』

『何よ! はっきりしなさい』


 化粧台の前で髪の艶を確認している時、顔色を真っ青にしたサヴァンが部屋に入ってきた。いつもならノックするのに、それすらなく。

 またどうせお父様とお母様からお叱りでも受けたのでしょう。私は、その程度にしか思っていなかった。

 でも、違ったの。


『……アリス様が。アリス・グロスター様が逝去されました』


 部屋の中の空気が、一斉に止まった。


 持っていた香油瓶が床に落ちて割れても、何も気にならなかった。隣国で開発中の高級香油で、入手困難とされていて大切にしていたのに。1滴でも無駄にしたら、その侍女の夕飯を抜いてやったのに。

 パリンと甲高い音が聞こえたけど、そんなのもどうでも良かった。


『……え?』

『毒殺されたそうです。お食事に添えられた冷たいお水に、毒が混入していたようで』

『サ、サヴァン。嘘はやめてちょうだい。そんな笑えないわよ』

『嘘じゃありません。お嬢様、嘘じゃないのです……』

『どうせ、お父様からそう言っておけとでも言われたのでしょう? 私がアリス様ばかり気にして勉強をしないから』

『お嬢様……。嘘じゃ、ないんです』

『サヴァン!!!』


 私は、立ち上がった。


 立ち上がって、後ろにいたサヴァンに向かって手をあげる。

 でも、それが振り下ろされることはない。


『嘘だ。嘘だ……。ねえ、嘘だって言ってよ』

『……ごめんなさい』

『ねえ、いい子になるから。もう誰もいじめない。木登りもしない。お勉強だって、するわ。……そうよ、先週言っていたお父様のお仕事もやる! サヴァン、今すぐお父様に言って『お嬢様。嘘じゃないんです』』


 サヴァンは、泣いていた。

 頬に涙を伝わせながら、必死に許しをこう私に向かって謝罪の言葉を繰り返す。

 

『だって、私。アリス様とお話してないわ。陰であのお方を見ていただけだわ。ねえ、次はお話できるわよね? 次は、どこで視察? それとも、王宮で会える?』


 振り上げた手を下ろした私は、自分でも何を言っているのかわからずにサヴァンに詰め寄り会話を続けようとする。まるで、会話を止めてしまったらアリス様が居なくなってしまうとでも言うように。

 それでもサヴァンは、私が納得するまでずっと側にいて同じ言葉を繰り返した。




 アリス様が逝去された後、「冷たいお水を飲んで死んだら悪魔」というゲームがご令嬢間で流行っていると聞いた。

 その話を聞いた私は、冷たいお水が嫌いになった。それだけじゃ足りず、たくさんお茶会を開催させてそのゲームをしているご令嬢に嫌がらせをして行ったわ。


 それから5年。やっと、私が冷たいお水とそのゲームが嫌いなことを貴族間に知らしめることができた。

 この美しさを盾に、私より爵位の低いご令嬢、お父様のお仕事の下についているお家のご令嬢へ圧をかけてね。ちょっと楽しかったってことは、私はやっぱり悪役令嬢だったってことかしら? いまだにわからないわ。




***



 ミミリップ地方の話を王宮に伝えて3日後のこと。


「……え?」


 夕方、部屋で国史のお勉強をしていると、サヴァンが入ってきた。ノックもなしに、それに、あの日のように顔を真っ青にさせて。


 一瞬だけ、ベル嬢に何かあったのかと思ったわ。

 そうじゃないとわかって安心したけど、それでも、サヴァンの口から出た言葉は到底信じがたいものだった。


「グロスター伯爵が、屋敷内でご遺体として見つかりました。夫人はどこにも見当たらなかったとのことです」


 これから、もっと大きなことが起こる。


 私はなぜか、そう思った。

 なんの根拠もないのに、そう思ったの。


 

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