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モノクロの機械論的世界観  作者: リクヤ
4/9

モノクロの機械論的世界観 4章

※日付訂正(2/26)


―――2012年10月?日


『駄目だね。一番早くても1年は掛かるし、仮に予約出来たとしても日本人ってだけで無下にされかねない。今、日本人は世界的にも危険視されているのは分かるよね』

「……レイビース症のせいで、だよな」

『パスポートにレイビース症の検査結果を乗せることが義務付けられた以上、ある程度確立した地位と金が必要だよ。…行く側も来る側もね』

「……分かった。また何か分かったら教えてくれ」

渡里との電話を終えて、力を抜き空を見上げる

……あれから情報を集めて、集めて、整理して、まとめて、考えた

分かったことは、大災害によって起きた戦似一年の影響が、思った以上に根強いこと

正直…崖っぷちもいいところだ。時間が無く、金が無く、手段も無い…

クソが…ッ!それじゃあ俺は何のために生きて…ッ!!

(――…落ち着け)

駄目だ、思考停止させるな…投げやりになるな…考えろ…考え続けろ…

詰まったらまた最初から考え直して別の道を探せ

選択肢を無理やり作り、虱潰していけ…っ!

さぁ、また最初からだ…今一度まとめよう


一つ目:レイビース症の影響

渡里の情報を要約すると、人権を得ている金持ちしか海外に行くことが出来ない。

レイビース症の発祥地である以上、日本人は脅威の対象

その為今の日本人は、著名人や有名人などの地位を持った人間にしか国際保健に入れない。

それは仮にレイビース症だった場合、地位を持った人間であれば調査がしやすいし、行動を制限出来るからだ

つまり、一般人である藍は保険に入ることが出来ない為、信頼を金で買わなければならないという前提条件をがある。

これを達成するためにはあらゆる面で莫大な費用が必要だ。

それも治療目的となると入院費もバカにならない


二つ目:具体的な費用

上記の前提条件を達成するために必要な費用を春日井から教えてもらったところ

治療費:約2000万円

渡航費+レイビース症検査費:約500万円(往復費)

入院費:約400万円(10日単位。場所によって変動)

少なくても2900万円必要で、偶発的な出費も考えて3000万円は欲しいところ

しかしこれら全て最低限の話だ。

となるとこれはただの基準。この基準を容易に達成する術を模索しなければならない


三つ目:費用の調達とその期間

これだ、これが一番の難所

当初の予定通りだと藍が絵を売り稼ぐこと。しかしその通りに行ったとしていつ3000万円以上溜まるか、もしくは目途が付くのかだ。

一人で考えても埒が明かないので画商の笹月さんに聞いてみた。

『まず買い手によるから断言は出来ません。自分の実体験を元に話させていただくと、今話題で将来有望、その上製作期間が大体1ヶ月程度で1作品を作れる人と仮定します』

このような人、滅多にいませんがと笹月さんは付け加え、予測を話す。

『それでも良くて大体40万です。絵画の価値は基本的に時間と共に値段が上がっていくものなので。そのためざっくり計算しても75ヶ月。約6年は掛かる見込みになりますね』

と現実を教えてくれた。


……ああ、現実さ。これが紛れもない事実。

6年だと?この2年で目が視えなくなるようになったのに、6年?

そんなの待ってたら最悪の結果になることは目に見えていて、現時点でもアイツは絵を描く気力を失っている

対策案として融資を借りる、という方向を漁っていた。

しかしアイツは学生であるため金融機関からの信用性は皆無。

勿論姉やおじさんの名義を借りれば出来なくないだろうが、藍はそれを拒んでる

……ここか、やっぱりここしかないか

"藍が嫌う貸し借りを無視する"

その結果、藍のプライドを傷つけようが死ぬよりはマシだ。

赤子のように駄々を捏ねてる間に間に合わなくなる

つまり、アイツの意志を考慮しながらの道は途絶えた。

――だから、俺が…金を集める

仕事をしているとはいえ、俺の貯金額はせいぜい200万程度

これを元手に稼ぐ他手段はない。

賭け事は勉強しないと減る一方の上に経験しないと分からないことが多い

そこに金と時間を使っている暇はない

ならどうするか?決まってる、短時間で大金手に入れる方法なんていつの時代も変わらない。

その伝手はある、決まってなかったのは俺の覚悟


――可能性はこれしかない…だったらやるしかないんだ…


そうと決まれば行動あるのみ。

ベンチに座っていた身体を立ち上がらせたが、

「―――……ぁっ…ぐぅ…っ!」

唐突な眩暈が身体を襲う

とても立っていられない…前へ歩こうとしたがもう一度ベンチに座り気分を落ち着かせようとする

くっそ…こんな大事な時に体調崩すなんて…

俺よりもアイツの方がヤバイんだ、早く…早く動かないと……


「――――ねえ、貴方今生きてる?」


意識が朦朧としている中、知っている声がした

ゆっくりと顔を上げると、そこには仁王立ちした姉さんが険しい顔をして俺を見下している

「まったく、どうしてうちの連中はこうも家出が好きかね?」

「……一人になって、考えたいからじゃないか?」

いつものように皮肉を言う。苦しいが、俺はいつも通りだとアピールするために

「へぇ…考え事ねぇ…。貴方今、どこにいるか分かってる?」

「………」

俺は即答出来なかった。そういえば俺は一体どこで考え事を…

首を振り辺りを見渡す…真っ先に視界に入ったあれは、魚市場の…

「…やっぱり…ここは常坂港よ。いつも魚買ってくる魚市場がある場所、でしょ?」

俺の様子を見かねたのか、ため息つきながら姉さんが説明した

だが何でそんな質問を…

「何でそんなこと聞くのかって言いたそうだけど、まず自分の顔見たら?」

顔?俺の顔に何かついているのか?

鏡なんて常備してないので携帯のフロントカメラで自分の顔を映すと

「自覚してる?貴方今、出会ったころと同じ顔してるよ?」

そこには何日も寝てないのか目の下にクマがあり、髪はボサボサで目が充血している俺が居た

まさに死に顔、最早ゾンビだ

「そんな顔、二度と見たくなかったんだけど」

「…悪い」

素直に謝る。その謝罪は体調崩したことへか、それとも出会った時を思い出させてしまったことへか…正直、自分でも分からない

「……『調べものするから帰りは遅くなる』ってメール受け取って3日経ってるんだけど…その様子じゃこの3日間まともに休めてないよね?」

…そういえば寝た記憶ねえな

けど、寝ていられない。

俺は再び足腰に力を入れて何とか立ち上がり、姉さんと面と向かう

「……はぁ~…3日の成果は、あったの?」

険しかった顔はため息を吐かれるも親しみあるいつもの顔に戻り、優しく声を掛けてきた

「………」

結局、調べて調べて、考え続けて、なんとかなると思っても…結局真っ当な方法じゃ間に合わない。

俺が手に入れた知識、技術、経験…何を持ってもアイツを助けれる可能性を導けなかった。

あるとしたら真っ当じゃない方法だけ。


《―――そんな顔、二度と見たくなかったんだけど》


――――あぁ、そうか

これは最終手段なんだ。誰も幸せにならないが最低限生きることは出来る方法だ

それを…姉さんは望んでいない

なら少し思い留まろう。言った通り最終手段なのだから、最後の最後に決めればいい。

そうだ、これまでのやり方は俺"のみ"の力による解決策を模索し続けていた。

だったら…もうその前提を壊そう

そうすればまだ一つだけ、可能性があるじゃないか

目の前に…


「……無かったよ。期待していた成果は無かったんだ」

――俺はこれから一番したくなかったことをする。

――結果として、アイツのプライドを傷つけることになるんだ

――自分の小さなプライド如き、守っている場合じゃない


「だから、相談させて欲しい……"理絵さん"」

「――姉さん、でしょ?私たちは家族なんだから」


―――――――――――――――――――

――――――――――――――――

―――――――――――――



「―――以上が、俺が知って、俺が調べた全てだ」

家に帰り、風呂の中でゆっくり整理した情報をお互いソファに腰を落ち着かせたところで、これまでのことを説明した。

姉さんは終始驚いた顔もせず黙って目を見て聞いてくれた。

ただじっと、俺の話を真摯に受け止めてくれた

だから俺は最後の可能性を提示出来る

「……残る可能性は、もう姉さんたちにしかないと考えた。金を借りるか、名義を借りるかして何とかお金を手に入れて最短で治療する。それしか…もう藍の眼を治すことしか出来ないと思った」

