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モノクロの機械論的世界観  作者: リクヤ
3/9

モノクロの機械論的世界観 3章


二人が風呂に入っている間に身体が温まるスープカレーを作っておき、二人が出てきたところで入れ替わりに俺が風呂に入る

「……あぁー」

疲れが取れていくのを実感する。

今日は色々とあったなぁ…いや、まだ終わっちゃいないけど。

この後色々問い詰めないといけない。このままスルーってのは選択肢にない

ないはずだが……

一人になるとつい混迷する。本人が望む通りこのままで良い気もするし、良くない気もする。

第三者が適当に介入しても状況がグチャグチャになるのがオチってのも考えられる。

…あー可能性を片っ端から考えるともう動くの面倒になってくる。

けど、これはもう見逃せない。

ここで見逃したりしたら、それこそあの二人に怒られてしまう

俺を救ってくれた人たち…俺を育ててくれた人たちへの恩は返さなければならない

恩には恩で返す。仇には仇で返す。

これだけは誰の言葉から借りてない、俺が感じた俺だけのモットーだ。

これだけは、決して揺らいではいけない

だったら…やるべきことは一つ、だよな

「…姉さんと藍を生かすこと」

それだけが、あの二人へ返せるただ一つの恩

だから迷うな。迷ったら揺らいだことになる。真っすぐただ恩を返すことだけを考えろ。

この先例え真っ暗でも、あの大災害に比べればちっぽけなものだ



風呂から上がり、食事を済ませたところでソファの隅っこで縮こまってる藍に対して本題に入る。

「…目、視えなくなったんだって」

それは先んじて姉さんから聞いていた"事実"

まずはそれが本当か、どの程度かの現状を知るところから始める。

姉さんも台所で皿洗いさせながら聞く耳立てているが、黙っているよう伝えてある。

話が進まない可能性があるからな

「……ええ、正確には視えなくなる時があるってだけ」

「いつから?」

「…1年前」

…は?

「いや、1年前から色が視えなくなったんじゃなかったのかよ」

「…ごめん、嘘ついてた。2年前に色が視えない日が出てきて、1年前に目が視えなくなってきたの」

――――パキッ

バツ悪そうに藍が正直に答える

…今は咎めることはしない。それは後できっちり罰を受けてもらう

取りあえず今は事実確認が第一だ

「つまり、目が視えなくなる時が出てきたから、俺に登下校同伴するようにお願いしたわけか」

「そう、色が視えなくなっても周りは何となくわかるから、日常生活に支障はなかったよ。けど、突発的に目が視えなくなる時があるって分かった時…ヤバイって思った」

――――パリンッ

確かに色が視えなくなって困るのは信号ぐらいだが、周りをよく確認していれば大事に至らないか

「…病院は知ってるんだろ?なんて言ってるんだ?」

春日井から意味ありげな態度取られていたからな

アイツが話しておきたかったのはこのことだろう

「…精密検査したわけじゃないから、詳しくは分からない。だから明確な原因は分からないけど悪化し続ける恐れがあるって」

――――カシャンッ

つまり…このまま放置すれば目が完全に視えなくなる恐れがあると

色が視えなくなったのもその前兆ってことか

………こういう時、饒舌に説明してくれるのはありがたい。

ばあさんの元でそう育てられてきたからな、俺も冷静に分析して現状を把握することが出来る。

さて、ここからは今後の方針と打開策の相談だ

その前に……

「――――…おい姉さん!何枚皿割ってんだよ!!もう後でいいよ!!!」

「…ごめんなさい」

皿を割りまくってる姉さんが苦笑いしながら謝った


閑話休題


藍と対面する形で俺と姉さんがソファに座って話を進める。

どうでもいいけど娘の悪行を叱る両親の図だなこれ

「…ねぇ、なんでこんな大事なこと隠してたの?」

姉さんが当然の疑問を藍に投げる

しかし、俺はそれについては当たりをつけていた

さて、藍はどう答えるか…

「……言いたくない」

へぇ…姉さんに嘘をつかなかったことを素直に関心する。

けど姉さんはそれじゃあ納得しない

「言いたくないって…視えなくなるんだよ!?満足に生活できなくなるってことなんだよ!?分かってるの?」

当然の主張。しかしそれは誰が考えても分かる事

ということは何か考えがあって隠していたはずだから、そこを聞き出そう

「…それも大切だが、今は過ぎたことよりこれからどうするかだ。…藍、何か考えがあるんだろ?」

コクリと頷いて藍が今後の考えを話す。

「…来週の『ヒエロニムス絵画展』で優秀賞以上の成績を残して、ウフィツィ美術館で展示してもらう。そこで名前を売って、絵を売り続て、稼いだ金で治療する」

ヒエロニムス絵画展…昔姉さんが賞を取っていた気がするな

日本展…つまり国内大会で一定以上の賞を取れば世界大会への参加権を得れるってわけか。

世界に広がれば裕福な画家や富豪に見てもらえる機会がある。

それを利用するというのが藍の案か

…具体的な案だとは思うが、信憑性については専門家の意見が必要だ。

俺は絵画の界隈には疎いからな

「姉さん、この案はどうだ?」

「…………間違ったやり方ではないと思う」

芸術に関しては海外でも名が知れてる姉さんに聞いた方が早い。

その姉さんが間違ったやり方ではないという

つまり正しくもないってことだ。

「というと?」

補足を促す

「…どれぐらいお金が必要かは分からないけど、そんなのあたしが…あたしで足りなければおじさん達に言えばすぐ用意出来るんじゃない?」

ごもっともな話だ。

今でこそ姉さんは絵を売ってないが、目利きはあるので転売や仲介人など、その筋の儲け口が沢山あるのは容易に想像出来る。

それでも足りないなら市長を務めてる姉さんの叔父に頼めば何とかなるだろう

だから姉さんたちに頼ればすぐに検査と治療が可能になるのは確かだ。

藍もそれは知っているし当然選択肢としてあったはずだ。

それをしない理由を説明しないと、この話は終わらんな

「………」

沈黙

「あたしが考えるに、治療するにも検査するにも遅かれ早かれの問題だと思う。藍ちゃんの技量なら海外でも通用するだろうから、結果お金は手に入る。だったらさ、助けてもらうのが嫌なら先にあたし達からお金を"借り"て、先に目を治した方が建設的じゃない?悪化してるなら尚更治療は早くしたほうが良いでしょ?」

『助け』という行為が嫌いな藍の気持ちを汲み取った姉さんの正論を、この上ないド正論を藍に提示した。

実際俺も同じように考えていた。なんせその方が本人も周りも安全で安心出来る手段だからだ

しかし、そんなことは本人が一番理解しているんじゃないか?

