モノクロの機械論的世界観 断章後編
《――次はー八王子ー八王子…》
「………ん」
スピーカーから聞こえるマイク音により眠りは終わりを告げ、次第に五感を取り戻し現状を確認する
――降車駅だ。
その瞬間、意識は覚醒し荷物を確認。すぐに降りる準備。
荷物は少ないが、財布と携帯だけはあることを念い入りに確認
ついでに携帯で時刻を見ると…12時を回ろうとしていた。
予定通りだ。乗り過ごしたら果てまで連れてしまう
程なくして電車はスピードを落とし、停車&降車。乗換の"旧"横浜線への乗り場へと向かう。
「……6年ぶり、か」
乗換の電車が来るまでの間、先ほど見た"夢"を思い出していた
6年前の悲劇。その舞台へ今から向かうことに少しばかり億劫になったりもする。
その様は修司からも心配される始末…情けないったらありゃしない。気合…入れるようなことではないが、やっぱりちゃんと見ておかないと
生まれた場所の、育った町の…その後を
今回は良い機会だったからこうして大学も行かずに遠出しに来た
…てか今更ここまで来て帰るとか無い。金だって無限じゃないんだ。いくら絵が売れたからって無駄使いして良い金なんてありゃしない。
そんなことしたら修司からネチネチ文句言われて3日間肉祭りにされそうだ。
(――修司…修司、か)
ホームに辿り着きふと考え込む。
それは事あるごとに修司の名前が出てくるようになったなと我ながら思うからだ。
彼と二人で暮らすようになって1年は経ったかな。再来月には高校受験だが…まあアイツなら簡単に突破できるだろ
あたしも教師になるべく色々準備中。本来ならお互い空気が静電気のようになる心境だろうが…まああたし達に限ってそれは無い。
今回も遠出することを伝えたら
「神奈川?今はもう半分以上米軍基地みたいなもんだよな。…あっ本場のジャンクフードの成分表写真撮ってきて。土産はそれでいい」
などと宣う始末。観光じゃねえっつーの。
あたしはあたしで覚悟してまで来たっていうのに…なんとも緊張感なくす言葉だった今も思い出させる
(……アイツ、あの時からホント変わったなぁ)
さっきみた夢の影響か、あの時の記憶がふつふつと蘇る。
正直面白くもない最悪な思い出だが、今のあたしを作り上げた起源でもある。
だからその記憶で頭の中が埋まるのは拒まない。これは…この記憶だけは決して忘れちゃいけないから
――電車が来た。あたしをあの頃に引き戻す機械が。
それはホームで待っていたあたしの目の前に止まり、扉が自動で開く。
…そう、億劫になっても、畏怖しても、あたしは自分の歩みを止めない。
こうさせてくれたのは他でもない…やっぱり彼だった
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2004年 11月7日 広島県
優愛を運んだ後、あたしは深い眠りについてしまい、気づいたら最悪が起きた後だった。
――南海トラフ大地震
それが起きる頃には既に新潟県へと移動していた為直接的な被害はなかったが…流石にショックを隠し切れなかった。
しかしそんなショックも束の間、その大地震は日本の大地を壊し始める。
四国や静岡を始め、東北地方の福島沖でも同様の大地震。
一週間も経たないうちにそれらは起こり日本中大パニック。
誰もが誰も信じれない四面楚歌の中、何とか身を守ろうと切磋琢磨し、生きていくために悪戦苦闘
各地で貯蓄はあるにせよ、港が崩壊したことで海外貿易がストップ…つまり物資の流通がストップしたことにより…人は獣になるだろう
そうならない間にあたし達は出来る限り急いでおばあちゃんの元へ向かう
しかし……そう考える人間はあたし達だけじゃない。
予定していたルートは中盤から悉く事故や渋滞で通れなくなって、所々停車しながら父さんが迂回ルートを模索し、母さんが情報を整理しながら慎重に進んでいるが時間がかかるばかり
「…予想を超えてる。こりゃまた移動しないと」
「――戻ったわ。ラジオと周囲の人の情報照らし合わせたけど、裏道も事故で通れないみたい。だからここから南へ向かって、海沿いを走るほかないかも」
両親の話に聞く耳立てていると、不意に遠くから漢の怒声まで聞こえた
「――おい!……ぁよッ!!」
「………チッ」
内容を察するに、誰彼構わず脅してる様子。
停車している場所は大通りから外れた裏道の路側帯。コンビニが近いから恐らくそこからだろう
耳障りだ。気持ち悪い。十中八九食料が尽きたんだろう、それをもう品がなくなってるコンビニに八つ当たりしたところで体力が低下するだけなのに
そうこうしているうちに父さんが対策を練って家族に提案した
「…海沿いは怖がられてるからチャンスと言えばチャンスか。ここから高台になってるから、そこまでは地道に進んでみよう」