俺が非合法に手を出そうとしたことは伏せる

全く別の話になるからな、今話したいのはそこじゃない

「…そうだね。あの日、台風の時に出したあたしの提案しかなさそうだね」

「ああ、恥ずかしながらそれしかない…」

「――けど、それだと間に合わない可能性もあるんでしょ?」

その通りだ。最後に渡里からもらった電話、あれは海外の医療機関を使う場合、どこが一番早く予約できるかだった

アイツは言っていた《一番早くても1年は掛かるし、仮に予約出来たとしても日本人ってだけで無下にされかねない》と

……1年後。その時にはもう目が視えてないかもしれない

けれど、生きてる限り可能性はある。春日井病院でも数年のうちに命を落とすことは低いという話だったから

だったらその問いに対する回答は一つ

「間に合う可能性も十分ある。体調管理も私生活も俺がサポートする。だから…」

「それをしたとして、藍ちゃんは絵を描いてくれるかな?」

「――――っ」

答えに詰まる

俺は半ば強引でも目を治したら当然絵を描き続けると思っていた。

アイツは打算的に考える人間なはず…だから…

けど…そうか、もしその打算的な考えが、潰されたプライドに比重を傾けるなら、今後描かない可能性は出てくる

だが…

「…それでも、死ぬよりかはマシだろ」

そう、生きていればなんだってチャンスがある

死んだらそれまでだ。そしてそれは負けだ。

俺はアイツと決意した、"負けたくない、強くなりたい、生きていたい"

それを破るなんてことはない……はずだ。

(……あれ)

そう…"はず"なんだ。これは俺の思い込みなんだ

俺の定規がアイツに当てはまるとは限らない

「…もし修二の言う通りにして、仮に目が治った結果、藍の芸術家としての心が死んだとしたら、どうする?」

その場合、俺は藍が培ってきた人生であり経験値を全てゼロにした張本人になる

……何も出来ない…いやしちゃいけない立場になる

だけど、そもそもそれは……

「何も出来ない、でしょ。だってそうならないように動くのが修二の義務"なんでしょ?」

「義務って…」

「義務だよ。自覚出来てないんだから」

姉さんは断言した。

俺の行動が義務だと面と向かって指摘した。

「藍ちゃんの現実を解決したいなら、まず修司が自分の現実を視ようよ」

いつの間にか藍を何とかする話が俺個人の話へと変わっていた

「何だんだよ、一体。何か間違っているのか?それとも見逃してたり…」

「違う違う。まだ気づかないの?それとも、眼を背けてるだけ?…じゃあ質問しようか。それに5秒以内で答えて、いい?」

いくよと姉さんが問答の合図をした

俺は思考が追い付かないままその問答に参加する

「どうして藍ちゃんを助けたいの?」

「家族だから、助けようと思うのは当然だろ」

「どうして藍ちゃんの好きにさせないの?」

「あのままだと藍が死んじまうからだ!」

「それは身体の話だよね。じゃあ心は死んでも良いんだ」

「生きていれば、立ち直れるチャンスだってある」

「そのチャンスを掴めずに自殺した人間を見てきたはずだよ?」

「そうならないように俺たちは生きてきた!」

「違う。そうならないように心の支えを作ってきたが正しいの。支えがなくなれば死ぬんだよ。心身問わず」

「そ、それは……」

「最後の質問………修司、貴方にとっての心の支えは何?」

「―――あ…くっ…」

…即答、出来なかった

「自分で言ったんだよ。そうならないように俺たちは生きてきた、と。それに対してあたしは心の支えを作ってきたと訂正し、反論出来なかった。つまり認めたということよ。…さあ、教えて欲しいな。修司にとっての心の支えって、何?」

俺の…心の…支え?

家事?仕事?釣り?貯金?知識欲?

…違う、違う!どれも欠けたって生きいけると確信出来る

それは心の支えじゃない。なら俺の心の支えって…

「…やっぱり、自覚出来ないか」

姉さんはため息を吐く

その口ぶりはまるで知っているかのようなセリフだ

俺が分からないことを、姉さんは知っていると

「義務って言い方がしっくりこないなら変えてあげる。…修司、貴方は"呪われている"」

呪い…だと?この現代社会に非現実的発言をここでするのか?

これはギャグか?…いやそんな局面じゃないと思うが…

「そのままの意味だよ。だって、普通の人間はそこまで疲弊した状態で人を救おうと思わない。本当にその人のことを大切に思うなら、まずは自分が万全の状態であることが絶対条件よ。救えるものも救えなくなるんだから」

「それは……冷静じゃなかったから」

「一時ならまだしも、3日も冷静さを失い続ける人間は居ない」

「………」

返答に詰まる。最早姉さんのペースだ

「…なら、もし姉さんの話が正しいとして…呪われてるとして、藍を助けたいと思う気持ちが間違いだというのか?」

「違わない。けど呪われてるから盲目になってる」

「――どこがっ!!」

その答えに納得いかず、声を荒げて立ち上がる

「俺のどこが盲目なんだよ!脳腫瘍だぞ!?時間が経てば経つほど藍が死ぬ可能性が高くなる!!…そうさせないために、俺は調べたし考えた!!これのどこが盲目になってるって言うんだよッ!!」

「――――そこよ」

姉さんは俺に指を刺しながらそう言った

「あたしから見れば、《藍ちゃんを死なせない》という呪いに掛かっているようにしか見えない」

「身内が苦しんでいるんだから助けようとするのは当たり前だろ!それを呪いだと?本気で言ってんのか?」

「そうよ?あたし達は戦似一年で散々視てきたじゃない。苦しくて、後悔しながら死んでいく人たちを。それと比較してやりたいことをやって死ねるなら…あたしは本望だと思うよ。藍ちゃんも一緒じゃないかな…だって、芸術家なんて得てしてそういう生き物だから」

芸術活動出来ないなら死んだ方がマシ、と姉さんは付け加えた

「………理解出来ない」

俺は、その説明が全く理解できなかった

「意味が分からない。死ぬんだぞ?怖くねえのかよ。死んだ人間散々視てきただろうが…アレと同じになるんだぞ?」

「理解できないのは当たり前。だって呪いで生かそうとしてるんだから、藍ちゃんの心を理解するなんて、出来るわけないじゃない」

「アイツがこれからも生きて絵を描き続けたいことくらいは分かってる!」

「浅いよ、物事には必ず原因が存在するの。…修司、何で藍ちゃんがそう考えているのかの原因まで考えてみた?生きているのが大前提の思考をしてない?その人の命を救いたいって人が、その程度の考えじゃ無責任過ぎる」

「……何…言ってんだ……」

生きていなきゃ意味ねえだろうが…死んだら、もう何も出来ねえんだぞ

その考え方の何が間違ってるっていうんだ?

「…もしあたしが藍ちゃんの立場だったらこう考える。『自分の支えをなくしてまで生きたくない。そんなことするくらいなら…やりたいようにやって、死んでやる』ってね」

「――――ッ!!」

――言葉より先に身体が動く

俺は姉さんの胸倉を片手で思い切り掴み、"宙に浮かせた"

「馬鹿言うなよ…自分の命を…何だと思ってんだ!!」

「……ぐぅ……そ…それは…こっちの台詞よっ!!!」

「…なっ!」

唐突に怒鳴られたことに驚愕し、思わず手を放す

「…ゲホッ…ケホ……。修司…今、貴方はらしくなく感情にまかせてキレたでしょ…藍ちゃんが"死ぬ"ことを"肯定"したあたしに」

咳をしつつ喉を整えた姉さんが話を続ける

「そこなのよ、そこが貴方の"支え"になってるってまだ気づかない?」

これが……俺の、支え?