昨日今日事情を聴いた俺や姉さんが考え着いたんだ。

藍が考え着かないわけがない

「それをしたくない理由は、なに?」

優しく諭すも、返答は逃がさないと姉さんが目で訴える

その質問から十数秒くらい経過して、藍がようやく口を開くと同時に携帯を取り出した

「……………理絵はさ、この絵とこの絵。どっちが印象深いと思う?」

携帯に表示された二つの絵。

片方は最近俺も見たペガサスの絵

もう一方は…見覚えがあるが思い出せないな

結構昔に描いた奴だとは思うが…

「……パッと見の先入観無しで言うなら、こっちのキツネだね」

…ペガサスだっていうツッコミはこの際すまい

てかあの絵見せてなかったのか…じゃあこいつはうちで何描いてるんだ?

学校でも別の描いてるって言ってたし…あちこちで色んなモン描いてるなコイツ

「今、理絵が良いと言った絵はつい最近描いたモノ。こっちは2年前に描いたモノなの」

ああ、やっぱり…まあ年月が経っていれば努力した分成長するのは当たり前だが…

そんな当たり前の話を今出してくるとは考えにくい

となると…

「―――話の流れからして、練習したから上手くなったって話じゃなさそうだな」

「…正解。私自身実感してるんだ。色が視えなくなってきて、目が視えなくなってきてるのにさ……昔に比べて遥かにインスピレーションが湧いてくるの」

まるで神様が舞い降りてきたかのように喜々として話を続ける

「画家としてこの期を逃す手はない!今なら…ううん、この先の私ならさらに絵に磨きが掛かるはずだ!」

その目は欲に溺れているように感じた

姉さんをチラ見すると…呆気に取られてる

そりゃそうだ。正直、普通に考えれば狂気の沙汰。

手軽に治す手段があるのに、利子も付かずに金が借りれるのに、それをしない。

なんせ今が絶好調だから。より良い絵が描けるから。治さない。

いや…最終的には治すつもりだけど、画家としての思いがそれを先延ばしにしているんだ

だったら、その覚悟があるのか確かめる必要がある


「―――それは、そのやり方を全うするなら当然リスクは承知の上か?」

「…ええ」

「一生色が視えなくなっても?」

「そうだよ」

「目が視えなくなっても?」

「勿論」

「後になって泣き言ほざいても誰も聞く耳持たないぞ」

「構わない」

「それでも―――お前は絵に自分の全部を投げてでも絵を描くんだな?」

「そのつもり」


――そっか…それが、お前の決意なら…俺はそれを尊重しよう

そこまでの覚悟があるなら、俺はお前のサポートを引き続き努めよう

お前が死なないように…


「…何勝手に話進めてるの?そんなのありえない。お願いだからこれ以上自虐するのは止めてよ!」

しかし姉さんはそれを許さない

「もし目が視えなくなったことをよく考えた?みんなが心配する!みんなが気に掛ける!貴女が思ってる以上にあたし達は貴女のこと大切に思ってる!自分本位も良いけど、ちゃんと周りのことも考えて!!」

当たり前の主張だ。自分勝手に生きた奴ほど最終的に一人になる。

そうなれば生きることを辞めて、好き勝手に周りに迷惑かけて死ぬだけ

それは最悪の結末。その様を俺たちは戦似一年でよく見てきた光景

だから姉さんは許さない。それは当然の帰結である。

けれど…

「―――…姉さんは、もし同じ立場になったらどうする?」

「…え?」

俺からの質問が意外だったのか、驚愕している

それでも俺は問いかける

「画家として、さらに磨ける機会が見つかったらどうする?目が視えなくなっても、自分が納得のいく最高の絵が出来上がる可能性があるならどうする?」

「それは…」

姉さんは言い淀む。

そりゃ迷うよな。欲と打算。どっちを取るのかはその人の矜持でしか判断できない

だから決めれるのは本人だけだ。周りが勝手にどうこうしたところで本人が納得するはずないのだから。

ならやるべきは説得ではなく、本人の立場になって考えてどうするべきかを考慮すること

「俺も、もし同じ立場なら挑戦してみたいって思う。じゃないと死ぬ時後悔しそうだ。折角生きてるのに、最後に後悔するとか生かしてくれたみんなに失礼だろ」

「…………」

沈黙、それが姉さんの今の答えか

ならそこに付け入れるしかこの場を収めることは出来ないな

「…藍、俺はこれからもお前のサポートするよ。やりたいようにやればいいと思う」

「…助かる」

「姉さん、今は納得しなくていい。時間がないように見えるけど、本人の覚悟が本物なのは確認とれちまったんだ。だったらもうそれ込みでこれからじっくり話し合っていこう。逃げるわけじゃねえだから」

「……分かった」

お互いの主張とも理解出来てしまった以上、俺はどちらにも加担するしかなくなった

だからこの辺で話を終わらせておく。

これ以上の問答は論点がズレかねないからな



―――2012年9月16日金曜日 夜


藍の症状が発覚してもうすぐ1週間経つ

この一週間、三者三様動いていたが客観的には特別なことは無い

藍の意志は変わらず、水曜からの試験は適当に乗り切りつつ、納得のいく絵を描ききったらしい

完成した絵は見せてもらっていない。本人曰く「今の全力出せた」ということだ。なら外野が気にすることは無いだろう。結果は3週間から1か月後らしいのでその時を楽しみしておこう。

姉さんは結局ぐだぐだ言っていたが黙認した。

その為藍の視界については俺と姉さん、それから病院関係者しか知らないことになる。

心底心配していたが、藍の意地に心が折れて今は「もしも」が起きた時の対処方法を念入りに考えている様子だ。

俺個人に関しては藍のことは気にする程度に抑えて、仕事しつつ中間試験を無事に乗り切りった。

事前に藍と新橋達からのノートを見せてもらって助かったぁ…科学の範囲が今回狭かったらしく、授業のみで出た応用問題の配点が高かったから、俺個人の実力だと平均付近を彷徨うことになっていただろう

危ねえ危ねえ、学校行かない癖に平均以下とか馬鹿にされかねないからな。

さて、何故平均以下ではないことが分かるのかというと夕飯後に絶賛自己採点中である。

「そっちはどうだ?」

「……ふぅ、おかげでなんとか平均点超えれそう。あー疲れたぁ」

藍と共にテーブル向かい合わせで

なぜこんなことしているかというとなるべく簡単に説明しよう。

試験後の午後は窮屈な時間が終わった開放感に任せて、春日井が趣味でバイトしているアウトドア店で物色しつつ気に入った品々を購入してストレス発散。

その後は帰路を辿る最中に、姉さんは今日会食があることを思い出したので、途中生鮮市場に寄りブランド牛のモモステーキ180g(2480円+税)×2を購入して家に帰る。

姉さんは肉が得意じゃないので、肉メインの料理はこういう時チャンスだったりする。

家の帰り調理中に藍が『肉食わせろ』とメッセージが来たと同時に我が家にきやがった。(どんな嗅覚してんだよ…)