母さんはそれに対し頷き、補足する。
「ええ、食料はまだ少し余裕あるわ。それよりガソリンよ、タンクに積んであるとはいえこのままだと不安だわ。分かってると思うけど無駄使いは避けるように」
ならあたしはと言うと……
「…静かだ」
時間は19時を過ぎたころ。場所は海沿いの見晴らしの良い高台で、空は既に真っ暗で煌びやかな星が見える。
あたしは周囲を警戒しながら新鮮な川や食料を求めて歩き回っていた。
服装は身動きが取れやすいスポーツウェア、木の枝で傷つかないよう工務用手袋を装着し、ウエストポーチに小物を詰め込んである。
そう、あたしの役割は警備だ。時間を要することになった以上、無理して進んでも仕方ない。
だから夜になると両親は寝て、早朝4時前に出る
そしてその間は日中体力を温存していたあたしが出張る、というローテンション
(本来なら夜に移動したいのに、こうも道が通れないとかえって迷うからなぁ…。土地勘もあるわけじゃないし、確実に一歩一歩進むならそれしかないのは分かってるが…)
しんどい。その一言に尽きる。
早く帰りたい。あったかいお風呂に入って、しっかりと味付けされてる食事をたらふく食べて、布団の中で眠りたい。
あたし自ら警備の役を買って出たとはいえ、こうも一人だと欲が溢れてくる。
しかし――あたしは美明理絵だ。技量は高校男児に劣らず、体力は同級生の中でも抜きんでている美明理絵だ。
勉学も積極的に行い、芸術も嗜み、最愛の友を持つ美明理絵だ。
だから……あたしはくじけない。
ここであたしが欲に溺れたら、もう優愛に会えない気がする。
ふと携帯を開く。しかしそれはもう明かりが点かないただのガラクタ。
非常時用のバッテリーは一つあるが、既に電波を受信しない状態…つまり各所のアンテナが機能してないことを意味する。
それは電気が働いてないことを実感させるのに十分な証拠だった。
その為あたしが見たのはいつまでも点かないディスプレイじゃない
「…くく、全く」
その画面枠に貼ってあるプリクラ。優愛と撮った初めてのプリクラだ。
こんなにも愛おしく思うなら、ちゃんと笑顔で撮ればよかったな
相変わらず不器用な笑みで我ながら笑ってしまう。
――よし、元気出た。心も大丈夫、引き続き周囲の警戒を
(――…ん?この音…まさか)
夜の林道を歩いていると、少し遠くから止まない雑音が聞こえてきた。
来た道を忘れないようアルミホイルを小さく丸めて地面に投げながら、懐中電灯で道を照らしてゆっくり歩き進む。
音の鳴る方へゆっくりかつ確実に…
すると林が開け視界が広がるとそこには
「…滝だ」
立派、というにはほど遠いがそれでも音が聞こえるレベルの小さな滝がそこにあった。
高さ8メートル程度か。近くに行きその水圧を手で測るが…そこまで強くない。滝のおかげで下には水が溜まっているし、これは…
(――身体洗えるじゃん!)
思わず目が輝く。着ているウェアを一気に脱ごうとしたが、しかしちょっと待てと脳がそれを静止させる
このご時世だ。水が汚染されてないかくらいは調べておいた方がいいかもしれない
主に…動物の死体や廃棄物が―――って!
「ちょっ…えぇ!?」
周りを見渡していると、滝から少し離れ月灯りすら届かない薄暗い河川敷に…人だ。人が漂流している
それも子供。丁度近所にいたあのガキたちと同じくらいか?
すぐさま駆け寄り川から助け出す。
…軽い。ここ数日ロクな食事にありつけていないのか。
子供を月の光が当たる場所まで運び容態を見る
「……うぅ…ぐっ…」
生きてはいる。が、意識は失ったままか
濡れてる上着を脱がし、上半身は…打撲が多いが折れてる様子はない。
足も……これは捻挫か?でもそこまで酷くはない。ここも命に別状はなさそうだ。
問題は頭だ。軽く摩ると何度かぶつけたのかたんこぶが2,3か所。脳までは見れないから目覚めるのを待つしかない。
となると、濡れたままだと冷えるから………
………………………………………
………………………………
………………………
掻き集めた木の棒や枯葉、松ぼっくりを用いて簡単なたき火をしていると、子供がうっすらと意識を取り戻したみたいだ
「――…うっ…ぁ…」
すぐには声を掛けない。今のこの子には余計な情報だ、眼は離さないが、意識を完全に取り戻すまでは様子見る
するとものの数十秒で身体を起こし始めた。
痛がらない様子をみるに、やっぱり骨は折れてなさそうだ
「目覚めた?」
あたしはここで初めて声を掛ける。するとちゃんと反応してこちらへ顔を向けた
「…ここ、は?」
「滝の近くの河原。アンタは多分その滝から流れてきたんだ。…何か、覚えてることない?」
枯れ木を火に入れながら知ってることを聞く。
「………大人に、襲われて…父さんと母さんが…逃がして、くれた」
大人?にしてもこの山の奥で?