「キレたことが…支えだと?」

「そうよ、藍ちゃんを生かすことが…あたしを生かすことが、貴方の支えになってるっ!」

だから、と姉さんは続けて話す

「だからキレた!支えを失うから!失うことが怖かったから!そうさせない為に貴方はキレたのよ……!」

「――――」

自覚、していく…少しずつ、少しずつ姉さんの言葉が俺の奥底へ落ちていく

「あたしはそれこそ"呪い"と言ったの。だって、そうでしょ?"他人を生かすために生きている"なんて、それこそ馬鹿げてる」

「お…れは……」

俺の…生きている意味は…

自分の為に、生きているはずなのに……

「……修司、"誰から"そう教えられた絶対的行動を義務というように、呪いは、"誰か"にそう願われたから呪いなの。……覚えているはずよ、貴方にそういう生き方を教えたのは…貴方にそういうお願いしたのは…誰?」

そう言いながら姉さんは疲れ切った俺の顔に手を添えて、優しい顔をしながらゆっくり俺の答えを待つ姿勢を見せた時……


――脳裏に二人の言葉が過る


『"生きたい"と思うだけで生きてるのは植物だけだ。私たちは人間。何でも良い、何か為に生きてみなさい』

『…うちの子…理絵と藍を…お願い……』


それは、俺が過去に言われた言葉

掛け替えの無い人に言われた遺言

大切で、守りたかった人達の残滓

その人たちの名前は…


「――――…ばあさまと、愛華さん」


畔柳真理と美明愛華。姉さんの母と祖母。

二人が居たから俺はここまで生きてこれた

二人の教えがあったから、俺はここまで活動出来た

つまり俺は…俺はそう言われたから、そういう風に生きてきただけだったと…

もしそうなら…俺の意志なんて、どこにも無いじゃないか


「……ようやく…自覚したね」

テーブルを回りこみ、姉さんが俺に近づき…そっと優しく包んだ

「昔ね、貴方と藍は心の支えを作らなきゃ死んでしまうほど、衰弱してたの。だからあの二人は死なせない為の救済処置として、何かを支えにする生き方を教えた。…けど、藍ちゃんは自分のことを支えに出来たけど、貴方は出来なかった」

だって、と一呼吸置いて

「修司は、何もかも失ったから…。自分の身体も、心も…。失ったものを支えには出来なかった。もう一度失う恐怖がそれを許さなかったんだ」

思い出す……嫌な記憶を…最悪の記憶を…

「…だから二人は、仕方なく周りを支えにするよう貴方に教え込んだ。その場しのぎなのは十分分かってた。だからせめて将来、独り立ち出来る時には自分自身を考えられるその時まで…生きてもらうために」

「――…そう、だ。俺は……」

――全てを失ったところを俺は姉さんの家族に救われた。

――けど、その時の俺は死にたくなかっただけだ。生きる希望まで見いだせなかった。

――植物状態とはまさにアレだ。そりゃ…みんな見かねるよな…

「今なら解るでしょ?周りと比べておかしいことだって…自分の為に生きてないことが盲目にしてるって…今の修司なら解るはず」

藍も分かっていたんだろう。この間の問答がそう感じさせる

だがまあ…こうして自覚してみるとアレだな…

「――これから、どう生きていけば…」

「それを探すのも道の一つよ。今の貴方ならそれが出来る。だから、ゆっくりでいいから…ここから始めようよ。ちゃんと、生きていくことを」


―――――――――――――――――――

――――――――――――――――

―――――――――――――


姉さんがインスタントコーヒーを入れて、お互いに心と身体を落ち着かせるも束の間、本題に入る

「心の支えがどれだけ大切か、自分の意志がどれだけの重みを持っているか分かった修司となら、ようやく藍ちゃんの件について話せそうだよ」

「…アイツは絵を描き続けたいんだ。だけど誰からの援助も受けたくない。あくまで自分の力で…厄介この上ないな、アイツの生き方は」

「そう?修司に比べたらマシよ」

「うるせぇ…もう俺のことはいいだろ」

正直少し恥ずかしさが残ってるんだ…あまりとやかく言ってこないでほしい

「ふふ、ゴメンゴメン。真面目に話すね」

「余程嬉しい様子だが、ことの早急さ分かってんだろうな」

「分かってるよ。実は既に対策案もあったり」

「なっ!?」

流石に驚いた…けど、それも当然か

今まで見ていた視点が違ったんだ、ここは素直に姉さんなりの考えを聞こう

「…どんな方法だ?」

「このクソみたいな現実に一矢報いる方法」


……………………………

……………………

………………

…………


「――…という感じだけど、どう?」

「どうって…それが上手く行けば大団円じゃねえか!けど…」

これ以上ない良案だった。しかし、それだけに懸念点もある

「そう、上手く行くためには2つほど問題をクリアする必要がある。一つはヒエロニムス絵画展で藍ちゃんが優秀賞以上を授与すること。そしてもう一つは…」

「藍に絵を描き続けさせること…か…」

ここで優秀賞を取れなかったことを考えても仕方ないし、取れるだろう確信があったので二つ目の問題について考えよう

「芸術家にとっての信頼関係は言葉や態度よりも《物》だからね。ここを怠ったら周りから芸術家として見られない」

藍に絵を描き続けさせること、か

今のアイツは様々なことにやる気をなくしている

それも心残りであっただろうあの二枚を完成させてしまったからだ

「けど、逆に言えば問題が2つまで減ったってこと。中でも鬼門は2つ目、藍ちゃんにどうやって絵を描かせ続けるかよ。そしてそれは…」

「俺が何とかするしかない、か…」

「そゆこと。あたしが直接訴えると見透かされて全部台無しになってしまう…だからここは、修司が頑張るしかないの」

《生かすこと》じゃなくて《描かせること》

なるほど…この案を実行する上で、義務や呪いなんかで動いてたらどこか必ず失敗するのが目に見える

姉さんがこのタイミングで俺に問答したのはこれが理由だったか

「…アイツは今、自暴自棄になってる。念願の絵は描き終えてるから、賞を取った後、その絵を世に出して死ぬ気だ」

「ある意味芸術家らしい死に方だね。芸術品は、才能ある作者が死してこそ価値が上がる奇怪な生業だから」

「けれど、心残りはあるはずだ。その心当たりはある」

あの筆を叩き付けた三枚目の存在。それが恐らく藍の心残りだ

そこに活路がある

「そっか…あたしは現物見てないから何も言えないから、知ってる修司に任せるよ」

「……さっきから思ってたんだが、姉さんは芸術家の心が分かる割には他人事…というか過去のように語るんだな」

聞いてよかったか分からないが、薄々感じていた疑問を投げてみる

「過去よ。だって今のあたしは嗜む程度しか描かないし、他に大切なものも出来てた。…というかぶっちゃけた話、画家として活動してたのは軍資金調達のためだし。今となっては思い入れとか無いよ」

姉さんは当然のようにあっさりと答えた。

「……さっきまでの知った風な口は一体…」

思ったよりリアリストな発言でビックリする

「画家だった時に色んな人と会ったからねぇ。芸術家の心はちゃんと理解してるよ。けど、あたしにはしっくり来なかった。それだけの話。他にもやってみたいこと沢山あったし」

