混ぜるな危険
乙女ゲーム世界に、突如として異端なナニかが舞い降りる——!
私が見てしまったのは、銀とも灰色ともつかない色の髪を三つ編みにして。
まるで野生の獣のように、一切の無駄を省いて踊る姿。
吊り気味のふさふさとした眉。
鋭い瞳。
まるで意志や信念といったもの、心の芯が如何に強いかを示すような顔立ち。
踊る姿は機敏。
足運びの鋭さ、身のこなしには僅かな隙も無い。
どこか猛々しさを匂わせながらも、舞踏という『型』を忠実に表現する滑らかな動きには、隙も無駄もないが為に優雅さが……いいや、風格が宿っている。
そして、髭。
髪色と同じ銀とも灰色ともつかない髭が、口元を覆う。
余裕めいた笑みを刻む口元の獰猛さを緩和させている。
……あの髭が辛うじて、恐らく数え切れない程に潜ったのであろう剣呑な修羅場の気配を緩和させているな。危うい。表情を読み難くさせるあの髭がなかったら、貴族社会に混じり込んでも違和感しかないんじゃないだろうか。本当に辛うじて、あの髭が表情の一部を隠して取り繕っていることで、社交界に紛れ込んでもギリ許されている気がする。いや、誰が許すとかないんだろうけれど。でもあの髭がなかったら、きっと紳士淑女の皆さんは彼の方の背負った血腥さを嗅ぎ取って遠巻きにしていただろうなって気がする。
私は見入った。
見入らずにはいられなかった。
「あの身のこなし……さぞや武名を馳せた方に違いない」
そう、私の目に狂いはない。
武の道に足を突っ込み、一端の者にはなれただろうかと自問自答する。
そんな私からすれば、鮮烈な光を放っているかのような強烈な存在感。
そう、間違いようがないんだ。
あんな見事な体捌きを見せられては——!
私はそこに、一つの武の極致を見つけた気がした。
ダンスの最中に目を離せなくなってしまった私を見て、兄が視線の先に目をやった。
あの鮮やかな姿を、兄も目に留めたのだろう。
「あの方か……」
「兄様、あのお方をご存じですの? さぞ名のある武人なのでしょう」
「近頃、社交界でも名を馳せておられるダンス教師の方だ。確かイシュタール男爵……お前も察した通り、恐らく本来は武の道にある方なのだろう。俺も詳しくは知らない。何年か前に、滅びた小国から亡命してきた方だからな」
「亡命……」
武人は、私が見ていることにすぐに気づいていた。
ちらりと私に目をやり、余裕の笑みを口髭の有る口元に刻む。
武人の実力をどうにか推し量れないかと、私が探っている事に気付いている目だった。
途端、私は幻を視た。
視た……気がした。
それはまるで、大きな白い虎で。
獰猛な咆哮。太い丸太でも切り裂いてしまいそうな鋭い爪。
そういう天然自然の武器を振りかざし、襲い掛かってくる幻だ。
それが武人の気迫を受けての事だとわかっていた。
危険を感じて脳が作り出したイメージだったのか、感じ取った気迫が本当に具体化して見えたのかはわからなかったが……何の覚悟もなく、訓練もせずに生きていたら、ぶつけられただけで腰を抜かして気絶してしまいそうな、物理的な力を伴わない『攻撃』。
ともすれば怖気づいて足を止めてしまいそうになる。
だがここは社交の場で、ダンスの真っ最中。
足を止める事は、『恥』となる。
所詮は目に見えない圧力のような物。
私は意地と根性には自信がある。
無理やり、根性で『気迫』も『幻視』も無視してステップを踏み続けた。
恐れ入った事に、それは『私』にだけ限定してぶつけられていたらしい。
私以外の誰も……戦いとは縁遠いであろう淑女や、紳士達は誰も気づいた素振りがない。
……一緒に踊る兄だけは、何かしら感じたようだったけれど。
だから私は、曲が終わるや『彼の方』の下へ足を向ける。
あんな達人の練り上げられた気迫を受けて、どうして無視ができようか。
まっすぐと目の前。
正対すると、何気なく立っているだけに見えるのに……武人の気配に圧倒されそうになる。
丹田だ。こういう時には丹田に力を込めろ。
なんかよく知らないが、前世で読んだ漫画に確かそう書いてあった!