「今日は11月5日の夜。それはいつだったか、分かる?」
「……5日だから…今日のお昼頃」
なるほど、喋れる当たり最高でも2日前くらいだと思ってたが今日か
大人…ってのが気になるな。あたし達が今寝床にしてる場所はこの先の下流だ。
そいつらがあたし達が立ち去るまで待ってくれるとは限らない。
…何はともあれ様子を見に行きたい
となると場所はこの先の上流か
「アンタはそのまま火にあたって身体乾かしておきな。あたしはちょっと様子みてくる」
そう言い残しあたしは上流へ向かう。
最後に子供をチラっと見たが…まだまともに立てない様子。
弱々しくて、泣く元気すらない、小さな子供の姿が。
火に照らされる眼が虚ろの、死んだような顔が…
…ああ、くそっ!イライラするなぁ!!
だから関わりたくないんだよ!思わず手を差し伸べてしまうから、見てみぬふりが出来ないから!
だから昼間寝て、夜の警備を買って出たのに!!
こんなんじゃ意味ないじゃない!
「…そいつらに責任とってもらおう」
あたし達の身の保証と、あの子の身の保証。
利害は一致した。なら取るべき行動一つ。
子供が流れてきた川を上ると、奥に微かだが灯りが見える
この輝き…たき火でもしてるのか
草木に紛れ、目立たないように背を低くし音を殺しながら近づくと…段々と声が聞こえてきた
やはり人がいる。それも男の声だ。その事実を認識したと同時に意識を全身に集中させ、一匹のハイエナの如く自分を殺し闇になる
視認出来る距離まで詰めると…キャンプテントが3つ。たき火の周辺に男が3人。縛られて横になってる男が1人、か。
子供の情報からして横になってる男が彼の父親だろう。
テントの1つにはランプ並みの光りが灯されてる。あそこにも人が居そうだが、何人かは分からないな
視認出来る範囲の情報は得た。次はじっと動きを止め、耳に意識を集中し彼らの会話を盗み聞きする
「――…いや~大収穫だよな、やっぱメシはこうでなくっちゃなぁ
!」
「あぁ、いい加減避難所の連中狙うのも飽きてきたからな。アイツラしょうもないモンばっかりだったしよ」
「水、缶、干物の配達ご苦労様で~す!俺たちが大切に食わせてもらうっすねぇ!」
「ぐふっ…!ゲホッ…アァッ!!」
たき火の周りに居る男たちは彼の父親を弄りながら食を貪っている
会話から察するに火事場泥棒か。なら武装も少なからずしているはず
もう少し洞察し…
「しっかしおっせえな、滝野と大口。まだやってんのかよ」
「俺らで占領してた分遊んでんだろ?まっそのおかげで先に食えてっからほっとけって」
「そうそう!引き際ってのが肝心っすよ!こういう世の中なんだから、ちゃんと優先順位考えないとダメっすよ」
「でもまあその気持ちも分からるけどなぁ、おい聞いてっかダンナ?お前の嫁さん、若くて良い身体してたぜ?こんな世の中じゃなけりゃぁお前さんのモンだったのにな!」
笑う、嗤う、哂う
男たちは父親を嘲笑う。殴り、足蹴にし、見下しながら心を辱める。
「――――」
知らず、身体は動いていた
――…あぁ、これだから嫌なんだ。男は集団になるとすぐ暴力に訴える。
それは平和だったころも、今も変わらない
結局それしか脳が無い連中は出来ると判断した時、狡猾に実行する
だから嫌いだ。男が集団行動するとこうやって自己をより卑劣にする
……いや、違うな。これが人の本性だ。なんせ女も集団になれば声で訴える。感情をより強固にし、自己の主張を大きくする。
性別関係なく、集団の力はやっぱり個人の格を下げる
「――…あ?おい何だテメェ」
それを…あたしは許せない。
「おい止まれや!誰だっつってんだろうがっ!」
「…おっ?よく見たらめっちゃ美人じゃないっすか!…お姉さん、道に迷ったのかな~?」
それに縋り、他人を凌辱する奴を…あたしは許せない
「……ってちょっとちょっと?何何その顔怖いんですけど?」
「いいから止まれっつってんだよ!オイッ!!」
――男たちは武装を構える。スタンガン、刃物、そして拳銃…
笑わせる。武器をすれば怯むと思ってるのか?型の成っていないへっぴり腰の構えで?
