モノクロの機械論的世界観 2章
下書きの時点である程度完成しているので、コンスタントに投稿予定
―――2012年9月8日 木曜日 朝
「……」
目覚めは最悪の3歩手前ぐらいの重さ。
犬に襲われた後、すぐに警察に通報。
その間、ババァは犬の死体から動かなかったから助かった
逃げるようなら取り押さえないといけないからな。
その後、警察と一緒に来た救急車に強制搬送され、昨日一日感染症検査を受けて来た
検査の結果は俺も藍も陰性。問題なかったので検査後は警察の事情聴取に協力してそのまま帰宅
病院はあまり得意ではないので結局昨日は何も食わずに寝てしまった。
つまり今日は事件発生から2日目の朝
正直検査疲れで気が重い…朝食も食べたくないが…身体は正直なので簡単に作ってさっと食べてしまおう。
寝室から出て台所に行くと、エプロン付け始めた姉さんが太陽を抱えてるような明るい雰囲気でゴソゴソ動いていた
何するかは分かっていたが…一応確認してみよう
「何しようとしてんだ?」
「おっ!修司おはよう!いやぁ陰性反応記念にちょっと力入れたもの作ろうかと思って!」
「やめろ、おれ、つくる」
「なんでちょっとカタコトで否定するのよ…」
「姉さんが今から作ったら1限目始まるだろうが。今すぐ食べたいから俺が作る。だから姉さんは食パン焼いてくれ」
「機械に入れてタイマーセットするだけじゃない…でもぐうの音も出なかったわ。姉らしくなくてごめんね」
いつになく申しわけなさそうに萎れてしまった
そんなこと気にしなくていいのに
フライパンを温めている最中に携帯を見ると、メッセージが4件
昨日の昼ごろから一度も見ていなかったな…
古い順から順番に読んでいくと
新橋から『大丈夫か!?陽性だったら早目に教えてくれよ!距離置くから!!』
御崎から『青梅さん守ったんだって?かっくいー!!オトコの娘だね!!』
渡里から『大丈夫、状況知ってるのは4人だけだよ。ちゃんと情報規制掛かってる』
最後に春日井から『私 が 教 え ま し た』
「アイツら…」
それぞれツッコミどころ満載な文章を送ってきたが、一番はやっぱ春日井だな
父親が院長してるから救急車で病院に行くと確実にバレる
さしずめ春日井が小遣い稼ぎで渡里に情報売って、渡里が好意で新橋と御崎に教えたってところか。
…フライパンでベーコン6枚を半焼きにし、そのうえに卵を2個落とし蓋を被せる。
その間に一応は心配したであろう4人に『陰性だったから安心しろ』と短文の返信した後、箸で卵が固まってることを確認。
火を止めて、2皿に作ったベーコンエッグとプチトマト、コーンを盛り付けてテーブルへ向かう。
テーブルの上には既に食パンが4枚焼き終えていたが、姉さんはそんなこと気にせずテレビでニュースを見ていた。
「…槙島でのこと、やってないね」
ぽつりと姉さんが言葉を零す
「パニックになるだけだからじゃねえの?怖くて外出れないなんて状況になったらそれこそ終わりだ」
「…嫌になるね、こういうの」
こういうのとはどっちのことを言ったんだ?
犬を隠蔽したことか、情報を隠蔽していることか
「自分の身は自分で守らなきゃ…」
「当たり前だ、こんな世の中なんだから」
いつもは談笑しながら食べる姉さんも、今朝だけは険しい顔をしながら黙って食した。
朝食後、学校はどうするのか藍にモーニングコールしてみたら1コールで出たので
「おはよう!」
『きもい』
即効切りやがった。
朝の挨拶をしただけなのにキモイとはこれいかに
もう一度電話を掛けると3コールで出た
「はよ出ろや」
『こっちは大丈夫だから、修司は仕事してて良いよ』
「てことはお前は学校に行くのか?」
『絵描ける環境に適してるからね』
「…昨日の今日だから無理しなくても良いと思うが」
『休むわけにはいかないよ、コンクールまでラストスパートだから』
「中間も来週の水曜だろ?」
『……それも込みで』
コイツ絶対忘れてたな
『そっちは平気そうだね』
「ああ、検査疲れはあるけど体調は問題ねえよ」
『そう…ならいい』
「お前が気にしてくれるとはな、明日は大雨だな」
『日曜日は台風だよ』
マジかよ、やっべ確認してなかった
『じゃ、私そろそろ出るから。絵仕上がったらまた採点よろしく』
「あいよ」
電話を切ると、姉さんが出発前の格好で話しかけてきた。
「藍ちゃん、もう家出るって?」
どうやら藍との会話は端耳で聞いてたようだ
「今から行けば間に合うかな」
「…?乗せていくのか?」
「昨日の今日だからね。早目に自分の眼で目で確認したいんだ」
「アイツ送迎嫌いだから応じるかね…」
「そうじゃなくても確認だけ、ね。じゃあ行ってきますー」
そう言い残し姉さんは急ぎ足で家を出ていった。
車の音が遠ざかることを耳にして、ふとため息をつく
藍の奴…口じゃあ平気そうだったけど、ホントのところどうだろうか
アイツにとっても、《犬》の存在は忌々しいはずだからな
……まあ、アイツ隠し事上手いからこれ以上考えても仕方ないか
何かあったらすぐに動けるよう携帯はしっかり常備して、仕事に取り掛かろう