「……いずれ、名のある御仁とお見受け致す。私はグロリアス子爵家が三女、ミシェル・グロリアス。まだ道半ばにも達さぬ卑小なる我が身なれど、一手、お相手願いたい」
「フッ……良かろう。我が名は王 英徳。逃げず向かってくるとは、少しは骨があると見える。相手をしてやろうではないか、小娘」
「恐縮です。胸をお借り致します」
「だが我が『一手』は生半に済ませられるような物ではない」
「覚悟の上」
恐らく、私達の浮かべる笑みはどちらも剣呑としたもの。
作法に則り、互いに一礼するのは新たな曲が流れだすのとほぼ同時。
そうして、私と彼の方との『一手』が始まった。
ダンスというには、きっとキレがありすぎる。
だけど異常だ、と気付いた人はごく少数のはず。
少なくとも、武術を嗜み一定以上の実力を持つ人じゃないと気付かない。
私達は傍目には、優雅に踊っているように見える事だろう。
見る人が見れば「あのペア、動きが攻撃的で鋭すぎじゃね……?」と思われるだけだ。
「まあ、イシュタール男爵よ……さすがはダンスの名手ですわね」
「お相手はどちらのお嬢さんかしら。イシュタール男爵のお孫さん?」
「あら。男爵に女のお孫さんがいらっしゃるなんて聞いたことがございませんわ。でもあの複雑なステップを難なくこなす上に優雅さを保てるなんて達者だこと。お弟子さんじゃありませんこと?」
さわさわと、どこぞのご婦人方が囁きかわす。
思わず注目し、見入らずにはいられない。
それ程に印象的で、二人の動きは自然と目を引いた。
ほう、と感嘆の溜息がそこかしこで溢される。
……が、同じ光景を目にしている者達でも、一部では少々反応が異なった。
「お、おいアレ……凄まじい、な。なんだあの苛烈な動き」
「見事な組手だ。まるで示し合わせたかのように、互いの息に合わせていくとは」
「まるで踊っているかのようだな」
「……いや、『まるで踊っているかのよう』ってなんだよ。『踊りのような組手』じゃなくて『組手のような踊り』だからな? 組手じゃなくてダンス踊ってるって表現が正しいんだからな?」
「いやいやいやいや、アレはどこからどう見ても組手だろう」
「こうして離れていてもわかる、戦意の高さ。目線から伝わる高度な駆け引き。俺の目にはとても『ダンス』には見えん」
さわさわと、戦慄に微かな震えを含んで。
くるりくるりと回る二人に視線をやらずにはいられない。
鮮烈な一撃を思わせる体裁き、攻撃を放つかのような鋭いターン。
ダンス……?と畏怖の眼差しを向けるのは兵どもか。
ちなみに我らが赤太郎殿下は死んだ魚じみた目を、会場で最も目立つ二人に向けていた。
赤太郎の隣に佇む青次郎の方は何か変な心の傷でも刺激されたのかカタカタと指先を震わせながら立ちすくんでいる。
硬直して佇む様は、まるで木偶坊のようね。
うっすら涙目に見えるのは気のせいかしら。
ミシェルとイシュタール男爵は自然と場内の注目を集めていた。
引き寄せられる視線。
見る者によって異なる印象。
困惑を隠せない軍関係者たち。
やっぱり困惑を隠せない、魔法学園魔法騎士コースの面々。
そしてミシェル達を見ていたのは、彼らだけではなかった。
同盟国から魔法学園に留学し、舞踏会にも参席している他国の要人。
……近隣国の王子達もまた、ダンスフロアで最も目立つペアに視線をやっていたのである。
それは金髪を揺らす、彼もまた。
シャルトルーズ・イエロー。
アルストロメリア王国の王子である彼も、ミシェルに目を向ける一人だった。
ただし彼は他の面々とは、少し様相が異なる。
どこが違うのか?