2切れ買ってきていたので1切れ食わせるのはやぶさかではないが、テストの自己採点をしろと交換条件だし、今に至る。

「見せてみ」

無言で自己採点した問題用紙を受け取り確認する。

………五教科の合計370点前後ってところか

学力主義である高校の為1教科あたりの平均は70点以上、赤点は平均の2/3以下

まあそれでも点数悪い連中はちらほら居るが、個人で実績ある奴らは酷すぎても何度か補習受けた上でワンチャン貰えるらしい

似た問題が出るらしいのでそこに掛けてる人もいるとか

「取りあえず問題なさそうだな。肉食わせた甲斐があったわ」

「獣みたいに言うな」

「獣のような嗅覚してるだろうが」

なんで肉買ったこと分かったんだよ、そこがこええんだよ

「いつも理絵に気をつかって肉メイン作らないことくらい知ってるよ。それで隠れて食べてることも」

「………」

えっバレてる、何で?隠してたつもりなのに

「何でって顔してるけど、昔一緒にトレーニングしてたんだから分かるに決まってるじゃん」

「あー…」

かつて先生から『若いうちに身体作っとけ』とアドバイスをもらったことを切っ掛けに、藍と一緒に身体作りについて調べて実践したことがある。

その基本として食生活について調べたところ、肉を作るのはいつだって肉だった

だから鍛える上で肉は必需品。それは俺も藍も経験として身についている

しかし姉さんは肉が不得手。そして藍は割と頻繁にうちで飯を食べるため食生活を知っている。

この三つの情報を元に考えれば俺がどこかで肉食べてることは容易に想像出来たってことか、畜生…。

「決めては高級洋食店で6000円ぐらいする肉を食べたレシートがソファに落ちていたことだけど」

「え!」

「気をつけなよ?今は理絵にもバレてないと思うけど、そんなマヌケしてるといずれバレる」

したり顔で俺に諭してくる。

反論したいがこれは俺が素直にマヌケだ。返す言葉もない。

「主夫も大変だね」

「嘲笑うな、好きでやってることだ」


「―――本当に?」


「…え?」

俺の返答に異を唱えた。特別考えもせず答えたためその質問にテンポ遅れて驚く

「本当に、好きでやってるの?」

「そりゃあ…好きじゃなきゃやってねえよ」

「何が好きなの?」

「何がって…」

何が…何がってそりゃ…

「学校行かず、家で仕事する修司は…何が好きでここにいるの?」

「………」

藍の眼は、俺を真っすぐ捉えている。

まるで捕食者だ、俺はそれから逃れられない。

弱者が強者と対峙した時、目線をずらせばスキが生まれ食われるように

この視線から目を逸らせられない


「料理が好きだから?掃除が好きだから?買い物が?釣りが?仕事が?」


核心に…着々と…近づいてくる。

外枠を詰めて、内側を浮き彫りにしてくる


「違うよね…分かるよ。私にはわかる。今の全部好きだからやってるわけじゃない。"必要"だからやってるだけ、だよね?」


だったら…「だったら…理絵を愛しているから?」


それも…「それも違うよね。なんせ修司は――――――」



―――ピンポーン……ピンポーン……

唐突に家のチャイムが鳴り響いた。

そこで我に返り、視線を掛け時計に移すと既に21時を回っている。

「……だ、誰だこんな時間に」

ソファから立ち上がりそそくさと玄関へ向かう。

"アレ"はダメだ。考えを誘導されているような感覚になる。

心を覗かれているような…何とも言えない気持ち悪さ

ばあさまが問い詰める時やってくる手法だ。あいついつの間に会得してたんだよ…

冷や汗をかきつつも冷静さを取り戻し、玄関を開ける

するとそこには―――


「こ~~~~んば~~~んわ~~~っ!!」


酒に溺れたスーツ姿の姉さんが現れた

「うっわ……」

思わず放心

あぶねえあぶねえ、また冷静さを失うところだった

酒弱いくせに飲み過ぎんなよ…面倒くせえ

「えっと、美明さんの家はここでよろしいでしょうか?」

よく見ると姉さんはスーツを着た大人しそうな男性に肩を貸して貰っていた

どうやら泥酔した姉さんを連れてきた様子だ

「そっっっだよね~~~~っ!しゅーじー!」

「しゅーじ………もしかして、千秋さんですか?」

「そうですが……って笹月さん!?」

この間の依頼主である新郎とまさか泥酔した女を挟んで再開するとは…

なんだこれ…意味分からん…

「ああやっぱり。あの時と雰囲気違うから気づきませんでした」

笹月さんが申し訳なさそうに話すが、別に謝ることじゃない

実際雰囲気は違うだろう、さっき問い詰められて気が滅入っているからな

「じゃあえっと…どこまで運べば良いかな?」

「ああ大丈夫ですよ。そのまま――」

話の途中で姉さんが笹月さんから離れ一人でふらふらと家に上がろうとする

――あっ絶対暴れる

かつての惨状を瞬時に思い出す。

泥酔した姉さんが一人で帰ってきた時の廊下の凄惨な様を

バッグの中身が散乱し、あちらこちらに嘔吐し、お土産品であろうモノは踏まれてぶちまけられていた

あれだけは絶対にさせまい―――

その思いが身体を即座に反応させた

家に上がろうとする姉さんの両肩を掴み静止させる

すかさず身体を回れ右させながらしゃがみ、背中に姉さんが倒れこみ、背負える形にした

「あっぶねぇ…あっ笹月さん、時間あるようでしたらどうぞ上がってください。お茶程度ですがおもてなしさせていただきます」

「そう…ですね、お言葉に甘えて少し休憩させて頂くよ」

見るからに疲れている様子だ。それは恐らく会食での疲れではないことは確かだと予想がついた



リビングに笹月さんを案内した後、姉さんを自室のベッドに寝かせ、藍に着替えを任せてその場を後にする。

冷蔵庫にあるアイスティーを持って笹月さんをもてなす

「わざわざありがとう、いやあビックリしたよーまさか千秋さんがあの美明さんの彼氏とは」

「…え?いやいや違いますよ」

「そうなのかい?苗字が違うからてっきり」

まあ苗字違うのに一緒に住んでいるんだから、そう思われても仕方ないか

とはいえ詳細を話すのも面倒だな…適当に誤魔化すか

「関係を言えば姉弟のような感じですね、遠い親戚なので。なので普段は姉さんと呼んでます。それより笹月さんと姉さんが接点持っていたことが不思議ですよ」

「ああ、それなら簡単だよ。僕の仕事は画商でね、4年ぐらい前に美明さんの絵も売買したことあるからお互い顔見知りなんだ」

なるほど、前から知人だったからここまで運んでくれたのか

加えて新婚の既婚者だ。送り狼なる可能性が一番低かったという点での気配りもありがたい

「実は僕の名前が売れたのは美明さんのおかげだったりするんだ。当時は目利きなかった僕がここまでこれたのは美明さんあってこそだ。……色々無理難題はあったけど」

芸術家ってのは周りに迷惑かけないと気が済まないのか?