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「―――これでどうでしょうか?」
「……凄い。若いのに見事な筆跡です。」
「あら、年は関係ないと思うわ。センスと拘りがこうやってお金を払うだけの価値を生むんだから」
予てより決めていた依頼、それは結婚式の準備だった。
先月依頼を受け、招待状を代筆した結果、先週返事が全て来たとのことなのでその続きである
「えーと席札、企業の宛名書き、棟札、垂れ幕etc…うん、会場に必要なものは全て書いていただきました」
結婚式の準備というのは書くものが沢山ある。
その中で求められるのは「いかに素早くニーズに答えた字を書けるか」だ
基本的には行書だが、人によっての拘りは様々。
その為書ける書体は一覧として持ち歩いており、選んでもらいながら書くことが多い。
実際招待状では男性は行書、女性は英字の一筆書きで勇ましくおしゃれに仕上げた。
特に俺の顧客はそこを求めている節がある…というよりそこを売りにしているとも言えるな。
そして今、全ての依頼物に字を入れ、結婚式の当人たちに確認して貰い依頼完了。
「本当、一つ一つ要望を受け入れてくれて助かりました。どうせやるなら徹底的に拘ろうと意見は一致したのですが、夫は字が下手で…私も綺麗とは言えないので…」
にしても、とても礼儀正しい二人だ。こっちまで口調が強張ってしまう。
「問題ありません、満足していただいたようで何よりです。…ですが、依頼されていたものの中で、一つだけ断らせて頂くものがあります」
「「え?」」
ここまで全て要望通りにしてきたからこそ、二人は口をそろえてびっくりしたようだ
「『両親宛ての手紙』…下書きはメールで頂いてましたし、実際途中まで書いたのですが…やはり私は赤の他人です。筆に思いが乗りません」
下書きが印刷された用紙と封書を二人に差し出し、そのまま受け取った。
「手紙の封書までは用意しました。ですが、本文はお二人が書くべきです」
「し、しかしなぁ…」
旦那さんが少し困った様子だが、嫁さんは納得したかのような少しすっきりした顔をしていた
「やっぱりね、仕事ぶりを見ていて思ったわ。こういったものは書いてくれないんじゃないかって」
「プロとしては失格ですね、依頼通りに仕事をこなせないなんて。」
実際書いてていまいちピンと来なかったんだ…
そんな中途半端なモノを出すことこそプロとして失格だと思う
「いいえ、立派です。この調子で今後も頑張ってください。…ほらキーくん。これから字を練習するわよ。うちの家宝になるかもしれないのだから、せめて努力だけはしましょ」
「…わかった、頑張ってみるよ。ありがとう千秋さん。我々はまだ最後に全体チェックがあるからこれで。残りの料金は後ほど振り込みます」
新郎新婦の二人は礼とともに会釈したので、こちらも同じように礼儀を成す
「…出過ぎた真似ですが、こちらは私なりの執筆技術のコツを簡単にまとめたメモです。参考にしてください。…このたびはご結婚おめでとうございます。笹月新郎新婦」
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「………ふぅー」
ひと仕事終えて、いつも釣りをしている堤防に来て深呼吸
ここは馴染みのある港より徒歩20分の距離に位置する俺のベストスポット
海流の勢いが強いため、腕が無ければ釣れない実力主義の堤防。
その為入れ食いとはいかない。しかし良質の魚が釣れるのも事実
だが時刻は夕方。既に釣り時ってわけじゃないが、ここに来るとやっぱり釣りをしたくなる。
なので非常用に近くに隠しておいた釣り竿を使って海に釣り針を投げ込む。
因みにこの非常用の隠し場所は常連なら何個か置いてあったりする
いやぁやっぱ糸を垂らしていると生きてるって実感するわ~
結果的に釣れても釣れなくてもどっちだっていい。
こうやってただじっと待つ訓練と生きている実感、一回で二重の意味を持つ当たりコスパ良い
「―――…よう小僧」
俺はここに2,3日に一回は来ることを習慣づけている
そのことを知っているのはごくわずか
姉さんとこの堤防に好んで来る玄人のおっさん方
その一人が海に釣り竿で糸を垂らしている俺に話しかけてきた
「こんな時間に来ても釣れねぞおっさん」
「じゃあなんで小僧はやってんだ?」
「ひと仕事終えたあとの休憩に。…顔色からしておっさんもだろ?」
考えることは一緒だな、と言いながら俺の後ろに座りおっさんも釣りをし始める。
「で、結果はどうだった?」
検査結果か。既に知ってるかと思ったが、忙しくて知らなかったのか、知ってて聞いてるのか…
その辺つかめないのがやっぱり汚い大人らしい
「陽性だったらここでのんびり釣りしてねえよ」
「そうかぁ?案外抜け出して最後の娯楽を楽しむってのも分からなくはねえぞ」
理屈としては分かるが、気持ちは分かんねえな
「周りからしたら迷惑極まりないな。…んで、そっちの結果はどうだったんだ?」
あのババァは捕まったんだろうな?