具体的に言うと、その両腕とか……左右の腕に、ひとりずつ。
飛び切り豪華で存在感のある、貴族令嬢をくっつけているところ等が。
いや、腕だけではない。
その肩にしなだれかかるように。
その腰に、そっと触れる様に。
手袋に包まれた手を、たおやかな手で優しく包み込むように。
黄色頭の王子様は、その周囲四方八方をお綺麗なお嬢様方で彩っていた。
もしくは取り囲まれているとも言う。
これで中心にいる人物が女性恐怖症でも発症していれば面白……悲惨な事になっていただろうが、王子ご本人は自身の状況に疑問を少しも抱くことなく、至って平然自然体。
この状態こそがデフォルトだと言わんばかりである。
常に令嬢に取り囲まれているのがデフォルトってなんなんだよ。
誰か一人でも殺気立っていれば私刑の現場に見えただろうが、全員がやや浮かれた気配を漂わせているので別の意味で浮いている。
彼らの様子は、端的に言うと『ハーレム』……トドの群れがコロニーで形成する形態の一種によく似ていた。
「へえ? 凄いな彼女。翻るドレスが花のようで艶やかだね。あんなに可愛くって、運動神経も良いんだ」
「まあシャル様ったら……いけない人! わたくし達とお話している最中ですのに、他に目を向けては嫌ですわ」
「ふふ、ごめんね? でもあんなに巧みなダンスを見せられては、ね……? みんなも見てしまうだろう?」
「……だって、凄いんですもの。何がどう、とは申せませんけれども」
「ええ。わたくしもついつい目を寄せられてしまうと思っていましたの。でもシャル様の目まで奪われては……ほんの少し、思うところがありますのよ」
「シャル様ぁ、後でわたくしとも踊ってくださいまし」
「あら、誰か一人だけと、なんて嫌ですわ」
「もちろん、私とも踊ってくださいますでしょう? 順番に踊ってくださいましね」
「はは、勿論だよ。だけど、そうだね……あんなに見事な動きを見せられては、どうしても興味を引かれてしまうなぁ。後で、あのお嬢さんには僕とも踊ってもらいたいね」
「まあ、シャル様はわたくし達よりもあの娘がよろしいの?」
「そんなこと言ったかな? 君達と踊るのだって、楽しみなんだよ。まずはそうだね、エリン嬢? 僕と踊ってくれるかい?」
「喜んで、是非!」
優美な笑みを口元に刻み、気障な仕草も板につく。
右腕にくっついていた令嬢の手の甲へと口付けを落とし、ダンスフロアへ誘っていく。
シャルトルーズ・イエロー。
アルストロメリア王国の王子……ミシェルは彼のことを黄三郎と呼んでいた。
いうまでもなく、殴り標的リストの上位五名に名を刻む『攻略対象』である。
赤い負け犬、赤太郎。
青いラクダ、青次郎。
黄色いトド、黄三郎。←NEW!
王 老師(イシュタール男爵)
元はとある小国出の武芸者。
外見は痩身の老爺(脱いだら凄い)。
祖国が滅びた後、放浪の末にやってきましたコンニチハ。
森の泉で水浴びしていた王様が賊に襲われてキャーと悲鳴を上げた場面に偶然居合わせた。
成り行きで王様を救った結果、王宮に招かれて爵位をいただきイシュタール男爵になった。
今は貴族の皆さんにダンス指導しながら生活している。
ちなみに若い頃は黒髪だった。