強靭な精神は強靭な身体に宿る。その手のものは見慣れてない人間に効果的なだけで、知ってる人間からしたらどうということは無い。
集団に縋り、獲物に寄生するだけで自分の力を誇示しないちっさいハイエナ共に過ぎない
あぁ…ホント、心から死ねばいいと思う
「――…うるせぇ、塵屑」
……………………………
……………………
………………
…………
少年の元に帰ると、最早残りカスになった焚火に当たりながら横たわっている
これじゃあ生きてるのか死んでるのか分からない
「……おい、生きてるか?」
「う…ん……」
声を掛けたからか、少年は意識を取り戻し重い身体をゆっくりと立ち上がらせる
「――…シュウ!」
あたしの後ろから掠れた声をあげながら、顔が痣だらけの父親が駆け寄り、少年を抱きしめる
その後に続いて木の棒を松葉杖にしてゆっくりと歩む服がボロボロの母親も泣きながら寄り添った
「シュウくん…よかった…無事で、よかった」
――壊れかけてる。この家族は
心も、身体も全部が壊れかけてる。頭の中も指一本触れただけで崩れるギリギリのジェンガのように見えるほどに
「はぁ~…」
ため息をしながら背負っていたリュックを地面に降ろして、森の中へと向かう
焚火…また作らないと。折角助けたのに目の前で凍死しかねない
河原から少し離れた森林の中、火種になる枯れ木を探している時に程よい広場があったのでそこで焚火を行う
火を囲いながら少年の父親から食料である果汁100%の缶ジュース、水、カップ麺、それから干し肉と3種類の缶詰を手渡された。
「ありがとう、本当にありがとう。少ないですがこれはほんのお礼です」
「……ちょっと、これ全部さっきの連中から取り戻したモンじゃん。アンタらの分は?」
奴らに食い散らかされ、残り少なくなった食料をリュックに詰めて出来るだけ持ってきたが…まさかそのまま渡されるとは
「いえ、僕たちの分はこれだけで大丈夫です。もうすぐ僕の実家に着くので…」
これと差したのは菓子パンを3つ、お菓子2つだった
すぐ近くったってその程度で済むのか?
「あたしは奴らとは違う。食料目当てで襲ったわけでも助けたわけでもない。ナメないで」
「いやしかし…」
食い下がらないか…仕方ない。
「あーもー分かったよ!なら干し肉だけもらっとく。あとは情報でいい」
「情報…?」
そう、今一番あたしが欲しかったのは情報。それだけでおつりが来るってもんだ
「あの川、キレイかな。実家が近いならその辺の情報持ってるんじゃないかと思って」
滝の方を指さしながら尋ねる。だって水浴びしたいし
「川、ですか…。上流には森林キャンプ場があります。僕たちはそこに居ましたが、汚れてる様子はありませんでしたよ。川の近くに工場も建ってませんので、平時と変わらないと思います」
(よし…!)
となると、飲む場合は簡単にろ過すれば行けそうだな。
そして何より水浴びは普通に出来そうだ。
明日ここを立ち去る前に来よう
「分かった。…そういえば、アイツら。他に仲間とかいた?」
「いえ…。お嬢さんが倒してくれた人達で全員です。おかげで、二人が助かりました。…道中、長い道のりでしたので披露しきってたところを襲われてしまって…」
そう言いながら父親の傍らで少年と母親が布団を敷いて抱き合いながら休んでいる
二人とも、意識を保っているのも難しかったのだろう。酷く衰弱している様子だ
「貴方達はどこから来たの?」
「静岡の浜松です。家は高台にあったので、運よく津波から免れることが出来ましたが、長い出来る状態じゃありませんでした。途中までは車で来れましたが、燃料も底をついて…」
それで野宿をしつつもここまで辿り着いたってことか
「そう…」
特に同情はしない。だって今の世間じゃそんなのは当たり前だ。
誰かを特別扱いしたところでキリがないから
「ああ、すみません。こんな暗い話、面白くありませんね。でもお嬢さんが助けてくれたおかげで、何とか実家に辿り着けます。本当に…本当にありがとうございます」
頭を下げながらあたしに感謝してきた。しかし、あたしはその姿に少しだけ苛立ちが生まれてしまいつい毒突いてしまう
「…貴方、この子の父親でしょ?家族の長として生きることを決めた人でしょ?だったら感謝ばっかしてないで強くなりなよ。じゃないと守れるものも守れないって…身に染みたでしょ?」
家族を持つということは、集団になるということ
父親とは元来、その集団の長になること
だったら守れるだけの実力を身に着けるのは最早義務だろうが
その義務を怠ったから、こうやって他の集団に飲み込まれる
「……その、通りです。僕が弱いから、僕自身を犠牲にしてでもって思ったんですが…そうするとアイツら余計に上手に出てきて、全部奪われてしまった」
父親は俯き、自分の行ったことを間違いだったと認める。
それをバネにこれからの生き方を変えることが出来るなら…
……ってあたしはどこまで入れ込む気だ。
自分を弱い人間と思ってる奴を見るとどうも放っておけなくなる
あーもーだから関わらないように昼間は寝ているのに!!