「姉さんが迷惑かけたようですみません」

「いやいや!君に姉さんは立派だよ!自信を持っていい!…たまーに飲み過ぎでハメ外すことあるけど」

フォローしているようでフォローしきれてないなぁおい

「それで迷惑かけてたら元も子もないですよ…」

「まあ今回はちょっとヤケ酒のように感じたかな。今は画家ではなく副担任なんだろう?その辺でストレス抱えていたかもしれないね」

……きっと藍の件だな

心配と不安がアルコールで一気に爆発したんだろ、きっと

「――修司、着替えやっといたからあとよろしく。私はこの辺で帰るよ」

姉さんの部屋から藍が出てきて状況を報告してくれた

「このまま面倒見てもらえるとより助かるんだが…」

「絵描きたいから嫌」

簡潔で分かりやすい理由で何よりです、はい

「おや、君も絵を描くのかい?」

どうやら画商である笹月さんの興味に惹かれたようだ

「……はい、美明先生に教えて貰いながら絵を描いてます。あの…」

怪しくも丁寧に言葉を選んで藍が笹月さんに質問しようとする

「ああごめん、僕は笹月と言って画商をしているんだ。美明さんとは画家時代からの知り合いで、今もこうして時々会う機会があるんだよ」

そう言いながら名刺を取り出し藍に渡す

どこでも営業魂を忘れない…立派な人だ

「これも何かの縁だ。見たところ学生だから将来はまだ分からないだろうけど、画家として食べてくなら色々アドバイスできる。困ったことがあったら気軽に電話下さい」

「は、はぁ…」

ちょっと動揺しているな、念のためフォローしておくか

「笹月さん、学生相手に営業しないでくださいよ。奥さんに叱られますよ?」

「…修司とも知り合いなの?」

「ああ、前に筆耕を依頼してきた人だよ。ついこの間結婚したばかりで幸せに満ちた新郎さんだ。別に取って食う人じゃない」

「そう、なんだ…あっご結婚おめでとうございます」

動揺しつつも賛辞を送れるあたり、礼儀正しさが身についている様子だ。

コイツが他人と話しているところをあまり見たことないから少しだけ新鮮である

「ありがとう。…っともう夜遅いのに呼び止めて申し訳ない」

「いえいえ、何かあったら連絡します。それでは」

笹月さんに会釈して藍はこの家を後にした。

「礼儀正しい子ですね、なんとなく美明さんに似ています」

「酒が弱いところは姉さんに似てほしくないところですよ」

「…そういえば、千秋さんは将来何になりたいとかありますか?」

「将来?」

将来…将来か…特別考えたことない

目先のことで手一杯…というのは言い訳だろうか

というか将来というのはどのぐらいの年齢のことを指す?

節目である20歳?若者を脱却する30歳?おっさんと呼ばれる40歳?

いや…多分それら全てなんだろう

聞かれなければ想像もしたことなかった。未来のビジョンなんて不確かなこと

「やっぱり筆耕を続けていく感じかな?」

それも一つだろう、俺の技術を生かし続けるならそれが一番手っ取り早く確実性を帯びている

しかし…何か違う気がする…。

何だ、この違和感は…。不安?恐怖?動揺?

俺は将来何になる?…いやそもそも何かになるのか?

だって俺は…

「……まだ、分かりません」


今はそう答えるしか出来なかった

…いつか明確な答えが出てくるのだろうか

未来の自分を浮かべることが出来るのだろうか

もし…もしその時が来たら…俺は俺であるのだろうか

……ああ、そうか。俺は"それ"が怖いんだ

今の自分が無くなることが、日常が、価値観が変わってしまうことが

もし…もしその時が来たら俺は…その時俺は…


――――生きていると言えるのか?



―――2012年9月20日火曜日


「――――…ぁき……ちあ…さ……千秋さーん??」

「…ッ!」

「らしくなくボーっとしてどしたの?」

隣から声を掛けられ我に返る。

そうだ、今は学校で試験結果の返却していて…

「もうお昼だけど、だいじょぶ?なんか授業中も心ここにあらずだったけど」

俺の午前中の状態を押してくれたのは、隣の席にいる"沙川"だった

「大丈夫大丈夫。別に風邪じゃねえから安心しろって」

「あーそこは気にしてない。私風邪引いたことないから!」

なるほど、バカは風邪をひかないってやつか。

それを体現してる奴がいるとは驚きだ

「今失礼なこと考えた?」

バカはバカでも運動バカだから勘の鋭さは一級品だった

「それより進路希望調査と三者面談の日程、今日までってHRで言ってたの覚えてる?」

「……いや全然。そっか、もうそういう時期なのか」

「そうそう!あっお昼予定無いならたまには一緒に食べようよ。ちょっとそれについて相談したいことあるし」

「それは構わないけど、何か悩んでるのか?」

話をしながら鞄から昼食を取り出し広げる。

因みにいつもコンビニ弁当である。なんせいつも学校行くわけじゃないから弁当箱など買っていない。

姉さんも昼はそんなに食べる人間じゃないのでわざわざ弁当は作らない。

藍は作っていってるみたいだが

「そうなんだよねー。部活じゃ成績残してるから有名な体育大でも行こうかと思うんだけどさ」

沙川の弁当は可愛らしくない大きい2段重ねの弁当箱だった。

流石アスリート志望。食事は欠かさないな

「勉学が足りてないって話か?」

「その辺はまあ…ギリギリらしいんだよね…でもこのまま維持すれば卒業できるって話なんだ。この学校だし推薦志望だから入学まではいけると思う訳ですよ」

「勉学でもなく、内申点でもないなら…何に迷ってるんだ?」

「モチロンその先のことー」

………ッ!