そこだけは聞いておかないと
「聞きたいか?」
「当事者だからな、答えられないなら別にいい」
「うーん…まっ別にいいか」
良いのかよ、大丈夫か守秘義務や情報規制
しかしそんなことお構いなしにおっさんが話し始める
「結果は大当たりだったよ、おかげで大切な睡眠時間削って島中聞き込みとローラー作戦。後処理諸々やってたらあっという間に事件発生から2日目の昼過ぎだったってわけ」
それはそれはご苦労様だ。
しかし国民であれば当然の義務なのだから俺に愚痴られても仕方ないだろ…
たばこを一服し、息を整えて若干荒れてる海を眺めながら言葉をつらつらと並べ始める
「お前が通報したばあさんの名前は長谷川恵子、42歳。任意同行後に動物愛護法違反で逮捕。このばあさん、3年前まで順風満帆の夫婦生活を過ごしていたが夫が心不全により死亡。子供も居たが、8年前社会科見学で香川県に出かけていたところ災害に遭い認定死亡」
あのタイミングで社会科見学は運が無さ過ぎる
けど、そんなのどこもかしこも一緒だったんだ。
割り切るしかねえよ。それが出来ない人間は今の社会には邪魔だ。
「はぁん、犬は子供に合わせて飼い始めたら子供を産んでそのまま育ててたってところか?」
「その通り。ただ調査の結果、このばあさんの周辺住人は知っていて、尚且つうち3件は裏で犬を飼っていやがった」
その犬同士で子をなしたか
大きな島ではないが、地元民ならではの隠し方があったのだろう
「はぁ~面倒くせえ…おかげで他の島も疑う羽目になっちまっただろうが」
「仕事が増えてよかったな。それで出世出来りゃ万々歳じゃねえか」
「ただでさえ治安が悪いんだぞ…。こんなことで仕事増えてもうれしかねえよ」
おっさんの眉間がどんどん寄っていくのが雰囲気で分かる。
警察も大変だな。こうやって現実を説明されると絶対なりたくない職業ナンバーワンになる。
「刑事課も大変だな」
「去年、中国でR-EG(レイビーズ症EG型の略称)を使ったテロが小規模ながら起きたからな…これがまた国際問題に発展しかけて公僕も必死なのよ」
「だから救急車も一緒に来たのか…。防護服来た連中に容赦なく連れていかれた時は流石にビビったわ」
「最初の通報で概要は話してくれたからな。まずは安全第一よ」
そりゃそうか。感染者にそのまま事情聴取なんてしたかねえわな
「…ホント、めんどくせえ世の中」
「同感、ただ生きるのも命がけよ」
お互い、水平線の彼方を眺めながらため息を吐く
海に落ちていく太陽がクソ眩しい
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――明晰夢
夢を夢を認識することは稀にあるのは俺だけでないはずだ
夢を夢と認識したら「取りあえず空飛ぶか!」て気になるのも俺だけでないはずだ。
しかしながら体験談から話させてもらうが、夢を夢と認識は出来ても夢の中を思う通りに動けない。
いやむしろ気持ち悪い。夢と知っててなすすべなく勝手に自分が動いてる感覚。
ふざけんなって思う。折角夢の中なら、自分の世界なら何でも思い通りになれよって感じだ。
―――…たまに見る悪夢
それは決まって明晰夢だ。だから嫌いだ。夢なんか見たくない
『―――ぁさん!母さんっ!!!』
…泣いている。今より二回りも小さい姉さんがいつも泣いている。
…目の前で、おばさんの傍らで、泣いちまってる。
…この先を知っている。知っているから止めたいのに、身体は動いてくれない。
…おいだからふざけんなって。自分の夢くらいハッピードリームにさせろや
『…うちの子を…理絵と藍を…お願い……』
…分かってるから、心配しなくてもおばさんの子は立派だよ。
…お願いされた通り今でも傍にいるよ。何だかんだで心配だからな
…だから、安心してくれ。俺が出来る限り支えるから
…負担は掛けさせないから
どうしようもない気持ちがこみ上げる。
それは憤怒か悲観か、今はもう分からない。
けど一つだけ分かる。
俺は間違っちゃいない。だって、姉さんも藍も生きてるから
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「―――…チッ」
目覚めたやいなや露骨に舌打ちをする。
最悪の気分だ。最近目覚め悪いな俺、もう寝るのもしんどいぞ
立ち上がろうと手を地面に手をつこうとしたら身体のバランスを崩し―――落ちる。
「…!…~っ!」
咄嗟に全身に力を入れてバランスを保つと、テーブルが目前に迫っていた。
間隔数センチ。1秒でも力入れるの遅かったら顔面シュートだったことを
今にして理解し冷や汗をかく
(そうか、リビングで寝てたのか…)
調べものしてそのまま寝るとは我ながららしくない
なっさけねえ、こんなところ姉さんにみられたら…
「…大丈夫?」
姉さんの声がした方向を見たら、花柄の和風ルームウェアを着て、
台所でコップに口を付けてる姉さんが意外そうな顔をしていた。
時計を見ると深夜1時を回っている
「あ、ああ…頭はぶつけてない」
「いやそこじゃなくて…まだその寝方なの?やめなって言ったじゃん。疲れ取れないよ」
俺の頭より寝方の事を追及してきた。
「胡坐で寝るとか…前世武士だった?」
「縮こまる方が落ち着くんだよ」
実際は何かあってもすぐに動けるようにって癖付けた結果だが
「で、何してたの?こんな時間まで。電気も点けっぱなしで」
水を飲みながら俺の方に近づいてくると、テーブルに広げている雑誌の一つを手に取り、付箋をしてあるページに目を付けた。
「―――…『レイビース症の死者は2011年までで20万人を超えた。しかしこの数字は詳細が判明した2007年3月以前は含まれていない。』『日本での死者の総計は50万人以上は確実』『世界では60万人に及ぶ』」
付箋のページで俺がマーカーした部分を読みだした。
「…レイビース症の勉強?」
「勉強っつーより情報をまとめてる。雑誌、辞典、医学書。関係してそうな文献を調べて重要なことを見落としてないかなって」
「なんでそんなこと…医者にでも聞けばいいじゃん。」
「あぁいや、真実を知りたいわけじゃないんだ。"世間に流通している情報"を知っておきたいんだよ」
正確には、ニュースになったレイビース症感染者の発見箇所を地図に記していたんだが
分布図があればそこの近くに寄らなければひとまずは大丈夫…なはず
生活圏の情報は渡里に聞けば良いしな…てか渡里ならこの辺もうやってるんじゃないか?