「そっ、だったらその反省を生かしてこれからも生きてみることね」
あたしは貰った干し肉を手に取りつつ立ち上がり、家族に背を向け暗闇の森林に向けて歩き出す
「ど、どこへ!」
「帰るの。あたしの両親がいるとこに。…じゃあね、干し肉ありがたく食べさせてもらうよ」
森林に入る前に横目で少年を見ると…少しだけ身体を起こしてこちらを見ていた。
相変わらず眼が死んでいる上に、顔も擦り傷が赤く腫れているのに痛がる素振りもない
あたしはその少年に軽く手を振りその場を立ち去る。
これ以上いると、本当にあの少年に情が移りそうだ。
もしそうなれば…今のあたしは確実に弱くなる。そうなるとあとは雪崩と同じだ。一気に心がダメになる。それが分かっていたから…それが怖かったから、あたしはこの家族から離れることにした
深夜3時ごろ、滅茶苦茶冷たかった滝だったが何とか踏ん張って水浴びを済ませた。
「ふぅ~…」
と言ってもタオルに水を染みこませて身体を拭いただけだが…
流石に西日本でも11月の深夜に水浴びは寒い。最悪低体温症で死ぬ
あぁーお風呂が恋しい。この際ぬるま湯でも構わないから身体を湯に浸かせたい
そう思わせる気持ちが、あたしの足を速める
ライトで照らしながら目印のアルミホイルを辿ると……途中、違和感に襲われた
「……おかしい」
なるべく1メートル刻みで均等に放置していたアルミホイルがいくつか乱されている
勿論多少の乱れは承知だ。もしかしたら小動物が蹴った可能性もあるから
だが違和感はその乱れ方だ。
見つけた範囲で少なくても2つが同じ方向に転がり、1つは踏みつぶされたかのように平になっている
小動物でもここまでのことは出来ないはず。
それにその転がった先をライトで照らすと…獣道なんてない。その証拠に何かが通った跡として折れた木々がちらほらと目立つ
折れ方、その場所から察するに…これが出来る存在の可能性は……あの家族か
向かった方向は――海側…
「んー…」
こんな時間に移動する人間は居るし正しいと思う。それはあたし達も同じだからだ
しかし…それは遠出で車移動の場合だ。彼らの昨日の話を聞く限りそこまで急ぐことなのか?
…考えれば考えるほど違和感が増える
「……はぁ」
気になってしまったんだ、これはもう仕方ない。
アルミホイルが蹴られた方向へあたしも進んでみることにした
歩いて数分、折れた木々を目印に跡を辿りもうすぐ森を抜けるところで――それを目撃した。
「――――ッ!!……くっ…ちょ、ちょっとっ!!」
慌てて身体を飛び出そうとした時、服に枝が引っ掛かってもそれを強引に折り捨てる
多少痛かったが、そんなこと気にしてられなかったからだ
「な、なにを…っ!何しようとしてんの!!」
森を抜けると…そこは崖。観光スポットなら飛び出し禁止の看板が立ち柵が設置されているであろう断崖の岬だ。
しかし…柵なんてない。看板もない。だけど彼らは…その先端で抱きしめ合っていた
父親と母親の間に、子供を優しくかかえて…
不吉だ。不安だ。そんな光景まるで…
「…ああ、お嬢さん。おはよう」
父親は笑う。その笑いは奴らのような嘲笑でも、優愛が見せる笑顔でもない。
それは……無関心からくる笑みだ
「ここはね、あと2時間くらい経てば朝陽がすっごいキレイなんだ。…僕たちはそれを待ってる」
「2時間って…2時間もそんなところ、寒いだけじゃない。ライターのオイルなくなったんならあたしが持ってるから、こっちで暖まりながら待とうよ…」
「大丈夫よ、強いお嬢さん。もうすぐ暖かくなるから」
母親がそう補足するが…その声色は最早生気を失っている
「ああそうだね、暖かくなる。シュウ、ジュースは美味しいかい?」
「うん…」
少年は二人に抱きかかえられながら片手で缶ジュースを飲んでいた
「よかった。飲み終わったら教えるんだよ」
「お父さんとお母さんは飲まないの?」
「僕たちは良いんだよ。さっきラーメン食べたから、おなか一杯なんだ」
「ええ、最高の御馳走だったわ。だからデザートはシュウ君にあげる。ゆっくり飲むんだよ」
「わかった…」
――…動悸が早くなるのが分かった
「……ぁ…く…っ!」
あたしはどうすればいい?何をやればいい?なんて声を掛ければいい?