「体育大出たとして、その後何になるかなのよねぇ」

「……陸上やってるんだから、そのまま陸上競技極めるってわけじゃねーのか?」

「元々色んなことが出来るからやってたのよ。サッカーとかテニスとかさ、ずっとやったら鍛える筋肉偏りそうじゃない?それが嫌だから色々出来る陸上始めたの」

「はぁん、聞く限り満遍なく身体動かしたい感じか」

「そそ、んで問題はさっきも言った通りその先でさ。もし陸上やり続けるならどれか一つに絞らなきゃなんだけど…」

「それが嫌と」

「だってつまらないじゃーん!折角ここまで色々鍛えたのに一つに絞るなんてー!」

そう言いながら沙川は箸をおいてダブルバイセップスをし始めた。

…ポーズ決めてるけど端から見ればそんなにムキムキマッチョマンには視えないな

まあ華の女子高生が力入れたら服破れるなんて目の当りにしたら戦慄するわ

「というわけで!普段学校に来てない分将来のこと考えてそうな千秋さんにご相談というわけ!ここまで聞いてどう思う?」

「そう…だな…」

正直、なんて答えればいいんだろうか…

俺自身考え着かないからアドバイス出来るような立場じゃない

それは自覚している…自覚しているが…

ここで何も答えないってのも失望させかねない

分かっている、仮にまともに答えられなくても沙川は別に気にしないだろう。

それでも俺なりにちゃんと考えてやったことを答えてやりたい。

こいつにはそうしてやりたい純粋さがある。

せめて選択肢の一つとして、参考になる程度の答えを

それを考えるうえで必要な情報は…

俺は食べていた食事をさっと済ませ箸を置き沙川を見ながら質問する

「沙川は身体を動かせる仕事に就きたいのか?」

「そうだねー、競技のプロにはなりたくないかな。飽き性だから。でもスポーツから離れるのも嫌なのよぉ」

「……なら、公務員っていう手もあるんじゃないか?」

「公務員?…えっなんで?デスクワークとか性に合わないよ…?」

公務員にどんな印象持っているんだ。

「別に事務仕事オンリーってわけじゃないだろ。例えば消防士や自衛隊、警察はオススメしないが、この辺は身体作り基本でトレーニングが仕事な部分あるだろ?」

「あー…確かに華奢な人には務まらなさそう。…でも女子率低くない?なんか怖いんだよねぇそういうの…」

そりゃそうか。周りむさくるしい男しかいないのは色んな意味で居心地が悪いだろう

「そうなると………」

他になにがあるか…

スポーツが出来て、男女比気にしない、それでいて飯を食っていける職業………

「…………教師」

「えっ?」

「ああいや、体育科の教師ってのもあるなーって」

時代が時代の為、教師になるためのハードルは下がっているとか

具体的に何が下がったのかは聞いてみなきゃわからんが…

「体育教師……」

「教員である以上勉強が必要だし、免許も必要だから道のりは単純じゃないだろうけど、一応沙川の要望にあった将来の――――」

「体育教師!いいねぇそれ!!」

食い気味で反応してきた。思わぬ好感触だ

「いやさーアスリートってぶっちゃけ選手寿命ってのがあってどうしてもずっとは出来ないのよ!そこがどうしても気にかかっててねー。大体はコーチやインストラクター転職するみたいだけど、それなら最初から教える立場を目指すってのもありだね!」

「…気になるなら教師になるまでのプロセスを今度教えようか?身近にここ数年で教師になった知り合い居るから」

「ぜひぜひ頂戴!いやー盲点だった!そっかぁ教師かー、どうせ体育大行くし、もしかしたら色々好都合かも!」

そういうと沙川は弁当を一気に食した

表情や雰囲気から察することが出来るくらいスッキリした様子だ

「…参考になったようで何よりだよ」

「うん!おかげで色々視えてきたよ!…あぁ安心して。ちゃんと選択肢の一つとして考えておくから。千秋さんに背負わす気は一切ないよ。だって私の人生だもん、私が責任もって決めなきゃね。誰かを言い訳にはしないよー」


「――――っ」

――――…そっか…そうなんだな。それで良いんだな


「ふーごちそうさま!そうだ、私ばっかり話しちゃったけど、千秋さんは将来何になりたいか決まってるの?」

その質問に、俺は今出せる俺なりの答えを出した

「…実はまだ決めてねえんだ。でも、まあ…沙川を見習ってちゃんと動いてみるよ」

「……?見習う?……あぁ!つまり筋トレだね!でも千秋さんはちゃんと鍛えてるみたいだから、ここはよりムキムキになってみようよ!そすれば夏モテるよー??」

「それはお前の性癖だろ?」

沙川の付き物が落ちてスッキリしたように、俺も妙に気が楽になった感じがした。

まだ考えがふわふわとしているけど、それでも手ごたえがあった

まさか沙川から教えてもらうことになるとはな…

やっぱり、人脈は大切だ。人は一人じゃ生きていけない。

だけど、だからって他人を言い訳にもしちゃいけないんだな

「……お前、結構凄いんだな」

「モッチロン!しっかり鍛えてるからね!」

「だからって制服でアブドミナルアンドサイするな…」

少しは羞恥心持ってくれ…。発情期の男子の視線に気づけって



(…進路希望調査と三者面談か)

放課後、一人図書室を利用してテーブルに広げた二つの用紙に面と向かう

担任には放課後出すことを伝えてあるのでリミットは近い。

取りあえず、三者面談からだな。

……気が進まないけど、あの人に連絡してみるか

身元引受人にして勉強や運動の面倒を見てくれた俺の二人目の先生

日時は来週の水木金の放課後、と再来週の木金。そのことを乗せたメールを送ると…

「うおっ…」

まさか秒で返信してくるとは思わなかった

中身を見てみると……『すまない、この間右足骨折して動けない』とのこと

……………

「……えっ!?」

骨折したって…マジかよ…一体何したんだあの人…

ま、まあしゃーない。そんな状態で出向いてもらう訳にもいかないしな

となると残るは…姉さんしかいないな

一応予定どうなってるか聞いてみよう。直接出向く…のはなんか嫌だな

この時間どこにいるかわからんし、同じようにメールしてみる

その間にもう一つの問題。進路希望調査についてだな

昼間に沙川と話した時より考えはまだ変わってない。

つまり、まだ分からない。

だから何があっても良いように無難に進学としておこう

次はどこにって話になるが……まあ正直どこでも良いんだよな

ということで第三希望まで空欄がある進路希望調査には全て進学と記入。

その辺詳しく三者面談の時に聞けばいいだろう

そうこうしていると姉さんから返信が来て

『オーケー!再来週の金曜の最後らへんにしよっか!そのまま帰れるようにしとくから!!』

金曜の最後ね、了解っと返信

そのまま三者面談表に記入して、図書室を後にすると…

「…あれ?こんな時間までいるなんて珍しい」

丁度図書室前を歩いていた藍と遭遇

「これを書いてたんだよ。お前こそ今部活中じゃねえのか?」

二枚の書類をぺらぺらと見せつけると、なるほどと頷き

「同じよ、こっちもこれ」

俺と同様二枚の書類をぺらぺらと見せつけてきた

お互いやっていたことは一緒だった模様

となると目的地は一緒なので職員室に向かう

「お前はやっぱり美大か?絵で食ってくなら」

「そのつもり。教わることはないだろうけど、一応学歴として起こしておきたいし」

大した自身だ。流石は姉さんに教わってるだけある

「修司は決めれたの?」

言い方に少し違和感を感じたが、俺は自信を持って見せつける

「……具体性のない進路ね」

「それを相談するのが三者面談だろ」

まあねと相槌をして藍は階段を下りる

「――――あっ」

階段を下りている最中に藍はピタっと止まった

左手に強く力を入れて手すりに捕まった状態で

誰か来たのかと辺りを見渡したが人ひとり居ない

となると幽霊でもみたのか、もしくは…

俺は藍の右手を手に取り、当然の疑問を尋ねる

「――お前、今視えてないだろ」

「……大丈夫、もう少し…もう少し経てば視えるから…」

そこから数十秒、何度か勢いつけて瞬きをし続けた藍と突然に視線が合った

「こういうの、頻度としてどの程度なんだ?」

「…最近は2日に一回かな。もう色が視えない日でも関係ないみたい。視えなくなるのは割と唐突に来る」

――――危険だ

「大抵は少し経ったら視えるようになるの。だから今みたいに黙って動かずに待ってれば平気よ」

平気なわけがない。だけどここで否定したところでこいつは治療を受けないだろう

まだ絵画展の結果が来ていないし、その後売りに出す絵も描き続けなきゃいけないのだから

だったら、俺の出来ることはただ一つだ

こいつを納得させつつ早急に目を治させること

つまり、一番難しくややこしい方法を取るしかないということ

そんな方法…本当にあるのか…?