そう答えると姉さんはコーヒーを一気に飲み干し、喉を落ち着かせ話を続ける

「あたしからしてみれば、生き方も支えも都度変わったって良いと思う。それに固執する必要なんて…どこにもないよ」

もしかしたら、こういう柔軟な人間こそ芸術家に向いているのかもしれない。

色んな考えを持ち、経験し、それらを活かす創作活動が出来る姉さんだから、人から評価される所以だと実感する。

「…今なら少しだけ分かるような気がするよ」

「……そっか、だったらそれを証明しなきゃね」

「そう…だな、混乱したらまた相談するかも」

俺も少し冷めたコーヒーを一気に飲み干す。

「そのぐらい弱気の方が人間っぽくて好きだよ。…今日は疲れたでしょ、今はゆっくり休んで…それからまた考えましょ」

そういや3日はろくに休んでいなかったっけな

面と向かって言われると、身体が思い出したかのように気怠くなる

想像以上に疲れているみたいだ

「…そうさせてもらうわ………あー…その、姉さん」

「……?」

立ち上がりドアノブに手を掛けたところで、俺の素直な気持ちを伝える。

「――――ありがとう」

そう言い残し俺は自室へ向かう途中、3日分の疲れに感情に任せた言動が一気に襲い掛かってきた

俺は急ぎ足で自分の部屋に入り、身体の力を抜き倒れこむ

……瞼が重い…今は少し休もう…

…活路は見出せた……後は…それに…挑むだ、け……



■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■



―――2004年 初冬


―――女性の声が聞こえた

耳元で泣き叫ぶ女性の声が、脳に響いた

うっすらの眼を開けるが、身体は動かず、声が出ない

それでも周りを確認しようと目を動かすと…やっぱり女性が居た

どうやらオレを抱きかかえているみたいだ

自分の身体を診てみると、腕はダランとして力が入らず、全身傷だらけの砂だらけ

服も身に着けていない小汚い野良と化していた

だけど、今のオレにはどうすることも出来ない

ただ、生きているのがやっとの状態だった

「――――」

女性は泣いていた。言葉にならないほど泣いている。

けど、悲しいわけじゃなさそうだった

オレが生きているのを嬉しそうに喜んでいるようみえて、何故か安心できた

それが、美明愛華さんとの出会いで

オレが、全てを失った日の記憶


―――――――――――――――――――

――――――――――――――――

―――――――――――――


次に意識が目覚めた時は、既に暖かなベッド上

見覚えのない部屋、臭い…空気…色…

徐に身体を起こそうとするが、身体に力が入らず、布団をはがすことすら出来ない状態

どうすることも出来ないので意識を保ったまましばし待っていると、扉が開く音がしたので

「…ぁ…の…」

何とか言葉を振り絞り、扉を開いたであろう人に声を掛ける

「――――よかったっ!気が付いた!」

その声は聞き覚えがあった。ああ、まさにあの日聞いた女性の声だった

女性はオレに意識があることを確認したのちに、水を飲ませ、身体をゆっくり起こしてくれた

「…ふぅー山は超えたようで安心したよ。あぁごめんね。あたしは美明愛華って言うの。君の名前は、分かるかな?」

優しく、ずっとオレに優しく声を掛けてくれる

だからオレも精一杯答えた

「……しゅうじ、ちあき…しゅうじ」

「しゅうじ君ね!ありがとう教えてくれて」

だが体力の消耗は激しく会話はここで終えてオレは再びベッドに倒れこむ

眠りにつくまで、愛華さんは一方的だが丁寧に状況を説明してくれた

その内容を疲れている頭で整理する

一つ、今いる場所は愛華さんの家族が住む島の一等地でること。

二つ、その島に避難する最中にオレを荒れた海岸沿いで見つけ救助したこと

三つ、オレの身体はボロボロで、両腕が折れているらしく、全治半年ということ

つまり当分はまともに動けない介護の身だということがこの日分かった


―――2004年 冬


愛華さんの介護のおかげで、ようやくまともに喋れるようになったころ、この家で一番偉い人と会うことになった

「意識はあるね?」

部屋に入ってきたのは、サングラスを掛けた老婆だった。

年老いている割には杖や車いすを使っていない辺り元気な人なんだろう

「あたしゃぁ畔柳真理という。ここで一番偉いばあさんだよ。君の事情は愛華からあらかた聞いた。…その上君に聞くよ。……君はこの先も生きたいかい?」

老婆は挨拶を抜きにオレに聞いてきた

少し戸惑いつつも俺は答える。

「……しにたくない」

それが、その時の答えだった

老婆はそれに納得したのか分からないが

「………そうかい。なら死なないように教育しよう。…でもそれは身体を治してからだ、今はゆっくり休みなさい」

と、今後のことを言い残してその場を後にした

その優しい口調から、ああやっぱり愛華さんの家族なんだなと思わせる

そして、これが畔柳真理との出会いであり

これが、地獄の一丁目でもあった


―――2005年 春


桜の花びらが舞っているころ、オレはリハビリに励んでいた

愛華さんの介護がよかったのか、予定より早くギプスは取れるらしい

そんな中、あれ以来顔を合せなかった畔柳真理が姿を現しこういった

「君に勉強を教える。死にたくなかったら死ぬ気で覚えなさい」

後になって恐怖を感じる言葉だった。なんせその老婆とマンツーマンで勉強するのだから

そして連れてこられたのは老婆の自室。

その部屋は書類、本、地図、記事、メモ紙でびっしりと埋まってる

それに引きつつもソファに座り、老婆と対面し勉強が始まった

勉強と称したが学校で習っていたようなものではない

物事の考え方や、捉え方。頭の体操や、思考の仕方、覚え方等々

所謂頭の使い方を一つ一つ教えてくれた。

次の日以降からはリハビリをしつつ、老婆…真理ばあさまのところで頭の勉強と学校の勉学を学んでいき、知識と知恵を同時に身に着けていく

腕は使えなかったから言葉のやり取りでだが、この勉強内容は今後1日一回は行われ、俺の新たな日常になった


―――2005年 夏


身体が程よく動かせるようになったころには頭の勉強は週一回になっていた

ある程度身に着けたからか、それとも見限られたのか…真実は分からない

しかし通常の勉強は引き続き毎日続く

午前は運動、午後は勉強。それがまた俺の新たな日常

…だが、この日はいつもと違った

勉強の為に真理おばさまの部屋に入ると、見知らぬ少女が俺の定位置であるソファに座っていた

「きみは…」

「来たね。そこに座り」

ばあさまに指示された通りオレは少女の隣に座る

「しゅうじ、この子は"おうめあい"という。これからはこの子と一緒に勉強してもらうよ。藍、さっきも紹介した通りこの子が"ちあきしゅうじ"だ。喧嘩はするなよ」

「……名前、どう書くの?」

少女からの最初の質問がそれだった

当然の疑問だろうと思ったのでそそくさと書こうとしたが、まだ上手くペンが持てなかった

「こうだよ。そして藍はこう書く」

おばさんがさっと俺たち二人の名前を白紙に書き見せてくれた

《青梅藍》

《千秋修司》

俺たち二人はじっくり見たあと頷いた

ばあさまはその様子を確認した後、すぐにいつも通りの授業を始める

俺もそれをしっかりと受ける。隣の存在など気にせず、授業に臨んだ

これが、青梅藍との出会いであり

この日を境に、色んな人と関わっていくようになる


――――――――――――――――――――――

―――――――――――――――――――

――――――――――――――――