眼が熱くなる。呼吸が早くなる。だって分かるから――
この先の結末が…分かってしまったからっ!!
「ありがとう、お嬢さん」
父親の言葉によってあたしの意識は再び彼らに向けられる
「おかげで良い思い出が出来た。もっと早く会っていれば、別のやり方があったんだろうね」
「…実家に、帰るんじゃ…ないの?」
「はは、本当にありがとう。僕の話を信じてくれて。君は、本当に良い子だ」
――ちくしょう、畜生、畜生!!
「妻と…決めたんです。だからこれでいいんだ。僕たちはようやく解放される。だから…これでいい」
「あの人たちにされて、私はこうやって死んでくんだって思った。けど…貴女が救ってくれた。それだけで十分です。」
「…違う、そんな…そんなことをさせたい為に助けたんじゃない!!」
声を上げる。今の気持ちを、そのままぶつけてやる
「その子には…その子供には未来がある!そのためには親が必要なんだよ!!どんな時でも親が守って、助けなきゃダメなんだよ!!」
あたしがこれまで自由に出来たのは他でもない。両親が居たからだ
両親があたしのやりたいことを全力でサポートしてくれた
我儘も、愚痴も、全部受け止めてくれた。でもダメなことはちゃんとダメって言ってくれたんだ
「あたしにだって親が必要だった!どんな時も、例え一人だった時も、親が帰りを待ってくれるだけですっごい安心出来た!だから…っ!」
だから…助けたのに…どんな状況でも、子供には親が必要だと思ったのにっ!
「――…そうだね、本当なら…そうした方がいいね」
でもね、と母親は言葉を繋げ真実を吐露する
「疲れちゃったんだ…。もう、我慢出来なくなっちゃった。心も、身体も、汚くなっちゃったから…気持ち悪いんだ…」
母親の引き攣った笑顔の元に、その感情を示す涙が零れた
ああ、くそ!分かってしまう。同じ女だから、その気持ちがなまじ理解出来てしまう
「ごめんね、あなた、シュウ君。こんなに弱い母で、ごめんね…ごめんね……」
「いいんだ…僕の方こそ守れなくてごめん。こんな父でごめんよ。二人とも」
二人は空しくも笑いあう。そこには言葉以上に気持ちがぶつかり合っているように見える
その証拠に間近にいた少年も顔が暗くなり、缶を持っていた腕の力が抜け落ちた
「――…ん、飲み終わったのか?シュウ」
「うん、飲み終わった…よ」
「ふふ…大丈夫。これからもいっぱい飲めるし、いっぱい食べれるからねー…。あっほら、陽が昇ってきたわ。やっぱりキレイね、ここ」
「ああ…良い景色だ」
大人2人は腕に力を入れて強く抱き合う
そこにはもう不安なんてない。あるのは希望だと言わんばかりの背中だ。
その場所が……断崖絶壁の先でなかったら
「……ごめんね…カズ君。幸せ…だった、よ」
「ああ、僕も…幸せだった。ごめんよ沙織」
次は必ず―――
―――――手を伸ばす
落ちる3人に向けて、届かないと分かっても手を伸ばす。
その手に反応したのは――少年だ
「―――」
缶から手を放し、その腕をあたしに少しだけ向ける
けれど……現実は…クソッタレだった
お互いの手の平は虚を掴み――
あたしは無様に前のめりに転び、地べたを這う
そして少年は…三人は…あたしの視界から忽然と姿を消した
―――カランッと渇いた音を耳にする
そう…あとに残ったのは…少年が落とした缶と、暗闇の水平線上だけ
「――――――」
声にならない叫びが――断崖から広がった
……クソッタレだ
クソッタレだクソッタレだ!!クソッタレだッ!!!
全部全部、何もかもクソッタレだ!!
不条理がこの結果を招き、あたしがそれに中途半端に関わった
そうだ…変に関わったから!関わってしまうからこういう思いをしちゃうんだ!!
駄目だって分かってたのに…眼を背け続けたのに!!
ああ、畜生!!なんで…なんであたしは…こんな思いをしなきゃいけないんだ!
