穏やかな日常に迫り来る影
「お嬢様! 出来上がりました!」
「どうしたの、イリヤ?」
ガロン侯爵との約束の日から4日が経とうとしていた。
お父様のお仕事を片付けていると、部屋の中にイリヤが入ってきたの。なんだか、結構大きめの長方形のものを持って嬉しそうな顔をしてくる。
あれは何? 布で包まれていて、良くわからない。
「お嬢様の肖像画を描きました! 客間に飾りましょう!」
「え?」
ということは、その手に持つのは肖像画ってこと!? 新しいお仕事を持ってきてくれたのかと思ったけど、違ったわ。
というか、待って。色々突っ込みたいのだけど、どこから突っ込めば良い?
まず、肖像画を描くなんて話を私はもらっていない。
それに、いつの私を描いたの? ガリガリの肖像画なんて、嫌だわ。もう少し身体が整ってからにして欲しかった。
そして、そもそも客間はそういうのを飾るところじゃない。玄関先に飾るものよ……。
「えっと……」
「今お見せしますね!」
イリヤは私が唖然とする中、ニコニコ笑顔を崩さずに布を解く。
すると中には、裏返された額縁が2つ。私の髪と同じ、銀色に輝く額縁がおさめられていた。
そのうちの上に置かれていた額縁の端を持ったイリヤは、満面の笑みで私を見てくる。
「どうぞ! こちらです!」
「……え?」
「あれ、お気に召しませんでしたか?」
イリヤが私に見せてきたもの……それは、ガロン侯爵と王宮でお話した時の服装を着た人物が、涙を流している絵だった。……つまり、私ね。
絵的には、美しいわ。細部の模様に影にこだわりが強い。
イリヤってば、本当に絵が描けるのね。似てる似てないは自分だからよくわからないけど、思った以上の腕前だわ。
……いえ、そうじゃなくて!
どうして、よりによって泣いてる顔なのよ!
「……えっと、イリヤ?」
「あっ。イリヤ、間違えました。こっちです」
私が固まっていると、異変に気づいたイリヤが額縁を覗いてきた。そして、何事もなかったかのようにもう一枚の肖像画を手に持ち掲げてくる。
今度は、正真正銘ちゃんとした肖像画だわ。
そこには、斜め横を向いた私が、視線だけ正面にして微笑んでいる。この服装は、パトリシア様とお茶会をした時のものだわ。とても懐かしい。
そして、その手にはカモミールのお花が握られていた。
でも、その前に確認させてね。
「イリヤ……」
「はい、なんでしょうか」
「さっきの泣いてる顔のものって……」
「一応描いたものは旦那様にお見せするお約束ですので、持ってきただけです。あれは、イリヤの寝床に飾る用」
「却下! やめてよ、恥ずかしい!」
「イリヤ失態、しゅん……」
寝床に飾るってどういうこと!?
私が声を張り上げると、イリヤは本当に悲しそうな顔をして私を上目遣いで覗いてくる。……そんな目をしたって、私は折れないわよ!
「……でも、とても繊細で素敵な絵だわ。涙なんて、本当にこぼれ落ちそうで」
「それは、お嬢様がお美しいから」
「イリヤの腕前がとても素晴らしいからよ。それに、こっちはともかくこの泣いている方は4日で描きあげたのでしょう? 普通はどんな小さなものでも、数週間はかかるわよ」
「どちらもここ4日で描き上げました」
「……イリヤ、寝てる?」
ここ4日って、……私のお世話してくれていたわよね。確かに1日だけ完全にお休みでアランが色々動いてくれたけど、それにしても早すぎる。
驚きつつも、私はイリヤからその肖像画をもらおうと手を伸ばした。すると、机上の書類が置かれていない部分に立てかけてくれる。近くで見ると、絵の具が完全に乾いているじゃないの。やっぱり、いつ完成させたのかが謎すぎるわ……。
イリヤは、それを支えつつ、
「お昼寝も夕寝もしております。イリヤは、まとめて寝るよりもちょこちょこ寝た方が好きです」
と言ってきた。なぜか、胸を張って得意げに。
「そ、そう……。でも、寝れる時はまとめて寝るのよ。身体、壊さない様にね」
「お嬢様……! イリヤを心配してくださるなんて、感激しすぎて本日のランチはパンを10個食べます」
「……胃も心配しておくわね」
イリヤってば、本当に剽軽なんだから。
でも、ちゃんと立場とかマナーは弁えているのよね。この絶妙な砕け方は、イリヤじゃないとできないことだと思う。一種の才能だわ。
「お嬢様、心配ついでにお願いがございます」
「何かしら」
机上に散らばった書類をまとめながら絵を眺めていると、イリヤが真剣な声で話しかけてくる。
さっきの、自室に飾る相談なら断らないとね。
断る理由を考えつつ、私は顔をあげてイリヤの言葉を待つ。
「実は、この泣いていらっしゃるお顔は大作でして。4つで1つのものになります」
「え?」
「喜怒哀楽で1つの作品です。現在、喜怒哀まで作ったので、お嬢様にはぜひ「楽」のお顔を……」
「ま、待って!? 怒っていつした!?」
ものすごい情報きたわよ!? 本当、いつ寝てるの!?
いえ、それよりも私、ベルとして起きてから怒ったことなんてあったかしら?