今度答え合わせしにいこう。
いやむしろダメ元おっさんにも聞いてみるか。
この間の事件が怖くて不安なんです~とか言えばある程度は情報開示は許されるだろ、多分。
「ふーん…」
適当な相槌を打ちながら俺の隣に腰を下ろす。
「姉さんこそどうした?寝つきが良いのが取り柄なのに」
「まあ…ちょっと……」
…ちょっと、何だろう。深夜だからかいつもとテンションが違い過ぎる
いや、にしても暗いな…事情を聴いてみよう
「…何かあったのか?」
「………何かあったのは、そっちでしょ」
小声で言いながら姉さんが俺の肩に頭を預けてきた
「…ホントはさ、怖かったんだ。"また"目の前であの病気が大切な人を奪ってくのかなって」
口調が優しく、でも少し悲し気な雰囲気を感じる。
こんな弱々しい姉さんは久々だ。何年ぶりだろうか
「俺や藍なら…」
「分かってる、二人なら対処は完璧だって。信頼もしてる…けど…やっぱり怖くなった。平和になったと思ってたから…思い込んでたから」
確かにこの町に来て約3年間、一度も関わってなかったからな
ふと忘れちまうのは仕方ない。常に危機感持ってたら疲れちまう。
……ああ、糞。そうだ…俺はそうさせないために一緒にこの町に来たんだろうが
こりゃ確かにあの人が夢に化けて出てくるわな、情けねえ
「ごめんね、お姉ちゃんなのに…年上なのに…」
姉さんの顔をよく見ると、少し目元が赤かった。
多分、昨日の夜もこんな感じだったんだろう
姉さんらしい。そんな姉さんを持てて俺は誇らしいよ
…流石にこんな状態の人に対して軽口はたたけねえよな
「…安心してくれ、俺はここにいるから。姉さん達が救ってくれた命は、ここにちゃんといるから」
そう言いながら左手で姉さんの左肩に手を掛け、身体を優しく抱き寄せる
「……ありがと」
こんなことをしたのはいつ以来だろう…
身長170㎝もある姉さんが少しだけいつもより小さく感じた。
でも、今では立派な社会人。
いつの間にか高校生に勉強を教える先生にまでなった。
まだたったの22歳で、本来であれば華の大学生なのに…あえて飛び級で卒業しすぐに教師へと就職。
そうだ、普段ポンコツで忘れがちだがこの人は間違いなく天才の部類に入る。
絵画に関しても海外のコンクールで最年少優秀賞をもらったことさえあるし、
今でも様々な画家との繋がりもある。
ハイスペックで社交的、本来なら地元の学校に就職するような人じゃない
けど、姉さんはあえてその道を選んだ。
大人が少なくなった日本を危惧して、少しでも歪んだ子供たちに生きていける術を教えていくために
恋人も作らず、ただただ他人に献身的になった。
俺も藍もそんな姉さんを尊敬している。自慢でもある。
しかし、真似は出来ない。
俺も藍も…真っ先に考えるのは自分自身と周囲の人間だけだから
姉さんのように他人に優しくなれない。
だからたまに眩しく思う。比較して自分が卑劣で傲慢な人間だと思うことさえある。
だけど…俺は知っている。この人が強がりが得意なことを
知っているからこそ、俺だけは別に暮らすことをしなかった。
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レイビーズ症EG型
未だに効果的なワクチンが存在しない。7年前に日本で発見された奇病の一つ
初期症状は肺が侵され咳、血痰、胸痛、発熱などの結核類似症状を引き起こし徐々に悪化。
そして、肝臓に悪性腫瘍を形成後肥大化し、激しい腹痛、胆管を閉塞して呈して皮膚の激しい痒みを引き起こす。
発症から約1~2週間後には全身の筋肉が麻痺し始め、精神が錯乱し、後に昏睡。
呼吸困難に陥り死亡する。
潜伏期間は3週間程度。
感染経路は、感染した動物の咬み傷などから唾液と共にウイルスが伝染する場合が多く、傷口や目・唇など粘膜部を舐められた場合も危険性が高い。
また感染した動物の咳やくしゃみからも感染(飛沫感染)する場合も稀にある
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―――2012年9月9日金曜日 昼
「―――という訳で俺なりにあの感染症について調べて統計出した結果がこの図だが、渡里もやってんだろ?ネタは上がってんだ、ほらジャンプしてみ?」
「開口一番不良のような絡みはやめてくれ…」
昼前に統計を出し終えた喜びのまま学校に来たら丁度昼食の時間。
屋上へ向かう渡里を見かけたのでひっそりと後を付けたら、屋上前の踊り場で昼食を広げ始めたので絡んでみた。
「てかいつもこんなところで飯食べてんのか?便所飯じゃないだけマシだとは思うが、これなら裏庭とかでも良くね?」
「日光邪魔だし人の声うるさいんだよ。ここなら反響でほんの少ししか聞こえないし、それが丁度良いBGMだったりするんだ…放っておいてくれ」
まっいつも来てない俺が気にすることじゃねえな
「…んで、珍しく昼間に来たのはレイビース症についてってこと?」
「ああ、槙島での出来事が引っ掛かってな。実際どこでどの程度発覚したのか知りたかった」
「勿論こっちも統計は出してる。…けどこれ意味あるのかな?」
まあ言わんとしてることは分かる
槙島の時のように隠蔽工作がうまくいってる地域もあるかもしれない。
その為開示されてる情報を調べたところで意味があるかというと、気休めでしかないだろう。
「田舎の方行けばニュースになってないだけで居るかもしれないよ」
「まっ、そこは予測で補う。ほれみしてみ」
渡里が持っていたタブレットを操作してオリジナルの分布図を見せてきた
ありがたく詳しい内容を確認すると…………住んでる地域だと県境周辺、尾埜冠山北部、東部に香澄岬の周辺etc…