ある日、ばあさまは俺に質問した

「修司………君はこの先も生きたいかい?」

それは出会った日と同じ質問だった

俺はそれに、今の気持ちを正直に目を見て答える

「…生きたい。もう二度と、死にたくないんだ、絶対」

「そうかい…しかしね、修司。"生きたい"と思うだけで生きてるのは植物だけだ。私たちは人間。何でも良い、何か為に生きてみなさい」

「何か…」

唐突に言われても困る。今のオレにやりたいことも、好きなこともないのだから

「君は今、生きることだけを考えて、他の事なんて何も興味がないだろう?」

ばあさまは俺の心情を言い当ててきた。

「うん…」

俺は肯定すると、ばあさまは続けて話す

「昔やっていたこと、好きだったこと思い出してみるといい。…何でもよい、出来ることを、得意なことを手始めに続けてみなさい。協力は惜しまないよ」

俺は思い出す。かつて何が好きだったか、何を得意と思っていたのか

家での出来事…放課後の出来事…学校の出来事…

その中で一つだけ、自慢できるものがあった

「…字を書くこと」

「字ってことは…習字かい?」

「うん…5段か6段ぐらいまで取ったと思う」

正直今となっては曖昧な記憶だったが、周りに羨ましがられたことだけは憶えてた

それは、得意なことになるんじゃないかと思い言葉に出したところ、

「そうかい…なら、飛び切り良い先生を付けようじゃないか。…言ったからには途中で投げ出すんじゃあ…ないよ」

軽はずみで言ったことを後悔した

これを機によく考えるようにしたのは他でもない


―――2005年 秋


全てを失ってから1年が経った

ばあさまが連れてきたのは書道の師範資格を持った男性、畔柳統也ことばあさまの息子だった

午前は運動、午後は勉強、夕方は統也さんによる書道教室

これが俺の日常と化していた

統也さんは今まで書道教室を開いてなかったものの、副業として所謂パフォーマー書道家として小銭稼ぎをしていたらしい

教えたことは無いと言っていたが、そうは感じられず、厳しくも的確に統也流の筆の使い方や書き方を教えてくれた。

俺は一心不乱にこの日常に臨む。

1年前のことなんか思い出さずに、生き続けた

ふと、共に勉強している藍のノート横でチラっとみると

無限にパラパラ漫画を描いているのを目撃した

それも完成度が凄まじく、実際に動いているかのような絵で目が離せなかった

授業が終わって、俺は初めて藍に質問してみた

「絵を描くのが好きなのか」

藍は淡々と答えた

「ええ、好き。君は?」

「俺は…字を書くほうが好き…だと思う」

「自身無いの?」

「どうかな……ただ、言われた通り続けてみようって」

「そう…いつか、自分の字を書けたらいいね」

今にして思えば、これが初めて成立したまともな会話だった

これまでは「ええ」とか「そう」とか適当な相槌しかしてこなかったから

俺は、少しだけ気分が楽になった



―――2006年 冬


「――狩りに出かけよう!」

そう言い出したのは統也さんともう一人の男性、美明伸次郎こと愛華さんの旦那さんだった

二人は俺に山や海で生き物を狩りに行くと言い俺を連れ出した。

その時、俺は伸次郎さん達からこの家の仕組みを教えてもらった

所謂《本邸》に俺、ばあさまが住んでいて

本邸から少し離れた《別邸1》に愛華さん、伸次郎さん、その二人の娘である理絵という少女に、藍

《別邸1》の隣にある《別邸2》に畔柳統也さんの家族が住んでいる…らしい

未だに会ったことないから、しっくりこないのが現状だったが、知識として頭に入れて俺は二人の指導の元狩りに出かけた

ここは島であるため、大体のことをは自給自足で補うようばあさまから躾けられたらしい

俺も身体が動くようになっていたので、二人に付き添って"初めて"敷地内から外に出る

今でも忘れない…枯葉が多い中、透き通る空気と冷たい海風

堤防から見渡した島の全貌。それは思った以上の大きく、自分が今いる大地を実感させた

俺はもう、元居た場所にはいないんだと

現実を教えてくれたんだ…



―――2007年 春


この日、本邸にばあさまの身内全てが集められた

そこでばあさまが行ったのは"情報共有"

今、島の外では何が起きているのか、世界からどう見られているのか

島に必要なモノは何か、自分たちは今後どう動くかをばあさまは事細かく丁寧に説明した

難しいことは分からなかったが、自分の置かれている状況だけは理解出来ていた

一つ、島の外からの救援物資はまだまだ来ないこと

二つ、島の発電所にも限界はあるから電気は慎重に使うこと

三つ、次の越冬に備え食料をストックするために。島の住人と協力して農作物と漁業を手伝うようにすること

これまで自分に出されてきた食料や水が今まで他の人間が培っていたものをもらっていたことを自覚させた

俺はその恩を返したいと思い、3日に一回、半日掛けて朝釣りするようになる


そして最後に…

「本土で正体不明の疫病が流行っているらしい。何か異常があったらすぐに報告するんだよ」


情報共有を終えた後、ばあさまの指示の元、俺は皆に自己紹介をした

と言っても俺が持ってるものなんて名前ぐらいだったが

簡単な自己紹介を終えてばあさまが一言、

「この子は今後もうちで預かる、いいね」

一同はばあさまの言葉に頷き、俺を受け入れてくれた

そしてこの場は解散となり、俺は身体を動かすべく外に出ようとした時、声を掛けられた

「――修司くん!ちょっと待って!紹介したい子がいるの!」

それは愛華さんだった。加えて愛華さんの隣にはもう一人女性が居た

身長は愛華さんと同じくらいで、俺からみたら大人びた人だった上に

「…ふーん、コイツがあの時の子供か」

口が悪そうに見えた。その為少し強張り身構えたが…

「あたしは理絵。アンタが修司…だっけか。元気そうで何よりだよ」

「……?」

「あー覚えてないか。アンタを助けた時一緒にいたんだけどね…まあそれはいいや。あたしは理絵、美明理絵。このお人よしの娘だよ。…取りあえず、生きてくれて何よりだよ。困ったことあったら相談しに来な。出来る限り力になるよ」

「……分かった…理絵さん」

ん、よろしいと言いながら小さい俺の頭に手を乗せて微笑む

口は悪いが、やっぱり愛華さんと似ていて他人を気遣える人だと思った

それが第一印象。今とは打って変わって学生らしい口調…というか、少し不良染みているのが特徴的な人

「どうした、愛華ちゃん。こんなところで立ち止まって…ってああ、その子がさっきの」

「義姉さん…片手にタバコ持ちながら来ないでくださいよ。教育に悪いです」

後ろで愛華さんと会話し始めた人物を見ると、そこには金髪で高身長の…怖い女性が歩み寄ってきた

そういえばさっきの自己紹介の時も目立ってたな…目を合わせないようにするのが大変だった

「相変わらず細かいねぇ…やぁこんにちは、君のことは統也君から聞いてるよ。あたしは畔柳紬、統也君の妻だ。んであたしの後ろにいる人見知り凄いのが娘の妃奈美、無口な方が息子の一翔ね」

「あ、うん……」

俺の視線と合わせるべく、しゃがみながらその金髪が自己紹介した

紹介に合った後ろの二人を見ると、ぺこりと会釈でそれ以外言葉を発しなかった

「…んーえいっ」

「うわ!」

突然紬さんが俺を抱きしめて来て驚く

「何やってんですか…紬さん」

理絵さんがツッコミを入れるが、紬さんは当然のように答える

「いや、可愛くってついね。それにこの方が手っ取り早い。……修司君、大丈夫。あたし達はアンタの味方だよ。ここには君の敵は居ない。居たらアタシがぶっ飛ばしてる。だから安心しな」