「…クッ…ソォッ!!」
虚を掴んだ拳を、地面に殴りつける
痛い……痛い…でも、痛くても…この痛みはきっと時間が解決してしまう
それは身体が身体のことだけを考えてくれるからだ
あたしも…あたしのことだけを考えることが出来たら…よかったのに
そうすれば…
「――…ぁあああぁあああっ!!うぁあああぁあ……っ!!!」
こんな気持ちにならなくて、済んだのかな……
……………………………
……………………
………………
…………
「……ぃ…ぇ……理絵っ!」
喉が痛くなるほど叫び終え、その場で蹲っていると声が聞こえた
声を頼りに顔を上げると、そこには母さんが焦燥感を浮かべながらあたしの身体を揺らしていた
「大丈夫!?理絵!!」
心配かけてちゃった…あれからどれくらい経ったんだろう…
「…うん、あたしは…平気」
何とか声は出たが、自分でもわかるくらい掠れている
平気と言っといてこのザマだ。
「どこからどうみても平気じゃないって。時間になっても居なかったから、伸くんと一緒に探したじゃない!」
「ごめん…」
「……とにかく、車に戻りましょ?立てる?」
母さんに身体を支えてもらいながら立ち上がらせる
「――?それ…」
指を刺された先にはあるのは…左手。
ではなく、その左手に握られたモノだった
「………ぁ」
それは空き缶。そう…ただの空き缶だ。果汁100%ジュースの空き缶…なんだ
「――クソッタレ」
グシャリとその空き缶を握り潰したが…あたしは車に乗ってもその缶を手放さなかった
車で移動し始めて数分。両親はあたしの状態を察したのか特に話しかけてこなかった
気を使わせてることを頭では分かってた。けれど、どうにも何もやる気が起きない
話しかける余裕も、動く活力も、もらった干し肉を食べる気力も無く…ただボーっと車の窓から海を眺める
気づけば浜辺近くを通っていた。しかし、浜辺とは名ばかりで、あるのは流木、腐敗物、人口物の残留品、生き物の死骸…
侵入してはいけない領域だと目に見えてわかる。外を眺めているのに、気分は落ち込むばかり
――次は必ず
「――…ッ!」
思わず目を背ける。
海…見ちゃいけなかったな…あの光景を思い出してしまう。
「……ゅぁ」
零れた言葉は、救いを求める言葉に他ならなかった。
もう…どうだっていいや…所詮あたしはただの女子中学生なんだ
なまじ動けたから思いあがってた…けどその結果目の前の人は救えなかった。
自惚れ…いや、違う。本当は分かってたはず。あたしの力じゃ本当の意味で助けることなんて出来ないことが
出来ないから、見ないようにしてたんだ。関わらないようにしてた。
それが、こんな世の中でもあたしを維持するために…必要だったから
…車の窓から空を見上げる。…曇り空だ。だけど太陽だけは雲の隙間からいつもと変わらずあたし達を照らしていた。
あたし達を…森を…浜辺を…――――――っ!!
「………っ!停めてっ!!」
「――ん!?っ!!」
瞬間、脊髄反射の如く父さんに大声で懇願した。
突然の呼びかけに父さんは思わず急ブレーキをし3人とも前のめりになる。
だけどそんなことはどうでもいい。完全に停車したところで…あたしは空き缶を手放し勢いよく車から飛び出した
――奔る
視界の端で捉えた"それ"を確かめる為に奔る。見間違いかもしれない、求めてた故の幻影かもしれない、疲労からくる霞かもしれない。
だけど、確かめずにはいられない。例え幻影でも妄想でも霞でも…"それ"の場所に行かないと気が済まない
――走る
後ろから両親の声が聞こえても、砂浜を走る。残留物を蹴り飛ばし、流木を踏み台に跳躍し、死骸を飛び越える。
いち早く…さっき見た場所へ…!
――そして
「――――うそ」
思わず疑ってしまう。それも当然だ、こんな光景信じられない
残骸が溢れるこの浜辺に、死骸が蔓延るこの場所に…人だ。
幸か不幸か、奇しくもそれに似た光景を昨日見ている
だから――分かった
「……っ!」
――駆ける
"それ"の正体を確かめるべく全力で駆ける。生きてるのか、死んでるのか、彼なのか、そうじゃないのか
思考が覚束ない。疑問が疑問を呼びまともに考えてられない
だから…ただ現実を見ろ。そのままを受け止めろ
あたしは…美明理絵なんだから…っ!