よし、俺が調べたものと大体一緒だな。
―――国内は
「―――…韓国、中国、ベトナムにブラジル??国外でもこんなに出てたのかよ」
「日本だとあまり報道されないけど、海外からはだいぶ危険視されてて入国規制しているところも多いよ。改めて調べてみるのも良いけど…日本語だとあまりヒットしないかも。ヴェクターとかアーツが詳しく記事書いてたからみてみなよ」
ヴェクター、アーツは海外の大手新聞会社のことだっけ
この間教えてくれたから見てみたが、翻訳無いのが面倒くせえ
「しっかし人数は分かってたが、これは中々…」
国内は国内でまだまだ忙しないからなぁ
海外まで取り扱ってる暇はなかったのか
もしくはこのご時世、海外旅行出来る人間なんて上級国民に限られる
庶民にはそんな情報不要ってことか
渡里から「千秋さんが調べたものも見せて」と言ってきたので、鞄の中からまとめた資料を手に取り渡した。
渡里が資料をじっくり見ている間、俺はコンビニで買ったひと周りデカいネギトロおにぎり(税込み198円)を食べる。
…デカいだけで味は変わんねえなこれ。
どうせならもっと味濃くしてくれよな
「―――…やっぱり、ワクチンはまだまだ作られそうにないね」
資料を一通り見終わった渡里からの一言。
口ぶりから渡里の方でも治療の目途が経っていないことが分かってたらしい
「致死率100%は健在だ。よかったな、俺が陽性じゃなくて」
「ホント、僕と話が合うのは千秋さんくらいだから…もし陽性だったら多分泣く」
「お前が?泣く?なーんか想像できねえな…情報の一つとして処理されそうだわ」
「ふふ、違いない」
「――――…こっちとしては冗談じゃ済まない状況なんですけどー??」
踊り場で渡里と談笑したところで、階段下から春日井が仏頂面で声をかけてきた。
「おいおい、男の密会に女がしゃしゃり出てくるなよ」
「うっさい。私だって文句の一つも言いたくなるわ」
「よくここが分かったね」
「探したわよー、教室の窓から玄関に居たのをみつけたから追ってみたらいねえし!あー疲れた」
その仏頂面のまま俺と渡里の斜めに位置する場所に座り、人間で三角形が出来上がった
「もうシュウシュウが余計なもの見つけたからうちの病院はてんてこ舞い。検査検査&検査。他の病院でも受け持ってるけど、槙島だけで人口約250人。あと3日はかかるわー」
「情報規制されてたのに渡里に話したのはその嫌がらせのためか」
「悪い?お父さんと楽しみにしていたうどん巡りが台無しになったんだから、それぐらい甘んじて受けるべき!」
理不尽極まりない。俺のせいじゃねえのに。
「秘密の話って、秘密にしてって言われるほど話したくなるよねー」
「気持ちは分かるけど、実際やったら引くよ…」
情報の取り扱いを心得てる渡里さんからのありがたいお言葉だぞ、それこそ甘んじて受け入れろや
「私だって相手みて話してるっつーの。…という訳でとっておきの情報あるけどー…聞く?」
「可愛らしい仕草のはずなのに右手の金マークで台無しだぞ。可愛くねえな」
「そんなこと言っていいのかなー?…情報っていうのはアオアオのことだよ」
アオアオ…ああ、藍のことか
青梅のアオと藍をアオと呼んでアオアオ…か?
言いにくくね?
「あ?どういうことだよ」
「それ以上は…ほらほら」
金マークだった右手が形を変え、中国拳法でよく見る挑発の仕草をしてきた
殴りかかればいいのか?
「まって、それは僕も聞いていいことなの?」
「うーん…まあ良いんじゃない?渡里くんなら口硬いし、むしろ知っていた方が何かと都合良いかもよ」
情報しか興味ない渡里にも知ってた方が良いことってなんだ?
訳わかんねえ。けど良くないことだろうと察することは出来たから実力行使で黙らせて…
「じゃあ僕がその情報買うよ」
判断が遅かった結果、渡里に先手を打たれてしまった。
「ワタリンならそういうと思ったよー!流石!漢だねー。…じゃあ物はいつも通りでー」
「分かってるよ。サンサンカフェの特別待遇券でしょ?明日渡す」
よし!!っと立派なガッツポーズを掲げた。
え、そんなので良かったの?現金じゃないけど現金な奴だ
「さて、青梅さんの―――」
キーンコーンカーンコーン…
このタイミングで予鈴がなりやがった…マジかよ、空気読めよスピーカー!
ドヤ顔で語ろうとした春日井の身体が固まってやがる…
「……あー…二人とも放課後にしよっか」
渡里さんの画期的な一言により居たたまれない雰囲気に区切りを付けた。
放課後
「…んー!やっぱ秘密の話するなら裏山っしょー!」
「ああ、それはいいんだがな?……もう日が沈んでんだろうが!!放課後からこれまで3時間経ってんぞ!なんでまず遊びに行った!?」
「眺め良いなー!」
「ボウリングしてダーツしてスイーツバイキングで甘ったるいモンブラン食べまくって、挙句裏山の展望台まで来るって…ここ徒歩でしかこれねえんだよ!みろ!俺たちを!!そして褒めろ!インドア派の渡里がここまでついて来たことを!!」
「ごめん…体力、もう…ない…」
「いやいや、こっちもボウリングで完勝したら終わろうとしてたんだよ?なのにシュウシュウ初心者なのに強すぎる!最初ボロカスの癖に後半ターキーした上にパンチアウトって…ホントに初心者!?」
序盤は投げる力加減が分からなかったが、後半になるにつれどの程度でどこに当たるか分かったからな。
後はそれを一定にやり続けるだけ。
我ながらセンスあるかもしれない…7ゲームもやらされると思わなかったが
「悔しいからダーツ挑んだら、今度はワタリンが20のスリー・イン・ナ・ベッド軽々決めてくるし…なに、こっちが悪いの?普段遊ばねえひねくれ者共には余裕っしょって思った私が悪いの??」