「――――うん」

俺の心の底にある不安を、この一言で消し去ってくれた

この日を境に、俺は周りに心を徐々に開いていく

その蟠りを拭い去ってくれたのは紬さんと理絵さんのおかげだった


それが、姉さんとの再会で、畔柳家一同との出会いだった


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「……ぁ」

窓から差した日の暑さで目が覚める

状況を確認する為に目で辺りを見渡すと、どうやら布団の上に横になっているようだ

…俺の部屋なのかと疑問の思いながら身体を起こすと、間違いなく俺の部屋だ

何故分かるか。そんなのは簡単だ

何もないからだ。テレビも机も棚も娯楽道具も、何も無い

貴重品は作業場かリビングに置いてある棚の引き出しに入れてあるし、服や下着、学校用具は全て押し入れにまとめて置いてある

そんな特徴が無いのが特徴の部屋であるため、一発で分かった。

だから疑問が一つだけある

普段寝る姿勢は胡坐のため布団は無いのだが…

「…姉さんか」

まあぶっ倒れて寝たのは憶えているので、様子見に来た姉さんが俺の寝相治したんだろう

…前までは情けねぇとかマヌケじゃねえかって思ったんだが、今はなんか違うな

恥ずかしさは勿論あるが…それ以上に

「……ありがたいな」

…俺は今まで、俺なりの思いを一方的に押し付けていただけなんだろうな

自分勝手で、言いつけ通りに

――――よし

大丈夫だ、頭は冴えてる

今がいつなのか確認するべく携帯画面を見ると、今日は2012年10月28日の月曜日。

どうやら丸一日寝ていたらしい

アプリのカレンダーで仕事の予定を確認したところ、急ぎじゃないのが2件

普段なら片付けてから本命に集中するが、今回は一旦後回しにする

差し当たって藍の件で確認したいことがあったからだ

…身体は動く、頭も起きてる、目的もハッキリしている

時間は待ってはくれない。だから仕事のことより、藍の立場になってアイツの心を理解してみよう

その為のヒントは、虫の知らせが教えてくれた

どうせ考えすぎたらまた前のようになってしまう可能性があるんだ

ここはこの直感を信じて行動してみよう

その為に、あの人に一報入れるべく携帯のアドレス帳を開き電話を掛ける

「――…ああ、御無沙汰です。足大丈夫ですか?実はこれから…」



―――同日 2012年10月28日 月曜日 夕方


――写真にすら収めることが出来なかった思い出を、私の中のモノを形に残すこと

私はそれが一番充実し、楽しさを感じていた

だって、私にはそれが出来る腕と目があったんだから

今にして思う、失ってから実感する。

あれこそが私の遣り甲斐で、生き甲斐で、支えで、命だったんだ。

それを…両方失う

――――失う

……ドクンッと心臓が波打つ

その鼓動が徐々に早くなり、汗を流させ思考を止めさせる

――…怖い…怖いのに…

「…馬鹿だな、私」

恐怖心に支配されているのにも関わらず、習慣は今更変えられずふと美術室に足を運んでいた

部活動をしていたわけじゃない。部活に入ると義務感を感じて気力が失せる

だけど美大の受験対策をするにはここが一番適していたので、特例で使わせてもらっていたんだ

銅像を色んな角度で描いたり、机上の適当なものをデッサンしたり…

入学の時から決めていた進路だったから、なりふり構わず取り組んでいたころを思い出す。

「持って帰ろ…」

置いてあった私物の道具をまとめる

ここ数ヶ月で手のブレが酷くなった…

理絵に言ってきた通り、これも味だからって押し通せることも出来たけど、私自身それを許せない

思い通りに描けない絵なんて、私の絵じゃない

私の中のモノを形にできない

ならそれは意味がない。もう…意味がなくなったんだ

後はコンクールの結果を待って…

「やっぱりここに居た」

道具を片付けていると、不意に後ろから声を掛けられた

私は驚く、この場面を見られたくなかった人の声だからだ

極力何事もなかったように態度を整えて正面を向く

「……今日は、部活動の日じゃないでしょ?"先生"」

美術部の顧問である美明理絵先生に生徒として答えた

「渡したいものがあってね。これ、ついさっき学校宛てに届いたの」

そう言いながら理絵は私に近づき、封筒を一通差し出してきた

私は受け取り裏を確認すると―――『ヒエロニムス絵画日本展 審査委員会』

そうか、学校の生徒として出したから学校に届いたんだ

私はすぐに封を切り、中身を取り出し一枚の紙を広げる

そこには―――

「……大賞」

間違いなく、そこにはでかでかと金星が輝いていた

流石に唾を飲む…正直な話、ここまで評価されるとは思わなかった

良くて優秀賞、悪くて横文字賞かと…

「…!おめでとう!藍ちゃん!」

理絵は自分のように心の底から喜んでくれた

若干の気恥ずかしさがあったが、ここは素直に賛辞を受け取っておこう

「そうなると、藍ちゃんの絵は1週間後にウフィツィ美術館に展示される。…目、治る目途が付いたね」

「……うん」

真実は話せない。話したくない。

その為の誤魔化しも疲れたから、私は嘘を付き続けることにした

「展示後には十中八九色んな人から声が掛かるわ。…次の絵の準備、しておいてね。」

「大丈夫…もう描いているから」

これも嘘

「期待値は高いから、最初の内はよりアピールするために1ヶ月に1枚を仕上げるようにしたほうがいいけど、大丈夫?」

「ええ、もう何枚か構想練ってあるから」

これは本当、でも嘘になる

「そっか…ここは通過点だもんね。お祝いは眼が治ってからにしよっか!」

「…うん、楽しみにしてる」

これも嘘

嘘ウソうそ…全部ウソ…。けど、もうどうでもいい。

最後にこのクソッタレな現実に一矢報いることが出来るのだから、それでいいじゃない

それで……いいじゃない……お母さん…お父さん…

「藍ちゃん、いい区切りだから見せたいモノあるんだ。今日この後いいかな?」

「………いいけど…何時ごろ?」

今修司と顔を合わせるのを苦手としていたが、理絵が見せたいものが気になったので承諾した

「17時過ぎまで学校いてもらえる?あたしの車でいこっか」

「…分かった」

「じゃあそれで、あたし仕事片付けてくるね」

それだけ言って理絵はそそくさと美術室を後にした。

…いつもなら断るけど、今は理絵の見せたいモノがどんなものか気になったからそっちを優先した

今は16時30分。残り30分はさっきの続きで片付けをしよう

もうここで作業することは無いんだから


……………………………

……………………

………………

…………


理絵の車で辿り着いたのは、学校の坂を下った先にある沿岸だった。

海水浴が出来るほど砂浜は広くないが、ちょっとした広場になっているから老人の散歩や子供の遊び場には丁度良いらしくチラチラと人を見かける

二人してホットココアを買って、近くのベンチに腰を下ろし水平線を眺める

まだ夕日が輝いている…海と夕日、この二つを見ると槙島での出来事を連想してしまう

そういえば、あの日から意識が変わったんだっけ…

「たまにはこうやって眺めるのもいいねー。潮風が気持ちいー!」

「で、見せたいモノって…もしかしてこの夕日?」

「まっさかー。でも無関係じゃないからここに連れてきたの」

なんだろう…ここまで意味深に語るのも珍しい

「見せたいモノはあたしの最高傑作の絵よ。けど、アレを見せる前に良い機会だからあたしが絵を描いていた理由を教えておこうと思って」

理絵の…最高傑作?

絵は総て売ったと聞いていたし、作業場のプレハブにもそれらしいものは見当たらなかった

誰にも見せていない絵…加えて描いていた理由?

気になる…けど

「…どうして今日になって…」

「いい区切りだから、よ。海外に展示されれば否が応でも環境は変わる。だから今後も描いていくなら生き方の参考になるかなって」

私の周りには理絵を除いて、競い合うライバルも画家の友人も居ない

確かにこういう話は参考になる

それ以上に、あまり自分のことを語らない理絵が話すって言うんだ

それだけで聞いてみたいと思う

「まあ…目指した理由は単純なの。…お金と人脈が欲しかった。以上」

「え」

ウソでしょ?絵が好きだから描いてて、その好きな理由を話してくれるかと思ったのに

「幻滅した?」

理絵は苦笑いしながら私に聞いてきた

つまり、絵を描かなくなった理由は…

「じゃあ、つまり金と人脈が手に入ったから絵を必要に描かなくなったの?」

「有体に言えばその通り!」

ええ……芸術家とは思えない現実主義者ぶりだ

「金と人脈が欲しいのは…ある意味当たり前な欲じゃない?それで何で絵だったの?」

手段はほかにもいくらでもあっただろうに

そこで絵が出てくるのが謎だ

「あたしが得意だったからそれを利用した、一石二鳥だったからね。丁度良かったってだけの話よ」

「……絵が好きじゃないの?」

私の質問に理絵は笑顔で答える

「うん、好きじゃない。得意だったのは自覚あるけど、別にこれがなきゃ生きていけないとは思わない。つまりは…あたしにとって絵画は手段だったって話だね」

「――――」

絶句した。とても巨匠と呼ばれた人間から出てくる言葉じゃなかった

それであんな…誰もを魅了した絵画『人類へ』を描いたなんて…

「芸術家に喧嘩売ってるでしょ?怒っていいよ、藍ちゃんは絵が好きだから描いているだから…不純な動機で描いてたあたしを怒る権利はある」

「…そ、そんなのどうだっていい。ルノワールみたいに女性しか描かない画家だっていたんだ。不純だろうと何だろうと絵を描く動機は人それぞれだよ。…それより、何がそうさせたのか気になる」

「人脈が欲しいことと大金が欲しいことの理由?」

「理絵がそんな短絡的な考えするとは思えない。伊達に数十年家族してるわけじゃないんだから、そのぐらい分かるよ」

まっそうだよねーと理絵は言いながら買っておいたココアに口しつつ一呼吸し、話を続ける

「……藍ちゃんはここからみた景色をどう思う?」

「…綺麗だと思うよ、夕日の反射も相まって私の視界でも色鮮やかに視える」

「そうだね、景色だけ見ればあたしもそう思う。けど、それと同時にあたしの心の支えになるの」

「支え…?」

「そう支え。……この景色は、修司を見つけた時を思い出させるから」

「………!」

修司について知ってるのは出会ってからしか知らない

というよりそれ以上調べたり聞くのはおばあちゃんが許さなかった

私たちの家族として迎え入れた。だからそれまでの過去は関係ない、と。

私はおばあちゃんに従った…というより私自身それどころではなかったんだ

私も災害が原因で手術していたから

「修司は、一人砂浜でもがいていた。腕が折れてまともに立ち上がれず、身体が傷だらけで海水が染みて痛いはずなのに…修司は生きようとしていた。…流木と生き物の死骸が流れ着いてた砂浜で」

「………」

同情は出来るが、その様を想像は出来ない

写真で当時の惨状は見れる。だけど、私の眼はもうその通りには映らないから意味がない

「その光景を見て思ったよ。絶対に家族を一人にさせたくない。そのためには金はもちろん人脈も必要だ。それも日本じゃなくて海外の…。理由は、分かるよね」

日本は島国である以上どうしても閉鎖的な土地になる

その上災害大国。何か遭った時、海外に援助してくれるような人を作れれば選択肢の幅は広がる

「その二つを同時に出来る手段を考えた結果、絵画にたどり着いたってわけ。まあそれもひと段落してる時に、教員免許受けたらこれが上手く行ってねぇ。丁度良いからあたしの生きる術を出来る限り広めてみようって思ったの。まだまだこの国の子供は歪んでいるから」