―――2012年9月24日木曜日 夕方


作業場のプレハブでお得意様である漫画家からの依頼で筆耕していると、唐突に携帯が鳴り響いた

手に取り画面を見てみると、藍から電話が掛かってきていた

「もしもし?」

左肩を使って携帯を支えながら電話に出た。

その間に両手である程度場を片しておく

わざわざ電話かけてきたってことは急な用事かもしれないからな

『いま家?』

「あぁ仕事してるが」

『だったらこの後うちに来て。見せたい絵がある』

「わかった。もうすぐ終わるから、その後また連絡するよ」

『そう?じゃあそれで』

適当に相槌をして電話を切る

さて……聞いてみた感じすぐにでも絵を見せたい様子

思い返せばこんなこと一度もなかった。大抵は唐突に家に持ってくるか、待ち伏せしてくるかだったからな

それをわざわざ電話してくる…

「………考えすぎか」

最近色々周りで起きてるからつい深読みしてしまう

たまにはルーティンから外れることもあるだろう

外れるほどの衝動があったのだろう

となればそれは感情論だ。そんなもの今考えたって仕方ない

早めに藍の家に行くとしよう



作業場を片付け、藍に行くことを一報入れて家を後にする

徒歩10分。マンションまで来たところ既に藍が外のガードレールに腰を下ろしていた

前髪は作業する時邪魔らしくいつも分けていて、後ろは女らしくありたい理由から腰まで長いまま

そう…いつもの藍の姿だ。しかし…手には何も持っていない

「あれ、絵は?」

「……こっち」

何とも言えない表情を浮かべた藍はマンションの中に入っていく

ということはつまり…部屋に入れるってことか?

「…いいのか?」

念のため確認を取る。これも今まで一度もなかった現象だ。

姉さんは知っているようだが、俺はこいつの部屋を知らない。

それだけに用心深くなる。俺は一体何をさせられるんだ?

「…仕方ないよ、じゃないと絵見せられないし」

どうやら打算的行動だったららしい。ふぅー怖、帰る時記憶失くしていけなんて言わないだろうな…

多少の恐怖はあったが見てみたいという好奇心も無きにしも非ずの為、藍の言うこときいてついていく

自動ドアに入り、共用玄関の鍵を開けてそのままエレベーターに入る。

どうやら本当にここに住んでいたみたいだ。実は別の家に住んでいましたーってオチではなさそう

エレベーターは5階で止まり、廊下を歩く

「ここ何階建てだ?」

「8階建て。立地も良い分お金掛かってるから、アホな住民は居ないよ」

それはそれは快適そうでなによりだ

「その金は誰から?」

統也(とうや)おじさん。女の子一人で暮らすならセキリュティは万全なところにしろって」

「あー…」

すんなり納得した。そういえば随分と藍を可愛がってたな…。トレーニングする時も端から見て藍だけは加減していたような…

まるでわが子のように。そんな子が一人暮らしするってなると心配になるよな

そうこうしているうちに藍が立ち止まる。510号室…どうやらこの部屋らしい

カギを開け藍が先に入り靴を脱ぐと無言で俺を招き入れる。

「…お邪魔します」

一応の礼儀を通して中へ入ると、藍はそそくさと先行して奥へと消えていった

靴を脱いで廊下の突き当りの扉を開けると……

「………」

間取り的にはリビングと呼べばいいんだろう

リビング…なはずだ。なのに俺の視界には立てかけられた画版やキャンバスが壁側面びっしりと埋まっていた

わざわざメタルラックを使って二段重ねで

これいずれ底抜けるんじゃないか…?

申し訳程度にクローゼットと棚が1つずつある。これに最低限の生活感を感じて少しだけホッとする

部屋の真ん中にテーブル一つ。恐らくそこでいつも食事をしているのだろう

チラっと台所を覗いてみるとそこには絵画の道具はなかったため、一応節度は持っているらしい

「こっち」

リビング(?)に入って左奥の部屋を藍は開けて入っていく

招かれた部屋に顔を覗かせると…

「これは……」

リビング側である西側以外の壁三面に、大人一人分の大きいキャンバスが設置されていた

その絵は丁寧に布で覆われて保全されているが、額縁には入れてないあたり途中か、出来上がって間もない様子。

絵に向かってイスは置いてあるが、その周りは道具や失敗したであろう絵の残滓で覆われている。

この様子からして長年に渡り描いてきたことを物語っているようにも感じる

「私が描きたかった2枚が完成したの。まずはこれ」

そういいながら藍は向かって正面の布を取り外す

露わになったその絵は――――

「――――……っ」

思わず息を飲む。いつも見てきた絵は両手で持てる程度の大きさ。

その中でも十分な世界観を物語っていた多種多様な絵が、眼前にはとてつもなく大きく描かれていた

(頭がぶっ壊れそうだ――――)

真っ先に思ったのがそれだ、自分の見ている世界が壊れるような危機感を感じた

しかし、目が離せない…瞬きが出来ない。

魅力的…というよりこの世界に引き込まれる感覚に陥る

パッと見のイメージとして左半分が暗く、右半分は左に相反して明るい

現実ではありえない色合いからいつもの幻想絵画に見えるが…

これは……見覚えがある。うっすらと、既視感がある…。

…海……ビル……山………風景…つまり……

「――――町」

絵画を『町』と認識した瞬間、全てが浮かび上がる

何十色と使われたソレが、形を成す

「裏山の…阿津冠公園からみた町の風景…か?」

「……せい、かい」

俺の回答に藍は驚愕を隠しきれなかった

俺自身もだ、まさか当たるとは思わなかった。

今まで一度も当たったことないのに

「そっか…わかるんだ、この絵」

「似てたからな。というか、お前が幻想絵画以外を描いたの初めて見たんぞ」

「だからこそだよ。今まで見てもらったのはこの時の為。『私が描くのは幻想絵画のみ』と先入観持たせる為なんだ」

「その上でこの絵を判別出来るかって試したのか…。なんというか、用意周到というか信用性ゼロというか…」

「これでも悪いと思ってるよ、利用したんだから。でも、私には必要だったんだ…これでようやくこの絵は『完成』した…ありがとう。」

どうやら満足のいく回答だったらしい

技術に関してはとやかく言えない以上、俺はこれ以上の感想を言わなかった。

それを察して藍はこの絵に布を被せた

「ふぅ……次はこれ」

気持ちを落ち着かせ、今度は右側の布を外す

それは――――これまでの藍とは全くと言っていいほど異色を放つ作品

多種多様ではない。例えるなら…"そのまま"