「だからって最後にスイーツ大食い勝負してくんじゃねえよ…おかげで胃もたれした状態でここまで登ったんだぞ。エレベーター使ったからって気持ち悪いわ…」
観光地でもあるこの裏山の展望台までの道のりは急斜面で徒歩やバイクでも上り下りが辛い。
しかし市街地であるため人は多く住んでいる。
なのでこの町の住人への考慮、観光客への配慮を理由に4年前に無料で使用可能な斜行エレベーターが製造された。
…が、それも山の中腹まで。そこからは徒歩確定だ。
「絶対完勝出来るのそれしかなくて…。いやホント付き合ってくれてありがとうございます、はい」
「うるせえグラニュー糖、感謝の気持ちは態度で示せ」
「水買ってきます!」
閑話休題
「えっとー…落ち着いた?」
「なん、とか…」
尻もちついてる渡里の息が落ち着いたところでようやく本題に入る
「じゃあー運動して頭空っぽになったところでー、約束通りアオアオの話をー」
「あー…それやっぱいいや」
しかし俺はそれを拒否する
「…えっ、ここまできてどして?」
「やっぱ卑怯じゃね?あいつが話したくないから俺に言ってこないんだから。それを他人に聞くって…俺だったらそいつらぶん殴ってる」
「そんなの胸の内に秘めておけば解決じゃん」
「でも気にするだろ?アイツそういうところ目ざといところあるからやっぱやめとく。聞くなら本人に直接聞くことにするよ」
春日井が持っている情報=病院関係ってのは分かる。
そして春日井が教えておきたい=それなりに急ぎであるというのも分かる。
そこまで分かれば十分だった。あとのことは本人の様子から判断するとしよう。
「えぇえ…僕の苦労は一体…」
あーこれじゃあ渡里が浮かばれねえわな
渡里にも知っておいた方が良い情報ってことは、渡里の力が必要になる時があるかもしれないってことだろうし
…しゃーない、どうせ春日井があることないこと話すなら俺から俺が知ってることを話しておくか
「分かった、じゃあ俺から話す。つっても俺が知っている範囲だけだが…それで良いか?」
「特殊で他にない情報なら何でも良いよ」
欲望に忠実な男である。
こういうところは正直に好感持てたりする。
「…春日井が話そうとしてるのは藍の視界のことだろ?」
うん、とうなずき肯定する。
まあそれ以外ないよな
「……藍の視界は災害の後遺症で"色覚異常"…色の見え方が普通とは違うようになったんだ」
「それは、色の区別がつきにくいってこと?」
呼吸の乱れが既に落ち着き、頭が冴えてきたようで真剣に話を聞く渡里。
ここは誠実に答えておこう
「それが普通の"色覚異常"だな。けど決定的に違うのは俺たちが見ている「赤」を赤、オレンジ、黒、緑といった感じで混ざって見えるらしい」
信号の区別はつくから日常的には支障がない…と思う。
隠し事上手いからもしかしたら他で困っているのかもしれないが、俺に言ってこない以上俺も何もするまい
「脳が混乱しそうだね」
「実際混乱してたらしいよ。けど、不思議でずっと接していると慣れてくるものでな。1年くらいで克服したみたいだ」
そう、そこまでは良い
このままだったら良かったのに
「…けど去年、その症状が悪化した。月に1度色が視えなくなることが起きるようになった」
「視えなくなるっていうと真っ暗ってこと?」
「いや、それだと視力を失うって言い方が正しいだろ?そうじゃなく、あいつ曰く世の中が"モノクロ"で視えるらしい」
だから色が視えないと表現した。
「…あっ分かった。入学式して半年間、試験の時しか来なかった千秋さんが来るようになった理由って…」
…頭冴えさせなきゃよかったな
「ねー!素敵だよねー!まさか学校来てる理由がアオアオなんデッ!!―――~~っ女子の頭はたくな!シャイガイ!」
「癪に障るようなからかい方してくんじゃねえ!」
はしゃげるような理由じゃねえっつーの
こっちにとっては死活問題だったんだぞ
咳払いをして雰囲気を整えつつ本題に戻そうとする
「…ってことが俺の知ってる範囲だ。嘘偽りない"事実"だ。じゃあ渡里、ここで春日井が言おうとしていた"本題"について俺の予測を話そう。あくまで予測だ、良いな?」
「良いよ。というよりここまで来たら二通りしかないんじゃないかな?」
まっ順当に考えればその通りだな。
ということは俺と同じ結論に既に至ってるってことか
「『病院関係』で『急ぎ』の話。この前提に当てはまるのは症状が悪化したか…」
「もしくはそれ以外の身体にも異常が現れたか、だね」
流石情報好き、話がスムーズで助かる
だから問題はここからだ。
二通りの可能性に対してどう解決するかだが…
「あのーわたくしの居場所はー…」
やべ、渡里と話し合ってたら一瞬忘れてた。
「…時間も時間だし、そろそろ帰ろっか」
渡里からの提案。時刻は既に19時を回っていた。
まあここまで意思疎通出来ていれば問題ないだろう。
本当のことはこの先藍から聞くとして、どんな結果でもそれなりに動けるように対策を練っておく。
渡里にも知ってもらえたことで、より動きに正確性が出てくることは間違いない
そういう意味でも今日この場を用意してくれた春日井に感謝しておこう。
帰り道の下山中
なんでこんなこと(遊んだり軽く登山させたり)したのか春日井に聞いてみたところ
《…こうでもしないと気兼ねなくストレス発散出来なかった》とのことだ
女同士のほうが気兼ねないんじゃないかと提案したがそれはそれで疲れることがあるらしい。
その点俺たちならなんにも気にせず遊べるから、というのが本音ってことで話を終わらせた。
…ここまで来るとあいつ別に話す気なかったんじゃないか?