記憶する限り、ないのだけれど。
「へ? よく旦那様とお仕事の会話をしている最中にされておりますよ」
「嘘でしょう!?」
「それはそれはもう。旦那様のお仕事の出来を見たお嬢様は、いつも可愛らしいお怒り顔をしております」
「……それも飾るの?」
「はい! イリヤの寝床がある壁に」
「壁はやめて……」
「では、天井に」
「天井も却下」
「流石に、床は嫌です……。窓も日焼けが気になるので無理」
「飾ることをやめてちょうだい!!」
彼女の中に、「飾らない」という選択肢はないらしい。それなら、作ってあげないと。
私が渾身の力で意見を言うと、「あ、眉間のシワはそんな感じでした。ちょっと手直しが必要ですね」と顔をマジマジと見られてしまったわ。……ああ、これが「怒」なのね。
って! ちがーう!
「……ちなみにその大作、飾らないとしたらどうするの? 処分?」
「いいえ、お嬢様のお顔にそんな失礼なことはしません! 旦那様も欲しがっていらっしゃるので、お譲り「イリヤ、飾って良いわよ」」
お父様に渡したら、それこそ人生終わるわ。
きっと、お守りの様にして持ち歩くに違いないもの。うちの娘だって言って他の貴族に自慢しているところ、容易に想像できちゃうから怖いわ。なんなら、「馬車に飾る!」と言い出しかねない。そんなの、マナー違反もいいところ!
……いえ、そんなマナー聞いたことないわね。純粋に恥ずかしいってだけ。
それなら、イリヤがひっそりと寝室で拝む程度なんてことない。
私は、ダメージ100と1なら、1を取る。
「ありがとうございますっ! では、こちらにお嬢様のサインを……」
「え?」
「ほら、著名なお方にサインをもらう習慣がございますでしょう。イリヤも、お嬢様のサインが欲しいです」
「……そのくらいなら」
その意味はよくわからないけど、サインくらいなら書類に良くしてるから良いよね。
私は、ちょうどお仕事で使っていた青いインクの万年筆で額縁裏の右下にサインをした。「Bell」って書きやすくて良いな。アリスだと、スペル多いし「i」で再度筆を置かないといけないしでサッと書けなかったから、余計書きやすく感じるわ。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます。イリヤ、今日はこれを抱いて寝ます」
「……サイズ感辛くない?」
「幸せの重みです。イリヤは、棺桶にもこれを持っていきます」
「だから、サイズ感……」
突っ込みはそこじゃないのだけれど。
イリヤといると、なんだか常識が良くわからなくなってくるわ。
でも、楽しい。
自然と笑顔になれるくらい、楽しい。
そんな私を、イリヤはジッと観察している。……これ、もしかして「楽」を見られてる?
イリヤってば、表情を作らせるのが上手だわ。これは一本取られたわね。
***
牢屋の前に立つと、すぐに奴が顔を上げる。
牢屋の管理人に「10分」と言われたが、果たしてそれで済むかどうか……。
「アレン! アレンじゃないか!」
「ジョセフ、口を慎め」
「そんなこと言って! 君は、私の友人じゃないか!」
「そうか、君は友人に向かって刃物を向けるのが趣味なんだな。覚えておこう」
アリスお嬢様と同じ髪色、吊り目に小顔……。
見る度に、なぜこいつが死ななかったのかを考える。考えても仕方のないことなのに。
こいつは、アリスお嬢様と同じ顔をして、留置されているというのにヘラヘラとした態度を隠そうともしない。それがまた、俺の気持ちを逆撫でしてくるようで気持ちが悪いんだ。
別に、挑発でそういうことをしていないのはわかっている。奴に、そういう脳はないからな。数年経っても、そういうところは健在だろ。
ほら。
俺が睨みつけると、すぐに萎縮して視線を下に向ける。変わってない。
「ミミリップで餓死者が出ているのは知ってるか」
「……知ってる」
「そうか。理由は?」
「これは、公式な事情聴取かい?」
「違う」
「では、拒否権を。私が捕まったのは、餓死者のせいではない。店で暴れたせいだ」
「なるほど、一理あるな。お前のせいで、今日も店は営業できていないよ」
「死んだ人が出たのか?」
「出てない。ガラスの破片や木片集めに時間がかかってるんだ。食事処だから」
「そうか……」
「……?」
なんだ?
死んだ人が出ていないという情報を聞いたジョセフは、なぜかホッとしたような顔になった。
まさか、こいつが人の生死を心配している? いや、そんなことはない。餓死者の話を聞いても、眉ひとつ動かさなかっただろう。しかし、他にホッとするような話題を提供した覚えはない。
今、それを聞いたところで「拒否権を」と言われるだけなのはわかっている。
俺は、聞きたいことをグッと抑えて本題に戻った。
「近々、伯爵家に行こうと思う。何か、伝言はあるか?」
「うちに? みんな元気かどうか知りたいな。伝言はないけど」
「その程度なら、教えてやるよ」
「あ、でもそういうの教える代わりにーとか言って、情報を取られるならパス」
「……まるで、誰かの合図でも待っているようだな」
「っ……」
やはりそうか。
ジョセフが、そんなずる賢いことを言うはずはない。
そう思って言ってみたが、予想は当たっていたらしい。
俺の発言に言葉を詰まらせ、眉間に皺を寄せている。相変わらず、隠し事が苦手な奴だ。こう言うところも、アリスお嬢様に似ていて反吐が出るよ。
「まあ、良い。お前が口を開かなくても、他に手段はあるからな。例えば……鉱山、とか」
「や、やめ……。鉱山だと! アレンは、俺の所有する鉱山に行こうとしているのか!?」
「……」
「そうか、騎士団は鉱山に行こうとしてるんだな! そうか、そうか!」
しかし、こいつはアリスお嬢様と違って考える力は皆無だ。
急に大きな声を出したと言うことは、この会話を誰かに聞かせているのか? そうとしか考えられない。
俺は、不自然に笑うジョセフに「また来る」と言って牢屋を後にした。
やることが増えたな。鉱山に行くことではない、王宮内でこれから外出する奴を確認しに行くんだ。