憧憬のような補正はしつつもそのままの風景を描かれている

『色』で形を作っていたこれまでの絵と違う。はっきりと線が浮かび上がっている。

そこから分かるのは――岬だ。

一本の大きな木が目立ち、背後の水平線上に日が沈みかけている岬に視える。

俺は…これに見覚えがある…

だってこれは…俺がよく行っていた場所だから

「……懐かしいな」

それほどまでに思い出深い場所故にそう言葉が漏れた

「そう思ってくれて正直安心したよ。私にとっても好きな場所だからね」

「でもよく描けたな。お前の今の眼じゃ描きにくいだろうと思ったが」

「だから途中から目を瞑って描いたの」

「……えぇ?」

嘘だろコイツ…もう自分自身が筆なんじゃないか?

「ずっと対面してきたからそう難しいことじゃないよ。ベートーベンが音が聞こえなくなっても音楽を作れたように、画家だって目で視なくたって絵は描ける」

描きなれた部屋、使い慣れた道具、キャンバスと面と向かってきた時間

全てが経験となって体の一部となっているんだろう

これは何でもできる天才でも無理だ。挑んできた努力だけが出来る所業

「……ただ仕上がった絵はいつも通りにしか視えないから、修司に見てもらいたかったの」

「なるほどな、そういう意味じゃ惚れ惚れする出来栄えだよ。知っている分、あの風景を絵としてよく表現出来てる」

正直今まで見てきた絵の中で一番好みだ。

思い出補正が強いのかもしれないが

「そっか…それなら一安心出来るかな」

この安堵具合…もしかしてこっちに引っ越してから3年間、この絵たちを完成させるために他の絵で練習してきたのか?

だとしたらその執念は凄まじい。とても真似できないレベルの拘りだ。

しかし…そうなると疑問は残る

「もう一枚はどうなんだ?」

残るは対面にある布に包まれた1枚のキャンバス。

描きたかった2枚と言ってた…だったらこれは何だ?

周りには同様に使いかけの道具や失敗したであろう絵の残骸が散らばっている。

いやむしろ残骸の量だけで言えばこの絵が一番多い

「その絵は…いいの。この二枚で、いい」

…割と珍しく目に見えて動揺してる

何かある…そう直感したがすぐに俺は行動に出た

「ちょっ!…まって!」

藍の静止を振り切り俺は隠してるもう一枚の絵を露わにした

そこには……

「――――――っ」

一目見て分かった。これは決して"絵ではない"

ただ色を塗りたくり、雑に筆を押し付けている…いわば幼稚園児のお絵かきレベルだ。

こんなものを…こんな大きいキャンバスを使って描く奴はいない

そしてこんなものを、藍が描くとは思えない

「…それはストレス発散用で用意してただけだから」

苦しい言い訳だ。絵が好きな奴ほど絵でストレス発散しない。

少なくても姉さんはストレス溜まっても絵に、画材にそれをぶつけたりせずタイピングゲームして発散してる。

…姉さんついでに思い出したことがある

「…画家って生き物は自身の感受性無しでは描けない。その感受性には偏りがあり、描く絵や道具に反映されることが多いらしいな」

これは姉さんから教わったことだ。

例えばクロード・モネのように連作として描き続けた"睡蓮シリーズ"

ヒエロニムス・ボスが『快楽の園』や『聖アントニウスの誘惑』を描くとき用いた"三連祭壇画"