学校の連中よりは付き合い長い俺が例え知らない情報だったとしても、それなりに予測は立てられているってことくらいは春日井も考えれただろうし
そんな俺という立場に知っておいてほしかった重要な情報は『急ぎ』って部分だけだったんだろうな
つまり…今日の放課後は春日井のいいように遊ばれたってことだ。
相変わらず憎たらしい女だ、くそったれ
―――2012年9月10日土曜日 昼
「―――はい!あたし特製地元昆布だしうどん!美味しいよ!ちゃんと味見してあるから安心してね!」
「……」
「はい箸……はつかめないか。じゃあ…フォークね」
「…………」
「……くくっ」
「…………ズズッ……」
「…………………ふっ…くくく、かわいいなー」
「あああああああ!!」
「ほっ…ほら黙って食べなさいよっ…行儀…わっ悪い……くくっ…アッハハハハ!」
俺の我慢と姉さんの我慢の限界が来て場が発狂した。
お互いに涙目である。何だこの空間。
「まさか…ボウリングで…利き腕筋肉痛で動かせないとか……こんなん笑うなっていう方が無理……くくっ」
あの憎たらしい女が7ゲームも挑戦してくるからこんな目に…
畜生…一生の不覚だ
「負けず嫌いなのにゲームなんかするからそうなる………くくっ」
「なんでテメェまでいんだよ…自分の家に引きこもってろインドア陰険」
基本昼飯は食べに来ないくせにここぞとばかりに来るんじゃねえよアオアオ
「ズズッ……珍しいものが見れるって先生から…ズズッ……電話来たら見に行くしか…ン…ないじゃない」
「テメェこそ珍しく食べながら喋ってんじゃねえ!モットーどこいったよ!」
くっそう…今年一番の恥だ。
これだからゲームとか勝負事はしたくねえんだよ
加減が分からなくなる…
どこかで負けてやればここまでになることはなかったんだが…
……ああ嫌だな。処世術としてって考えられなくはないが、単純な勝負事じゃあ負けたくねえ
片腕でうどんにフォークを刺して食べようとするが
「…くっ、この」
麺が細いため四苦八苦。
上手いこと絡まらなかったためもう面倒くさくなり突き刺した
「「アッハハハハハ!!」」
赤っ恥だ。
だがな、甘んじて受けてやるよ…この屈辱を
試合に負けようが勝負には勝つ
それで良い…それで良いはずなんだ…きっと…多分…
「くくく…あっ笑い過ぎて箸が…ふふ」
「藍ちゃん落ち着いて…くくく」
「…あー天気わりーなー」
――――――――――――――――――――――
―――――――――――――――――――
――――――――――――――――
「おい、藍。そろそろ家帰っとけ」
「―――?まだ夕方だよ?」
俺と姉さんの作業場であるプレハブで、姉さんと一緒に絵を描いてる藍に忠告する。
「お前が教えてくれたんだろうが…外見てみ。天気結構悪くなってきてる。今夜には雨降る予報だから早めに帰っとけ」
「あーいや…今ちょっと切り悪い。もう少しだけ!後10分で良いから!」
「つってもなぁ…」
「最悪あたしが車で送ってくから大丈夫だよ」
姉さんが妥協案を提示してしまったので俺も引き下がることにする
確信がある。絶対10分で終わらない
―――30分後
「―――…あーあ」
腕が使い物にならないため、リビングで雑誌を読みながらヘッドホンで曲を聴いていたら、いつの間にか外は土砂降りだった。
斜めに降り続ける雨は風の強さも表している。
テレビをつけると丁度台風のニュースをしていた
『…えー台風は西の海上を北北西に進む模様。大型で非常に強い勢力で中心気圧945hpa。雨の量もかなりの量が降る見込みの為、土砂災害など十分に警戒が必要になるでしょう。しかし速度は速いため今夜から明日の朝にかけて本土を通り過ぎる見込みです。』
「うっわ…」
声に出るほどすげえの来てるじゃん…昨日見た時より強くなってないか?
位置的にまだこれで本降りじゃなさそうだ。
…プレハブと家の距離は8メートル程度。
その間に雨よけはない。これが本降りになったら例え8メートルでもずぶ濡れだ。
それは分かってると思うんだが…あれから30分、一向に戻ってくる気配がない。
プレハブに傘はなかったはずだから…しゃーない、持っていってやろう。
リビングを出て玄関にある傘を3本手に持つ。
その時―――
「…ん?」
パシャパシャッと濡れた地面を蹴っていく音が聞こえた。
…こんな雨の日に外で?空き巣狙いの小悪党か?
若干不気味だったので確認しようと玄関を開けると
「――――――ッ!!」
そこには門を走り去っていく人影が…いやあれ…藍か?
えっ何で?傘も差さずに外に出るとか風邪ひきたいの?
「―――…修司!」
不思議に思っているところに後ろからずぶ濡れで戻ってきた姉さんが居た。
「アイツどうした?洗濯物干してきたのか?」
姉さんが首を横に振る。そして真剣な眼差しで声を張って訴える
「違う!―――あの子、眼が……!」
――――――――――――――――――――――
―――――――――――――――――――
――――――――――――――――
「―――くそっ!」
分かってた、予測は出来ていた!
だけどここまで深刻な状態だとは気づかなかった!
駄目なら駄目って口で言いやがれ!!
お前隠し事上手すぎんだよ!!
―――走る
―――大雨の中、走る
―――去っていた藍を追って
―――傘も差さずに、振り返らずに
―――全力で走る
「―――…あ?」
あいつより俺のが速いはずなのに…藍の家についちまった
「…どこ行ったんだよ!!」
流石にもう家に居るってことは無いだろう
藍のマンションの玄関先で雨宿りしつつ数分待つ
………………………………
…………………………
……………………
―――10分経過
来ない。歩いて10分の距離を10分待って来ない!
「…ダメ元だ」
携帯で電話してみるが……まあ出ねえわな
後に続いて別方向を探しに行ったはずの姉さんに電話してみる
『―――見つからない!』
「家まで来たけどこっちも見つからない!」
『捜索!』
姉さんが一方的なことを大声で言い残し電話を切った。
雨がさらに強くなっていく
こりゃ早く見つけないと拙い…!
…………まて、落ち着け。
アイツと俺は似ているところがある。逆に考えろ、俺ならどうする?
家に帰りたくない。けど逃げ出したい。
そう思ったとき…俺ならどうする…?