「…なんだ、思ったよりちゃんとした理由じゃない」

家族の為に、人の為に動いてる

それは普段の言動からみてもわかることだった

故にその理由に納得がいく。

むしろ自己都合だけで動いてる身からしたら眩しいくらいだ

「話してて分かっただろうけど、実際藍ちゃんの眼を治す資金はあるの。だからいつでも言ってくれれば出せる」

「それは――」

「それは『自分の力で』じゃなきゃ意味ないんでしょ?あたしを始め家族に頼らずに。藍ちゃんにとって…それが生きてく絶対条件だから」

「――っ」

半分当たってて、半分間違ってる

「伊達に十何年も家族してないよー。ズバリ、藍ちゃんは負い目を感じてるでしょ?藍ちゃんを大切に育ててくれた畔柳家と美明家に」

「…………」

これも半分当たってて、半分間違ってる

「そんなに重苦しく考えなくてもいいのにー。負い目だろうが恩だろうが、そんなのに独り立ちした後に返しても遅くはないよ。世間で言う親孝行ってのはそういうものだしさ」

「……そう」

適当に相槌をする。

前の私なら反論したんだろうけど…もうどうでもいい

「まっ、こんなもんなんだよ。あたしが描いていた理由なんで、まあつまりやりたいようにやっただけだね。でもね、そうしたからには自分で責任を負ったよ。後悔も、悲哀も…歓喜も」

「…喜んだことがあるの?」

こんな現実に

「ある」

理絵は即答した。真っすぐに前を向いて、偽りない言葉として

「…生きてくれたから。生きてくれたからあたしも生きて頑張れた。それを喜ばなかったらあたしは今ここにいないよ」

――誰が生きてくれたかは、察することが出来た

だから私はそれ以上追及しない

だって、やっぱり、理絵は彼のこと―――

「これがあたしだ。絵を描いて、売って、稼いで、その術を他の人にも生きる足しにしてほしくて教師になった…。今じゃ胸張ってお天道様に顔向け出来る自信はあるよ。…彼のおかげでね」

理絵はそう言いながらベンチから立ち既に飲み終わっていた缶を5M程度先の缶専用ゴミ箱へ投げ…スコンとぴったり入れ

「それじゃあ、絵見せよっか」

そのまま車に向かい、荷台から両手で持てるサイズの額縁を手に取り戻ってきた

「これだよ、あたしの最高傑作」

理絵は自分の胸の前にその絵を広げた


――その絵を表現するなら、絶望と希望だ

――下半分に描かれているものは瓦礫、流木、荒れ果てた砂浜、動物の死骸、遺留品、そして…傷ついた少年

――上半分に描かれているものは満天の星、生きている虫や獣、ガーベラ、コチョウラン、そしてポインセチアが描かれ、それに向かって少年が手を指し伸ばしていることが克明に創られた絵画だ


話を聞いて解る。これは間違いなく修司だ

彼が死の淵から這い上がって生きる為に立ち上がった絵なんだ

「あたしは決して忘れない。クソッタレなあの現実を、それに向かって生きようとする彼の姿を、絶対に忘れない。これがあたしが胸張って生きていられる根拠だ」

理絵はこの絵に込めた思いを語り、私の眼を見てこう言った



「――――藍、アンタは今、胸張って生きてんのか?」

滅多に出さない素の理絵が…お姉ちゃんが私に問う


この質問からは逃れられない

この質問に嘘は許されない

そう思わせる眼力を、態度を、私に示すから


私は――――

「私は――」


――――――――――――――――――――――

―――――――――――――――――――

――――――――――――――――



時刻は既に18時を回っている

夕日が沈み深い夜が訪れようとしていた

「さて……」

俺の目の前には一つの門扉がある

趣が無く、風情も無く、欧州風で見覚えのある鉄の門扉

鉄製の表札には達筆で『畔柳』と書かれている

…3年ぶりだ。ばあさまが死んで、本土に引っ越して以来の帰省

正直、ここに足を運ぶのはもっと先で、そのころには3人でと思っていたが…

そんな幻想を抱いている場合じゃなくなった

チャイムを鳴らし、しばし待つと身体の疲れを感じてきた

自宅から片道合計5時間超の長旅。交通機関フルにつかってこれだからな

本土から数十キロ離れた島、人口1000人弱。夕日がとても眩しいことで有名な彼誰島(かはたれじま)

フェリーの時間との兼ね合いもあるから、離れてないようですぐには来れない距離にあるとても微妙な場所

ばあさまを始め、藍や姉さん、そして俺も育った島

その住んで場所がここ…のはずだよな…?

一向に出てこねぇ…あっれ、まさか誰も居ない?

事前に来る時間は伝えてたはずなんだが…

仕方ないので門を開けようとするが…鍵が掛かってる

家の明かりは着いているんだが…どこかに出かけてるのか?

周囲に住宅は無い。住宅地の奥で標高高いところにあるから来るまでの坂でだいぶ堪えてる

早く休みたいんだが、どうすっかなぁ…


「――あれ!?シュウちゃんじゃん!!」

「…ゔっ」


俺が来た道の坂側から声がした

その声に反応して顔を向けると、苦手な奴の顔を見つけてしまった

「えっ?ちょっとちょっとなになに?今『ゔっ』って言った?『ゔっ』って。その声は人に出す声ですかー?ええー?――っていった!」

うるさい女を物腰がしっかりしてタバコを吸ってる女性が隣から頭を叩いた

「そんな煽るように物言うから嫌な顔されんだよ、バカ。いい加減学べよ妃奈」

「いっつも頭ばっかり殴るからバカになるんだよババ…――っ!!」

「口悪いのはどの口かー?この口かー??んんー??」

「ギ…ギブギブ!!…あから手をくひからはなひて!!」

「……相変わらずで何よりです。紬さん、それとバカ美」

元ヤンぶりの勇ましい態度は40歳過ぎても変わらない畔柳紬こと統也さんの奥さんと、二人の娘で口うるさいアホこと畔柳妃奈美が姿を現した

「バカ美だと!?うちのドコがバカなんだよ!年上だぞ!役所勤めだぞ!お酒だって飲めるんだぞ!」

「年でしかマウント取れないバカな頭がだ!」

「おー久しぶりー修司君。背伸びたねぇ…もう立派な男じゃないか。これでもう少し顔に傷があったら漢っぽくてあたし好みなんだけどねぇ」

「ヤーさんのようないかつい顔には死んでもなりませんよ…。それはそうとチャイム鳴らしたけど、誰もいなかったんですか?」

「あー統也君の親友が見舞いに来てて酒盛り始めちゃってね。一翔も巻き込まれてんだわ。あたしらはその買い出し」

やれやれと紬さんは首をすくめながら手に持ってるビニール袋を目立たせた

「あー…だから出なかったのか」

一翔はバカ美とは打って変わって気が利くところあるからなぁ

付けこまれたな、絶対。

「父さん足折れてるくせに酒飲むんだから救いようがねえよ。うちよりバカだよあれ」

「あ?俺の先生をバカだと言ったか?ばあさまの授業逃げまくってた反抗期は言うことちげえな」

「あっ、あれはばあちゃんの眼が怖かったんだよ~。鬼のような目で逃げないようにずっと背後に立たれてみろよ~。誰だって逃げたくなるってー!」

頭抱えながら一生懸命訴える妃奈美、哀れだな

「はいはい、取り敢えず外寒くなるから家入りましょ。うちの男連中は別邸でやってるけど、修司君どうする?」

門の鍵を開けながら紬さんが俺にこの後どうするか聞いてきた

「今言っても話にならないので、本邸の自室に逃げますよ」

「食事まだでしょ?うちらもあそこで飯食べる気無いから、そっちで一緒に食べようよ!」

妃奈美がまともな提案してきたので俺もまともに答える

「分かった、荷物置いて待ってるよ」

言葉を交わしながら門の中へと入る

――学生の身だと3年というのは結構な年月だ

ああ、だから改めて思う。この家が懐かしいと

「「あっ」」

前に居る二人が口を揃えて何かを思い出した素振りを見せると

「「おかえり」」

口を揃えて俺を迎えてくれた

「……ただいま」

改めて言うと少し恥ずかしさがあったが、今でも俺を歓迎してくれる二人にはちゃんと答える

人の好意を無下にすると、ばあさまがあの世でブチ切れて夢にまで現れかねない



……いやこれ俺がブチ切れたいわ

「アッハハハハ!シュウちゃん出戻りとか笑うわ~!あんなに真剣に島出てったのにもう帰ってくるとか!どーせ理絵姉に愛想尽かされて泣く泣く戻ってきたんだよー!ばっかでー!!」