思想、価値観、宗教、憧憬…描くものはその人の在り方と言っていいというほど必ず特色が出てくる。

描けば描くほどそれは第三者にも伝わる

今日俺は彼女の大作を2枚見たが…それはこれまでと全く異なる思想で描かれていた

故に何が共通しているかなんて今の時点では解るはずがない

けれど一つだけ言える

「………この絵には何を描こうとした?」

「だから、ストレス解消の――」

「あ?プロ舐めんな。筆が走った上で叩き付けてる。これはもう最初に何か描こうとしたことを物語ってんだよ」

雑に暴力を振るわれているように見えてところどころ優しくタッチされている

何かを描こうとした。けど描けなかった理由があるはず

そしてそれは、このタッチをよく見て一つの結論に至る

「……お前、筆がブレるだろ」

「――――ッ!?」

「俺相手に隠せると思ったのかよ。最後にお前から貰った絵のタッチと今のタッチが全然違う。それは成長とか進化とかじゃない。ブレッブレなんだよ、筆が」

完成した絵は常に色を何重にも重ねて仕上がっている。

だからじっくり見ても筆跡が分かりにくい。けれどかつての絵は未熟故に節々で筆跡が分かっていた

それと比較すれば、腕がどんな状態かなんて想像出来る。

「…姉さんは何も言わなかったのか?」

「これが味だと言い張ったよ。姉さんは今の私しか知らないし」

言い訳にキレがなくなってきたな。余裕が無いと見える

「つまり1年前から筆が…というより手がブレていると。そういうことか?」

「………」


色を失い、眼が視えなくなり、手がブレる…

この三つの症状に当てはまる事実を………俺は想像出来てしまった


「――ふざけんなよテメェ…」


……ああ、これは"怒り"だ

俺はキレている…現実に、事実に、理不尽に――


「色覚に異常がある?…違うッ!テメェの"ソレ"は脳の障害じゃねぇのかよッ!!」


知りたくもなかった事実を、感情に任せてぶちまけた――

視覚や色覚だけなら色々と対策を練れた…けどこと脳の異常となると話のレベルが違う。

所詮素人の考えだった。ちっぽけな学生がどうこう出来る話じゃない。

こんなの、俺如きではどうする事も出来ない…重さが全然違う

その事実に…何も出来ないと分かった自分に…俺は腹を立ててるんだ


「――違う」

怒りに任せた俺の言葉に藍は否定した

「否定したな?つーことは何か知ってる風な口ぶりだなぁオイ。…知ってんなら教えろ。もう隠し事は無しだ」

今度は逃がさないよう藍の右腕を掴み取る

「…脳の障害"も"が正しいんだよ」

自分を嘲笑うように藍はそう言った

「…私の眼球は、あの大災害で傷ついた」

諦めたのか、藍は力を抜き崩れ落ちる

「すぐに手術したよ…色覚はおかしくなったけど、眼自体はある程度治った…けど傷ついていたのは目だけじゃない!脳にもダメージがあったんだ…」

「…その事実はどこで知ったんだよ。まさか自分で調べましたって訳じゃないだろ」

「春日井病院だよ。あの犬の時に、隅から隅まで検査された時に分かったんだ…」

「病院はなんて言ったんだ?」

「………」

藍は口を閉ざす。しかしこの問答から逃がさないよう掴んでいる右腕の力を俺は決して緩めない

コイツが抱えている重荷を、俺は知らなければならない

………それから数十秒経過…待っている時間は、彼女が隠し続けている真実の重圧を体感させた

時間が長ければ長いほど、徐々に、徐々に恐怖を感じさせる

早く答えてほしい、けれど同時に答えてほしくもないと思ってしまうほどに


――――そして、重く閉ざした現実が暴かれる


「……私の色覚異常は眼だけじゃない……小さな"脳腫瘍"も原因の一つだった」


「――――――っ」

思わず息を飲む。知りたくない真実を、突きつけられる

逃げることも出来る、眼を背けること。

けど…それはしちゃいけない。視るしかない、聞くしかない。

現実は変わらないんだから…コイツの言葉を頭に焼き付けるしかないんだ


「眼球損傷の後遺症と、脳腫瘍による視神経の圧迫。これが私の視える色がごちゃ混ぜになっている原因じゃないかって話らしいよ。…でも話はここで終わらなかった」


最早身体に力が入らず、顔は床を見つめている

俺は掴んでいた右腕をなし崩しに放すと、腕には力を入れずそのまま床に叩き付けられた


――――加えて、もう一つの真実が露わになる


「………小さな脳腫瘍、がもう一つあったのよ。…それが、感覚神経を圧迫して力を入れた時、腕を痺れさせる原因になってるらしい」


「………」

…言葉が出てこない

何も、何一つ言えないほど混乱する

しかしそれとはお構いなしに彼女は話を続ける

最早何も隠す必要が無いと言わんばかりに、次々と…


「けど結局さ、春日井病院でも詳しくは分からないんだよ。隅から隅まで検査したっていっても…それはあくまでレイビース症の検査だ。専門の検査じゃない。レントゲンで脳腫瘍があることが分かったって、その後の話は正確性が無いんだよ」

だって、と悲痛の声で言葉を振り絞る

「だって…解る医師が居ないんだよ……詳しく調べれる機械が無いんだ…この町に、"日本"にッ!!」


現実の理不尽に声を上げる

その様は彼女なりの号哭に見えた

痛々しく、見るに堪えないのが正直な気持ち

だが逸らさない。俺は認識しなければならない、ずっと傍に居たくせに結局彼女を支えることが出来なかった戒めの為に


「私の身体を治すなら海外に行くしかない…っ!でも…もう間に合わないんだよ…。仮に絵が売れたとしても私は無名だ。そんな奴の絵に高額な値段が付くと思う?!付かないよ!普通は付かない…理絵が特別なだけだよ…」


姉さんは…美明理絵の絵は異常と呼ばれている。

何気ない絵に見えても、眼が離せない魅力を持つ

それは誰でもだ。老若男女、健常者異常者全ての人種が目を引く力がある。

故に"異常"。麻薬と称されていた時期もあったくらい美術界隈では有名だった。


「もし…もし理絵のと同じように売れたとしても、海外へと渡航費、治療費、入院費。…今の相場でいくらいると思う…?春日井病院にざっと見積もりしてもらったけど途方もない値段だったよっ!!あんな値段…借りれるわけないじゃない…っ!」


叫ぶ、叫び続ける。

今までため込んでいた全てを…彼女が抱えていた枷を


「だから…隠してたんだな」

「言ったら何が何でも、全部を犠牲にしてでも助けようする…。理絵はそういう人だ…そうなってしまった!そうしてしまった…っ!私が、弱かったから…っ」


俺は膝をつき、藍の顔を見る

そこには唇を噛みしめ、目に涙を浮かべた少女の姿があった


「私のせいで…私のせいであの人に重荷を背負わせた…!もう……もう"お姉ちゃん"に縋ることなんて、出来る訳ないじゃないっ!!!」


感情がむき出しになる――

今まで溜め込んでいた重圧が、心労が、全て曝け出す


「…それは違う、それだけは違う。姉さんがああなったのは俺たち全員が臆病だったからだ。お前のせいじゃない」

俺は否定する。お前せいじゃないと

あの事故は誰にも止められなかった。そして誰かが終わらせなきゃいけなかった…

それを姉さんより早く実行出来る人間が、あの時いなかっただけなんだ


「どんなに言葉を並べたって……お姉ちゃんにお母さんを殺させたのは事実じゃないっ!!!」


面と向かって俺に訴える。

今にも号泣しそうな顔で、俺に現実を突きつける


「そんなことをさせたのに…これ以上頼れっていうの?縋ってお金頂戴って言えっていうの?…無理よ、私には無理。だからあんな理由でお茶を濁すしかなかった……。お姉ちゃんに気づかれないために…問題を先延ばしにするしかなかったの……っ!」


狂気を演じたのはそれが理由だったのか

らしくない理由だとは感じていた

けれど…これは…


「ふふ…これで全部よ…私が隠してきたことは全部…教えたわ……。…ねぇどうだった?私は間違ってた?正しかった?……私はただ、絵を描き続けたいだけなのに……なんでこうも現実は邪魔してくるのよ……」


彼女は最早何も視ていなかった

ただ虚空に縋りつく。正解をくれる人に、答えてくれる誰かに

彼女は叫ぶ


「どうすればよかったの…何が正解だったの……っ!!教えてよ…おしえて…よ………だれ、か……おばあちゃん……お母さん…」


――――何か言わないといけないと思った

けどそんな責任感から出る言葉なんてたかがしれている

筆耕と同じだ。書くものに思いを乗せないと相手に伝わらないように、今この瞬間俺の気持ちを俺の言葉で伝えないと…彼女は受け入れない

だが俺は…今の俺は何も言葉が出なかった



「―――――しゅうじ…っ!!」



絵画に囲まれた部屋で、彼女は泣き叫んぶ

その様を見て俺は思う。俺の存在意義は何だったんだろうと

藍と理絵を生かす。それだけを叶え続けるために生きてるのに

藍は絶望した。現実に、生きることに、真っ暗な未来があると分かったから

それは最早生きていると言えるのか?…いいや言えない。

そんなの………死んでいるのと同義だ


   ドクンッと心臓が跳ね上がったのが全身に伝わる

        それが、覚悟の合図だった


―――……ふざけるな

―――……させない

―――……死んだままになんか、させない

―――……これ以上失ってまるか、死なせてたまるか!

―――……考えろ…俺の総てを賭して

―――……彼女が生きる意味を、生きていける理由を

―――……もうガキの頃とは違う!俺は生きてる!!

―――……だから絞りだせ…ッ!僅かでも構わない、彼女が死なない術を!!

―――……脳がぶっ壊れてでも考え続けろ…ッ!!

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