「…堤防」
そうだ、馴染みあって心落ち着く釣りスポット
それを藍の場合に当てはめた時、アイツが行く場所は――――
―――知られた
―――知られてしまった
―――知ってほしくない人に、秘密を知られた
―――恐らく修司にも…
―――ずっと隠してきたのに
―――ずっと取り繕っていたのに
―――ほんの少しの気の緩みで知られてしまった
―――…ううん、違う。それでも私は騙せていたはずだ。
―――それがバレてしまったなら…最早騙せない状態にまでなっていたということ
―――全て私の驕りと客観的視点の欠如が招いた結果だ。
―――…畜生……どうする……この先……
―――私は…一体何のために努力を………
―――これでもう、何もかも……終わりじゃない…
―――でもそんなの…そんなの嫌だ…
―――何か……方法を考えないと…
―――何か…
藍が行く場所。藍が求める心落ち着く場所。
この町に来てすぐ、アイツは風景を眺めに行くことを習慣としていた。
その中でもとびきりお気に入りの場所が裏山の展望台前にある阿津冠公園。
景色が良く、風通しも良く、展望台には劣るが夜景も綺麗な場所。つまり立派な観光名所。
俺や藍の家から歩いて15分程度で着く。
恐らくその公園に行ったんだろうと思ったが……道中の斜行エレベーターの入口前にあるベンチにずぶ濡れで俯きのインテリ陰険を見つけることが出来た。
見つけることが出来たが…問題はここからだ。
「――――よう、生きてるか?」
俯きの藍が声に反応して濡れる前髪の隙間から目を覗かせた。
「ったく、青春ごっこは他所でやれよ。なーんで台風の日に追ってきてくださいオーラ出しながら外出るかね」
「そんなつもりは…」
「無くても分かってんだろ。俺や姉さんがそんなお前を見たらほっとくわけねえ。そんなの昔散々学んだことだろうが」
「…『家族という縛りは不要。一個人として信頼し、信用してくれる人間のみを必ず見捨てるな』…おばあちゃんの言葉だね」
「『『家族』に囚われたら必ずそれに縋り寄生してしまう。そんな弱い心は捨てろ。』…あの人の哲学は子守歌レベルで聞かされたろ?」
藍や姉さんの祖母こと畔柳真理享年85歳
一から生き方を教えてくれた俺たちの恩人。
何もかも知っていても不思議じゃない不撓不屈の努力が出来る天才だ。
誇張無くこの人が居なければ俺たちは今もこうして生きていない
だからこそ尊敬しているし、今でもその置き土産はこうして言葉や生き方に影響されている。
「最後に残した言葉が『私の言葉に縛られずやりたいようにやれ』だもんね…何だかんだで一番家族のこと考えてたおばあちゃんらしい」
少しだけ、場の空気が軽くなった気がする。
…切り込んでみるか
「…まっあの人の言葉を借りるなら『言いたくないなら言うな。やりたくないならやるな。但し報いを受けるのは必ず自分だ』」
「………」
「………」
「………」
待っても待っても次の言葉が来ない…
藍の顔を覗くと口をむぐむぐしている。まだ混乱しているのだろう…
目も泳いでいる辺り何を言っていいのか分からない様子だ。
………これは時間が必要だな
仮にこのまま話続けてもお互い風邪ひくだけか
「…『身体第一、忍耐第二』だ。取り敢えずうちまで帰るぞ。風邪引いちまう」
「それ誰の言葉?」
「俺」
「…因みにどういう意味?」
「雷雨にも耐えれる精神を鍛える前に、まず身体を鍛えてからほざけって意味」
「……」
ジト目でにらみつけられた後、ふらっとしながらも重い腰をあげ何とか立ち上がる。
よかった、お前へのあてつけだってことが分かる程度には頭は働いてるみたいだ。
本当は意味違うけど
さて、帰る前に一報入れておかないと
姉さんもまだ必死に探してるかもしれない
携帯を取り出し姉さんに電話をすると、2コールで出てくれた
こういう時、お互い防水であることはとても便利。
「藍見つけた。…ああ、だから姉さんは先に帰って暖房と風呂を用意してくれないか?……いや迎えは難しいだろ。川も氾濫間近だ。下手すりゃ持ってかれる。………はいはい、ゆっくり確実に帰るから安心してくれ。それじゃあよろしく」
なんとか説得に成功
さて、実は既に川は氾濫している。来る途中流木流れてるの横目で見ていたからな
この様子だと海も大荒れだろう…山側も傾斜が多いから変なものが転がってきやすいから危ない
…藍の心身も大荒れで疲弊している
…………覚悟決めるしかねえな
藍を背負って最短距離を一直線にぶっちぎる
………………………………………………
……………………………
…………………
「――――……シャァオラア!!」
「ゔぉっ!?」
全力疾走して家まで辿り着いたところを元気よく玄関のドアを開ける。
すると玄関先で座っていた姉さんが蛇に遭った時と同じ声を発しながら仰け反った
「あーしんどい。つっかれたぁ…。お前重くなりすぎ」
「成長してる証拠。喜べ」
「出るとこ出てりゃあ―――つぉッ!」
背負ってきた藍を下ろしたと同時に膝カックンさせられ、姉さんの顔と至近距離になるまでバランス崩される
「……あ?なんで濡れたままなんだよ」
よく見ると姉さんの身体も雨で濡れたままだ。
風呂の準備中だからってタオルで頭くらいは拭いとけよ
「二人が帰ってきてないのに、あたしだけぬくぬく出来るわけないじゃない」
「それで風邪引いても見捨てるからな。…ほら、帰ってきたんだから二人とも先風呂入って来い」
靴を脱ぎ棄て、姉さんが傍らに用意していたバスタオルを手に取り、濡れてしまう廊下を気にせず歩きリビングに向かう
「「え?」」
「え?じゃねえよ。お前ら美術家は心の忍耐力はあっても身体は雑魚だろうが。いいから入って来い。これ以上の問答は無駄だ」
無理やり話を打ち切り、リビングに入る。
何を話すでもない。話す必要もない。取り敢えず逃げ口を塞がないと人間とことん逃げる。
二人から起きた事案だ。だったら、二人でまずは決着つけるのが筋だろう。
…まあ、藍のあの様子からしたら無言で終わりそうだが
台所へ行き、後で脱衣所にある洗濯機に入れる為に戸棚からビニール袋を用意。
その中に靴下、トップス、ボトムを脱ぎ入れ、パンツ一丁になった状態で蛇口から温水を出して頭を突っ込む
…あー生き返る。こんな目に遭ったのいつ以来だ。
クソ暑い日に長袖長ズボンで海に釣りしに行った日以来か?
見ている方が暑苦しいんじゃい!っておっさんに突き落とされたっけ…
思い出したら腹立ってきた。今度おっさんのクーラーボックス海に叩き入れてやろう
…いやもうやったな。やられた直後の仕返しに
あの時と発想が変わらないあたり俺らしい
………いや、というよりも
「―――…俺だけが変わってないだけ、か」