「いやいやいや!理絵ちゃんが修司君を嫌うわけないって!むしろあのスリムな腰に欲情して無理やり手出して逃げてきたってほうが妥当っしょ!!」

「言えてるー!間違いなくそれだわ!だからうちは最初から危ないよって言ってたんだよー!」

リビングでバカ騒ぎする畔柳の女性陣

紬さんの酒癖悪いのは知ってたが、妃奈美もここまで悪いとは…

二人のダメな部分遺伝子レベルで引き継いだな

つーかこの一族酒ダメだろ…飲まさないよう躾けとけよばあさま

「統也さんのところで一緒に騒いで来いよ酒乱共…」

「バカはうちですー!」

「知ってるわ!つーか風呂入ったんならそのまま自室戻れや!二人して本邸戻ってくんなよ!酒とつまみ手に持って!」

「いやいやいや!久々に帰ってきて一人なるのも寂しかなーってあたしらでちゃんと相談したんだよ?」

紬さん…あんたここにこっち来る前から飲んでたな…

「あー…シュウくんが3人いるー…」

「お前酒弱いのに飲んだのかよ…」

だったら飲むなよ、だからバカ美なんだよ

「……ひなー?吐いたら明日の白米抜きねー」

「白米無しでおかずだけ食べろと!?ふざけんな!!」

「だったらちゃんと自分の限界を知りな?それを基準にこれから伸ばしてけばいいんだから」

「うー……はーい。じゃあそろそろ休むよ…おやすみー」

若干フラフラしながら妃奈美はリビングを出ていった

あのぐらいなら大丈夫そうだな

「悪いねー修司君。ほらあの娘7月に20歳になったばかりでまだ酒に慣れてないんだよ」

顔はまだ赤いので酔ってはいるようだが、口調はいつも通りに戻っている。流石大人だ

「気にしちゃいないですよ。普段の調子に拍車が掛かってる程度なので」

「あの娘、修司君が帰ってくること知ってどんな顔して会えばいいのかなー!?って混乱してたんだよ。んで行きついたのが酒だったってわけ。まだまだ可愛らしいところあるもんだ」

「それちゃんと理由話してないからでしょ…。姉さん以上に人に気を遣う奴なんですから教えといてくださいよ」

「やだよー、ああやってオドオドするところ見るのが最高の肴になるんじゃーん」

親ばかなのかただの意地悪なのか判断付きにくいな

「…で、修司君が帰ってきたのは、統也君にパフォーマー書道を教えてもらうためだっけ」

「そうです」

「理由、聞いていいかい?」

素朴な疑問だったのか、特に意味ありげというわけでなく率直に聞いてきた

だがこっちも率直に全部を話すわけにはいかない

もしかしたら計画が破綻しかねないからな

目の前のジュースを半分ほど飲み、喉を整えて答える

「…俺の為です。自分の為に生きれるように、俺の得意なことから色々やってみたいと思ったから」

嘘は言ってない。将来の選択肢を増やすのも目的の一つだ

勿論根底には藍の件が関わっているが、もうアイツを理由に行動してもダメになることは分かってしまった

沙川、藍、理絵さん。三人のおかげで自分の在り方を確かめることが出来たんだ

いつまでも足踏みしていたらまた大切なモノを失う

そんなのはゴメンだ。これからは俺なりのやり方を見つけていかないと、誰かのせいにして後悔する。

「…そっか」

その答えに満足したのか、紬さんの顔は微笑み俺に手を差し伸べ

「――って!」

いきなりデコピンしてきた

「まっ若いうちに無理しなよー。死なない程度にねー」

そう言いながら紬さんは飲みかけのビール缶を片手にリビングを後にした

…何かと少し乱暴だが、あれがきっとあの人なりのコミュニケーションなんだろう

元ヤンの時に色んな人と知り合った影響なのか無茶してきた結果なのか

他人との距離感や空気を察するのが人一倍長けてる印象だ

だからいつも長い会話にならない。少なくても俺とはそうだし、そのほうが気が楽というのもある

「――――――うぉっ!?」

リビングの外から突然紬さんの大きな声が聞こえた

声の方向に向かってみると…

「――すぅ……んん~……」

本邸から出てすぐのところで妃奈美が崩れ落ちて寝ていた

「ええー…なにやってんのよバカは」

それに対し紬さんは驚きつつ呆れている

だけど、顔は笑っていた

「…くく、このまま放置したほうが面白そうだな」

「いや流石に死ぬって」

軽くツッコミをしつつ俺は妃奈美を起こし担いだ

さて、ここで男なら少しは気にするであろう異性の運び方だが…

お姫様だっこ?疲れる。おんぶ?セクハラとか言われるの腹立つ

なのでここで便利なのがファイヤーマンズ・キャリーだ

うつ伏せ、もしくは正対した相手の腋の下から自分の首を差し入れた後、肩の上に相手を担ぎ上げる方法

介護士や自衛隊が人を運ぶ為の技術なので運び手は楽だしいやらしさもない

胸張って運べるのでオススメだ

「悪いねーうちのバカが迷惑かけて。胸の一つでも揉んでやっていいよ」

「後が面倒なので結構です。それに、ビール片手に持ってる人に手を貸して貰うわけにもいかないですし」

「…あれ、もしかしてあたしも迷惑かけてる?」

この親にしてこの子あり、だな

「―――うぅ」

首後ろから目覚めるような声が聞こえた

「起きたか?歩けるようなら自分で歩いてほしいが…」

「ぎもぢわるい……」

「えっ!?」

やっべ、この方法運ばれる方には腹部への負担高いの忘れてた!

「待ってろ!すぐにトイレ連れてくからな!」

敷地内で吐かれちゃそれこそ臭うので駆け足で別邸へ向かう

「ぢょっ…ゆっ…ゆらずなぁっ!出る…出るから!」

静寂の森がそばにある中、広い敷地内のど真ん中で悲痛な声が響いた

俺は再び思い出す。これも、ここでの日常の一つだったことを

「…ゔっ…げ、限界来る…っ」

「アッハハハハ!!アホだぁ…アホばっかりだぁ…っ!」

あの時はここまで汚い絵面じゃなかったけど




「――改めておはよう、修司。君から教えを乞うなんてね…こんなにうれしいことはないよ」

朝、本邸内にある和室で俺と統也さんは面と向かって改めて挨拶をする。

俺は胡坐で、統也さんはイスに座って

「足は大丈夫ですか?」

「ああ、教える分には問題ないよ。ここ最近大雨が連発したから山の様子みにいったらこれだ。年は取りたくないものだ」

自虐気味に笑いながらそう言った

勿論地面が渇いてから行ったんだろうけど、どこで足元掬われるか分からないからな

こういった危険は当然ある。むしろよく帰ってこれたものだ、流石先生

「さて、さっそく本題に入るけど…パフォーマーとしての書道を教わりたいといっても種類は様々。君のことだ、具体的に何を習いたいかは決まっているんだろう?」

「……俺の目的はただ一つ」

そうだ、今必要なのは、やりたいことは一つだけ

猶予もあまりない。芸術に近道が無い以上努力で時間を短縮させる

その為には書道と絵画、二つの知識が必要不可欠

だから統也先生に教わりに来た。その二つに詳しく、接してきた先生に

――さあ、覚悟を決まってる。あとは実行するだけ

これから俺は俺自身に窮地を課す

誰かから言われたわけじゃない、ただ生きていくのに必要だからじゃない

現金の為でも、呪いでも義務でもない

俺が俺の為にやりたいからだ。そしてその様を俺はアイツに見せたい

俺は負けず嫌いだからな、理由はそれだけで十分

…リミットは1ヶ月。その間に必ず結果を残す

俺は俺でやるだけのことはやる

だから姉さん、その間そっちは任せた

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