「……ぅっ…ぐ…」
駆け寄っている最中に、"それ"は動き出した
足を駆使して立ち上がろうとしているが、それが出来ない
何故か――理由は明白だ。まだ近くに居ないのに分かる。両腕が在らぬ方向へ曲がっていたからだ
確実に折れている。けれど、それでも立ち上がろうとしている
痛いはずなのに、苦しいはずなのに…手は使えないから頭蓋骨を上手く使って足腰に力を入れ――
何もかも失った少年は立ち上がった
親を失い、帰る家も無くなり、身に着けている全てを海に盗られても、太陽に照らされていた
「……ぁ」
思わず足を止める。その様に、その在り方にあたしは――見惚れていた
現実の残滓で彩られた彼岸から一人で立ち上がった執念
生きることへの返答が、死にたくないという渇望として顕れている
誰もが当たり前に抱いているその本質が…今、あたしの目の前に存在していると感じた
あんなことがあったのに、彼はその足を地面に着けることが出来たんだ
――我に返り、駆け足で彼に近づき優しく抱きしめる
「――…ぁあ」
あたしは……バカだ。あたしなんかより余程苦しい思いをしたのに
あのまま死んでもおかしくないのに、この子は立ち上がったんだぞ
それが意図的か本能的かなんて分かりはしない。…いや、んなことどっちだって構わない。
それに比べてあたしはどうだ?逃げて逃げて逃げ続けて、それでも生きていればあたしの勝ちだと思っていただけ。
だから一度の苦痛で根元が折れた。その程度のやり方だったから、その程度の考えしかもっていなかったから!
「――ごめんなさい…っ!ごめんなさいっ!助けれなくて、何も出来なくて…!!」
あたしは惨めだ。どれだけ懺悔しても意味がないことは分かってる
だけど…言わずにはいられなかった。泣き叫ばずにはいられなかった。
懺悔と同時に、あたしは心から感謝してるから――
生きてくれて…生きようとしてくれて…ありがとう…だから―――
「もう死なせない…っ!死なせたくない!――死なせて…死なせてたまるかっ!!」
もう迷わない、あたしはこの子と関わり続けてやる。
ちょっと関わっただけであたしの存在はあそこまで追い込まれたんだ。
だったら…もう手放したりしない。見捨てたりなんかしない!!
そうだ、それこそあたしに『合っている』と確信できるっ!
全身全霊、文字通りあたしの総てを賭けて――
「あたしが…守るからっ!!」
残骸の浜辺で少女は誓う。少年の遥かなる人生を
残酷な現実で少女は刻む。この先も少年と共に在ることを
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あの時の覚悟は、今でも間違ってなかったと思う
彼もあたしもこうやって生きているから
そしてそれは…無数の死の上で成り立っていることを、忘れてはいけない。
「…これが」
目の前には巨大な…それこそあたしの何倍もある黒いモニュメントが設置されている
そこに《神奈川県 平成南海大地震被災者慰霊碑》と大きく刻まれ、盤面には人の名前が数えきれないほど記されている
見るのは初めてだ。正直圧倒される、実感させる。かつての現実を…嫌でも思い出させる
でも…刻まれた名前は死亡が確認された人間のみ。
つまり実際の数はここに記されている数の比じゃない。その重圧を感じながら、端から目を通す
そして、あたしがここに来るべきことになった人の名前も…見つけてしまった
「――…成人式で会おうって、約束しちゃったからね」
ここに来ることが今回の目的の一つ目。二十歳を迎えた今だから、こうして胸張って来ることが出来た。
道中買っておいた花を献花置き場に添えて、黙祷。
…正直なところ、今では最後の勇姿しか覚えていない
けれどそれで充分だ。それだけで、あたしもああなってみたいと思えたから
「――…おっ久しぶりー!理絵っ!」
背後から大きな声で呼ばれる。ああ、何年振りだろうその台詞は。せめて黙祷中は止めてほしいと思ったが…彼女にそんな気遣いは出来ないか
不意に懐かしさが蘇る。自分の中身が一気にあの時に戻ったような錯覚をさせるほどに
今だから言える。あたしは絵を描くことがそんなに好きなんじゃない、あの空間が好きだったんだ。部室の臭いが、その空間にいる時間が、そこに集まる人達が…そして、彼女が…
さて、呼ばれたからにはあたしもこう答えてみよう。
青いネックレスを軽く握りながら、彼方の記憶を思い返して…
「…久しぶり、優愛」
振り返るとそこには軽く化粧をし、美容院に行ったばかりの如く髪を靡かせ、赤いネックレスがよく似合う旧友がそこに堂々と存在していた。
一方的な約束は、こうして再会させる機会を設けてくれた。
これを是とするか非とするかは…先生に任せよう
でもまあ、あの人のことだ。
きっと…不器用ながらも是とするんだろうな